7 異世界の魔法はいろいろアレです(3)
私は飲み物のテーブルに行きました。
パスズール様と同僚嬢もついて来ます。
私は二人が見ている前で、あの薄ら甘い薬草茶を手にしました。それから、そばにあった果物を一つ取り、いつも持ち歩いているペンをちくりと刺します。赤い小さな実は、期待通りの赤色をペン先につけてくれました。
私はそのペンで薬草茶の器に文字を書きました。体から少しだけ何かが抜けて行く感覚がありました。
文字書き魔法の発動です。
「……何と書いたのですか?」
「モテモテになる薬、です」
「……モテモテに……」
同僚嬢がごくりと唾を飲み込みした。
でも、私が差し出しても薬草茶は受け取りません。何度も手を伸ばしますが、その度にためらっています。
それはそうでしょう。
彼女は魔法使いですから。魔力を持つ人が私の魔法薬を飲むと、威力が倍増することもあると知っているのです。普通の人ならちょっと効くだけの薬が、倒れるほど効いてしまうなんてよくあることです。
ですから、製作責任者として私が飲むことにしました。
銀製の器に口をつけようとした時、薬草茶の器は突然取り上げられてしまいました。びっくりして顔を上げると、パスズール様が私から遠ざけるように腕を伸ばして持っています。
「あの、返してください」
「だめですよ。命に関わるような危険はないとは思いますが、女性で実験するのは受け入れられません。私が飲みましょう」
「いやいや、しかしですよ、あなたは我が同志ではあるより前に、偉大なる第四師団の騎士様ですから……」
「うわっ! パスズール殿ではありませんか! ぜひお近づきになりたいと思っていました。あ、もしかしてこれを私に下さるのでしょうか? うれしいな! このお茶は大好きなんですよ! 頂戴できるなんて光栄です!」
……私とパスズール様が取り合っていたはずなのに、なぜか通りかかった若い騎士がテンションを高くして薬草茶の器を手にしていました。
あ、もしかしてパスズール様の腕が伸びた方向が、ちょうど歩いてきた若い騎士様の真ん前だったりしましたか? お茶を勧められたと思ったりしました?
違いますよ。
だめですからね。飲んではダメです!
しかし、たぶん二十歳より少し若く、ゆえにどことなくあどけなさが残った騎士様は勝手に話を進め、勝手に感激の声をあげました。そして私が止める間もなく、一気にあの薄ら甘い液体を飲み干してしまいました。
予想外の展開に、パスズール様も一瞬硬直していました。しかしさすが実戦を知る騎士様です。すぐに笑顔を浮かべ、さり気なく相手の顔色などを探りながら話しかけました。
「お父君には大変お世話になっている。あなたも騎士になったとは聞いていたが、こうしてお会いできて私も光栄だ。……ところで、味はどうだった?」
「普通に甘くて美味しかったです!」
私は青ざめながら若い騎士様を見つめました。命に関わる危険性はないと思いますが、何が起こるかわかりませんからね。
若い騎士様は短い金髪がくるくると渦巻いていて、なんだかアポロンっぽいイケメンさんでした。小麦色の肌は張りがあって滑らかで、唇はちょっと厚めですごく甘いお顔立ちです。普通にけっこうもてるだろうなと思いました。
でも……。
私はそっと同僚嬢を見ました。
年下にはどうしても食指が伸びないといつも嘆いていた同僚嬢が、とっても熱い目で彼を見ていました。あの様子では、間違いなく魔法薬が効いているようです。
周囲の若いお嬢さん方も、ちらほら振り返り始めていました。
もう少ししたら、この辺りのお嬢さん方全員が彼を囲んでしまうかもしれません。
効果は確認できました。
モテモテになる薬は成功しました。
しかし……いろいろ厄介なことになる前に、魔法薬の力を解消しなければいけません。
「あの、器をお預かりしますね」
「ありがとう」
意を決して若い騎士様から空の銀器を取り上げると、アポロン様はちょっと驚いた顔をしましたが、おっとりと微笑んでくれました。
きっと性格も良いのでしょうね。
副所長様に苦しめられている私にはまぶしいくらいです……。
でも今は、うっとりしている場合ではありません。私は奪い取った銀器に書いていた文字を手でこすり、さらに制服の袖口を使ってゴシゴシと拭きました。
なめらかな銀の表面ですから、果汁の文字は綺麗に消えてくれました。これで魔法は消滅するはずです。文字を書く時間より短い時間で終わります。まさに一瞬です。
「……あら? 私ったらどうしたのかしら……」
私が文字を消してすぐに、年下の騎士様を食い入るように見ていた同僚嬢が、困惑したようにつぶやきました。周囲のお嬢さん方も、首を傾げなら元の話題に戻っていきました。
何も気付いていない若き騎士の肩をぽんと叩き、パスズール様はにっこりと笑いました。
「君のような将来有望な騎士がいることは実に喜ばしい。期待しているぞ」
「はい、ありがとうございます!」
何も知らない気の毒な青年は、感激したまま歩き去っていきました。
残された私たちは、こっそりと顔を見合わせました。
「……すごいわ。この私があのボウヤにくらっときちゃった。これは売れるんじゃないの?」
「いやー……たぶんあのままではダメだと思いますよ」
「どうして?」
