第二話 始動
平成二十五年七月十四日。午前七時。大分県警の本部長室に大分県警捜査一課に所属する二人の刑事が呼び出された。
黒色の短髪に足が長いスマートな男。男の前髪は眉毛に髪がかからない程度の長さである。スポーティーな男の名前は三浦良夫巡査部長。
三浦の隣には身長160センチ程の黒髪ロングヘアの女が立っている。その女の後ろ髪は腰の高さまで伸びされ、前髪を左に分けそれをピンク色のピンで止めている。
彼女の名前は須藤涼風警部。二十八歳という若さで警部に昇格した大分県警のキャリア刑事である。
二人の前にある本部長席には白髪交じりの髪に、右頬の黒子が特徴的な男が座っている。
その男こそが大分県警の鳴滝本部長である。
鳴滝は腕を組みながら目の前に立つ二人の刑事に尋ねる。
「君たちを呼んだのは他でもない。四日前の七月十日大分市内の宝石店で強盗事件が発生したのは知っているな」
その問いに二人は首を縦に振り、須藤涼風が口を開く。
「はい。大分県警捜査三課第四係が追っている事件ですね。確か犯人の三好と女郎花を全国に指名手配したと聞いていますが」
「その女郎花が何者かに殺害された」
鳴滝の思いがけない言葉に二人は驚く。
「それはどういうことでしょうか」
涼風が再び尋ねると、鳴滝は一枚の写真を二人に見せる。その写真には炎上するワンボックスカーが映されていた。
「七時間程前の話だよ。最初は三俣山で不審な白煙が上がっているという通報だった。その通報を受けて消防が現場に駆け付け、火元を捜索したら、一台のワンボックスカーが炎上していた」
「その自動車から女郎花の遺体が発見されたということか」
三浦が右手を挙げて鳴滝に聞くと、彼は首を横に振る。
「違う。女郎花の遺体は自動車が停車していた場所の近くにある山荘の中で発見された」
鳴滝は机の上に女郎花の遺体写真を置く。
「殺害方法は拳銃による射殺。使用した拳銃はコルト・パイソンだろう。その証拠は現場に使用済みの薬きょうが落ちていたから。拳銃は現場から発見されなかった。ところでこの事件には奇妙な遺留品が残されている」
鳴滝が二人の刑事に説明しながら、一枚の写真を再び机の上に置く。その写真には二個の箱が映っている。箱は蓋が開いているようで、そこからは光り輝く宝石、ダイヤモンドとサファイアが見える。
「この宝石は先日盗まれた物と同じ物ですか」
須藤涼風が聞き返すと、鳴滝は首を縦に振る。
「ああ。捜査三課を通して店員の工藤瀬里香に確認したから間違いない。盗まれた宝石の内十個は現場から発見されなかった」
「犯人は三好葛か。犯行動機は仲間割れ。その証拠に現場からダイヤモンドとサファイア意外の宝石は発見されなかった」
三浦が自信満々に推理を披露すると、鳴滝が失笑する。
「そう思っただろう。現に捜査三課は強盗殺人と見て捜査をしていた。一時間前まではな。実は女郎花が殺害されたと思われる午前零時ごろ、東京で三好が同様の手口で殺害されたそうだ。違いは三好の事件が屋外で発生していて、女郎花の事件が屋内で発生したことだけ。殺害方法も同じで、女郎花の事件と同様二個の宝石箱が現場から発見されたらしい。こっちはパールとルビィだ。同様に工藤瀬里香の店から盗まれた物だろう。ここまで言えば何をしてほしいのかが分かるな」
突然のクイズに三浦は途惑う。一方で須藤涼風は三浦よりも早く答えを述べる。
「警視庁との合同捜査。その捜査に私たちを推薦する。これが答えでしょう」
その答えを聞き鳴滝が拍手する。
「正解。正確には君たちを含む数人の捜査員を警視庁に派遣する。人選は君に任せよう。須藤警部」
須藤涼風は頭を下げ、鳴滝に尋ねる。
「ありがとうございます。ここで一つ質問です。合同捜査をするために上京するわけですが、出発はいつになるのでしょう」
「五時間後の飛行機のチケットが取れたから、正午だな。人数は残念ながら十人しか取れなかった」
「なるほど。タイムリミットは四時間ということですね。もう一つ。宿泊先はどうなりますか」
「警視庁の千間刑事部長が東京都内の高級ホテルを予約したそうだから、宿泊先は安心して構わない。二人部屋を五室確保したらしい」
「分かりました」
二人の刑事が頭を下げ、本部長室から退室する。その大分県警の廊下を歩きながら三浦が須藤涼風に尋ねた。
「タイムリミットというのは何のことですか」
