2 異世界にもモテ期はありませんでした(2)
ここで、一旦会話が途切れました。
目の前で繰り広げられている若者たちのダンスも、ちょうど曲が終わったようです。
私と騎士様の間には沈黙が落ち、若者たちのところではきゃっきゃウフフな会話が繰り広げられています。
ああ、やっぱりこれは罰ゲームですか?
研究所長様のいきつけの酒場で、キープしていた酒をこっそり飲んだのがバレたのでしょうか。それとも副所長様に依頼された毛生え薬を作る時に手抜きしていたのが原因でしょうか。「頭髪が生える薬」と書かなかったから、体の毛だけがふさふさになってしまったようですからね。悪気はなかったんですよ。ちょっとしたうっかりミスです。
あ、私の魔法はちょっと特殊です。
日本語で文字を書きこむだけなんです。
そうすると、書いたものが文字通りのものに変わるんです。これはなかなか便利でして、私がこの異世界で言葉を通じさせることができるのもこの魔法のおかげです。
はじめは全然意思疎通ができなくて大変でした。通じない苛立ちのあまり、マフラーっぽいものに「言葉がわかるようになる」とペンで書いてやったんです。そうすると、そのマフラーを身につけると相手の言葉が理解できました。
どういう原理かわかりませんが、素晴らしい発見です。でもそのままでは私の言葉が通じませんでした。ではでは、と「私の話す言葉を通じさせる」と書いたらバッチリでした。
問題は、文字を書く時に正確に書かなければならないんですよね。面倒だからと省略すると、毛生え薬のように中途半端な効果だけになってしまいます。まあよくあることですね。
「それで魔女殿。先ほどの、リアジュ……なんとかいう呪文は、どういう効果があるのですか?」
……この色気だだ漏れな騎士様、結構しつこいご性格のようで。
世間話の域をこえてますよ?
あ、それとも私の魂の叫びだけは通じたのでしょうか。
第四師団のパスズール様って、確かまだ独身だと聞いています。モテ度はわたしとは比較にもなりませんが。
「本当に効果のないおまじないですよ。こちらの言葉に直すと……いちゃつく若者たちへの独身女の妬みの気持ちですね。ちょっと爆発しろっていう意味です」
「……妬み、ですか?」
「はい、妬みです。軽く爆発しろと思うくらいの、可愛らしい妬みですが」
ちょっと正直すぎたでしょうか。
でもいいですよね。日本ではまだ余裕があったはずなのに、いきなり年増とか行かず後家とかお褥辞退とか、そんな年代に分類されてしまった私の衝撃を愚痴ったって、バチは当たりませんよね。
どうせ、こんな色気だだ漏れ男様なんて、二度と会うことはないでしょうから。
しかし。
呆れて黙ってくれると思ったのに、けしからん色気男様は非凡でした。平凡な日本人女子である私の予想は完全に外れてしまいました。
なぜか、すごく面白そうに笑っています。何がそんなにツボにはまったのでしょうか。
「失礼。それで先ほどの言葉……リアジュバ……」
「『リア充爆発しろ』です」
「そのリアジュウバクハツシロという呪文は、本当に危険はないのですか?」
笑いを消して、少し声を潜めて聞いてくる顔は、非常に忠実で優秀そうな騎士様の顔です。でもエロいです。この騎士様も、外見は完全にリア充さんですね。ちっ。
「何を爆発させるかが指定されていませんし、何をリア充というのかも指定していません。まあ、何がどう作用するかわかりませんから、文字にはしませんよ。絶対はありませんから」
「それを聞いて安心しました」
色気騎士様は、にっこりと笑いました。
浅黒い肌が扇情的です。
手袋をはめた手が無駄にエロいです。
少し乱れた金髪メッシュ入り黒髪がはしたないです。
きっちりとした制服姿が、逆に禁欲的すぎて目の毒です。ラテン風なエロ男様なのだから、いっそのこと上半身は全部前をはだけましょうよ。きっと筋肉がエロいと思いますよ。
すっかり喪女思考が染み付いた私が、八つ当たり的に不謹慎なことを考えていたというのに、パスズール様は実に爽やかな笑顔を向けてくれました。
「今週は勤務があるので無理ですが、来週にでも飲みに行きませんか?」
「は?」
「あなたとなら、リア充とやらを呪い妬みながら、楽しく飲めそうな気がするんです」
……おや?
喪女毒が脳に回ったのでしょうか。なんだか変な言葉が聞こえてしまいましたよ?
「あの、でも、騎士様はどう見てもリア充でしょう?」
「まさか、顔だけを見ておっしゃっていないでしょうね?」
騎士様は、ちょっと不機嫌なご様子です。
まさに、顔しか見ていませんが何か?
偶然居合わせただけの色気騎士様の外見を無視できる聖人聖女なんて、本当にいるのですか?
