第20話 絶火の戦車
「ネオプトレモス、ヘクトルの両名。余に謝罪せよ。さすれば、此度の蛮行は不問とする」
「――よし、謝ろうか」
「いや駄目でだろ!? アンドロマケを助けられなくな――」
話はそこまでだった。一頭の神馬に引かれた戦車が、俺達に向かって走ってくる。
まるで、光の矢。
反射的に四肢を弾くものの、余波までは防げない。俺とヘクトルは別方向に、力の限り吹っ飛ばされる。
「っ……! アンタは先に行け!」
「き、君はどうするんだ!?」
「一人でどうにかする! こちらとら海神の加護だってあるからな!」
「だが……!」
戦車は止まらない。ヘクトル目掛けて突っ走っている。
俺が取った対策は、わりと単純だった。
水神の加護。それを用いてヘクトルを水で打ち上げるという、強引な解決策。
「む……!」
何もない空白から、突如起こった強烈な噴水。
神の力によって捻じ曲げられた物理法則は、不規則な軌道を描いてヘクトルを運んでいく。噴水、というよりは、水の登り坂みたいだった。
「そらっ!」
追撃しようとするプロメテウスに、俺は一閃を叩き込む。
しかし、炎で作られた戦車には手応えというものがまったくなかった。それどころかケイローンに引火し、俺の手目掛けて火が伝ってくる。
もちろん、加護を使って鎮火してやるまでだが。
「……そうか貴様、海神テティスの血縁か」
「孫です孫。あんまり頼ると、後で叱られるんですけどね……!」
再び詰まる間合い。
プロメテウスの戦車は、迷うことなく正面から来る。こちらとしては火を鎮火させたいところだが――そもそも通用するのかどうか。
「クシフォス!」
ギリシャ語で剣を意味する言葉とともに、水の刃を宙に作る。あまり切れ味があるようには見えないが、そこは神の力。加護様様である。
俺の意思に従って、剣はプロメテウスへと飛びかかるが――
「ふん」
戦車の炎が壁となり、一瞬で蒸発した。
やはり戦車をどうにかしないと、プロメテウス本人は落とせない。水神テティスの力でどこまでやれるか。
「太陽神の守りを破れると思うか? ――余への反逆、後悔させてやろう」
「……」
戦車を引いている神馬の相貌が、俺を睨む。
どうする? このまま戦ったって、徐々に追い詰められるだけだ。逃げ回ったところで、上のヘクトルが危険に晒されるだけでしかない。
どうにかして、やつの足を止める。
「つっても、逃げられる可能性もあるしな……」
こうなったら、戦車の主導権を握るしかあるまい。
アレは、資格のない者に操ることが出来ないという。かつて太陽神の息子が操ろうとした時には、ものの見事に暴走。彼を殺さなければ止められない事態になったそうだ。
それをもう一度行う。
幸い、死んだあとでも俺は取り返しが効くのだ。
やろう。
「……」
一色触発の空気。
戦車から発された轟音が、すべての合図だった。
「っ……!」
すれ違う一瞬。
どうにか、戦車に手が届いた。
「貴様、人の分際で……!」
振り落とそうとするプロメテウス。
しかしお生憎様、腕っ節については俺の方が慣れっ子だ……!
「!?」
なぜかもみ合いをせず、即座に戦車からおりるプロメテウス。
直後。
「うおっ!?」
手綱が俺の身体に巻きついた。
コントロールするどころの話じゃない。灼熱の縄が四肢を、全身を焼いている……!
「っ、く……!」
「ふん、無駄と分かっていただろうに。そうしてまで罰を受けたかったのか?」
神が向ける嘲笑。俺は感情的になってもがくが、余計に身体が縛られるだけだ。
戦車は暴走し、ヘクトルの元へと駆け上がる。
「やべ……!」
「ネオプトレモス君!?」
作業中のヘクトルに、戦車の神馬が狙いをつける。
俺は激痛の中、力の限り手綱を引いた。
「この――!」
だが、向きが変わることはなく。
ビーカーのアンドロマケごと、工場は木っ端微塵に破壊された。




