番外編1 異世界の引越事情(前)
この話は蛇足的な番外編です。
内容は本編の続きとなっていますので、本編読了後に読んでいただければ幸いです。
私が公衆の面前で暴走してから、一週間が経ちました。
……ええ、あの時の私は正気ではなかったとしみじみと思います。
だってですよ。
置いて行くなと言って、ハイわかりましたと応じられたらどうなるか、全く考えていなかったんですからね。だいたい、立派なお勤めをするために任地に戻る騎士様に、何を言ってるんだって話ですよ。
でもお優しいパスズール様は、一緒に行こうと言ってくれました。
本当にお優しいですよね。姿はあんなにエロいのに、どちらかと言えば硬派ですし。
パスズール様の事を考えると、生まれて初めて知るような、とても穏やかな気分になってしまいます。これからもあの方とお酒を汲み交わせるんだなと思うと、心がほんわりと暖かくなったりするんです。
……な、なんだか柄にもないですよね。
とにかく私は、のぼせてふわふわした状態のまま、正式に従軍魔法使いの辞令を受けました。
従軍と言うくらいですから、任地は最前線です。
辞令を受けた時に説明してもらいましたが、従軍魔法使いというものは、よっぽどのことがない限り解任はないようです。つまり、私を指名したパスズール様が前線にいる間は、自動的に私も前線近くに待機していることになるのでしょうか。
実戦向きではない私が、従軍なんてしていいんだろうかと今更ながら悩みましたが、砦には本職の男性武闘派魔法使いもいるそうです。
それに、私にも最終手段的な無差別防御魔法は可能ですから、気にしないようにしました。はい。
……それよりも、もっと目前に迫った問題があります。
普通に務めても数年間は都から離れることになるので、魔道研究所の宿舎は引き払わなければいけないと言われてしまいました。
私が住んでいた部屋は、出発の日までに明け渡さなければいけません。もちろん部屋は空の状態にしなければいけませんし、お掃除も完了しておく必要があるようです。
つまり、辞令を正式に受けてしまったということは、一週間ちょっとで引越準備を終えなければいけないってことなんです。
……引越ですよ、引越。
全部荷物をまとめて、片付けて、持って行くんです。
何の心構えもできていなかった状態から一週間なんて、かなりのむちゃ振りだと思います。
でもまだ都の宿舎に居着いて半年くらいだから、片付けなければいけない荷物は少ないのは救いでした。
それでも一部屋分、みっちりありますけどね。世話好きな人からいろいろもらって、結構押入れはぐちゃぐちゃだったりしますけれどね……。
情けないことに、私が引越という揺るぎない現実に気がついたのは、辞令を受けとってからでした。
後先考えずに、置いていかないでとか言ったのは誰ですか。
従軍魔法使いになる!なんて言い放ったのは、いったい誰ですか。
……私ですね。バカですね。全部私の責任です。
爆発なんて生ぬるい。一生洞窟にでも閉じこもっていろ!……って感じです。
……うん、まあ、決まったことを考えすぎても仕方がありません。
ただ前進あるのみです。
それに、やることは荷物整理だけではありません。
研究所のお仕事も片付けるよう命じられました。おかげで毎日毎日、朝から日が暮れるまでひたすら文字魔法を試しています。……もうぐったりです。
しかしそれだけで飽き足らず、副所長様は国境近くの広い土地に目をつけて、夏休みの宿題の拡大版と言いたくなるような、文字魔法実験計画を立てているのです。
副所長様の机の上に、どんどん計画書らしき紙が積み上がっていくのですが、私としてはあれは幻と信じたい気分です。
それに時々、クヤマだけでは心許ないなとか、ついでに俺も行くか……とかつぶやいていたのも、きっと気のせいだと信じています。嘘みたいに超美人な奥様が泣きますからやめましょう。私も泣いてしまいます。
だって、ターゲットが私だけの状態になるなんて、怖すぎますからねっ!
そんな風に忙しい一週間を過ごしていて。
パスズール様ともあの副師団長就任式以来お会いしていないくらい忙しくて、げっそり痩せてしまいそうなのに。
……どうして私は、舞踏会なんてものに出席しているんでしょうか。
何度ため息をついても、目の前の光景はやっぱり舞踏会でした。
それも国王様主催の、超華やかなものです。
学生時代はひたすら地味で、社会人になっても喪女まっしぐらで、貯金通帳が心の恋人と言うか最後の憩いだった私です。はっきり言って落ち着きません。これなら若い男女のためのイチャラブ舞踏会で警備をやっている方が気が楽でした。
そもそも、このひときわ華やかな場に魔道研究所の制服姿でいるのです。いくら正装と言っても、ヒラ魔法使いの制服で浮くなという方が無理ですよね……。
しかもですよ。
私が会場入りすると、あっという間に視線が集まってしまったんです。地味すぎる制服のせいだけではありません。
忙しさで忘れたふりをしていましたけれど、私って公衆の面前でとんでもないことを言っちゃったバカなんですよね。
そりゃあ、あっちこっちで指差されてコソコソ言われますよね。
あの時は驚いたとか素晴らしかったとか、年齢は関係ないと知って感動したとか、幾つになっても情熱は悪くないがとか、知り合いはもちろん初対面の人まで、すれ違う人からいろいろ話しかけられて顔から火が出そうでした。
……過去の私に会えるのなら、声を大にして叫びたい。
頼むから場所は選ぼうよっ!
