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番外編4 異世界の旅行事情(前)


 華やかな舞踏会の翌日。

 心地よい夢の続きのように目を覚ました私は、起き上がろうとして強烈な体の痛みに呻き声をあげてしまいました。

 全身がピキピキします。

 腕も足も首も肩も腹も背中も、体のすべての部分が痛みを訴えていました。

 見事な筋肉痛です。

 日本にいた頃、翌日に痛みが来るのは若い証拠だと言われていました。この世界でのオバサン扱いにすっかり慣れていましたが、実はまだ二十五歳ですからね。私ってまだ若かったんだ……としんみりしてしまいます。


 でも、そんな感慨も一瞬で消え去りました。

 単純に動けません。ちょっと動くだけで悲鳴をあげたくなる痛みです。

 なんとかベッドから這い出て床に足をつけましたが、その後が続きません。椅子にすがりついた姿で動けなくなってしまいました。


 昨夜はそのまま倒れこんでしまったので、まず着替えをしたいです。

 冷や汗で汚れた体も洗いたい……いやせめて顔だけでも洗えたら……!

 そう思うのに、お腹までぐうっと鳴り始めました。

 頭がぐらぐらするのは魔法をつかった後遺症と思っていましたが、どうやら空腹のせいでもあるようです。

 どうしよう。

 ご飯……着替え……できればお風呂……!



 何とか立ち上がろうともがいていると、扉を叩く音がしました。痛む首を動かすと、中途半端に積み上がった荷物の向こうから優しげな声がしました。


「ミサコさん。もう起きている?」

「ミ、ミルエさん……助けてください……!」

「え? どうしたの!」


 ミルエさんが慌てて入ってきました。

 ああ、鍵をかけずに寝ていた昨夜の私をほめてあげたい。

 セキュリティー上どうかと思いますが、おかげでミルエさんはすぐに助けにきてくれました。

 入ってきて立ちすくんだのは、乱雑に積み上がった荷物のせいでしょうか。それとも予想以上に片付けが進んでいないせいでしょうか。

 しかしミルエさんは、優秀なお女中さんです。すぐに部屋の惨状から目を離し、床にしゃがみこんでいる私を見つけてくれました。



「大丈夫? 気分が悪いの?」

「いえ……筋肉痛と空腹で……」

「ああ、そうなのね。とりあえず椅子に座って待っていて。すぐに戻ってくるから」


 ミルエさんは私に肩を貸してくれました。

 ふらふらと立ち上がったときに柔らかいお胸に触れてしまいましたが、極上の感触にうっとりする余裕もありません。

 やっと椅子に座ると、ミルエさんはテーブルに水を用意してくれて、それからパタパタと部屋の外へ出ていきました。

 すぐ戻るという言葉通り、震える手で水をすすっている間に戻ってきてくれました。

 朝食をのせたお盆を持ってきています。

 部屋中に美味しそうな匂いが広がって、お腹がぎゅるっと鳴りました。



 力の入らない手にスプーンを握り込み、私は食べ物をお腹に入れていきました。

 甘味を加えたたっぷりのお粥に、野菜を煮込んだスープ。

 蒸した鳥の胸肉にぴりっと辛いタレをつけたものも、林檎サイズの巨大イチゴもありました。

 朝から超ご馳走です。

 普段なら甘いお粥は苦手で、甘みを加えないまま食べているのですが、今朝はその甘さが心地よくてものすごい勢いで食べ続けました。

 その間に、ミルエさんはお風呂の準備をしてくれて、重くなったお腹と筋肉痛の全身を引きずりながら汗を流すこともできました。


 こういう時、しみじみとお嫁さんが欲しいと思います。

 恵まれた境遇の私がそう思うのですから、この世界の男性がそう思って婚活に勤しむのは当然ですね。



 お風呂上がりにだらんと椅子に座り込んでいると、いつの間にか食事の片付けまでしてくれたミルエさんがため息をつきました。

 うわ、呆れられてしまいました?

 この世界の大切なお友達なのに、嫌われてしまったら超孤独になりますよ!

 筋肉痛の中で焦っていると、ミルエさんが向かいに置いた椅子に座りました。


「あのね……お話があるの」

「な、なんでしょうか」

「さっき厨房に行く途中で、副所長様に会ったの」


 嫌みなほど頭が冴えていて、びっくりするほど超美人な奥様がいるあの副所長様のことですか?

