ピアノ
私は中学生の時に一度睡眠障害になった。ただ夜眠れなくなり、朝起きることができなくなった。今考えても原因はよく分からない。ただいじめられて精神を蝕まれていたわけでもないし夜更かしをしていたわけでもなかった。狂った睡眠のサイクルを修正するために私は両親の勧めで山の麓の病院に入院することになった。母親が運転する車の中から見たその病院は古びていてくすんだ白色の壁に覆われていた。私は二階病棟に収容された。四人部屋はカーテンで区切られ、小さな木製の机とベッドがあった。ただ、どの小部屋にも日光を取り入れるための窓があった。患者たちはみな静かで自分の部屋で本を読んだり、食堂でチェスやボードゲームをしたりしてのんびりと過ごしていた。私は医師の処方する錠剤で睡眠のサイクルを治す治療に入った。初めは慣れない薬でかえって具合が悪くなったが数日たつと昼過ぎから起きることができるようになった。他の患者さんはみな年上で話す相手も見つからず退屈だったので病院の中を歩いた。廊下もホールも広く、くすんだ白色の内壁と緑色の床が続いていた。誰もいない廊下を歩いているとまるで神殿の遺跡の中を進んでいる気分だった。ある日いつも通り病院の中を散策していると、小部屋からピアノの音が聞こえた。開け放たれたドアを覗くと中で女の人が小さなピアノを弾いていた。ピアノはグランドピアノではなく友達の家にもある小さいタイプのものだった。その旋律は平淡だが、憂いを帯びていた。私は廊下の壁にもたれて、その人の邪魔にならないように聴いていた。まるで自動オルガンの部品のようにその人は間違うことなく正確に同じ曲を何度も弾いた。窓から夕日が差し込んだころ、その人はすっと立ち上がり、部屋から出てきた。まだ若く、繊細な顔をしていた。
「あの、なんていう曲なんですか」
私は思わずそう尋ねた。
「亡き王女のためのパヴァーヌ、よ。」
思わぬ観客が居たことに驚いてから、照れくさそうに笑ってその人は言った。白い顔と長い黒髪に夕日が反射して、きれいだな、と思った。その人は廊下を歩いて行った。私はしばらくぼんやりしていた。
病棟に戻って食堂で味の薄い夕食を食べてから錠剤を飲んで布団に入った。亡き王女のためのパヴァーヌ。私はその人こそが亡き王女で自分を悼むようにピアノを弾いているように思えた。パヴァーヌの意味は分からなかった。錠剤を飲むと三十分ほどで眠気が来て落ちる。その感覚は死のように、一瞬で訪れる。
それから毎日その人のピアノを聴いた。その人が何度その曲を弾いても私は飽きることはなかった。その曲のどの部分も好きだったが、特に最後の水面がきらきら光るように音がこぼれるように和音で終わる所が何とも言えず好きだった。余韻を残し、一息つくとその人はもう一度同じ曲を弾いた。いつも小部屋には私とその人しかいなかった。陽が傾くとその人は椅子から立ち上がり、私の方を見て照れくさそうに笑うと、去った。私はしばらく小部屋にオレンジ色の光が満ちて染まっていく様子を眺め、余韻に浸ってから病室に戻った。その人がエレベーターに乗り病室に戻る現実を見たくなかったのだと今は思う。
日がたつにつれ、私の睡眠のサイクルは徐々に修正され、朝に起きれるようになった。その日も小部屋に向かって歩いて行った。しかし、ピアノの音は聞こえなかった。私は不安になり、緑色の床を蹴って走った。廊下の白い壁が続いた。閉まっていた部屋のドアを開けた。するとピアノが無くなっていた。部屋は初めからピアノなどなかったように、静かだった。私はずっとその部屋に立ちすくんでいた。いつものように夕日が差し込んでもピアノはなかったし、その人は現れなかった。
それから数日後に私は退院した。そして亡き王女のためのパヴァーヌの亡き王女、には深い意味やストーリーはなくただ言葉の美しさに惹かれて作曲者が命名したこと、パヴァーヌとは昔のイタリアの宮廷舞曲だということを偶然母の車の中で流れていたラジオ番組で知った。今思えばあの人は三階病棟に入院していた患者だったのかもしれない。退院してどこかで元気に暮らしているかもしれない。でも、私はあの病院のどこかにまだあのピアノがあって、その上蓋を開けるとあの人の死体がひっそりと納められている。亡き王女は目を覚まさない。そう思わずにはいられない。