9 異世界で拉致されて昼食をいただきました(2)
もうダメかもしれない。
私はぼんやりと歩きながら、ふうっとため息をつきました。
豪華な密室で昼食をご馳走になって、脅されて、魔法薬を作ってしまいました。そのまま証拠隠滅されちゃうのかな……と思ったら、案外あっさりと解放してもらえました。
でも、絶望感は全く消えません。
むしろ解放されて王宮の廊下を歩いている今の方が、やってしまった感が強いです。
私、惚れ薬を作ってしまいました。
それも、研究所の中ではなく、見知らぬご婦人のためにです。
一応弊害を防ぐために「目の前の人の視線を引き寄せる薬、効果は三分だけ、全部を一回で飲まないと効かない」とかなり限定的にしましたが、効果や用法を自分の目で確認できないって怖いですね……。
我らが所長様的に、これは許されるのでしょうか。
クビになったら、他に特殊技能のない私です。お女中の職につくことができれば生きていけるのですが……基本的女子力が低すぎて無理な気がします。
そんなことを鬱々と考えているのに、王宮の廊下の隅では立ち話に興じる若い男女の姿があるのです。微妙な距離を置いている初々しい二人から、物陰に入ってチュッチュしている甘々さんまで、もういろいろです。
サボろうと企んでいきなり拉致られた私がいうのも何ですが、皆さんお仕事していますか?
ため息しか出てきません。
進行方向にべったりくっついてノロノロ歩くカップルまで発見してしまい、私は廊下から外へと出てしまいました。
私の陰鬱な心の中とは対照的に、今日もいいお天気でした。
空を見上げれば青い空と小さくちぎれた白い雲があり、もっと見上げれば双子の太陽も見えるはずです。まぶしいのでめったに真上を見ませんが、こうして外に出るたびに、ここは異世界なのだなぁと思います。
あちらこちらで日陰を作っている木々も、私が知っている木とは少し違います。
土の中に根を張って幹が伸びて葉をつける、そういう形態は同じなのにちょっと違うと思うんです。日本でも北と南では植生が違うし、赤道直下と砂漠と寒冷地でも全然違う植物がありましたから、まあこんな木があってもおかしくないかもしれませんが、やっぱり少し違うと思ってしまいます。
でも葉の色だけは、これは絶対に違うと思いましたね。
緑色と言えば緑色なんですが、青っぽいというか水色っぽいというか紫色というか、多肉植物にありそうな色です。この葉の色で異世界を確信したのも、今では懐かしい思い出です。
……ああ、そういえばこの世界に来てしまった時はひどい二日酔いだったなぁ。
あの時、もう二度と酒は飲まないと誓ったものです。一ヶ月で忘れてしまいましたけど。この世には酒を飲まなければやっていけないこともあるものです。若いリア充とかリア充とかリア充とか、いろいろありますものね。けっ。
さて、そんな鬱々した気分の中でしたが、私は現在位置を大体把握しました。
先日のお茶会は中庭で催されましたが、ここはもっと城壁の近くのようです。間違いなく初めて来る区画ですね。
拉致されて来ているので、実は正確な位置は相変わらず不明ですが、もうどうでもいいような気分になってしまったので、そのままふらふらと歩くことにしました。
魔道研究所所属の魔法使いの制服ですから、そうそう怒られることはありません。本当にまずいところに入りそうになったら、きっと衛兵さんが止めてくれるでしょう。
天気がいいし、しばらく散歩に専念しよう。そう思っていたのですが、少し歩くとなんだか騒がしい音が聞こえてきました。
若いお嬢さん方が早足でそちらに向かって行くのも見えました。
何か面白いものでもあるのでしょうか。
何となくそちらに足を向けて見ます。ざわめきはさらに増していき、耳障りな金属音まで響いていました。
今更ながら周囲を見回すと、どうやら兵士たちの詰所が近いようです。厩舎もどこかにあるのだろうなと予想できる臭いもほのかにありますね。
とすると……もしかして騎士様関係の何かだったりしますかね?