「彼の周り、よく見てください。虫を呼び寄せてしまいました」
「……あら、本当だわ」
「それに、女性だけでなく男性の目も引いてしまいました。もう少しで優雅なお茶会が大パニックに陥るところでした」
「あらら……それはちょっと……」
同僚嬢は残念そうに首を振りました。
そうです、ダメなんです。ただ「モテモテになる薬」なんて書いてはダメでした。ならば異性にモテると書けば……いやそれでもまだ蚊を呼び寄せてしまいますね。何歳から何歳までの人間の女性、と限定したほうがよさそうです。
ふうっとため息を吐いた私は、ふと気付いてパスズール様を見上げました。
「もしかして、パスズール様も彼に惚れそうになりました?」
「それはないですね。ただ、非常に有能そうに見えました。あれが本当なら第四師団に引っ張って行くんだが」
……それは……うん、すぐに魔法を解消できてよかったです。
実験体になった上に、半径十キロ以内に若い女性のいない職場に連れて行かれそうになっていたなんて、本当に申し訳ないことこの上ない……。
でも、彼にはきっといい副作用が残ると思います。
一度でも見惚れた人は、その後もつい見てしまいますからね。
知り合う機会があれば、本当の恋が生まれるのも時間の問題でしょう。それが惚れ薬などの本来の目的です。……たぶん。喪女の私には経験ないから保証はしません。
あ、アポロン青年がさっそく呼び止められていますよ。羨ましいですね。青年もなんか頬を染めています。初々しくていい感じではないですか。
おや、今度は違うご令嬢が割り込むようにやってきましたね。
もしかして、以前から彼に目をつけていたのでしょうか。敵が現れて、慌てて強行に出たって感じの迫力です。最初に声をかけたお嬢さんも負けずに笑っていますね。二人とも可愛らしくてきれいなドレスを着ていて、お互いに一歩も譲りませんよ。
お二人とも良いお家のご令嬢のようですね。
……あれ? あのお嬢さん方のお顔、私知っていますよ?
「……パスズール様。もしかしてあの若い騎士様は……」
「彼は騎士としてはまだ物足りない年齢ですが、あれで国内でも有数の大貴族の生まれです」
「あー……。ではあの周囲を威嚇するように声をかけているお嬢さんというのは……」
「王女様ですね。やはり彼が意中の方だったようだ。先に声をかけていたのは王弟殿下のご令嬢ですから、従姉妹同士の戦いということでしょう」
「パスズール様ってよくご存じなんですね。……もしかして私は、王女様のお婿様になるかもしれない方に一服盛ってしまったのでしょうか……」
私は青ざめました。
同僚嬢は、すでに他人の振りをしてあっという間に去ってしまいました。
もしかして、私の首って危ないですか……?
しかしパスズール様は唇を歪め、鼻を鳴らすように笑いました。
「彼に飲ませてしまったのは私のミスです。それにあなたの薬のおかげで、王女様の恋心が燃え上がりました」
「それはいいことなんでしょうか。あの従姉妹様方の関係に溝ができたりしたら……」
「もともと、このお茶会が催された時点で予想できた展開です。心配なら、私をこの場に巻き込んだ親戚筋にあなたの安全を保証させましょうか?」
「……あのー、ちなみにその親戚筋様というのはいったい……」
「あの黒髪の男ですよ」
パスズール様が無造作に指差した方向へ、そっと目を向けました。
該当する方向には何人も若い男性がいましたが、黒髪男は一人だけでした。
親戚筋というのがどのくらいの血縁があるかはわかりませんが、なんとなく体格がパスズール様に似ている気がします。でも顔立ちは違いますね。パスズール様は色気過剰系、親戚筋様は冷ややか腹黒系ですから。
しかし、なかなかにエロっぽいのはさすがです。
第四師団の騎士を連れ回して喜ぶ若人のようですが、あと十年もすれば立派な鬼畜眼鏡様になるでしょう。眼鏡かけていないけど。
そこまで考えて、私は首を傾げました。
私は下っ端魔法使いです。お貴族様の顔なんてほとんど知りません。
でも、なんとなく見覚えのあるお顔なのです。たぶんお若いご本人ではなく、もっと鬼畜眼鏡風などなたかを知っている気がしました。
いったいどこで見た顔なのでしょう。
それを言うなら、裕福そうなお貴族様と親戚というパスズール様も、実は高貴なお生まれだったりするのでしょうか。でも高貴な家なら最前線にいたりはしないか? あんなに荒んで歪んだご趣味を持っているしな……。
……いや、たぶん知らない方がいいですね。
あの方は非モテの同志で、私の魂の双子です。今はそれで十分でしょう。
私はパスズール様から目をそらし、今もっともホットな女同士の戦いに目を向けてみました。
王女様が燃えるような目で睨んでいます。
対するお嬢さんも、きゅっとくびれたウェストに手をおいて睨み返しています。
間に立ったアポロン騎士様は、眉尻を下げて美少女たち二人を一生懸命になだめていました。逃げ出さずにいるだけでも立派なものです。でもあれでは火に油を注ぐだけでしょう。
……うん。
普段なら、もっと揉めて、もっと争って、その上で爆発してもいいんじゃないかなという気分になるのですが。今日は珍しくそんな気分になりません。
まだ日が高いというのに、なんだかとても疲れてしまいました……。