番外編6 異世界の赴任事情(前)
夕方に私の家の扉を叩いたのは、大きな荷物を持ったきれいな女性でした。
二十歳を少し超えた年頃で、この世界的にはそれほど若くはありません。でも、はにかみながら私を見つめる姿は輝いて見えました。
「私、ここまで来てしまったわ」
「……そのようですね」
「迷惑かもしれないけれど……どうしてもあなたのところで働きたかったの」
恥じらいつつも、強い意思を感じさせる目でした。
こんな辺境の地まで追いかけてきて、こんな目で訴えるように見つめられてしまったら。
健康的な胸の谷間の吸引力がなくても、男性ならくらっとくるでしょう。
……でも幸か不幸か、私の性別は女です。
しかも、彼女の動機を正確に察していました。
私はため息をつきました。それから都からやってきた女性を中に通すために、戸口から体をよけました。
「実は、あなたで十人目です」
「……十人目って……ええっ! ちょっと! まさか抜け駆けしてきた人がもうそんなにいたの!」
「そういうあなたも抜け駆けっぽい気もしますけど……」
この家の主であり、二週間前に国境の第四師団の従軍魔法使いとして就任した私は、こっそりつぶやきながら応接室へと案内しました。
都からやってきた彼女は、いわゆるピラニア嬢の一人です。
熱愛婚約中の友人のミルエさんの同僚で、確か二回目の合コンに参加していたはずです。
お女中さんの中でも、エリートと言える魔道研究所のお女中さんだったこのピラニア嬢が、なぜ国境の村にやってきたのでしょう。
それは、まあ、答えは一つしかありませんよね。
「私、考えたのよ。大都会で一人寂しく過ごすより、人恋しい者同士で仲良くなるチャンスの中に飛び込んだ方がいいんじゃないかって」
「そうですよね、チャンスは大切ですよねー……」
「そりゃあ都の方が稼ぎはいいし、生活も華やかよ? でもやっぱりこれからの人生は二人がいいと思うのよ。それなのに、都では二十歳を超えた私にチャンスすら与えてくれないわ!」
「そうですね……」
「でもここなら、独身の男性はいっぱいいるし、ライバルは少ないし、それに魔女殿がいるわ。あなたがいれば、きっとまた合コンとかそういうのをしてくれそうじゃない?」
「……やっぱりそれですか……」
心地よく整えられている応接用の部屋で、私は諦念を込めてため息をつきました。
ええ、今さら驚く理論ではありません。
私がこの村に到着した翌日から今日まで、合計十人の少し年増なお嬢さん方がやってきては同じことを言っていますからね。
お気持ちはよくわかります。
私もこの世界に来て、いきなりの枯れたオバサン扱いに愕然とした口ですから。
まだお肌もピチピチで衰えた自覚のほとんどない二十代前半のお嬢さんなら、いろいろすがりつきたくなりますよね。
切羽詰まった焦燥感はとてもわかりますが……この村は国境の間近です。
年増扱いとはいえ、妙齢のお嬢さんを放置はできません。どんな理由であろうと頼ってくれたお嬢さん方のために、私がとりあえずは雇ったりした方がいいだろうなと思います。
それに……。
やっぱり、私のせいなのかなぁと思うんです。
到着翌日に「砦の皆様に出会いがありますように!」と書いた短冊を部屋に貼ったのは、封印中の呪いグッズ箱の処分に行き詰まった逃避からでした。
時系列を考えると、全てが私の魔法のせいではないはずですが、私の文字魔法って、こういう時には最強の効果がありますからね……。
一応、独身で結婚願望のある人限定という条件はつけているから、物騒なことにはならないはずですが。
こういう事情で、私は十人のお女中さんたちには責任を感じています。でもどう考えても、私の薄給で全員を雇えるものではありません。
こういう人件費って、軍とか魔道研究所がもってくれたりしてくれるとありがたいんですが。
明日にでもお手紙で相談を持ちかけることにして、今日はとりあえず十人目の到着を歓迎する夕食会を開くことにしました。
国境に最も近い村と言うと、有事には危険な場所です。でもそうでない平和な今は、この村はとても穏やかなところだと思います。
見張りの塔が幾つもあったり、村の周囲に空堀があったり、村の入り口には門番がいたり、それなりに緊張感はありますが、基本的にはのんびりした場所です。
今も、早朝からの農作業の手伝いを終えた子供たちが、元気いっぱいに村に戻って来ています。これから学校に行くのでしょう。
農村では朝は貴重な作業時間ですから、学校も始まる時間を遅くしているらしいです。働き者のいい子供たちですね。
……いちいち私の家を覗きにきて、好き勝手に言うのはあれですけど。
「魔女のおばさん、おはよう」
「今日も色気ねぇなー。他のおばさんはあんなに美人なのにな」
「バカだな。これが普通の独身女ってヤツらしいぞ。キレイなおばさんがすごいんだよ」
ふん、クソガキさんですね。
あの年頃のお子様たちって、正直すぎて口元が引きつってしまいます。
でもきちんと挨拶はしてくれるし、よく日焼けした顔はきれいだし、にっこり笑っているだけならマジで天使です。だから大人気なく怒ったりはしませんよ。
「おばさん、結婚してないんだろ? 彼氏もいないの?」
「おととい来た騎士様、おばさんの彼氏じゃなかったの? 他のキレイなおばさんと楽しそうに話していたわよ。もうちょっとセクシーな服も着た方がいいと思うの」
「魔女おばさんの彼氏は別の人らしいわよ。父さんがそう言ってた」
「えっ、おばさんにも彼氏いるんだ! 大事にしろよ!」
くっ、このクソガキどもめ。
セクハラオヤジみたいなことを言いまくりやがって。私が露出度高い服なんて着ても、全くエロさが出てこないからだめなんだよ!
