表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

未踏 17号 「生身ということ」

作者: 山口和朗

    「生身ということ」


 実存とは存在の人間的理解のこと、人間というフィルターを通さなければ、それはただ在るだけ、実存化したいのは生命の行為、生命の神秘、生命の探究、私というものの意味付け、私というものの確認、実存の確認とは私に接続されたものとして見られるとき発生し、私の身体との関連において初めて成立するもの、全て実存を確認することの根底には自己が宇宙に結ばれていることの何らかの経験かあってのことであり、形而上学としての魂の問題である、人の受肉とは形而上学の核心となる所与である、死という事実は見い出されてはいるが、理解されてはいない、説明も全く出来ない、私は私の死を言い表す事が出来ない、何故なら私が居ないのだから、私という無が何事をも判断出来ないという論理、従ってどこから来て何処へ行くのかも、私は判断出来ないこととなる、コギトの前と後ろの地点、それは事実ではあり、現象ではあるが、生命、意味、本質は何も解らないことに属している、


    生身ということ



 実存とは存在の人間的理解のこと、人間というフィルターを通さなければ、それはただ在るだけ、実存化したいのは生命の行為、生命の神秘、生命の探究、私というものの意味付け、私というものの確認、実存の確認とは私に接続されたものとして見られるとき発生し、私の身体との関連において初めて成立するもの、全て実存を確認することの根底には自己が宇宙に結ばれていることの何らかの経験かあってのことであり、形而上学としての魂の問題である、人の受肉とは形而上学の核心となる所与である、死という事実は見い出されてはいるが、理解されてはいない、説明も全く出来ない、私は私の死を言い表す事が出来ない、何故なら私が居ないのだから、私という無が何事をも判断出来ないという論理、従ってどこから来て何処へ行くのかも、私は判断出来ないこととなる、コギトの前と後ろの地点、それは事実ではあり、現象ではあるが、生命、意味、本質は何も解らないことに属している、論理的、実際的に不明、不可能なもの、ただ私は予感する、私が想像するだけ、これは所与されて、人によって確信されるもの、生きているということは、この確信の連続に他ならず、知覚だから、どのようにでも知覚されるのが想像であり、これが生命のもつ面白さ、世界にいかなる不明瞭が内在しているわけではない、私が私自身にとって不明瞭であることに基づいているだけ、時間に対する唯一の可能な勝利は、忠実、人に時間を越える特権はなく、私はもう疑わない、奇跡のような幸福、今朝のこと、私は初めて、はっきりと、恩寵の経験をした、恩寵の経験、この言葉はおそろしい、私は見物しているのではないと、この言葉を繰り返したい、精神の根源的な所与を見失わないために、我々がこの世にあるのは奉仕するためであり、奉仕ということを多方面に広げて考えてみたい、実存は神秘に他ならず神秘としてのみ理解可能であり、信仰とは真理の明証性である、信仰における意志の役割、幼子のごとくなれと言う福音の言葉は、魂の誠実さ、素直さのこと、-マルセル、「形而上学日記」より- 

 私対世界の生身とは、小説を書いている私と、その作品世界に似、意識を張りめぐらし生きている私と、存在としてある世界、これらを神々の視点から眺めるなら、神が生かして在るものとしての小説世界のように見られ、しかし違うのは虚構ではなく、存在として生身で時間の中を生きて在る私というものが在り、神々が何を見ていようが、私が私を生かし、味わっている存在としての私というものがあり、哲学的に、文学的にと、いくらこの私対世界を考えても見えてこない生身、ある時、ある状態において、ただ私において味わい、感じられている所のもの、和朗は眼を覚ます、母が家出をしたかも知れない、薄暗い家の中の父と母の寝床を見る、父は居て母は居ない、昨夜、予感として感じた母の家出が現実のものとなって、和朗はトイレかも知れないと、母屋の離れにあるトイレを見に走って行く、家の裏にあるクド(台所)かも知れないと、又帰して見に行く、いない、自転車はある、歩いて行ったんだ、和朗はまだ汽車に乗ってないかも知れないと、自転車で駅への道を漕ぐ、夫婦喧嘩や、母の涙が絶えない日々だったが、母には家を出て欲しくなかった、耐えてほしかった、和朗はどちらが悪いなどと考えたことはない、父にも母にも労りをもっていた、その母が出て行った、何かが終わり何かが始まる、和朗を包み、支え、見守っくれていたものが消え、日常が突然に変化する、切断される日常、眠らないで起きていれば止められたかも知れないのに、自分がこれ程願っているのだから、離婚はしないで母は耐えてくれると思っていた、悔恨、悲しみ、立ち昇ってくる不安、喧嘩もあったが、笑いや、喜びもあった、親戚の納屋での間借り生活だったが、和朗に一家団欒というものを味あわせてくれた時、「起きろ、起きろ」当番の怒鳴り声と、けたたましく振り下ろされる鐘の音、まだ夜が続いていると思える朝もやの寺の境内に、突然に区切られた時間のような朝が始まる、通り過ぎていく呼び声と鐘の音に、今少しの眠りをと蒲団を被る、冬は朝六時半、夏は六時、眠くても嫌でも起きるしかなかった、和朗の養護施設での朝、起きて楽しみがあるわけではないのは、誰の顔にも、親の優しさや、用意された朝食