学園生活の始まり −1−
「ようこそ、イルミナーレ魔術学園へ。手紙は届いているけど、君で間違いない? 編入生のディーノ君」
船旅から三日後。
ディーノは手続きを終え、新学期の始まりである今日から編入生としての生活が始まろうとしていた。
師からの紹介が事前にあったからか、驚くほど滞りなく話は進んで今に至る。
今は黒一色の旅装束ではなく、青の上着に白いワイシャツ、首に緑のネクタイを巻き、下はグレーのズボンという学生服に身を包んでいた。
「ああ」
目の前の女性にぼそりと答えを返す。
外見からして年齢は二十代前半から半ば、赤紫のロングヘアーが揺れ、緑のつり目にきつそうな印象はなく、同年代では出せない大人っぽさを醸し出している。
「私はアンジェラ。君のクラスの担任よ。わからないことや困ったことがあれば聞いてちょうだい。あ、でも先生に恋しちゃダメよ? 残念だけど既婚だから」
アンジェラは、ディーノをからかうようにウインクしつつ笑いながら言う。
「別にどうでもいい」
だがディーノの反応は、淡白を通り越していた。
眉間にシワがよった仏頂面は変化することなく、警戒心だけをアンジェラに向けていた。
「そんな無愛想だと、モテないぞ~♪ せっかくいい顔してるのに」
「だからどうでもいい」
どこへ行こうとも、どんな目で見られるかは嫌でも想像はつく。
この女教師も、せいぜい自分の心象を悪くしないために、表立った態度で示さないだけで、この学園というある種の閉鎖された場所で出会っていなければ、今まで見てきた連中となんら変わらない本性があるだけだと、ディーノは結論付けていた。
「わかったわかった。先生と教室に行くからね、けど、その前に……」
アンジェラはディーノの首元へおもむろに手を伸ばす。
「つけるのは初めてみたいね。ま、一ヶ月もすれば大丈夫よ」
そして、慣れた手つきでネクタイをきれいに締め直してくれた。
ディーノが浮かべた少し気恥ずかしい表情、年相応の少年らしい部分を垣間見てか、彼女はくすりと笑っていた。
* * *
新学期初日の教室は、いつにもまして空気がざわついていた。
クラスの委員長であるアウローラもそれを感じ取っていた。
青色のリボンでまとめた腰まで届くほど長い金髪、ラピスラズリを埋め込まれたかのような瞳、整った顔立ちは同級生の中では大人びているものの、子供っぽさを完全に失っているわけでもなく、嫌味のない綺麗さを持っていた。
すらりとした長い脚と、ピンと伸びた背筋が、女性にしては高い身長をより強調していた。
「ねえねえ、アウローラ聞いた?」
親しげに話しかけてくるのは、彼女が一番仲がいいと思っているクラスメイトのシエルだった。
栗色のポニーテールを揺らし、空色の瞳を輝かせながら、楽しげにしゃべるあどけない顔つきに、一五〇センチに満たない小柄な背丈。
アウローラより体型の凹凸がハッキリとしているものの、学園の外で二人が並んで歩いても同じ年に見られることは少ない。
「どうしたんです?」
「今日から転校生が来るって話だよ! しかもうちのクラス! 男子寮で見たことない人が来てたんだってさ」
心底楽しそうにはしゃぐシエルは、まるで新しいおもちゃをもらった子供のようだ。
「でねでね! 休み中に旅行してた初等部の子が、魔術士の人に魔獣から助けてもらったらしいんだって。ひょっとしたら同じ人かも」
生来の明るさゆえか、シエルは誰にでも気兼ねなく話しかけられる。
その交友関係の広さと情報網は学園の中でも指折りかもしれない。
今日もこうしてとりとめのない噂話に花を咲かせるのが、アウローラとしても楽しいのだが、全校生徒に好かれているかと言われればそうでもないようだ。
ちょうどシエルには死角になる位置で、数人の女子が固まってひそひそと話しているのが見えた。
あまりいい話でないことは想像がつく。
そして、敵意の矛先が自分に向くことは決してない。
嫌われているわけではなく、むしろその逆、だからこそ周囲は壁を作る。
アウローラ個人に対して、よそよそしく遠慮がちで、話をしてもその内容は当たり障りのないものだ。
シエルが同じクラスにいなかったら……きっとさびしい学園生活になっていたことだろう。
「たぶん、アウローラの隣だよね。その転校生の机って」
彼女の席は窓際から二列目、一番後ろの席で、左隣に空きの机が設置されていた。
「どんな方なんでしょうね。話しやすい人ならいいんですけど……」
「ふふ~ん♪ 気になるのかな~?」
「い、いえそういうのじゃないですよ……」
どんな相手が来たとしても、友人以上の関係になるなどなりえない。
アウローラにとってはそれが全てだった。
友人が増えれば、自分を取り巻く現実に対する気やすめが多くなるというだけの話、それ以上の期待は持ちようがなかった。
「寮に残ってた男子に聞いてみたんだけど、黒い髪で顔に大きい傷があるんだって」
「えっ……」
それを聞いたアウローラの表情は一瞬固まった。
『それはアーちゃんのだいじなものだ! アーちゃんに返せっ!!』
『しつこいんだよ! 悪魔のガキが!』
『泥棒め、お前なんか……お前なんか……ぶっ潰してやるーっ!!』
記憶の底から掘り起こされたのは、雨のふりしきる夜の街で、紫色の雷が落ちた光景だった。
そして、その場で一緒にいた少年の姿。
今でも昨日のことのように思い出すことができる。
もしそうなら、また会えるのなら、これほど嬉しいことはない。
自然とアウローラの表情は誰が見てもわかるほど綻んでいた。
「どしたの? アウローラ?」
シエルにも怪訝そうに彼女の顔を覗き込んでいた。
「な、なんでもありません!!」
「みんな席ついてー。ホームルーム始めるよー」
慌ててごまかそうとしたところで、前のドアが開けられ、担任教師のアンジェラが入ってくる。
その一声で、騒がしかったクラスメイトたちは、一斉に自分の席へと戻った。
「みんな冬休みはどうだったかな? 遊ぶのもいいけど、二年生もあと半分だから、あんまりだらけると留年もありえるからねー?」
アンジェラが冗談を織り交ぜつつ、生徒たちに気を引き締めるよう促す。
「さて、もう知ってる人もいるかもだけど、今日からこのクラスに新しい子が入ってきます! わからないことも多いだろうから、みんなも力になってあげてね。入ってきて」
アンジェラの呼ぶ声に合わせてドアから姿を見せたのは、シエルが話した通りの特徴を持った男子生徒。
クラスの面々はざわつきながら様々な反応を見せていたが、アウローラだけは、その中の誰とも違っていた。
(……ディーくんなの?)
在りし日の思い出にいた、忘れられない少年の名を心の中でつぶやいた。