第11話 大神の力
「――どうして君がここにいるんだ、アンドロマケ。王から許しを得たのかい?」
「無論ですわ。といっても私は、オレステスとこの方、ネオプトレモス様のオマケですけど」
「ネオプトレモス?」
首を傾げたヘクトルの目は、自然と俺の方に向いた。
お互い、面識がある相手ではない。が、向こうは名前だけでも知っているんだろう。なるほど、と頷くような仕草を見せる。
「アンドロマケ、今すぐ帰りなさい。ここは戦場、女性の来る場所ではないよ」
「……貴方が私の疑問に答えてくれれば、すぐにでも立ち去りますわ」
「何が聞きたいんだい?」
決まってます、と前置きを作るアンドロマケ。
「どうして、お父様を裏切ったのですか?」
「――」
当然と言えば当然の、率直すぎる疑問だった。
しかし当のヘクトルは言葉を濁している。お陰でアンドロマケの不満は膨らむ一方だ。
「答えられない、と?」
「……今の私と君では、難しいね。元に戻ることはない、とだけは言っておくよ」
「そんな――」
なおも食いつこうとするアンドロマケだが、ヘクトルはそれを許さない。剣の切っ先を突き付け、二人に闘志を向けてくる。
「私はこの町を落とせと、我が神から命を受けた。君たちは私と意見を異にするのだろうし、今は戦おう」
「っ――」
想像していた展開に、アンドロマケは眉根を顰める。
ともあれ、俺の出番になったようだ。
「アンドロマケ、少し下がってくれ。巻き込まないとも限らんし」
「わ、分かりました」
案外素直に、アンドロマケは後方へと下がっていく。
自動人形に襲われないか心配だが、俺が気にかけたところでどうにもならない。少なくとも、目の前の男を退けない限りは。
「君がアキレウスの息子か。なるほど、加減は出来なさそうだ」
「……俺からも一つ質問したいんだが、いいか?」
「手短に頼むよ。私には私の仕事があるのでね」
和解、という選択肢は元よりない。
槍と剣を睨み合せた状態で、俺は一番の関心事を口にする。
「アンタは、アンドロマケを裏切ったのか?」
「……彼女が向けている期待に関して言えば、裏切ったことになるだろうね。でも――」
ヘクトルの身体が跳ねる。
話し合いは、ここまでのようだ。
「私は別に、彼女の敵になったつもりはないよ」
「っ――!」
激突する刃と、反響する金属音。
父との戦いでは槍を使っていたヘクトルだが、剣術の方も腕は確からしい。俺の攻撃はことごとく捌かれ、鎧を掠めることもなかった。
もっとも、それは彼とて同じこと。
攻防は一進一退で行われた。自動兵器の介入もなく、轟音だけが繰り返し響く。
何せ、互いに神の加護を受けた者同士。余波だけで土が抉られ、誰もいない家屋が吹き飛ばされる。
神速、と言って構わない勢いでのやり取りが展開された。
『……いかん、逃げろネオプトレモス』
「な、何でですか!? アテナ様の加護つきですよ俺!? 逃げたら貴方の顔に泥が塗られるんですが――」
『ええい、馬鹿者! ヘクトルには我が父、主神の加護が備わっておいでだ! 私の力ごときで太刀打ちできる相手ではないぞ!』
「は――?」
アテナの父。神々の王・ゼウス。
その加護がヘクトルにあると? 異世界が神々のシナリオから反れた場合、率先して修復に赴くべき神、つまりは運営局の局長だぞ?
矛盾した報告に、俺の動きが遅れる。
雷をまとったヘクトルの剣が、頭上に迫っていることも気づかずに。
「っ!」
寸のところで弾き返して、俺は間合いの確保に努めた。
「ふむ、その様子だと気付いたようだ。私の背後に誰がいるのか」
「おいおいおい……!」
やばい、これはやばい。
ゼウスの雷は世界を溶解させると言われるほどの強さだ。加護によってその一端でも使えるようになっているのだとすれば――俺は一瞬のうちに灰となるだろう。
もっとも、逃げるわけにはいかない。
背後にアンドロマケ、オレステスがいる以上、退くことは出来ない。
「ふむ、立派だね。君のお父さんも友情には厚かった」
「アンタが言うと嫌味にしか聞こえないんだが!?」
「まあそのお陰で、私は死んだわけだしね。――では、君はどうかな?」
空に向かって掲げられる剣。
透き通るような青空は唐突に変化し、分厚い雷雲に覆われていく。
「我らが大神の一撃、果たして受け止めることが出来るかな?」
「無茶言うな……!」
こうなれば先手必勝。撃たれる前に討つしかない。
俺は一瞬で距離を詰めるが、ヘクトルの反応も素早かった。同じように力を激突させ、こちらは成果の一つも得られない。
時間が迫る。雷鳴が轟き、雨が降る。
「アテナ様、盾ください! 貴方の盾なら、ゼウス様の神雷も防げるでしょ!?」
『そんな直ぐに送れるわけがあるか! アレはもともと父上の盾だぞ!』
「いや、でも――」
送ってくれないと、俺は消し炭になるしかない。
そう反論しようと考えた頃、剣を持たないヘクトルの左手にも盾があった。俺が今すぐにでも欲しい大神の盾・アイギスが。
「残念だが、間接的に大神ゼウスの力を借りることは不可能だ。私が使うのだからね」
「く……」
同時にやってくるタイムリミット。
強烈な光が雲を裂き、落ちてくる。
逃げられないし、防げない。
「ネオプトレモス様!」
「!?」
雷が落ちてくるその最中、聞こえた声に振り返る。
「アンドロマケ!?」
「っ!」
女とは思えない力で、彼女は俺を突き飛ばした。
光に呑まれる、少女の陰影。
あとに残ったのは、焼け焦げた跡だけだ。人の姿などどこにもない。