が待っているわけではなかった、嫌な庭掃除、洗濯当番、炊事当番と、朝は労働で始まった、一人で生きていかなければならなかった、昼間働き夜は夜間高校へ、アパート代も食費も自分で稼がなければならなかった、眼覚まし時計はそのための大切な道具、どんなに遅く寝ても遅刻しないで、前の部屋は独身の高校教師、隣は若い夫婦、その隣は老人夫婦、共同トイレの長屋式アパート、和朗が起きる頃にはもう皆起き払っている、薄いカーテンから差し込む朝の光に、希望と不安、そして倦怠の十六才、陽の射さない六畳のアパート、本とステレオだけが目立ち、たがそこには一つの蒲団で肌のぬくもりを分けあう新妻が居り、味噌汁のお菜を刻む音が響き、喜びの朝がある、和朗はこの朝を求めて生きて来たのではなかったかとさえ思え、百グラムの肉を三回に分けて食べ、リンゴは個買いをし、茶ぶ台一つ、小さなガスコンロ一つの暮らしが始まった、 麻酔から醒めたのか、眼が覚めたのか、あたりは暗い、霞んでいる、頭だけが醒めて、身体は自分のものではないよう、妻の声が近づいてくる、次第に耳元にはっきりと、眼を開らくと、妻の顔と妹の顔が、そして激痛が襲い、余りの痛みに顔が歪む、泣き声になる、もう何も見えない、ただ痛い痛いと訴え、痛み止めを求め、妻に手をとられ数分後には又眠りへと、モルヒネの虹の光の中へ、痛みと光は混ざり合い、身体は中空に浮いたように軽く、和朗は散乱し、痛みと眠り、眠りと痛み、打ち寄せる波のように漂い、長い長い手術一日後の朝を迎え、タイムカプセルのトンネルをくぐって来たような、痛みの記憶と、混濁した意識、しかし、眼は透明な見慣れた物たちの在る朝の室内を捉えていた、再び戻って来た、和朗の見慣れた懐かしい世界へ、夜明け前、四時頃に眠りに就き、眼が覚めたら起きる生活、自宅で経理の仕事をしている和朗は、勤めに出ている妻に代わって主夫作家を、夜型の生活はもう二十年以上、夜九時頃帰宅する妻に食事をよそい、一時間程団欒の時を持ち、二人で風呂へ、その後妻はテレビなど見、和朗は食事の後片付け、洗濯干し、etc、夜一時頃まで、やっと横になる頃妻は眠りへ、二時頃になり和朗の時間、四時か時に六時頃まで、体調、睡魔によって変わるが疲れ果てるまで、台所のテーブルで、創作又は読書、朝の目覚めは前日の疲れが癒され、新しい一日の中に誕生するように、和朗は食べる、桶屋をたたんで伯父の家に世話になっている和朗一家は、貧しく、惨め、父母は働きに出てはいたが、いつも家には食べ物が無かった、いつの頃からか、和朗は腹がすくと伯父の家の台所に上がりこんで、おひつのご飯をしゃもじで掬って食べていた、それでも足らない時は、芋床から生芋を掘り出し噛った、いつも腹をすかしていた和朗、そんな日々へ新家の庭先に届いたカニの山、父が友人とトラックに山積みして持ってきた、カザミという菱形の緑がかったカニ、ゆでて、味噌汁にして、近所にも配って、家出してしまった母、働かない父、和朗と妹はとり残され、間もなく父の手に余った妹は養護施設へ、和朗は男手として、学校から帰ったら野良仕事を手伝うことで、本家に居候う、暗い居間で、和朗が居ることが気まずいのか、従姉妹達も押し黙って食事をする、居候うの和朗はもうその頃、居候う三杯目そっと出しという言葉を知っていた、必ず伯母の嫌悪の感情が動作に現れていた、食べさせてもらっている、この意識を毎食、味あわされることの屈辱と、羞恥、三日に一度は肉が食べられるぞと父が話していた養護施設の食事、世話になっている居候うという嫌な気分は今やなく、ただ一人の生活、一人の世界を生きなければならないという意識だけがそこには在り、しかし、最初の日、上級生の女の子に何か言われ、すねて喧嘩をした、六畳一間の、陽の射さないアパートで、和朗と恵美子は新婚生活を始めた、恵美子は和朗を仕事に送り出し、帰りを待つという初めての時を持ち、和朗も初めて妹や母とは違う、他人と一つ屋根の下で、二人きりで暮らすという時を持ち、妻の肉体や、心が自分のものとなり、自分の為に食事や、労りや、喜びやを与えてくれる一人の女を得、和朗もそんな妻の為に働き、労りや喜びが報われるものと、水が滑らかで、重さがあって、和朗の口の中の唾液とは違った、和朗の源であるような、あらゆる微量元素を含んだ水が、和朗の舌を、和朗の口の中を、萎れた植物の葉に水を与えるように流れ落ちていく、熱ぽい、腫れぼったかった細胞の一つ一つが冷たさに引き締まり、和朗の皮膚、和朗の唇にと拡がっていく、胃全摘手術、一週間目、和朗は歩く、母の後を付いて、内職屋までの田んぼ道、母は両手に風呂敷包み、和朗は一人、手を繋いで、楽しく話しながら歩きたかったのかも知れない、母はいつも悲し気で、和朗の心は甘えを殺した労りが嫌で、母を困らせることばかりして、たんぼの畔道をわざと歩いたり、又その家の垣根のキンカンをむしったりと、父が事件を起こして、和朗は本家にはおられず、母の実家へ、遅刻してもいいから学校に来なさいという担任の女先生の言葉に応え、徒歩で一時間の線路道を、和朗は歩き、この線路は日本中どこへでも繋がっている、この先のどこかの街に家を出た母の住む街もある、和朗はまだ切り開けない自分の時を、学校だけは行かなくてはと歩く、好きという感情と、誇らしい気分と、初めて芽生えた性に対する感情を指先に込めて、さりげなく話している和朗だったが、手の平で、本当は話していた、伝わってくる柔らかさ、暖かさ、不思議さ、ジットリ汗ばみ、しかし、手を繋いだ時以上に恥ずかしくっていつまでも手が離せず、人通りの多い街中まで手が放せなかった、手術後の微熱が続く身体、屋上の風に当たりたいと、ほてる顔に冬の冷気が心地良い、熱い身体は和朗のもの、重い手足が一歩一歩と、屋上のコンクリートの上を、何者かに感謝という感情よりも、私という存在が一個であったという痛切な確認、感謝とは結果なだけ、和朗は世界に対して一個であり、唯一であるということの強烈な体験、それが癌体験、溝落ちから臍の下までの手術跡、まだ膿が出、抜糸に通う日々、背筋を伸ばしては歩けない、公園の一回の外周の散歩にも息が切れた、私の生きている姿を、宗教的ではなく、情熱的、ロマン的でもなく、生身なだけの私ととして、私が直感した生きていることの、これが私の生身というものを、例えば怒り、例えば喜び、例えば不愉快、例えば涙などの、日常の中の、生身、私の動物性をただ感じたものとして、驚きと不思議で味わい、私対世界、生身性、生の実感、探究を目指す時、様々な私にとっての意味である私が探られる、私は誰かの為に存在するのでもないし、私の為のそれが、時に人のためになる程のもの、人は人それぞれに於いて達成する所のもの、私は何もする必要などないのだった、私は何しろ生きていることを確認し、楽しみたいのだった、生きていることの喜びとは、私の記憶の総体である、音楽を聴いていてそう思う、過去の記憶、私の生命のリズムがその音には刻まれて在り、それに反応しているのだと、実存とは定義できないものを定義しようとする所のもの、定義出来ないものが在るということを、自己矛盾の中で考えているもの、しかし、生身性とは定義可能な、実現可能な、日常性の中にこそ立ち現れ、感じられるところのもの、誰にでもある生身性、どの時代の人間であっても、誰にあっても、在る生身性、それは実存とは違う、存在として在るもの、人が永遠を考えられるなら、万物は永遠に存在するという、人は自らの、石からの発達史を自らのものにする所のもの、父への友人がもって来てくれた蓄音器を瞳を輝かせて喜んでいた父、五、六才の和朗も一緒になって撫で回し、前の晩に仕掛けをしておいた、鰻の篭を引き上げに、和朗を後に乗せて、嬉しそうな父、肥桶に銅の注ぎ口を付けた桶を自慢気に説明する父「こうすれば、杓でいちいち掛けないでもすむ」と紅く光った肥桶を傾け実演した父、竹を切り竹ひごを削り、紙を貼って模型グライダーを作ってくれた父、和朗を肩ぐるまし、夜の道を散歩し「父ちゃんと、母ちゃんとどちが好きか」と、小学四年に、養護施設に入った和朗には、父の生き生きとした顔は、これら数回の行動の中に刻まれ、「チャンドス卿への手紙」は、クラウスが可愛いがっていたウナギの死に涙をしている所にこそ、生命への等価の心、リビイラスは地べたの石ころにも別れを告げていた、そこには自己の内部と周囲とにすばらしい、無限の対応を感じ、全存在との新しい予感に満ちた関係が在り、「失われた時を求めて」には、永遠ということが、時こそ、人によって生きられたその時こそ、永遠というものだと、私が真に生身、一回性、唯一性を考えられるなら、何事をも可能だという事を、共感も、一体も、君が私で、私が君でと、此れほどの喜びと奇跡はなく、世界に対してこの感情が持てるなら、これが生身と一回性への理解、ロマンチシズムではなく、人は一体に向かって、自己完結して行ける、私対世界とは、ここへ向かって行くもの、証明したい訳ではない、伝えたい訳ではない、私は経験したいだけ、そうして生きたいだけ、私の世界に生きる私は、私でもって、石に、時空に、意味と喜びとを、沈黙に、孤独と喜びとを、プルーストが時を見い出し、私は私の生身を見い出し、生身とは、生身、生きてある私において感じられ、成される一体の行動と感情、犬と木と一体に成れるのに、何故に君と私が一体に成れないかと、妻に哀願する夫の話が生身、真に一体となるのは家族、最も近い私、それで充分なはず、これが出来なければ永遠に人との一体は無いという、家族というものの存在、ロブグリエが嫉妬の感情を、サルトルが嘔吐の感情を、カフカが不条理の感情を、プルーストが時の発見を、ドストエフスキーが罪を、カミュが存在との一体をと、私は私の生身の感情をと、タルコフスキーを、今の私は何によって、最初は井戸水、次に正眼寺の川、本寺川の、木曽川の、太田の渡し場の湧水、裏山の清水森山用水の、田んぼの、万物は水であるような、あらゆる水との記憶の感情があって、タルコフスキーの水の溢れている映像シーンが懐かしく感じられるのだった、地球には風が吹いているんだ、と、空から腑かんするような、麦畑が風に煽られ、波打つシーンが、一人聴いた、裏山の木枯らしの音、ブナの根元の春蘭は寒さに震え咲いていた、台風が来ると裏山のブナやカシの葉裏を白く光らせ通り過ぎて行った風、私って死ぬんだと、地球には雨が降るんだと、私の死を興味をもって眺めた眼、川端の十六才の日記ではなく、「悲しいだけ」の藤枝ではなく、驚き、興味、観察の眼で、自らの死を、桐山が自分の身体が火葬場で焼かれ、その煙を眺めている様子を書いていたが、死に際してではなく、今において私の死を、私って死ぬんだと、「自殺の考察」とか「私対世界」とか、勇ましいことを書いていた和朗は病んで、今、病床に、そして、ただ苦痛を子供のように訴えて泣いている、死に際して、死を興味をもって見つめるなどの、健康であっての意識など今はなく、一人、孤独、肉体において、生身において、初めて私対世界を体験している者、その時になって現