11 異世界のモテ期は微妙でした(2)
普段の私は、文字魔法でこの国の言語を理解できるようにしています。
ですから、魔法が使えることを悟ってからは意思疎通に苦労したことはありません。
でも、気づいたんですよね……。
私が書く日本語は、そのつもりがなくてもなんらかの魔法効果を持ってしまうことを。
それを確信したのは、今朝のことでした。
ええ、爽やかな朝のひと時に、中高年な父君とのお見合いをセッティングされそうになったあの事件です。この世界のモテ期は私の嗜好と相容れないと思い知ることになりましたが、もう一つ気付いたこともありました。
私、数日前に無意識にやらかしていたんです。
文字魔法用に、漢字が思い出せなくていろいろ書いたりするメモ用ノートに書いていたんです。
……「モテ期来い!」と。
来ましたね。
超びっくりな勢いで、モテ期でした。
ここ数日、虫にたかられていたのはそのためでした。
ネズミが私の部屋を走り回っていたのは、隣の部屋が大掃除をしたために行き場を失っただけではなかったのです。
魔法使いの制服に、やたらめったら植物の葉やら種やらがくっついてくるなぁと困っていたんですけどね。でも、食堂のお婆ちゃんがこっそりおまけの飴玉をつけてくれたのは嬉しかったな。
ということで、今朝の渋い紳士が声をかけてくれたのもそれだったと思われます。
……どうして普通に効かないんでしょうか。いやそれより、あんな漠然とした願望なのに、どうして効果が出てしまったのでしょうか。強い思念は……あったかもしれませんが、魔力を込めたつもりはないのになぁ。
無意識に書き散らしてしまった私が一番悪いんでしょうけれど、うーん……。
でも、これではっきりしました。
この世界では、必要以上に日本語を書いてはいけないんです。そのつもりがなくても魔力を帯びてしまう危険があることを覚悟していなければいけないのです。
正直言って、困ったことになったと思いましたね。
だって、気楽なメモができないんですよ。
ちょっと書いただけでも、もしかしたらそれが魔法となってしまうかもしれないんです。気楽に人様の名前なんか書いてしまったら、いきなり呪いとかになったら一大事です。下手をすれば本当に首が飛びます。
これは早急に何とかしなければいけません。私、メモなしでやっていけるほど頭脳明晰ではありませんからね。
こういう事情となりましたので、急遽この国の文字のお勉強開始です。
魔法が効いている時は、何を見ても意味が簡単にわかっていた私ですから、まずは文字の形を覚えることから始まります。それで人名がずらりと並んでいる紳士録なんて眺めてみたのですが……。
うん、全くわかりません。
何が何だかさっぱりですね。
これでは話にならないので、一度魔法首飾りを首に戻して、知っている名前を探してみました。
まずは……ああ、所長様と副所長様の名前を発見しました。
持って来ていた手作り付箋でそこに印をつけます。それから首飾りを外してもう一度付箋をつけたお名前を見てみました。
全く読めませんが、とりあえず所長様のお名前らしき文字を書き写してみました。副所長様のお名前も写してみました。
確認としてもう一度首飾りをかけて、なんとか読める範囲の文字で書けたことを確認してみます。魔法を使っても、かなり拙くて汚い文字とわかりますが、まあいいことにしましょう。
あとは、書きなれるだけです。
この国の言葉ならたぶん、変な魔法が発動したりしないとは思いますが、所長様と副所長様なら、万が一魔法やら呪いやらが発動してしまっても大丈夫でしょうから、私も心ゆくまで文字の練習をできますね。
ついでに、魔法の首飾りを外していますから、周囲のささやき声も理解できなくなるので快適です。目を向けなければ、学生たちのお勉強デートも見えませんからね。
……実は向こうの机やあちらの机などでは、若々しくて知的な男女がそっと手を握り合ったり、机の下で足を蹴り合ったり絡ませあったり、ノートを二人で覗き込むふりしてキスしたり、いろいろやっていらっしゃるんですよね。
人が珍しく本気で勉強しているときに、邪魔しないでいただきたいものです。