突然、きゃーっという黄色い声があがりました。
思わずそちらに目がいきます。無骨な周辺に合わない若いお嬢さん方が多数いました。ちょっと若くないお嬢さん方や、かなり若くないお嬢さん方もいらっしゃいます。
皆さん、同じ方向を見ているようでした。
何があっているのでしょう。
純粋な好奇心から、私はお嬢さん方の人壁に近づいて、そっと背伸びして見ました。
この世界の人種は実に多様です。
背が高い人も低い人も、狭い範囲にひしめいています。
ですから私も特に小さくはありませんが、人垣の向こうのものを楽々見られるほどではありません。右へ行ったり左に行ったり、隙間を見つけて何があるかを探りました。
まず見えたのは、銀色に輝く剣でした。
剣だと認識した途端に大きく動き、狭い視界から消えてしまいましたが、激しく金属を叩きつけ合う音が響いたので何があっているかはわかりました。
兵士か騎士が剣の訓練をしているのでしょう。
でもそれで、こんなにお嬢さん方が集まるものなのでしょうか。
お仕事、どうなっているのでしょう。
女性たちの甘い体臭に押し戻され、私は人混みから離れました。
もともと、剣技訓練の見学会に来たわけではありませんからね。私より出遅れたお嬢さんのために、貴重な場所を空けることにしました。
いくら涼しくて心地よい季節と言っても、人垣の中は暑かったです。お嬢さん方の熱気はもっと熱いです。涼しい風を感じながら一息ついていると、また黄色い悲鳴があがりました。
「そこまで!」
制止する野太い声もきこえました。
どうやら、勝敗が決したようです。お嬢さん方も悲鳴とともに移動を始めました。お目当ての方が、その方向に移動したのでしょう。
おかげで私の前がスッキリと視界が開けました。
土がむき出しになったそこに、ラフな姿の騎士様が立っていました。
たぶん刃入れをしていない模擬剣なのでしょう、右手で持った剣を肩にかつぐようにしています。もう一方の手に持った手拭いで顔を拭いていました。
上着は着ていませんが、騎士服の上着と共布のズボンを履いていました。丈夫そうなブーツにも騎士様仕様の装飾がありました。
向こうに歩いて行く若い騎士様は足を引きずっていますし、彼を支える別の騎士も腕が痛そうですから、ここに残った騎士様が勝ったのでしょう。
改めて見直すと、とても立派な騎士様でした。
背が高くて、肩幅もあって、生成りのシャツの前が少しはだけているのですが、真昼間に見ちゃっていいのかと焦るほどたくましい胸筋が見えています。袖を捲り上げた腕も太くて、顔を拭く動きに筋肉がうねっています。
……どうしてでしょうか。かっこいいとか強そうとかいうより、猛烈にエロいです。
あのワイセツさ具合は、誰かにそっくりですね……。
「……おや、魔女殿ではありませんか」
顔を拭いていた騎士が、動きを止めて私に顔を向けました。
金髪混じりの黒髪の騎士様は、爽やかな笑顔で近づいて来ます。びっくりするほど青い目と合うと、私はつい目をそらして周りを見てしまいました。
若い騎士様目当てではない、たぶんこの騎士様目当ての年配のお嬢さんが私を睨んでいる気がします。
すみません、彼は同志として声をかけてくれているのです。
非モテ同盟の一員なんです。
……あれ? もしかしてパスズール様、もてていらっしゃるのではありませんか? 非モテの同志の条件にそぐわないような……。モテ期が来たらもう同志ではありませんよ。
「こんな時間にどうしました? 王宮で何か仕事でしたか?」
「いやー……その、何というか拉致されてしまいまして」
「拉致?」
「いろいろありまして」
「……正確な話を聞かせていただけますか?」
パスズール様はエロい空気を払拭し、冷ややかな青い目にふさわしい表情になりました。そんな顔をしても、はだけたシャツ姿でちょっと凄いんですけどね。
でもあの目は怖いですから、私は正直に話してしまいました。
サボろうとしたことも、拉致されたことも、無防備に護身道具を持っていなかったことも、昼食をご馳走になったことも、もちろん惚れ薬を作ったことも全部です。
要所要所で、騎士様の眉が動いていました。
怒られ所満載でしょうね。
でもよく考えたら、人様にしゃべってよかったのでしょうか。あのご婦人に消されたりしますか? それとも美魔女所長様にいたぶられますか?