異世界の喪女をなめるなよ!
……と言う風に、ちょっと自虐的な気分になりますが、子供たちの屈託のないところは嫌いじゃありません。
それに、十歳前後のくせに彼氏彼女で手を繋いでいますからね。そう言う方面ではクソガキどもの方がずっと先輩です。
今日も若すぎるカップルたちは、私に好き勝手言った末に笑顔を残して学校へと向かいました。いいですね、一緒に登校ですよ。……ちっ、この村のリア充は若すぎるよっ!
……別に荒れているわけではありませんよ?
ただ、何というか……この穏やかで友好的な村に到着した日から、パスズール様のお姿を見ていません。
私も新居の片付けで忙しいのですから、騎士で副師団長でもあるパスズール様はもっとお忙しいと思います。十キロ向こうの砦は実戦に近い国境ですしね。
だから、全然不満じゃありませんよ。
ちょっとお顔が見たいなぁとか、そろそろ一緒にお酒を飲みたいなぁとか、ほんの少し思ってしまうだけです。……ちょ、ちょっと寂しい気がするのは、若すぎるリア充たちに当てられただけですから。はぁ……。
あ、でも、他のことは全てが充実しています。
私の新居については、砦から交代でやってくる騎士様方やこの村の人たちがいろいろ気を配ってくれますから完璧です。古い空き家を改装したようですが、十分すぎるくらい大きくて立派でした。
片付けやら掃除やらは、都から続々とやってくるピラニア嬢たちが気合を入れてやってくれます。はっきり言って、どこもかしこもピカピカです。
とにかく働き者のピラニア嬢たちですから、村の人たちも好意的に見ています。彼女たちの家は、当面は村長さんが古い空き家を貸してくれました。
でも私は、ゆくゆくは家の敷地内に別棟を作って、そちらをお女中さんたち用にしたいなと考えています。
こちらの世界に来て以来、ずっと騒々しい宿舎にいましたからね。それに慣れてしまって、ポツンと一人で住むのが落ち着かないというか、静かすぎて寂しくなるというか……。
それに、これからまだまだ「来ちゃった……」な人とか、休暇を利用して遊びに来ちゃった!な人が現れそうな予感がしますしね!