れるものは、理性や規範を捨てた和朗の本性、あらゆる事に無関心、一人と、自閉、ただ生きて在るだけ、死に全てを任せた、放心の姿がそこには、和朗は死んで行く、これはも早和朗の死ではない、死が自然な、枯れ木のような、哀れな、必然の姿、も早、生きていても、死んでいるような、死は和朗にとって抗うようなものではなく、肉体の死が理性の死を強い、死はも早や、和朗の手の届かない所に、生命とは、生きようとする肉体の意志、精神の意志、これらが早や、和朗には失せ、死がすっかり満ち満ちて、味わう植木、味わう意識、味わう家族、味わう時間と、何より味わう和朗自身を持ち、天国とはこの和朗でもって、私を味わうことを言うのだと、毎日やっている事とは、昼頃起きて、ステレオのスイッチを入れて、パーフェクトTVのバロックを流し、ベランダの窓を開け、換気をし、台所へ行き、コーヒーを掩れ、タバコを一服し、ほどなく犬の散歩へ、十五分位して、帰って昨夜の残りもので軽く朝食をとり、身体が慣れてきたら、書き物、疲れては買い物、夕方には食事作り、読書、片付け、妻の帰りを待ち、風呂、夜の散歩、家族が眠ったら、また書き物、読書、四時頃に床に付く日々、妻の休みの日は一日妻と過ごし、ドライブ、買い物と、こんな生活がもう三十年も続いてるのだった、この万年青は妻と一緒に岡崎で買ったもの、この骨董は鎌倉でと、思い出す記憶はプルーストがマドレーヌを思い出すように心地良いもの、このステレオは、この本は、この家具はと、生き在る全ての時間が二人で共用され記憶され、生身とはこうした愛するものとの、愛し合った時間、苦しみさえ愛し合う、分かち合う、世の愛し合っている夫婦誰もがしている当たり前の事の中に、ここに何の表現が、何の付加物が必要なのか、作家は不必要なものを書いているのだった、愛しているとは相手のやっている事、考えていることを全て知っていると言えること、穏やかな冬の一日、夕陽が玄関の窓にまで届き、和朗の顔にも届き、緩やかな水の流れのように、音楽が終日流れ、和朗は喜びを味わい、一日一日が暮れ、末踏十七号を、新しい、私対世界の生身の方法で、マルセル、シュティルナー、でもなく、生身を、私対世界の言葉で定着したい、上段に深い精神の感情が流れ、下段に記憶や日常の、雑多なものが流れといったような、メルロポンティ、サルトル「存在と無」の批判、フッサールの本質直感への批判、ベルグソンの直感主義への批判、フッサールが辿った道を通って、「プラズマン」とは漸進解脱、シャンカラの神秘主義、①身体を微小なものに出来るなどの自在力、②努力というものを必要としない、③支配を必要としない、他者を必要としない、④欲するものを思うままに創り出せる、⑤苦楽の果報を享受、⑥意を有する、⑦身体は在る時もあれば無い時もある、⑧世界との一体を通して、何とでも結合できる、⑨最高神に依存しての最高我の認識、これらを呟きで、独白で、自在さで表してみたい、私は自分の自在さを人に説明したいわけではない、自分に確認したいだけ、末永く所有していたいだけ、プラズマンの世界に赴くことは人間の理想、手中に最高を得ること、完全なる直感、私の生身性と、生命そのものの、一回性とにおいて、草木、自然が太陽と結ばれてい.るように、人も同じ陽に皮膚は反応し、あの感じ、陽なたぼっこは始源の私、和朗が世界との一体を考えられるのは、あの陽なたぼっこのような、物との一体は可能だとの体験があって、誰とでも、何とでも、その感情でもって可能だと思わせる、世界は君と接するように接すればいいのだと身体が知っているのだから、君が和朗のことを、自分の意味と考えているからこそ、和朗はそれ以上のものを必要とせず、君の身近なものを味わう能力の中に、存在と意味を、和朗が存在するだけでいいとする、体験された君の感情があるからこそ、それらは和朗に裏打ちされ、今年の到達点、完全に正月を待つ心が無くなった、社会、文化、伝統への依存が無くなった、孤独、芸術に対しても自在になり、独自さをこそ追求しようと、誰かの批判や誰かの孫引きではない、和朗の独自さこそ、何かを表現るこなどはなく、和朗の楽しみで、人へ世界へ和朗の主体でもって自在、一体がもてるようになった、仕事を焦らなくなった、表現したいものは生身という感覚、これは生涯のテーマ、解らないことなど何も無いと言えること、ただ言葉がないだけ、「ああ、ただいま、ただいま」「ブンちゃんただいま」「父うちゃんは何処」妻が帰ってくると、犬は喜び、飛回り、家は一瞬にして華やかに、横になっていた和朗も立ち上がり、「お茶、コーヒー」おかずを温め、飯をよそい、風呂を入れ、妻は何がしの土産物を取り出し、犬はぴったり妻に寄り添い、息子たちも妻の回りに集い、和朗もテーブルに座り、ひとしきり今日の出来事など話し合い、妻の明るさは素晴らしい、犬の喜ぶ姿は素晴らしいと、植物が太陽に向かって花開くように、人、犬の姿は、生命の自然さ、素直さ、当たり前のことのように毎夜繰り変えされ、しかし、それらが失せたなら、途端に訪れる暗さ、不快、血圧が高く、頭痛がひどいと言う妻、ステロイドの副作用で白内障の犬、いつの日かこの当たり前だったものが消え、暗く、打ち沈む日があり、和朗はその華やぎをこそ味わい、夜道が怖いという母を、和朗は毎夜駅まで迎えに行き、帰りに店でパンを買ってもらうのが嬉しかった、母の力になれることが嬉しかった、喧嘩ばかりの暗い我家が、和朗の手伝いで、守れるかも知れないと思えて、妹の面倒を見、良く勉強をし、夕食の