「こっちで殺人事件の捜査ができるのは四時間ということです。とりあえず捜査三課に行きましょうか。まずは情報収集」
上京するまでの時間は、残り四時間。須藤涼風警部は、三浦と共に捜査三課の一室に顔を出す。
捜査三課の刑事たちの多くは、デスクワークを行っている。その刑事たちに須藤涼風が声をかけた。
「すみません」
その声を聞き一人の無精ひげを生やした大男が須藤涼風の顔を睨み付ける。
「捜査一課の刑事が何の用だ。宝石店強盗事件の犯人が殺されたからって、俺たちの事件を奪いやがって」
大男の名前は藤井京助警部。捜査三課第四係の係長である。須藤涼風は藤井京助に笑顔を見せる。
「ごめんなさいね。強盗殺人事件は捜査一課の管轄ですから。宝石店強盗事件は被疑者死亡で送検すればいいだけの話でしょう」
須藤涼風の意見を聞き藤井京助は苦笑いする。
「いかにもキャリア組らしい考え方だな。それで捜査一課の刑事が何の用だ」
「被害者の情報を提供してください。殺害された女郎花仁太の人間関係に関する情報を教えてくれませんか」
「被害者に関する情報か。それを教える代わりに取引しないか」
思いがけない言葉に須藤涼風は首を傾げる。
「何のことでしょう。送検に必要な情報提供なら行うつもりですが」
「それだけだとダメだ。須藤涼風警部。お前は、あの人気脚本家、テレサ・テリーの友人らしいな。テレサのサイン色紙と被害者に関する情報を交換しよう」
その条件を聞き須藤涼風と三浦良夫は、目を点にする。
「公私混同じゃないですか」
三浦が敬語で藤井京助に告げると、藤井京助は笑みを浮かべる。
「何が悪い。俺はテレサの書く脚本が好きなんだよ。だからいいじゃないか。宝石店強盗事件の被疑者が殺されたんだ。それくらいのことをやってもらわなければ、気が済まない」
藤井京助警部の態度に苦笑いしながら、三浦は隣に立つ須藤涼風の顔を見る。
その須藤涼風警部は携帯電話で誰かと電話しているようだった。
「もしもし、今暇ですか。なるほど。竹田市内の旅館で脚本の執筆中。もし良かったらそちらに、捜査三課の係長を送りましょうか。お供に捜査一課の刑事も同行します」
須藤涼風が電話を切ると、藤井京助の顔を見て微笑む。
「テレサ・テリーが現在竹田市内の旅館で脚本の執筆を行っているようだから、行ってきてください。藤井警部。出張手続きはこちらで済ませますから」
「やったあ」
藤井京助警部は思わず大声を上げる。そして、手の平を返したように、一枚の写真を二人に見せた。その写真には、茶髪のショートカットの髪型をした若い女が映っている。
「被害者女郎花仁太には、交際中の女がいる。そいつが藤袴由依だ」
平成二十五年七月十三日。午後八時。大分県竹田市内にある二階建てのナナクサマンションの階段を、藤袴由依が昇った。
彼女は二階の角部屋のドアを開け、部屋の中に入る。その様子はマンションの目の前に停車している自動車からも見えた。
その自動車の中には、二人の黒いスーツを着た男たちが乗っている。運転席に座る男が煙草を吸うと、助手席に座る若い男が咳払いした。
「先輩。煙草は止めてくださいよ」
若い男が抗議する。だが運転席に座る男は煙草を止めない。
「いいじゃないか。今夜は長い。明日の午前一時まで張り込みを続けなければ、休めないからな」
「先輩。本当に逃亡中の女郎花仁太は彼女と接触すると思いますか」
「彼女が女郎花仁太と交際していることは分かっているんだ。だから彼女は女郎花を匿う可能性もある。我慢比べだよ」
それから二人の刑事は、藤袴由依の自宅マンションの前を張り込み続けた。
張り込みを開始してから五時間後、藤袴由依は一歩も動かない。
「先輩。動きませんね」
運転席に座る男は腕時計で時間を確認する。
「後三十分か」
時刻は午前零時三十分になろうとしている。その時運転席に座る刑事の携帯電話がスーツのポケットで振動を始める。
運転席の男が電話に出る。突然の連絡に、刑事は目を大きく見開く。
「何だと。女郎花仁太の遺体が発見された。場所は三俣山の大森山荘。分かった」
刑事が電話を切り、助手席に座る部下の顔を見合わせる。
「今の話聞こえたか」
「はい」
「俺たちの次の行動は分かっているな」
「もちろんですよ」
二人の刑事は同時に自動車を降りる。そして二人はマンションの階段を昇り、藤袴由依のマンションのインターフォンを押す。
それから数秒後、玄関のドアが開き、瞼を擦りながら藤袴由依が顔を覗かせた。