 都の一等地にマイホームをお持ちのエリート様が、こんな独身寮のような宿舎に何の用があるのでしょうか。

 つい首を傾げてしまって激痛に苦しんでいると、ミルエさんがまたため息をつきました。


「私も一応知っていたけれど、副所長様が動くくらいに大変なことになっているみたいなの」

「……何がですか?」

「王宮で噂が……ミサコさんのことで……」

「…………私、どういう極悪非道な人になっているんでしょうか」

「悪女よ。カナイジェ様とパスズール様のお二人と踊ったでしょう? カナイジェ様が人気があるのは知っていたけれど、パスズール様もまだすごく人気があったみたいよ。それなのにあなたが独占して、パスズール様とさっさといなくなって……だから、その……」



 ミルエさんは何度もためらいながら、恐ろしい話をしてくれました。

 ええ、私は究極の悪女になったようです。


 いわく。

 魔女クヤマ・ミサコは、第四師団の騎士パスズール・アシュガ様と近衛騎士カナイジェ・ナリノ様、王国が誇る二人のイケメン騎士様を手玉にとった悪女である。


 さらに。

 とあるお貴族の奥方様が呪詛を専門とする民間魔法使いを雇った。

 別の奥様が暗殺者を探しているらしい。

 やんごとないご令嬢がカナイジェ家と敵対する貴族に悪巧みを提案し、それを宰相閣下が謀略で封じた。

 ……そんなオマケ話までついていました。



 すごいですよね。

 彼氏いない歴=年齢の喪女で、この世界では行き遅れのオバサンだった私が。

 悪女だそうですよ。喪女から魔女になっただけでもびっくりなのに、さらに悪女への華麗なる転身ですよ。

 これは笑うしかないですよね。

 笑うと腹筋が痛いのですが、それでも笑うしかありません。


 あまりにも影響力のあるお貴族様方が関わる噂なので、副所長様は私に謹慎を申しつけに来たらしいです。

 実験はもういいから、都のお偉い様方を刺激するな、何かあるときは広い国境でやってくれ、だそうです。

 うん、ちょうどよかったですよね。

 これで今日一日、部屋の片付けと荷造りに専念できますからね!

 ……全然嬉しくないのは、きっと私の心が狭いからでしょう。



 こうして、強制的な荷造りデーが始まりました。

 もちろん主戦力はミルエさんです。

 筋肉痛で動きの鈍い私がもたもたしている間に、どんどん片付けていってくれます。あまりに手慣れているので、この世界にも引越業者の荷造りパートなどのお仕事があるのだろうかと考えましたよ。

 ……でも、真相はちょっと想像とは違いました。


「へ、へぇ……。ミルエさんって荷造りに慣れているなと思ったら、結婚に備えてもう家を片付けているからなんですか」

「まだ婚約中だけど、マルゴはいつも私の家に寄ってくれるのよ。男手がなくて不便なこともあったから、本当に助かっているわ」

「そ、それはよかったですねー」

「だから、彼専用の部屋も早めに準備してもいいかなって母とも話し合っていてね、結婚しても彼の部屋はあっていいと思うの」

「それはいいですねー」


 私の返事がおざなりになっても、仕方がありませんよね。

 熱愛婚約中のミルエさんって、幼馴染さん関係になると何を話しても惚気になるのでお腹いっぱいです……。

 でもそんな風に惚気ながらも、手は私の倍以上のスピードで片付けをしているんですから、本職のお女中さんってすごいですね。

 この調子なら、今日中に部屋の片付けが全て終わるかもしれませんね。

 ……昨日の後遺症で朝から頭がぼーっとしていて、体中が筋肉痛で、はっきり言って戦力にならないからミルエさんに来てもらって本当に助かりました。



「ねえ、それよりミサコさんの方はどうなの?」

「……どう、とは?」

「昨日の舞踏会、途中で二人で抜けたんでしょう? どうだったの?」

「えーっと、靴を脱がせてもらいました」

「靴を! そ、それで?」

「その後、馬に乗せていただいて、都の名所巡りをしました」

「素敵じゃない! それから?」

「それから……宿舎に戻って、入り口前でお別れしました」

「……それだけ?」

「それだけです」


 それが全てです。

 私にとっては夢のようなひとときだったんですが、ミルエさんはなんだか微妙な表情になってしまいました。

 どうしたのでしょうか。

 もしかして……この世界の常識から外れたことをしたのでしょうか?

 おそるおそる尋ねると、ミルエさんはもっと微妙な顔をしました。


「……うーん、私が言うのもあれだけど、ミサコさんはパスズール様と一緒に、しばらく前線赴任なんでしょう?」

「一緒と言っても十キロ離れていますね。それでたぶん数年は向こうに……。あ、でもミルエさんの結婚式には絶対戻って来たい……のですが、無理かもしれませんね……」

「あ、あら。私たちはまだ婚約したばっかりだし、結婚はもうちょっと先よ」

「もうちょっと先なら大丈夫かな。大丈夫だといいですよね……」

「そうね……」


 私たちは、ふぅっとため息をつきました。

 でもすぐに作業を再開します。ミルエさんのおかげで、一気に荷造りが進みました。

 必要なもの以外は、まだ新しい物ばかりということで人に譲ることにしました。エリートと言われることもある魔道研究所ですが、下っ端は都の物価とか必要経費なんかを考えると、わりと薄給ですからね。