私の顔は、きっと正直者なのでしょう。何も言っていないのに、パスズール様は少し機嫌を直してため息をつきました。
「私の職場は男だらけです。半径十キロ以内にいる女性は、孫が山ほどいる老婦人だけですよ」
「ああ、そういえば前線にいらっしゃるのでしたね。……いやいや、でも、そういうところにはそういうご商売のご婦人がいるものでは?」
「辺境の前線すぎて、全くいません。必要な男は休暇の時に十キロほど馬を飛ばします」
「あー……それはそれは……」
さすがにちょっと、同情したくなる職場環境です。
前線の軍人さんだから仕方がないのでしょうが、見渡す限り野郎ばかりと言うのは、きっと壮観というか壮絶なものだと思います。絶海の孤島にある男子校って感じなら、泣いていいと思いますもの。
喪女の分際で、私は騎士様に親近感を抱いてしまいました。毒親に貯金全部持って行かれたり、酔った勢いで辞表を郵送してしまったり、とにかく日本に帰りたくない私に同情されるなんて屈辱だろうとは思いますが、ついつい慰めるような口調になってしまいます。
「あ、でも、都市部には時々でも戻っていらっしゃったのでしょう?」
「前線を離れたのは五年ぶりです」
「うわぁ……っと、でも、第四師団のパスズール様といえば、エロ……じゃなくてイケメン騎士として有名だと噂は散々伺っていましたよ」
「どんな噂か知りませんが、五年前のイメージでしょう。軍人の五年は長い。歳をとった上に容色が衰えた私に、本気で声をかけてくる女性はいませんよ」
「そ、そんなことは……あるかなー……」
「女性の多い都に戻っても、もはや昔ほど声をかけてもらえない。なのに、こんな目の毒な場に立たされているんですよ。ここまで婚期が遅れて焦っているのに、上司も全く配慮してくれない。まさに、リア充爆発しろな気分でした」
吐き捨てるように言い放ち、舌打ちまでするパスズール様は、爽やかイケメン王子様のような清涼さはないけれど、荒んだ色気が漂っていて十分にエロいです。やっぱり服の前ははだけましょう。退廃的な男の魅力に酔えると思いますよ。
……しかしですよ。こんな素敵な騎士様でも、リア充爆発しろと唱えたくなるなんて。この世界は実に恐ろしいところです。しみじみとそう思いました。
広間に、また音楽が鳴り響き始めました。
集う男女が若さ全開で笑いあい、手を握り合い、腕を組んで飛び跳ねます。みなさんお若いから、ゆったりした曲より、こういう軽やかで楽しくてアップテンポなダンスが楽しそうですね。
ドレスの裾を踏んでしまって、きゃっとか言いながら相手にすがりつくなんて、何ですかその高度なテクニックは。
他のカップルにぶつからないようにとか言いながら、男性が細い腰をぐいっと引き寄せたりするのも、急にワイルドに見えてときめくでしょうね。
…………。
何でしょう。今すごくイラっときましたよ?
「……リア充爆発しろ……」
「…………ちっ」
私の低いつぶやきは、苛立たしそうな舌打ちとぴったりあってしまいました。
驚いて目を上げると、黒髪に金髪メッシュな色気だだ漏れ騎士様と目が合いました。
視線が合うと、お互いの心の叫びを読み取ってしまいます。
ああ、彼は同志ですね。
リア充っぽいお姿ではありますが、魂のレベルでは同志です。間違いありません。外見に騙されていましたが、パスズール様は魂の双子、非モテ道の同志です。
私たちは、ごく自然に微笑みあっていました。
言葉なんて必要ありません。
つまらない呪詛も必要ありません。
私はぐいっと右手を差し出しました。差し出してから、この世界の騎士様に握手の風習はあっただろうかと心の中で首を傾げました。
しかし、魂の双子である騎士様は戸惑う様子もなく、満面の笑みのまま私の右手を握りました。同志の握手を実現し、私はいつになく高揚していました。今なら、目の前でキスする若者を見ても穏やかに見守れる。そのくらいには高揚していました。
だからたぶん、反応が遅れたのだと思います。
パスズール様は、同志の握手の後に……私の手の甲に口付けをしました。
こ、これはどういう意味なのでしょう。
「あの、パスズール様?」
「来週絶対に飲みましょう。約束ですよ」
「あー、えーっと、では他にもそこそこ若い女性を何人か呼びましょうか」
いわゆる合コンのセッティングですね。
虚をつかれたのか、騎士様は一瞬だけ目を見開きましたが、すぐにまた面白そうに笑いました。
「ではこちらも、活きのいい男を呼んでおきましょう。でも、あなたは私の隣に座ってください。あなたと一緒でなければ楽しく妬めない」
「何ですかそれは」
「飲む場所は、若い男女が多い場所にしましょう。同行者たちも気合が入るでしょうし、我々も心ゆくまでリア充を呪い妬むことができますから」
「なるほど。自虐的な観察会も兼ねるわけですか。悪趣味ですね。でも了解しました」
私がうなずくと、パスズール様はふっと微笑みました。
何ですか、そのけしからん笑みは。
一瞬、膝から力が抜けそうになったではありませんか。エロさは暴力ですね。
何とか立ち続ける私に、騎士様はもう一度手への口付けを強行し、姿勢と視線を元に戻しました。
直立不動の第四師団の騎士様の横顔は、それはそれは凛々しく官能的でありました。