二人の刑事は警察手帳を彼女に見せ挨拶する。
「夜分すみません。大分県警捜査三課の杉本です。実は先程女郎花仁太さんの遺体が発見されました」
「えっ」
藤袴由依は刑事から聞かされた驚愕の事実で一気に覚醒する。
「失礼ですが、あなたはご帰宅時から一度もこのマンションから出ていませんよね」
藤袴由依は驚きを隠せない。この動揺は演技ではないと刑事たちは思った。
「ええ。そうですよ」
「分かりました。それでは今日は遅いので、早朝また伺います」
刑事たちは必要最低限な事だけを聞き、マンションから立ち去る。
これまでの経緯を藤井京助警部が語る。
「こんなことがあって、容疑者藤袴由依のアリバイが確定したってわけだ。彼女のアリバイは完璧だ。何しろそのアリバイを証明するのは大分県警捜査三課の刑事なんだからな」
「一つお聞きします。その張り込みの最中、ラーメン屋のバイクか何かはマンションに立ち寄りましたか? 」
須藤涼風の質問に藤井は首を横に振る。
「いいや。ラーメン屋に変装してバイクで犯行現場に出向いたと考えているのかもしれないがあり得ないよ。そんな類の自動車は一度も止まっていなかった」
「張り込み中に気になったことはありませんか」
「そういえば張り込み期間中は毎日午後十一時くらいまで明かりがついていたよ。近隣住民に聞き込みをした結果、あの時間帯まで夜更かしするのは珍しいと言っていたな」
藤井京助が断言すると、須藤涼風が人差し指を立てる。
「藤袴由依は一人暮らしですか」
「そうだ。竹田市内のマンションに一人暮らし」
「分かりました。ありがとうございます」
須藤涼風が頭を下げ、捜査三課の一室を後にする。
だがその直後、捜査三課の刑事が戻ってきて、藤井に報告した。
「藤井警部。藤袴由依の事情聴取終わりました」
「そうか。それでどうだった」
「彼女は中々面白いことを言っていましたよ」
藤井警部の部下は報告を続ける。
平成二十五年七月十四日午前八時。二人の刑事は藤袴由依が暮らすマンションの一室を訪れた。
藤袴由依は二人の警察手帳を確認し、二人をリビングへと招き入れる。
部屋の中は埃一つない程綺麗だった。室内には簡単なキッチンや可愛らしいピンク色の小さな机に、薄型テレビが設置されている。
また机の上にはノートパソコンが置かれていた。机の近くにある床にはクッションが置かれる。
「昨晩は同僚が夜分に訪問してすみませんでした」
刑事が頭を下げる。だが藤袴由依は、そんなことを気にもしていないような素振りを見せる。
「こちらこそごめんなさい。昨日はもう少し彼について話すべきだったのかもしれません。それと椅子が無くてすみません。そのクッションの上に座ってください」
藤袴由依も頭を下げる。
「いいえ。時間は取らせませんので、立ってお話を伺います」
「そうですか」
藤袴由依が顔を刑事の方向へ向ける。
それから刑事は手帳を広げ、彼女に尋ねた。
「早速ですが、宝石店強盗事件を計画しているかのようなことを、女郎花仁太さんは言っていませんでしたか? 」
「そういえば犯行当日の早朝喫茶店に呼びだれた時に言っていました。臨時収入が入りそうだから、それで借金が帳消しになるって。それで残ったお金で婚約指輪を買って、私にプレゼントするとも言っていました。それなのにどうして……」
藤袴由依は大粒の涙を流しながら語る。
「これが最後の質問です。あなたは女郎花仁太さんを恨んでいる人物に心当たりはありませんか? 」
この質問に対して、藤袴由依は首を横に振る。
「五年前に大分市内で通り魔事件を起こして、一人の男性に重症を負わせたことしか分かりません。その事件があったからお父さんは私と女郎花さんの結婚に反対しているんですよ」
「そうですか。分かりました。それでは失礼します」
二人の刑事は礼を述べ、早々とマンションの一室から立ち去った。
そして現在、彼女の聴取を終わらせた刑事の報告を聞いた藤井は顎に手を置く。
「なるほど。五年前の通り魔事件か。その事件について調べてみる必要がありそうだな」
この捜査三課の話を立ち聞きしていた須藤涼風は、早々と捜査三課から立ち去る。
その後ろを追いかけた三浦は彼女に尋ねる。
「これからどうしますか。これから竹田市に移動するにしても、往復三時間は必要です。残り時間は三時間五十分。たったの五十分で捜査ができるとは思えません」
「聞いていませんでしたか。捜査一課の刑事も同行する」