そんな冷や汗ものの状況でも……好奇心はまだ好意的だったとすぐに思い知ることになりました。
はあぁ……とまたため息が出てしまいました。
でもいくらため息をついても、好奇心とは違う殺気は和らいでくれません。私はもう一度無駄なため息をついて、そっと目を横に向けました。
そこにはなぜか、金髪の似非王子様が立っています。
本物の王子様より王子様らしい近衛騎士のカナイジェ・ナリノ様が、どうして私のすぐ横にいて飲み物を勧めてくれるのでしょうか。
確かにですね、喪女な私も、こういう舞踏会でキラキラ王子様にエスコートされたり……なんて密かに夢見たことはありましたよ?
でも、実際にキラキラ似非王子様にぴったりエスコートされてみて、現実を嫌というほど思い知りました。
人前で身分不相応な相手に尽くしてもらうなんて、針のむしろにダイブするって意味でした。現実はいつも妄想より過酷です。
「……カナイジェ様。どうか私に構わず、あちらのお綺麗なお嬢さま方と踊って来てください」
「残念だけど踊る相手を不幸にはしたくないよ。僕にできるのは、向こうでイチャイチャしている若いカップルの仲を軽く引き裂くくらいだ」
「……その屈折ぶり、いつか刺されませんか?」
「そういう緊張感も込みで楽しむものさ。ああでも、魔女殿は今一番の話題の人だから、一人になった途端に怖い貴族様に囲まれてしまうから気をつけて。今夜はアシュガに番犬業を頼まれているんだよ」
ああ、そうだったんですか。
所長様に、任地出発前の壮行会も兼ねているからと無理やり出席させられて。一人でひっそり壁に張り付いていようとしていたのに、突然カナイジェ様がやって来ていろいろ世話を焼いてくれるから、いったい何事かと思っていましたよ。
……絶対に新手の嫌がらせと思ったのは秘密です。
でも、うーん……。
前も思ったのですが、パスズール様って過保護というか、絶対に人選を間違えていると思います。
この近衛騎士様がそばにいる方が身の危険を感じるんですが、気のせいなのでしょうか。それに今日のカナイジェ様は、ちょっとご機嫌悪いような気がします。
「あの、何か嫌なことでもありましたか?」
「嫌なことだらけだね。若い子たちは相変わらずカップルが目障りだし、今日だけは魔女殿の方が僕より話題になっているし、アシュガは僕を番犬替わりにするし。ちょっとくらいあなたを利用させてもらってもいいと思うだろう?」
「り、利用って言いましても、私は善良で役立たずな下っ端魔法使いでしかないんですが」
「ご謙遜を。間違いなく今夜の話題の人はあなただよ。だから、ちょっとくらい話題が増えても困らないと思うんだよね」
何だか、物騒な雰囲気がぷんぷんしてきました。
私の本能は逃亡を推奨しています。
でも、そんなことは不可能です。目の前の近衛騎士様、笑っているのに目が怖いんです。
お貴族様ってこういう表情をよくするんですよね。カナイジェ様もかなり高位の貴族出身のようですから、極上の微笑みと酷薄な目が同時成立してしまうようです。
……遠くから眺めているには眼福ですが、当事者としては不吉な予感しかしません。この騎士様、一応非モテの同志でありながら最強の屈折率を誇る似非王子さまですからね!
そんな状況で、カナイジェ様はダメ押しのようににっこりと笑いかけて来ました。
「僕に手を貸してくれるよね?」
「じょ、上司様方に叱られない範囲のことでしたら」
「それは大丈夫。ただ、アシュガには叱られるかもしれないね。まあその時は、魔女殿なら甘え顏で謝ればいいから」
……すみません。どういう状況を想定しているのでしょうか。
首を傾げましたが、この方と二人きりの状況での沈黙ってなんだか息が詰まる気がして、前々から気になっていたことを尋ねてみました。
「あ、あの! カナイジェ様はパスズール様とは仲がよろしいのですか?」
「仲は……良くはないかな。でも付き合いは長いよ。カナイジェ家は宰相家とは長年の敵対関係にあるからね」
「……敵対関係ですか」
「そう。でも表面上は家同士で仲良くやっているから、子供同士でもよく遊んだよ。アシュガの方が年上だけどね。だから一応、アシュガの家族のことも知っている。だからこそ、アシュガは僕を番犬に任命したんだよ」
敵対関係だけど、表面上は仲良くしているというのはわかりました。
でもそれが、どうして番犬に結びつくのでしょうか?