少しばかり遠い目になっても、声がどんどん小さくなっても、仕方がないと思います。
全てを語り終え、あとはお説教しかありえない状態で私はその時を待ちました。
向こうの方で、若い騎士様方の一挙手一投足に対する黄色い悲鳴や歓声が聞こえます。
でも私の周りは沈黙が落ちていました。その重い静寂は、パスズール様のため息で途切れました。
「いろいろ言いたことはありますが。反省はしているようなので私からは控えましょう。……でも一つだけ」
パスズール様は模擬剣を通りかかった若い従者に手渡し、腕を組みました。
「拉致されたとのことですが、間違いなく魔道研究所の所長殿は承知していますよ」
「……えっ?」
「あなたの魔法は独特です。それに制御は難しいようだが、効果は測りがたい。国家兵器として管理されていると思った方がいいでしょう。そうなると、誰とも知れない相手にさらわれることを研究所が許すとは思えない。それに王宮という所は、外部からの侵入者には非常に敏感です。あなたがここにいても誰にも咎められていないということは、すでに承認済み事項なのだと思いますよ」
「承認済みって……つまり?」
「つまり、所長殿はあなたが誰にさらわれたかを知っている。何をさせられるかも把握している。王宮側も、あなたが連れ込まれていることも、首謀者が誰かもある程度把握しているでしょう」
「では、私は……所長様に絞られることはない?」
「それはどうでしょうね。所長殿の性格はあまり知りませんから」
パスズール様は初めて困ったような顔をしました。
すみません、管轄外の質問なんてしてしまいましたね。
でも、警備の専門家に分析してもらえてほっとしました。……ん? パスズール様は戦闘の専門家でしたか? でもお忍びデートなんかを押し付けられるくらいには警備も専門家ですよね?
ちょっと混乱しかけましたが、私はようやく心から安心しました。
この世界になじんでいると言っても、私には魔道研究所しか居場所はないことを改めて思い知ります。年増扱いされたり、名前で誤解されたり無駄に深読みされたり、再婚を目指す年配の男性を紹介されそうになっても、ちょっと我慢するだけで何とかなりますよ。
「おかげで気が少し楽になりました。そろそろ魔道研究所に戻りますね」
「それがいいでしょう。帰り道はわかりますか?」
「城門までの道順を教えていただければ、あとはなんとか……」
「では、城門までお送りしましょう。ああ、ご安心を。今日の勤務は昼間で終えています。ここで汗を流していただけですが……だんだん手加減をする気力がなくなって来たので潮時です」
パスズール様の視線が、ちらりと若い騎士様方とその周辺のお嬢さん方に向きました。舌打ちが聞こえたのも、きっと気のせいではありませんね。
最初は接待剣技訓練をしていたものの、あまりの煩さに最後は素を出してしまったという所でしょうか。でも悪役もお似合いですよ。その上着を脱いだお姿も、悪役っぽい色気で素敵です。
私がこっそり笑っているうちに。パスズール様は上着を着用し、本物の剣を帯び、マントもばさりと羽織りました。乱れた髪は手ぐしでざっと整えます。そうすると、ワイルドな悪役から禁欲的な王国騎士様に大変身しました。
つい先ほどまでは、マニアックなお嬢さんしか見ていなかったのに、第四師団の緑ラインのマントと凛々しいお姿に、じわじわと視線が集まり始めました。
うーん……パスズール様、やっぱりモテ期再びではありませんか?
それともこの程度は微小と認識してしまうほど、五年前が華々しかったのでしょうか。もしそうなら、ささやかな呪いの爆発を祈願してしまいそうですね……。