5 異世界の魔法はいろいろアレです(1)
私、久山美紗子は二十五歳で異世界トリップというものを体験しました。嬉し恥ずかしの初体験です。二度としたくないというか、もうできなくてもいいかなと思えるくらい、この世界に馴染むことができました。
でも、最初は大変でした。
前代未聞の深酒の末にふらふら歩いていて、突然穴のようなものに落ちてしまったまでは覚えています。落ちている途中でアルコールが回ってぐるぐるしてきて、それが物理的なぐるぐるなのか、脳感覚的なぐるぐるなのか判断できないうちに意識が飛びました。
幸いマーライオンな状況は避けられたようで、美しい姿のまま目が覚めて。
……目が覚めると二日酔いでした。当たり前ですね。
周囲の光景が異世界のものだと気づくのに時間がかかりましたし、なんか異世界っぽいとぼんやり理解しても、さしあたっての大問題は二日酔いだったくらいには最悪な目覚めでした。
でも私は運が良かったようで、出現場所は人里のすぐそばで、その日のうちに保護してもらいました。
言葉が通じない若い娘なんて、きっと不審がられるだろうと思っていたのですが、これが簡単に受け入れていただきまして。言葉がわからなくても、周囲の人たちの暖かい眼差しや態度にとても安心したものです。
……でも、これには訳がありました。
この世界の二十五歳というと、すでにおばさん扱いなんですよね。そんなおばさんが疲れた顔で座り込んでいたということで、意に沿わぬ結婚をしたものの、嫁ぎ先に馴染めずに逃げて来たのだろうと思われたようです。
どういう設定でしょうね、まったく。
でもそういうことも少なくないらしく、この国では逃げて来た女性でも親切にしてもらえるようでした。
これらは全部、言葉が通じるようになってからわかったことです。その場でわかっていたら暴れていたかもしれません。妖精になる未来しか見えない鉄壁の処女を何と心得るって感じですよ。
幸い、特殊な魔法を使えるようになっているので、言葉もなんとかなりました。そして魔法を使える貴重な人材ということで、魔道研修所に雇ってもらえました。
白ヒゲを生やした村長さんが、私との別れをとても悲しんでくれたのを今でも覚えています。滂沱の涙に若干引きましたが、この世界の男性はなんとストレートに感情を表してくれるのだろうと感動したものです。
でも違ったんですよ。
馬車に乗る寸前まで手を握りしめ撫で回していた時点で気づくべきでした。
村長さん、私を後妻にしたかったようですよ。自分よりずっと若い後妻がステイタスなのは、どの世界でも共通する男の夢のようですね。いくら喪女と言っても、私はそこまで老け専ではありません。
これをモテ期と無邪気に喜べる柔軟性が欲しいと、半ば自棄気味に、でも半ばは真剣に思ったものです……。
ふう。
そんな哀しい過去より、身近なリア充さんのお話をします。
彼女の名はパリスト・ミルエ。
二十三歳の年増ではありますが、わりと美人で可愛らしくて、腕組みしてもらうと胸元が超セクシーなお嬢さんです。
彼女に幸せになってもらいたくて、慣れない合コンのセッティングってものをしたんです。だから彼女が素敵な男性と出会うのは嬉しいんです。それは間違いないんです。
……でもですよ。
十二年ぶりに再会した幼馴染といい感じになって、その翌日に「婚約しました」なんて報告を受けた私の気持ちは、複雑なんてものじゃありませんよ……。
「……えーっと、おめでとうミルエさん。でもあの幼馴染さんてば、そんなに手が早かったなんて。ちょっとパスズール様にしめてもらった方がいいんじゃないですか?」
「まあ、ミサコさんたら! 手が早いんじゃないわよ。彼はとても紳士的だったわ。私の家まで送ってくれたけど、その……いかがわしいことなんて何もしなかったし。いえ、私もいい年だし、ちょっとくらいならしてもらってもいいかな……なんて思っていたなんて言わないわよ! でもマルゴは最後まで紳士的な距離を保ってくれて、夜道なのにとっても安心できたわ」
「……その中のどこに、いきなり婚約に飛躍する要素があるんでしょうか?」
「マルゴは紳士的に家まで送ってくれて、私の母にもきちんと挨拶してくれたの」
「まさか、結婚を前提になんたらって奴ですか?」
「そう、そうなのよ! ミサコさんすごいわ! どうしてわかるのかしら!」