須藤涼風は三浦を指さす。その行動から三浦は嫌な予感を覚えた。
「どういうことだ」
三浦が目を丸くすると、須藤涼風は微笑む。
「実家に帰省してください。即ちあなたは上京しないということですね」
想定外な言葉に三浦は途惑う。
「上京するものと思っていたのに、なぜだ」
「一言も言っていませんよ。三浦を選抜に入れるとは。ということで、素人探偵さんのお守りをお願いします」
予想外な方向に進んでいないかと思いながら、三浦が疑問を口にした。
「まさか竹田市内にいるテレサに捜査協力を要請するということか」
「その通り。お願いします」
須藤涼風は三浦の肩に触れてから、県警本部の廊下を歩く。
三浦良夫は彼女の後姿を見て、その場で立ち尽くす。そんな彼の後ろからスキップをして藤井京助警部が通り過ぎた。
三浦は藤井京助が運転する自動車に乗り、竹田市へと向かう。
大分県警の駐車場から走り去る藤井京助の自動車を、須藤涼風が大分県警のビルから見下ろす。
現在彼女がいるのは、捜査一課の一室。この場には数十人いる彼女の部下たちが集まっている。
須藤涼風は鳴滝本部長から受け取った書類を机に置き、部下たちに話しかける。
「仕事です。数時間前、女郎花仁太の遺体が竹田市内で発見されたことはご存じですね。同様の手口の殺人事件が東京で発生したそうです。それで、大分県警捜査一課は警視庁の刑事と合同捜査を行うことになりました。上京できるのは、私を含む十人のみ。残り九人ですが、私と一緒に上京したい人は手を挙げてください」
上京と聞き、部下の刑事たちが荒ぶる。
「マジか。上京かよ」
「警視庁の刑事との合同捜査か。面白くなってきやがった」
数人の刑事たちが歓喜の奇声を上げると、須藤涼風は咳払いする。
「静粛に。因みに宿泊先は、東京の高級ホテル。二人部屋を五室確保したそうです。さあ、私と一緒に、警視庁との合同捜査に参加したい人は手を挙げてください」
須藤涼風の問いかけに対して全員が手を挙げる。それから、須藤涼風は質問を続ける。
「この中で二人部屋と聞いて、嫌らしいことを想像した人は残ってください。それ以外の人は捜査一課の廊下で待機」
意図の分からない須藤涼風の問いに、刑事たちは途惑う。
そして刑事たちは二手に分かれる。捜査一課に残る者が六割に、廊下で待機する者が四割。
六割の刑事が須藤涼風の周りに集まる。最後の一人が捜査一課のドアを閉めると、須藤涼風が予想外な言葉を吐く。
「この場にいる刑事は全員不合格。廊下で待機している刑事から選抜します。普通は想像しますよ。私は大分県警捜査一課の紅一点。ホテルの部屋は二人部屋。即ち必ず異性と同じ部屋に宿泊することになる。そうなれば異性は、嫌らしいことを想像する。そしてその行動を実行するかもしれない。その後の展開は想像できますよね」
須藤涼風がその場に残る六割の部下たちを捲し立てると、一人の刑事が右手を挙げる。
「すみません。もしかしたら廊下で待機している四割の刑事の中には、嫌らしい感情を隠している奴がいるかもしれませんよね。どんなに感情を隠しても男は男。だからホテルの一室に男女が二人きりというのはいかがなものかと思うのですが」
その刑事の質問を聞き須藤涼風は人差し指を立てる。
「大丈夫。私は友達の家に泊まるので。即ち五部屋の内の一部屋は、二人部屋を独り占めできるということですね」
須藤涼風が優しく微笑み、廊下へと向かう。彼女がドアを開けると、四割の部下たちが一斉に須藤涼風の顔を見た。
「この中から選抜します」
須藤涼風の一言に刑事たちが歓喜する。
その空気を須藤涼風は咳払い一つで鎮める。
「お静かに。それでは、この中から捜査能力が高い刑事を上から順番に指名しますね」
その頃、竹田市内にあるナナクサマンションの一室で、藤袴由依はクッションに座り、ノートパソコンを起ち上げた。
彼女は頬杖をつき、ノートパソコンの画面を覗き込む。
画面には複雑なプログラム言語が表示されていて、黒くなった画面に白い歯を見せた藤袴由依の姿が映りこむ。
「さて、最後の仕事を始めましょうか」
藤袴由依は不敵な笑みを浮かべ、ノートパソコンにUSBメモリを差した。
「容疑者ならもう一人いるよ」
「そう。だから捜査一課が来たのね」
「秩序型の犯人の匂いがする」
「馬鹿は休み休みいいたまえ」
「これで私の故郷が救われる」
次回 第三話『安楽椅子探偵』
四月二十六日。午前七時投稿。