準備をし、母を迎えに行きと、殆ど家庭のために時間を費やし、それが喜びとなり、母の笑顔、それによって父の笑顔、妹の笑顔へと、十二才の和朗、三十二才の母、母や父の迷い、不安が、すぐに和朗の不安に、世界は未だ両親と共に在り、地域共同体の一員に成ってはいない、転校者の和朗は異邦人、殆どを家族の世界に生きており、その家族との世界に裏山が在り、前の小川が在り、学校も在りと、一人対それらの世界は、毎日が自分での発見で、いつ毀れるかも知れないといった不安の上にあり、穏やかな日常は和朗にとって掛けがえのないものだった、しかし、一人対世界の和朗には、物たちがはっきり印象付けられ、清水の岩肌、沢ガニ、イモリ、ゲンゴロー、裏山のほんの小さな清水だったが、そこには和朗の不思議、発見が在り、和朗の世界との一体の感情、物達への親しみの感情とは、この頃培われたもの、池を覗き込み、飽かず眺めていた和朗は世界の観客だった、夜毎、ドライブ、この間までは夜の散歩だったが、今こうして元気になって、エミを乗せてドライブ出来ることが嬉しい、カーステレオも良い音で鳴り、元気になって行動範囲も広がり、行動しても疲れがなく、この復活が何より嬉しい、そうは思わない?「車は嫌だと言ってたから、何時までもこうしていたい」、一時間程のドライブ、一日を、過去を、考えを、思いつくままに語り合い、渋滞のない夜の、知らない街をひた走る、外の景色を楽しんでいるのではない、二人の空間、時間、心を楽しんでいる、和朗とエミコは充分に、楽しみを二人という感情だけで味わい、和朗は聴く、小学校の体育館で、村出身のピアニストの弾くエリーゼのためにを全校生とが聴く、音楽の美しさ、ピアニストの巧さからではなく、何か高尚なものとしての理解の経験、いつの日かオルガンに向かって、ミレミレミシレドラと和朗はやっていた、最初に買ったレコードが田園、表題に誘われて、ベートーベンを知りたくて、初めて曲が感情と連動した、心が浮き浮きしたり、様々な情景が浮かんだり、クラッシックの音楽が、生き生きと人の心を表現していることを知った、自分の心を代弁してくれているようで、誇らし気に、大きな音でステレオをかけて聞いていた高校時代、出会い、生身とは生きて流れている過去、観念ではなく具体、和朗の記憶、和朗の発見、和朗の出会いであること、和朗の初体験の、色一つの絶対性、和朗が愛しているから意味があり、和朗が見るから意味を持ち、美ではない、生身の、意味の、和朗の刻印された時、和朗の時の総合、流れの中身、一本が二本、百本に又一本加わりと、太い意識の、魂の流れとなって、和朗という時が流れており、この一本一本を今和朗は愛で味わい、芸術という言葉が復活する日、グルジョアの哀しみを思うと、愛も、芸術も、喜びも、家族も、暮らしも、汚れちまった悲しみや、手垢に染まった愛などではなく、全てが悲しみそのもの、愛そのもの、芸術そのものとなって蘇る、意味をもって蘇る、始源の姿で蘇る、生命が生命そのもののように、失われた中においてこそ蘇る、破壊されたからこそ、汚れが消され、失われた日常が、記憶と、創造の中に鮮やかに蘇る、この復活は生命そのもの、輝き、シンプル、始源のもの、ベルグソンの希望、希望というものの定義が、生命の連続性のように、生命そのもののように、生身で存在し、生命の意志であることを伝えていた、病床で読むに耐えられた唯一の本であった、生命とは絶望しても猶生きる、希望的存在であると、希望というものを人が持とうが持たないが、消すことの出来ない、存在するものとして定義に、和朗の生命が共感したのだった、生きたいと願う、和朗の生命が、激しく求めてくるもの、貧しく、喜び少なく、喜びの未だ知らず、障害をもち、人の助けなくして生きられず、彼ら激しく人を求め、求めに応える人あらば、抱きつき、心露にし、応えた人に存在の意味を与え、人道の人の存在とは、意味を彼らから与えられたればこそ、激しく求めた人々があったればこそ、貧しさ、不幸、苦悩、障害、彼らがあったればこそ、人は輝き、愛の意味を知る、人の存在と意味とは、求める者と、与える者の存在と意味の発生の中に、激しく求めた者に与えられる意味もまた、和朗とは、愛そのもの、和朗とは、神そのもの、和朗とは、自由そのもの、和朗とは、理想そのもの、和朗とは、全所有そのもの、和朗とは、一切のもの、和朗とは、和朗において獲得したもの、和朗とは、和朗において成したもの、和朗とは、和朗が楽しみ得たもの、和朗とは、和朗が喜び得たもの、石と木と存在と、存在を生きることに嫌悪の情はなく、けっして存在に嘔吐感はなく、存在は和朗とは別個のもの、アプリオリのもの、人によって許されてあるもの、自ら避けるものではなく、生身の中に過去が生きてあり、連続を意識として生きている者にとって、過去は現在にしっかりつながれてあり、過去は全て現在へと引き継がれて在り、これが現在の和朗の生身を型作っている、過去が在るから意味が発生し、過去とは和朗の記憶の総体、喜び勇んで生きるとき、和朗は未知を生き、愛するという感情は未来へ向けられた和朗の意味へ、金鉱を含む変成粘板岩の丘、母羊は子羊を呼び、子羊はすばらしく人間味のあるトーンで返事をし、地形全体が貴重な彫刻のようで、これらを作る地理学的なパワー、芸術を越えた美、山の精気はすべての気孔と細胞を滋養で満たし、ユリは植物の聖者、雪の結晶のような白、リスの食べかすの山もまた何んて清潔で美しいことか、木々は太陽の光で描かれた象形文字、ここだったらパンと水