ミルエさんは可愛らしく驚いています。
……わかりますよね。二人きりになると手も握らない関係からいきなり婚約に飛躍するには、そのくらい古式ゆかしい正攻法以外ありませんよね。
あー砂吐きたい。
アサリのように引きこもって、時々砂を吐きたいです。
でも、お祝いの言葉には偽りはありません。
ミルエさんはお父様の看護のために適齢期を逃してしまった苦労人ですから、幸せになってくれるのは嬉しいんです。
嬉しいけれど……軽く爆発しろな気分が……うん、だめですね。これ以上の怨嗟を優しいミルエさんにぶつけたくはありません。だから私は、幼馴染さんに苛立ちをぶつける決意を固めました。
「幼馴染さんにもお祝いを言いたいですね。今日のお仕事はどちらでやっているか聞きましたか?」
「今日は城門警備だって言っていたわ。でも……」
早くも城門へ向かおうとする私に、ミルエさんは困った顔を見せました。
「あの、ミサコさんにお迎えが来ているようですよ」
「お迎え?」
ミルエさんの視線を追って顔を向けると、確かにこちらにやってくる人がいました。
その艶やかで秀でた額を見て、私はくるりと背を向けました。何も見なかったことにして、すぐに城門へと走って行こうとしました。
しかし私の足元に、突然蛇が大量発生しました。
一応申し上げておきますが、私は蛇は嫌いではありません。
嫌いではありませんが、足に絡みつくのはアウトです。絶対ダメです。そもそもこんな石畳の廊下に、何で二十匹もの蛇が出現するんですか!
これだから副所長様は苦手なんですよ!
「魔女クヤマ。お忙しいところ申し訳ないが、ちょっといいかな」
「こ、これは副所長様。ご、ご、ごきげんよう」
足を蛇に取られたまま、私は強張った顔で挨拶をしました。
無様な挨拶ですが、副所長様は特に気にしていないようです。口の中で小さく何かをつぶやくと、蛇たちはすっと姿を消しました。
あーよかった。
蛇に絡みつかれたままどこかに拉致されるかと思いましたよ。
どうやら副所長様の機嫌は悪くないようです。毛根に効く薬はうまくいっていたのでしょうか。
一応成果を伺ってみたいところですが、今は人目がありますからね。繊細な男心を慮らねばなりません。話題は本題に限定することにしました。
「わざわざおいでいただくなんて、何か御用でしょうか」
「うむ。君にしかできない重要な任務を頼みたいのだ」
「……先日もそんなことを言って、ただのお飾り警備員でしたよ?」
「お飾りも立派な任務だ。魔法使いの制服があると、それだけで周囲への威嚇になるからな。それに、警備が縁で君はあの騎士と知り合って、その縁が元でそこの女中は婚約したのだろう? 今日もまた新たな縁をつなぐかもしれない貴重な機会にならないとも限らないぞ」
……いろいろ、よくご存知で。
さすがは魔道研究所で随一の頭脳と情報網を持つ男です。毛根以外は完璧な男と恐れられるだけはありますね。あ、とすると毛根まで元気になってしまったら、非の打ち所のない嫌味な人になってしまうんでしょうか?
まずいですね。
上司に暗殺者が押し寄せる前に、毛根にはヘタレてもらった方がいいのかもしれません……。
……いやいや、思考の逃避はだめですね。
現実を見ましょう。
副所長様の言う重要な任務、それって絶対つまらない警備の悪夢再びってやつですよね。今度は何ですか。昨日の騎士様のようにお忍びデートに付き合えとかですか?
「重要だが簡単な任務だ。王女様主催のお茶会の警備だ」
「やっぱり警備ですか。でもお茶会なら規模もそれほどではないし、時間も短いから気楽にできそうですね」
「会場は王宮の中庭、参加者は百人ほどらしい」
「中庭? ……百人?」
「王女様と年の近い男女が招かれている。極秘情報によると、その百人の中に王女様の意中の男性が紛れているとかいないとか」
「……お見合いってことですか?」
「お見合いと言うより、逢い引きだな」
逢い引きですか。素敵な響きですね。……やる気を盛大に削ぐお言葉ありがとうございます。
しかし、私に拒否権なんてないでしょう。あったとしても、また蛇さんたちが絡んでくるだけです。わかりました喜んで!と叫ぶまで蛇さんたちは私から離れてくれないでしょう。魔法なんて使わなくても、未来は簡単に読めますよ。
こうして私は、楽しいお茶会の出席者兼警備要員となってしまいました……。