ええ、完璧に僻みと妬みと八つ当たりですけどね。けっ。
私は意地になって、がりがりと上司たちの名前を書き続けました。
どれくらい時間がたったでしょうか。
所長様と副所長様から始めて、魔道研究所の中でそう簡単に死にそうにないツワモノ方の名前をがりがり書いていると、すぐ近くで名前を呼ばれたような気がしました。
気のせいかと思いましたが、何度も私の名前が聞こえます。
何事かと顔を上げると、不審そうな顔の騎士様がいらっしゃいました。
目が合うと、何かいいながら礼をしています。でも何を言っているのかさっぱりわからないのは気のせいでしょうか。
「あ、パスズール様でしたか」
私がそう言うと、騎士様は変な顔をしました。
それでようやく首飾りを外したままだったことを思い出し、急いで首にかけました。
「失礼しました。魔道具を外しているのを忘れていました」
「そうだったのですか。急に言葉が通じなくなって驚いてしまいましたよ」
第四師団のマントを身につけた騎士様は、金色メッシュ入り黒髪を手でかきあげました。今日は肌ツヤがいいようです。そう言えばここ数日、不毛な舞踏会などはありませんからね。ヒゲもきれいに剃っているせいか、心身共に充実しているように見えました。
実に健康的なエロさです。素晴らしいですね。
「魔女殿の上司から、手紙を預かっています」
「それはありがとうございます」
二つ折りしただけの、メモのような手紙を受け取り目を通します。
首飾りがあるので、男性的な力強い文字で何と綴られているか簡単に分かりました。
相変わらず、所長様は妖艶な外見にあわない男前な字ですね。
内容も実に男前です。
気に入ったボウヤを見つけたからこのまま外泊する、あとはよろしく、だそうですよ。王宮で何をしていらっしゃるんでしょうね。もしかして、今日の王宮訪問はそっちが目的でしたか? 荷物持ちに私を連れてきたのも偽装だったりしますか?
……うん。ちょっと日本語でお名前を書いてみてもいいかな、なんて思ってしまいました。
「何か難しい指示でも?」
「いえ、好きなときに帰っていいようです。あの方は年齢に関係なくもてますね」
「ああ……あの方らしいことで」
どうやら我が上司様の肉食っぷりは有名なようです。
まあ、あの外見ならそう思いますよね。
そんなことを考えていると、騎士様は私の手元を覗き込みながら首を傾げました。
「失礼ながら……それもお仕事でしょうか?」
「あ、いえ違います。文字の練習をしているんですよ。私、実は文字の読み書きってできないんです」
「しかし……今も手紙を読んでいたようですが」
「魔道具のおかげです。この首飾りが……」
「魔女殿、具体的なことは伏せた方がよいかと」
私の言葉をやんわりとさえぎり、パスズール様はさっと周囲に目を向けます。
そういえば、私って国家兵器でしたか。実態は竹光もいいところですが、私の言語能力なんかも国家機密になるのでしょうか。
うーん、さすが騎士様です。
しがない喪女にはない視点を教えていただきました。
「それで、文字の練習でどうして所長方の名前を?」
「私が文字を書くことで、万が一魔法が発動してしまっても大丈夫そうな人の名前を書いています。ほら、私って文字魔法ですから……」
「異世界語だけかと思いましたが」
「万が一があります。……実は意図しないメモ書き程度で魔力を帯びてしまうことに気付いてしまったんですよ」
私は今朝の出来事から、意図せずモテ期を強制的に作っていたらしいことを話します。虫やネズミにもてていたことに及ぶと、なんか笑っていらっしゃいます。当然ですね。私だって笑いたいです。他人のことならば。
「まあ、そういうわけで文字の練習です。いちいち魔道具を外さなければいけないのが困ったところですが、とりあえずここの文字の形に慣れてみようかと思いまして」
「悪くはないと思いますよ。魔女殿は学習に慣れているようだから」
そう言うと、パスズール様は私の首飾りに手を伸ばし、流れるような動きで首から外してしまいました。
……えっ?ってくらい自然な動きです。人の首から首飾りを取るのに慣れているってどういうことですか?