で一生いても平気だ、友人や隣人を愛する気持がすべての愛に増幅される、宇宙と自分の人生との関係や均衡といったものが、その木は何の為に作られたのではなく、その木自身の為に作られたとわかるように解り、三十数年間、自宅を出ることもなく、庭で生きもの達を見る事を楽しみとして生きた画家のように、時にそれらを絵で表し、その絵は単純シンプル、子供の絵のよう、しかしそこには喜びと発見の一点が表されてあり、生身ということが直感的なものとして感じられているだけでなく、探り、確かめられてあり、そこには、人間存在とは何かが独りの人間という感情でとらえられてあり、現象学における直感の理論、生きられるものとしての人の到達、直感こそが存在との接点、真理の場、意識の優位性、内在的意味、生命の指向性、認識論ではなく存在の探究として、生をそのすべての具体的な相において考察することが現象学的還元、生命が生きるというそのことを見ることに他ならない、観照作用ノエシス観照対象ノエマ、還元とは実存のある瞬間の存在に関与するもの、現象学とは態度変更を求めるもの、体験をその本質的構造において捉えようと、言語分析を通して現象学的経験へと、文化という作品の中の人間の記号である私としてのコギトの問題、我思う故に我在り、私は私を意識する、私とは実存、私とは自由、私とは純粋理性、近代哲学が私を考える時、私対世界という、私で世界と繋がる感情を排除している、人間的主観性を身体を通して、生身で捉えることによって、主観性そのものを世界内存在としてとらえことにあり、しかし、この主観性は時間性であり、還元の教訓とは、完全な還元は不可能ということ、人間的主観性とは、世界内存在であって絶対精神などではないということ、メルロポンティ、「現在は永遠の粗描である」「言葉とは思惟が真理にまで自己を永遠化して行く行為である」「私が私自身であることを止め、私が他ならぬ私自身についての純粋な認識者となること、世界は私の回りに存在するのではなく、私の前の純粋な対象とならなければならない」と、レビイナス、「哲学とは生きるということを見ること」「私は私自身を他者へと導くもの」「私はここに居りますとする、他者から呼び掛けられる存在」「自由とは任命されたもの」「他者に応答するものとしての私」「傷つく存在としての私」「時間とは他者との関係性のもの」、世界に対して、も早、無関心でいいのだ、家族や友人に対しても、これは私の死であり、一人にしておいてと、生命の命ずるままに、花を風を陽を愛で、はや世界そのものとなって、植物、動物となって、人は止めて、私対世界の感情も今や必要なく、生身の意味、あらゆる生きる上で必要であった感情も今や必要なく、ただ在る、ただ人としての名残りがあるだけの、その人の感情を通して植物、動物、石の姿を味わい、風に、陽に感応する私があるだけ、風がサラサラと、草木がキラキアランシリトリーが、社会の不合理、矛盾の中で抵抗する青年の姿を、その抵抗は個人の力、欲望を背景にしての、「人生をつかみたいのさ」「又石を投げるさ」「まだ闘うエネルギーは残っている」「社会に飼いならされまい」誰もが持った、和朗も持った、自由への、社会の下層からの、労働からの、そして人々は商人へ、労働者へ、役人へ、主婦へと、そしてある者はヒモヘ、ヤクザヘ、自殺へ、犯罪へ、その日暮らしへと、そしてある者は絵書きへ、作家へ、音楽家へと、が、誰がどれ位自由になっているのか、自由とは何なのか、人生をつかむとはどう言ったことなのか、社会に飼いならされまいとはどういうことなのか、貧困がある、戦争がある、労働がある、病気がある、これらからの自由とは、貧困も、戦争も、労働も、病気も、社会が、人の意志がそうしている、和朗の生命も、人生も、彼らのもの、和朗の意志、意識だけが和朗のもの、悩む、苦しむ、肉体は和朗のものではない、抵抗も、犯罪も、人生も、和朗の意識外のもの、好きにさせるだけ、シリトリーから数十年、世界は何ら変化なく、社会は巨大な他人、巨大な食欲、存在、石と同じ和朗に対する存在、状況、嘔吐とは違った答えを世界は出せない、世界は和朗のものではない、和朗は一度死んだ者、生きかえった和朗は喜びを生きているだけ、地球には戦争があるのだ、病気も、貧しさも、労働もと、何かと、誰かと比べてではない、興味と、存在のバリエーション、驚き、喜びを感じて、死さえも彼らが望むならと、一回性の死を、一回性の生を生きてと、私対世界は未だ達成されてはいない、思索の自由とは、自在な、超越の、瞬間の生を生きる意志の中にしかない、生身の、瞬間の、存在の只中の和朗の味わいの中にしか、シュティルナーの限界、フッサールの限界、禅の限界、只中の和朗において、生身の和朗において、悠久、無限において和朗をとらえる中に、喰えなくなったら餓死しよう、病気になったら苦しんで死のうと、もう充分に生きて来たし、何時も最後の繰り返しがあるだけ、存在した和朗、死の寸前迄、和朗は存在した者、それで充分な存在、和朗は眼をもち、意識をもちと、存在の頂点を生きたと、四十才のあの日、間違っていたら死んでいた、が、死ななかった和朗はその後、生き始めた、あれで死んでしまっていたら、心残りだった、あれから十年和朗はいつ死んでもいいように生きた、あの人の心残りと、この生きられた和朗とを生身で感じているのだった、真に生きてはいなかった四十年を生き直した十年であった、生きることを生きた十年であった、それが生身で生きた十年であったからこそ、人の生身を問題にするのだった、家族との、友人との、文学、哲学との、死について、病気について、愛、意味、自由についての、生身とはこれら全て解決可能にするものであった、和朗を和朗において、和朗の生身において解決すればよいものであった、思索、観念することなどなく、和朗が和朗において、感じ、考え、行動すればよいだけのことであった、生身とはそうした、私対世界の関係以外の何ものでもないのだった、生きて流れている和朗の時間との関係、あらゆる世界の問題が、和朗のレベルで解決可能な世界のこと、それが真の生身の世界、私対世界、和朗は和朗の時間が残り少なくても、何が訪れても、この手中に生身という和朗の頂点を得、この瞬間を通して、全てを判断出来ると、どのような判断であっても頂点という、この和朗の生身の味わいをこそ無上とし、この生身の味わいこそ意味とし、全ては存在、しかし生身のこの和朗だけは唯一無二、和朗は見ている、子供の頃の、自然への興味のように、この生身の生きて流れている世界を、一枚の葉の、人の文化の峰の、どれも同じ和朗の生身として、遂に和朗は生身というものに到達した、言葉という抽象を、生身において表せるようになった、人は歩く、人は見る、人は食べる、人は働く、生身とは世界を生きること、世界の全ての悲しみ、喜びを我がこととしていること、和朗は、これからの十年を、求められるままに、心と身体任せに、和朗だけは世界を見守り、和朗とは和朗の心と身体の上にあるもの、その和朗だけは何一つ揺らぐことはなく、自在に和朗の心と身体を見守り、人の喜びを自分の喜びとし、私対世界の主体としての生身の自覚、生身でこの時空に存在しているという、唯一性、奇跡性、永遠の彼方からやってきた、瞬間の和朗という意識、ヤスパースのように、存在しうるし、存在すべき存在、この存在は実存としての和朗自身である、実存とは、主観、客観との両極のうちに現存在として現象するもの、実存の無限性は開かれた可能性として完結のないもの、実存と世界の統一は、自らその内に自覚して立つ者にのみ、確実となりうる過程、個人性とは、実存としての和朗自身の現象、実存は哲学的思索の目標ではなく、その根源、哲学をすることは、実存の把握をその前提とする、和朗が自己存在の根源から存在を把握する、和朗自身との交わりの内にのみ存在する自己存在を見い出す、他と代置しえないものである和朗自身にのみ出会いうる中、私は十年前に死んだ、三年前にも、私は生きよう、生命で生きよう、私の生命をこそ生きよう、人の孤独と、不安とを私の生命で贖い、あと十年、私の生命が、人の生命になるよう、私の生命を生きよう、私はここに居ます、ここに居て世界を見守っていますと、私が目に見させるために、私が耳に聞かせるために、私が心に感じさせるために、大したことない人生だったではなく、これからも大したことはないなどではなく、私は見る、私は聞く、私は喜ぶ、私が至高なるものに向かって、一度死んで、誕生した私の生身、私の時という至上の武器を頼りに、私が私の生命を生き切って行き、ムイシキンの「この五分間が果てしもなく長い期限で、莫大な財産のように思え、最後の瞬間のことなど思い煩う必要のないほど、多くの生活をこの五分間に、生活出来るような気がして、さまざまな処置を取り決め、すなわち時間を割りふって、二分間を友達との告別に、いま二分間をこの世の名ごりに自分のことを考えるため、また残りの一分間は最後に周囲の光景をながめるためと、そして最後の二分、いま自分はこうして存在し生活しているのに、もう二分か三分かたったら一種のあるものになる、すなわちだれかに、でなければ何かになるのだ、これはそもそも何故だろう、この問題を出来るだけ早く、できるだけ明瞭に解決しようと、だれかになるとすればだれになるのか、そしてそれはどこであろう、これだけのことをすっかり、この二分間に知りつくそうと、刑場からほど遠からぬところに教会堂が、その金色の屋根の頂きが明らかな日光に輝いていて、彼はおそろしいほど執拗にその屋根と、屋根に反射して輝く日光を眺めていて、その光線から目を離すことができなかった、この光線こそ自分の新しい自然である、今、幾分かたったら、何らかの方法でこの光線と融合してしまうのだ、今にも到来すべき新しい未知の世界と、それに対する嫌悪の念は実に恐ろしいもの、けれど、、このときもっとも苦しかったのは、絶え間なく浮かんでくる一つの想念、もし死ななかったらどうだろう、もし生命を取りとめたらどうだろうそれは無限だ、しかも、その無限の時がすっかりおれのものになるんだ、そうしたら、おれは一つ一つ瞬間を百年に延ばして、一物たりともいたずらに失わないようにする、そして、おのおのの瞬間をいちいち算盤で勘定して、どんな物だって空費しやしない」と、あの日私は、病院の屋上で、その光線を見、自分の存在と意味とを、明瞭に、確信的に、理解したのだった、それは一分か二分で理解されたのだった、その光線によって私は生かされてきたし、運がよければこれからも生かされるだろうと、二度とは後悔しないように、いつ死んでもいいように生きようと、以来私は生きて来た、私の時、私の世界、私の、私のと、生身という時空があり、それを感じる私の心というものがあり、この二つこそが人の根源、アプリオリなるもの、生身とは時空、全てが、存在も、宇宙も、全て含まれた所のもの、私の心と同義語ではあるが、心とは私に属したところのもので、私の自在さ、私によって常に変化する所のもの、しかし、この私の生身とは