黒の黄昏
テンポリーフォの絶命という形で戦いの幕は下り、森の中に再び静寂が戻ってくる。
ディーノは肩で息をしながら、戦場の跡地を見すえる。
(……何だったんだ今のは)
自分でも感じたことのないほどに体から湧き上がるマナの奔流、そしてありえないほどに威力を増した稲妻、その原因は戦闘が終わった今もわからない。
しかし、沈みかけている陽を見て、現状を再確認する。
考え込んでいる暇はない、アウローラを連れて一刻も早く森を出なくてはならない。
そこまで考えて、ディーノは思考の螺旋から我に返った。
剣を鞘に納めると、アウローラがいるはずの木に向き直って歩き始める。
だが、彼女の顔がはっきりと見て取れるほどの距離まで近づいたその時……、ぐん、と何かに足を引っ張られる感じがした。
目に見えている世界が次第に色を失っていき、黒と灰に支配されていく。
晴れていたはずの黄昏の空にありえない、土砂降りのような雑音が耳に襲いかかってくる。
そして、聞こえてきたのは声……。
『まだ生きてるぞ! 本当に怪物なのかこいつは!?』
『バカな! 家は完全に焼いたはずなのに!』
『あの魔女が逃がしたんだ!!』
『殺せ! 今度こそ殺すんだ! あの悪魔の子を!!』
忘却の彼方に放り捨てたくなる忌まわしき記憶の中、ディーノにとっての全てを奪い取った奴らの声がする。
これは現実ではない。
もう変えることの叶わない過去の断片でしかない。
それが今になって現れた理由は嫌でも気づく。
自分でさえも知りえない力で、テンポリーフォを打ち取った。
無我夢中で戦っていた自分を見て、アウローラがどう感じてしまったのか、彼女の顔を見ることの不安、拒絶されるかもしれない恐怖、それがこの光景の正体だ。
知りたくない。
見られたくない。
その思いがディーノの世界から色を消し、音を消し、苦しみの記憶を呼び起こす。
こんな怪物じみた力で戦う姿など見てしまえば、どんな人間でも反応は決まっている。
そう、思っていた……。
黒く染まっていたはずの世界に、ふわりと金色が舞う。
黄昏の光を浴びてより強く輝いたそれは、ゆっくりとディーノに近づいてくる。
『……ノさん』
かすかに耳に届く声。
あの忌まわしき奴らとは違う、清流のように澄んだその声に、ディーノは耳を傾ける。
その光はどんどんと強まり、視界を白く染め上げていく。
「ディーノさん!」
自分を呼ぶ声だと認識した瞬間だった。
視界を覆い尽くした黒が一瞬で消しとばされて色が戻っていき、目の前には自分を心配そうに見つめるアウローラが立っていた。
ディーノを見上げる青い瞳には、侮蔑の色などまるで感じない。
「俺が……怖くないのか?」
どもりながらもディーノは率直な疑問をぶつける。
少しの戸惑いと逡巡の後、アウローラは口を開いた。
「ちっとも、って言えば嘘になります」
これで何も恐くなんかないと言われたところで、ディーノはそれを易々と信じる事などできはしなかっただろう。
下手に取り繕われないだけ少し安心できた。
「けど、都合が悪くなれば拒絶するような人間になったら、私は自分のことが許せなくなります」
青い瞳に写り込むディーノを、まっすぐに見すえて紡ぎ出されたその言葉には、嘘が入る隙間などありはしないと物語っている。
「ディーノさんがどう思われたかまではわかりません。でも……いえ今は言わないでおきます」
柔らかく微笑むアウローラは、黄昏を背景にした一枚の絵画のようで、胸の奥がムズムズするのをディーノは感じていた。
「急ぐぞ。もう時間がない」
彼女の顔を直視している自分が、どんな顔をしているのかを見られたくなくて、もっともらしい理由を言い訳に背を向けて歩き出したその時だった。
「アウローラさん! ディーノ君!」
空から聞き覚えのある声がした。
「アンジェラ先生!」
アルマに腰をかけた姿勢で空からやってくる、つい数日前を思い出す光景だった。
「やっぱり、ここだったのね」
その口ぶりからして、おおよその当たりをつけて来たという事なのだろうが、どうやってたどり着いたのか。
目印らしい目印など、残したはずもないのだがと疑問がわく。
「さっきの雷を見て、もしかしたらって思って。にしても凄い跡ね。ディーノ君ならさほど不思議でもないんだけど」
テンポリーフォとの戦闘した形跡を見て、そんな風にさらっと流してしまえるアンジェラの神経に、ディーノの顔色は変わる。
「ディーノ君に一つ言葉のお勉強♪ 世の中上には上がいるものよ」
アンジェラが悪戯な笑みを浮かべながら講釈を垂れる。
どうやら、表情から思考を見透かされていたらしい。
「さ、帰りましょう。他のみんなはもう学園に戻ってるよ」
「じゃあ先生、こい……アウローラを乗せてくれ。アルマを無くして魔術が使えない」
そんなディーノを見て、アウローラを自身の後ろに乗せたアンジェラが何か言いたげな感じに笑っている。
「なんだよ?」
意味ありげな視線が少しばかりイラっときて、またいつもの調子で言葉を返す。
「ふふっ、ちょっとだけいい顔になってるね♪」
そう言い残して、浮かび上がるアンジェラを、ディーノも戸惑いを覚えながらも飛行魔術で追った。
「アウローラ〜!!」
転移の門を抜けて学園に戻った矢先に、シエルが飛びかかるようにアウローラに抱きついてきた。
「ご心配をおかけしました」
アウローラは優しくシエルを抱きしめた。
そのやりとりを見るだけで、シエルが本気で心配していたとわかる。
彼女が器用に裏表の態度を切り替えることができるタイプでないことが、アウローラもディーノもわかりきっているからだ。
「女の子の友情も、これはこれで見てると楽しいよねー♪」
こうして馴れ馴れしく肩を叩いてくるカルロに比べれば、間違いではないだろう。
「相変わらずの怖い顔で♪」
睨みつけてやると、大仰な動作で肩を放す。
「けど、うまく行ったみたいだね?」
そう返すカルロの顔は、いつもの軽薄なものとは明らかに違う種類の笑顔だった。
「さぁな……」
カルロに軽く返して、ディーノはシエルの方に声をかける。
「一ついいか?」
「わひゃあっ!」
それが意外だったのか、驚きの声とともに迎えられる。
「そ……その。今度は、いつにする?」
壊れた人形のような途切れ途切れの言葉で、それでもディーノにとっては精一杯の勇気で、その問いを口に出した。
「ひょっとしてお茶会?」
ディーノは黙って頷いた。
「俺が、台無しにしたからな」
それを聞いたシエルの顔が、急激に崩れていく。
「あはははは♪ 気にしてたんだ? じゃあ、明日にしよう♪ 土曜日はお休みだから直接旧校舎だね♪」
笑われているのに、不思議と悪い気はしなかった。
「盛り上がるのはいいけど、四人とも明日はフリオ君たちのグループと補習よ? それと、ディーノ君は帰る前に保健室へ行って傷を治してもらうこと!」
「えぇ〜!? 先生ひどい〜!!」
シエルの愚痴に構わず、アンジェラは四人に釘を刺す。
沈んだ太陽を追って現れた三日月が、彼らを西の空から見下ろしていた。