 片付けが終わった部屋は、なんだか広く感じました。

 半年足らずとはいえ、お世話になった部屋です。ほのかに感傷的な気分になりますね。


 しんみりしながら掃除をしていると、所長様から荷物が届きました。

 ついていたメモによると、研究所に届いた贈り物だそうです。

 ……怖いですよね。匿名の贈り物なんて。

 しかも昨日の今日ですよ。赴任の餞別ならこのタイミングではないはずです。

 と言うことは……カナイジェ様ファンからですよね……。パスズール様関係のピークは一週間前でしたから。


 うん……怖すぎて開けたくありません。

 正直言って置いていきたいです。

 でも所長様曰く、ナマモノかどうかだけは確かめているから、広い場所に持って行って処分するように、だそうです。


 ……ヒラ魔法使いとして、もちろんご命令に従いますよ。

 でも運搬中に何かあっても恐いですから、魔法でいくらでも入る箱を作ってそこに放り込みました。重さもなくなる特典付き。もちろん内部で何かあっても外には漏れ出しません。

 けっこう魔力がたくさん抜けて行きましたが、どうせ筋肉痛で動けないし大丈夫でしょう。

 これで移動時に迷惑をおかけすることはないと思いますが……呪術道具の処分ってどうやるんでしょうねぇ……。



 こうして、半年近くに及んだ私の都の滞在は終わりました。

 片付けが全て引越に間に合いましたから、悪女へのジョブチェンジも結果としてはよかったのかもしれません。

 さようなら、都の日々よ。

 最後に、名物料理を食べ歩きたかったです……。




 都を出発し、馬車に揺られて五日目くらい。

 日数的に考えて、私はたぶん国境に近いところにいます。

 ……なぜあやふやなのかと言いますと、実は私、ずっと寝ているからなんですね。


 こんな長旅は初めてですが、都の魔道研究所にいる時から、ちょこちょこ馬車旅行はしていました。だいたい一日で着く範囲でしたが、それなりに馬車には慣れています。

 ですから、前線へ向かうにあたり、私は準備を怠りませんでした。

 乗り物酔いの薬は毎日作って飲んでいます。

 馬車にも揺れが少なくなる魔法をかけました。

 揺れを吸収する座布団も作りました。

 ちょっと量が多い私の荷物には、重さを軽減するという文字を書き込みました。

 私の文字魔法を思いつく限りのことに使い、なかなか乗り心地のいい馬車になっています。


 でも、当然代償はあるわけでして。

 色々なものに魔法をかけ、それが連日のためにかなり魔力を消費しているようです。乗り物酔いの薬の副作用でもあるかもしれませんが、馬車に揺られている間、私はほとんどずっと寝ていました。



 残念です。

 風景が変わって行く様子も楽しんで見たかったのですが。

 なのに、朝馬車に乗ると昼の休憩まで爆睡。

 昼休憩の後に馬車に乗ると、またすぐに爆睡して宿に到着したと起こされる。

 もちろん、宿でも夜は爆睡。


 眠りすぎです。

 お肌には良さそうですが、赤ちゃん並みですね。



 昼食の後の休憩の時に私がため息をついていると、すぐ後ろで笑い声が聞こえました。慌てて振り返るとパスズール様がいつの間にか来ていて、目をそらして笑っていました。

 少し離れたところにいる騎士様方も、あらぬ方向に目をやっていました。

 ……どうやら、まだ私は半覚醒状態のようです。

 心の中で思っていたはずなのに、独り言になっていたと思われます。それもかなり大きな声で。


 は、ははは、軽く気を失いたい気分ですね……。

 いたたまれなくなった私が目を彷徨わせていると、パスズール様は咳払いをして、笑いを堪えてくれました。


「失礼しました。お疲れなのかと心配でしたが、思ったよりお元気そうだ」

「え、ええ、まあ、一応元気ですよ。ちょっと魔力が抜けて行き過ぎるだけです。体力的には元気いっぱいなんです」

「魔力疲労でしょうか? それだけなら安心でしょうか。……少し残念ではありますが」

「残念ですか?」

「残念ですよ。あなたを看護したり、あなたの休憩のためと称して一日ゆっくりしたりしてみたかったのですが」

「……えっ?」

「順調すぎて、今日中に前線の村につきます」

「えっ、もう着くんですか!」



 この馬車旅行が終わるのは、正直嬉しいと思いました。

 ……その一方で、何も見る間もなく到着してしまう現実に打ちひしがれてしまいそうです。寝てばっかりだった私が悪いと思いつつ、先ほどとは違うため息が漏れてしまいました。


 ああ、そういえば修学旅行がこんな感じでした。

 乗り物酔いをしやすい私は、バスでの移動中は酔い止め薬の効力で寝ているか、吐き気に耐えているかのどちらかでした。おかげで、美しい景勝地を見たはずなのに記憶がほとんどないという、なんとも悲しいイベントで終わりました。


 密かに複雑な郷愁に浸っている私を見て、パスズール様は何か考えているようでした。

 それから出発の準備を始めた騎士の一人を呼び、何か小声で話し合っています。

 やがて、その騎士は私の方をちらりと見ました。そしてパスズール様に礼をして、他の一行の皆様方のところへ戻って行きました。

 ……今、あの騎士様が舌打ちした気がしましたが、幻聴でしょうか。

 

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