、物質と同じように存在を存在するもの、生身とは、量や価値やの問題ではなく、瞬間、存在、出会うところのもの、私という存在の外側全てのもの、私とはその生身に含まれた細胞膜で隔たったところの存在、私の永遠性とは、この生身を問う中に在り、人が真理に達したり、恩寵を感じたり、希望や、実存や、悟りや頂点を自覚、享受できる動物であるのは、この意識を保証しているこの存在、この生身を所有しているからこそ、生きても、生きなくても、かつて石であった人が、今存在を存在しているという、この存在への生身への認識だけで充分な人の頂点、生身性とは、死者対生者、石対DNAの関係の内に、絵で、芸術で、どのようにこの生身性を表そうとしても、空間に、奥行、存在をもって、時々刻々変化する有機物としての人の眼は、存在を平面か、立体か、生身か、否かを瞬時に判断してしまうもの、それと同じように、この生身の時間は、文学で哲学でと、どのように言ったとしても、言い切れるものではない、過去も、未来も、この生身の現在にかなうものはなく、今という生身のもつ至上さ、朝に生まれ、夕べに死すという、この人の生身、私は見ることが出来る、見ることそれ自体を、私は書くことが出来る、書くことそれ自体を、私は歩くことが出来る、歩くことそれ自体を、この生身を今所有している、私はここへ向かって生きてきた、存在それ自体が意味で、喜びで、私は生かされて在る自明の地点へ、私は私の前に何があったか知らない、私の問題ではない、私は私の後に何があるかは知らない、私の問題ではない永遠の中の現在の私、この生身な私だけが問題、私の存在とは、時の旅人だとするなら、帰る家は空間、途中は冒険、人の世界の悲惨、困難、しかし、それらは冒険につきもの、私は冒険を求め味わう存在、そんな中、春のプラタナスの芽吹の淡い緑、欅とも違う柔らかな初々しさ、見ているだけで和む、この春の日、様々な緑がどれ一つとっても、生命、有機物としての、輝き、喜びを見せていて、それに私は共鳴出来、私はこの万物との共鳴の旅の為に、この時空に生まれ出たのだと思え、私が生きているという感情は、目から、耳から、皮膚から、心から、あらゆる刺激を通して、それらの刺激が感情を形成しと、しかし何より、一九四七年から二千十年位までの地球時間を存在して行くという、限定された時間の中の意識と感情の旅、意識の誕生であるということ、この刹那のと喜び、一日限りの、唯一性の意識の誕生であること、オタマジャクシの卵のパイプのように、生きた空間が私の回りを流れ、取り巻いている感じ、どの有機物も生きた光を発し、ホタルのような光ではない、生きものとしての光、それは水々しさ、水を含んだ、光の粒子を含んだ光、この生身の、唯一性、一回性の光、その光に私は共感し、私の生身を実感し、植物は枝を広げ、私は彼らを見守り、時間があること、物たちが在ること、生きものが生きて動いていること、人が様々な暮らしを営んでいること、その人と心を通わせることが出来ること、この時空間に存在していること、緑色した彼らのその色、その色自体を見ているだけで、その日々の変化と成長を見ているだけで、生きていることの喜びが伝わってくる、光と水だけで生きる彼ら、光の粒子を体内に宿した彼ら、生かされて在るでもいいし、ここに誕生しているでもいいし、質量不変でもいい、天国でも、あの世でもいい、有から有を語ることは可能、生まれ出たということ、生きたということ、これが全ての意味、人の意味は一分で解けるもの、算盤ではじく必要なく、天国も、地獄も必要なく、私という生身なだけ、人はだれでもこの時間を所有しているということ、最高を所有しているということ、唯一性も、一回性も、全てをを含んだこの時間というものを、所有していること、この時間こそは、唯一性も、一回性も、永遠の中に溶かしていく、この時間というものが至上で、これ以上のものはなく、世界に生まれ出た者は、皆この最高を所有している存在、 いつ死んでもいいかなが、意識されないような存在との一体の感情、社会、歴史etcの生命の、私一個の、唯一の、一回性の生命とは別の、感情をとり除いた生命の本質に基づいた、私対生命、生命対存在の一体の感情、人の本質とは、この時空との一体の感情に他ならず、生まれているとは、この世界、この存在との一体の感情に他ならない、賛美するものでもなく、呼び掛けるものでもなく、訴えるものでもなく、私が、私の生命が一体に向かって感じられた所を、石に、木に、犬に、それらと同じように、人に、世界に対し、ヒューマニズム、民主主義、文化、科学、宗教、etc、etc、の人の装飾ではない、石と同じ、木と同じ、生命一つへの一体の感情、生命でこの世界とつながる感情、人間臭さが嫌、生命でなくては、人間程、生命から遠い存在はない、たかが八十年だが、生命からは何と遠い、生命で生きてはいない存在か、私が生命で生きること、生命の生き方を唯一性、一回性において成すこと、病んだ日、私の精神と肉体は一体となり、不安と、錯乱、私ともう一人の私などはなく私は一人の私となり、私対世界、私の生身も、世界そのものとなり、うつろな意識、終わる私、朽ちる肉体、どれもが一体へ向かって、健康が、日常が、私ともう一人の私、私体世界などの意識を必要としていただけ、病む日、全ては一体へ、時そのもの、空間そのものへと、人はその時、何の苦もなく、世界との一体へ、 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