「あの、よくわからないんですが……?」
「つまりね、僕と一緒にいれば口煩いご婦人方もアシュガの親族も近づかないってことだよ。ほら、僕ってある意味で女性除けの効果があるだろう? チェックの厳しい宰相閣下も、僕とはあまり言葉を交わそうとしないから近づいてこないよ。ああ、宰相閣下と懇意になってみたいのなら、少し離れておこうか?」
「……いえ、やっぱりご一緒させてください」
宰相閣下のあの冷ややかな目つきは素敵ですが、腹黒鬼畜系なおじさまに笑顔でいたぶられて喜ぶ趣味はありません。
だからきっと、お近づきになれてもあんまり幸せにはなれないと確信できます……。
「では一緒にいようね。ついでだから踊ろうか。スリリングな視線をいっぱい受けて、きっと楽しいと思うよ」
「いやいや、それは楽しくないです」
「遠慮しないで。どうせあなたはアシュガと国境に行くんだ。都で恨みを買っても、前線にまで手を伸ばしてくることはないから大丈夫だよ」
「……いや、ちょっと待ってください。その理論だと、私は都では生きていけなくなるってことでは……」
「僕と魔女殿が噂になれば、怖いご婦人方はあなたしか見なくなる。でもアシュガの庇護下だから手は下せない。そんな風にぎりぎりしている間は、僕への監視が少し緩むと思わないかい?」
うん、なるほど、素晴らしいです。
さすがカナイジェ様。完璧な計画ですね。
……でも、どうして生け贄が私なんでしょうか?
私もこの世界の常識は少し理解していますよ。十代の若い男女なら微笑ましくて問題のない舞踏会も、オジサンオバサンの年齢になってくると、踊る相手をいろいろ勘ぐられてしまうんですよね。
もちろん私はオバサンです。
カナイジェ様も、実はオジサンな年齢の特級イケメン様。
……絶対マズイです。
断言します。絶対に危険です……!
「い、いやあ残念ですが、私って全然踊れないんですよ! 今まで必要なかったですからね! それにこんな格好ですし!」
「あら、制服で踊るのも素敵だと思うわよ?」
怖い会話に割って入って来たのは、所長様です。
今夜も胸元にスパーンと切り込みが入ったドレスがセクシーです。大人の色気ですね。あのお顔と体形で、本当はお幾つなんでしょうか……。
「ミサコちゃん。踊りが上手になる靴を作ってみたいと思わない?」
踊りが上手になる靴、ですか?
その靴を履くと、途端に上手に踊れるようになるってことでしょうか。
それは便利ですね。私みたいに全く踊りの素養のない人間が、いきなり華麗に踊れちゃったりするとカッコいいですよね!
……いや、まてよ。
もしかして……それは赤い靴ってやつでは……。
昔話だか童話だか忘れましたが、なんかそう言うお話がありました。
異人さんに連れられて何処かへ行っちゃう歌も怖いですが、どうしても脱げなくて踊りをやめられなくなって、足ごと切り落としてしまう超怖い話だった気がします。
私の慄きに気付いているでしょうに、所長様は真っ赤な長い爪を顎に当てながら妖艶に微笑んで言葉を続けました。
「どんな踊りも軽やかにできる、音楽が止めば踊りは止まる、皮が向けたりマメができたり血が出たら終了。こんな感じなら大丈夫じゃないかしら?」
「……所長様が試してくれるってことでしょうか?」
「いやね、あなたに決まっているじゃない。私は踊れるんだもの」
た、確かにそうですよね。ははははは……。
それに、実験はまず自分でやってみるのが鉄則でした。
でも赤い靴エンドはイヤです。所長様の考えてくれた条件以外にも、他に付け加えるべき条件はないでしょうか。
慎重にゆっくり考えてみたかったのですが、所長様とカナイジェ様の視線が急げと追い立ててきます。
無言の圧力に負けて、私は靴を脱いで文字を書き入れていきました。
カナイジェ様が椅子を用意してくれたので、作業は非常に快適です。……泣きたい。もっとゆっくり時間をかけたかった……。
失敗すれば、最悪赤い靴エンドです。
中途半端に失敗しても、見苦しい姿を衆目に晒してしまいます。
それはまあ、私も半年ほど魔道研究所の一員をやっていますからね。完璧に成功すると、きっと嬉しくなると思いますよ。
でもますます注目を集めてしまって、カナイジェ様ファンの女性陣から背後から刺されてしまう可能性があるような……というより、そういう未来になる可能性が濃厚と言うか。
ああ、こんなときにパスズール様はどこにいらっしゃるのでしょう。
すうっと体内から魔力が抜けて行くのを感じながら、この大広間のどこかにいらっしゃるであろう騎士様に思いを馳せたのでありました……。