ただ問題は、そういう増築などの費用がどのくらいになるだろうってことでして。
まだ漠然とした構想だけですが、そう言うことも含めていろいろ誰かに相談したいんです。
でも私の身分は従軍魔法使いです。
この地での直接の上司は師団長様ですが、所属はまだ魔道研究所のままのはずです。
こういう複雑な身分ですから、相談する相手とか順番とかに暗黙の了解があったら困りますよね。だからこそ、相談事は誰に持ちかければいいか教えてください、というお伺いの手紙をパスズール様に送ってみました。
私はまだこの世界の文字で文章を書けないので、なんでもできるお女中さんに代筆してもらいました。
昨日の朝に、砦と村を往復する荷馬車に預けましたから、たぶん昨日か今日には届くはずです。
さて、子供たちの襲来をやり過ごした後は、お仕事にちょうどいい時間になっています。
今週中にお返事が来ればいいなと思いながら、私は副所長様から渡された実験計画書を広げてみました。
出発直前までどんどん追加されていた、あの魔法実験計画書です。
忙しいという口実で今まで放置していましたが、お女中さんが十人になったので私は本来の仕事をするしかなくなりました。
しかしこの計画書、……はっきり言って無茶ですね。
こんなにたくさんの試したい項目が、とりあえず一年分だそうです。思いついたらまた追って追加する、なんてメモまで挟んでありました。
真面目に考えるとかなりの過密日程になるのですが。はっきり言って無茶なレベルですよ。実現できるのは几帳面で計画大好きな副所長様だけだと思います。
だいたいですよ。私の文字魔法は節約魔法ですが、それでも魔力疲労というものがあるわけですよ。
生まれながらの魔法使い様なら、魔法の代償である魔力疲労にも慣れていているでしょう。
でも私は、魔法使い歴半年余りの初心者です。ちょっとの魔力疲労で一日中眠る羽目になってしまったのは記憶に新しいところで……あ、なんかまた凹んでしまいました。
でもこの計画書にそった実験を少しはやっておかないと、しびれを切らした副所長様がこの村までやってきそうで怖いです。安全上の事情で、都では小規模な魔法しか試せない!と、いかにももどかしそうに愚痴っていたお方ですからね。
奥様と可愛いお嬢さんにお会いできるのは嬉しいですが、村の周りの広大な空き地を見たらどれだけ浮かれるかなんて……うん、考えないようにしましょう。
とりあえず、簡単そうなところをやってみようと、パラパラめくって行って探して行きます。
独創的なものは後回し。
複雑な文字を長々と書き込む必要がありそうなものも先送り。
できるだけ簡単で、以前にやったことがある感じで、結果がすぐに出て終わるものを選んでみました。
「うーん、これならいけるかな」
広々とした庭に出ながら、私は副所長様の希望を日本語に訳してぶつぶつつぶやきます。幾つかの案をつぶやいてみて、一番簡単なものを選びました。それから、いつも持ち歩いている魔法用筆記セットを取りだして、薄い紙をリボン状に細く切って文字を書きつけました。
文字魔法を使う時、文字数は最低限と決めています。自分の汚い文字は時々破り捨てたくなるほどの威力がありますからね。
練りに練った短い日本語を、細い紙からはみ出ないようにゆっくりと書き入れて行きました。
ペンを置くと、わずかに魔力が抜ける感覚がしました。
それを確認してから、私はそれを持ってまだ手入れをされていない庭の端に行きました。競い合うように生えている雑草たちを見回して、なんとなく目についた雑草の茎に結びつけてみました。
小さな丸い葉がたくさんついていて、ちょっと可愛らしい雑草です。
葉と実の違いはありますが、姿はぺんぺん草に似ているなぁ……などと和んでいると。
……変化は急激でした。
平凡そうに見えた普通の雑草が、恐ろしい勢いで成長し始めました。
青みの強い小さな丸い葉がどんどん大きくなります。それとともに、背丈もぐんぐん伸びていきました。
その成長とは対照的に、周囲の雑草がどんどん元気がなくなっていきました。色が悪くなり、しおれ、最後にはくたりと倒れてしまいました。
そんな枯れ草の中央で、紙を結びつけた謎の雑草は丸い葉は数を増していって、あっという間に木のような草が完成しました。
ええっと……、これは成功になるのでしょうか。
面倒なので、とりあえず「大きくなる」とだけ書いたのですが、文字を書いた紙を巻いただけでも魔法が効くことが実証されました。
舞踏会での赤い靴もどき魔法で出てきたアイデアでしょうか。
魔法の液肥やら魔法の植木鉢などより、ターゲットを簡単に限定できて効率的ですね。
でも何と言うか……本来の大きさを超えている気がします。それに周囲の栄養分とか生気のようなものまで吸い取ってしまったような気もします。
うーん……困りました。
実は私は、まだこの世界の植物のことをよくわかっていません。
この巨大化したぺんぺん草もどきの雑草、もともと周囲の養分を吸い取りながら成長したり、長い年月をかけるとこれほど大きくなったりするものでしょうか。それともやっぱり、魔法の作用によって異常成長としか言えない状態なのでしょうか。
その辺りがわからないと、魔法実験の結果の意味が全然違ってしまいます。
お女中さんか村の人に聞いてみると、少しはわかるかもしれません。
そう思うのですが、なんだか疲れが体の奥に溜まった感じがあるので、頭もよく動きません。草の成長に伴って魔力を追加で使ってしまった可能性もありますね。
巨大化草は人を襲ったりするタイプではないようですし、庭にあるベンチに座って少し休憩することにしました。