これが色気の元ですか? やっぱりパスズール様ってもともとはリア充系の方ですね。喪女な私とはキャリアが違います。
かなり混乱している私に、パスズール様は爽やかな笑顔を向けました。
そして何か言いながらペンを手にノートに文字を書き連ねます。私が書いた所長様のお名前の横に、同じ文字を書いて行きます。しかし私が参考にした文字と少し形が違う気がします。
紳士録にある文字より、ちょっと崩し気味というか簡単というか……。
「あ、もしかして筆記体ってことですか?」
私が思わず言いますが、もちろんパスズール様にはわかりません。でも言いたいことは通じたようで、副所長様のお名前の横にも同じような簡単な文字を書いてくれました。
それを見ながら、たぶん一般的な筆記体を真似してみます。
確かに簡単で書きやすいです。これならミミズ文字から卒業できそうですね。
ぶつぶつ名前を口にしながら何度も繰り返すうちに、何となく法則が見えてきた気がします。パスズール様もどんどん書いてくれます。おかげで職場の上司方のお名前は全部書けるようになりました。
私、けっこうやるじゃない。
思わずそうニンマリしたとき、パスズール様はノートの空白に、初めて見る名前らしきものを書きました。
「あれ? これはどなたのお名前でしょうか」
ずっと下を見ていた私が顔を上げると、すぐそばにパスズール様のお顔がありました。いつの間にか椅子を持ってきて、横に座っていたようです。そう言えばそうですよね、ずっと文字を書いたり訂正したりしてくれていたのですから。
でも、私は完全に気付いていませんでした。
だから、目尻の浅いシワとか、額の薄い傷跡とか、顎に少し見え始めたヒゲとか、意外に長いまつ毛とか、そういうものがはっきり見えてしまって動揺してしまいました。
なのに、パスズール様は青い目で私を見つめながら笑うのです。
……あ、あれ?
なんだか心臓が……急に……挙動不審に……。
「パスズール・アシュガ」
パスズール様がはっきりとそう言いました。
そしてご自分の胸を手のひらでぽんと叩きます。そしてもう一度文字を指差しました。
これは、もしかして、パスズール様のお名前なのでは……。
「パスズール・アシュガ」
私を促すように、パスズール様はもう一度そう言いました。
「でも……パスズール様に万が一のことがあったら……」
そう言ってから、言葉が通じていないことを思い出します。
慌てて首飾りを探しましたが、その首飾りはまだパスズール様が握ったままでした。
しかたなく首を振りますが、パスズール様は許さないというようににっこりと笑ったまま、もう一度お名前を書いていきます。
困りました。
ここで断るのが正しいはずなのに、断れない空気があります。
それにそれに……お顔が近すぎてまともな判断ができないんですが……。
私は震える手でペンを握り直しました。
何度も息をつき、精神を集中させて魔法を完全に抑えていきます。
不安はありますが、でもパスズール様は立派な騎士様です。勝算のない賭けはきっとしないはずです。たぶん、だから、きっと、大丈夫と思いたい。
ゆっくり注意深く、お名前を書いていきました。
やはり、なんとなく法則が見えてきました。今までに知らなかった文字も入っていました。非常に勉強になります。
でも……これがパスズール様のお名前なんですね。
私はそっと目を上げました。
パスズール様に体調の変化はないように見えました。それどころか、とても嬉しそうな顔をしていらっしゃいます。私に名前を書かれてそんなに喜んでいただけるなんて光栄です。
光栄ですが……なんだか心臓が言うことを聞いてくれません。
パスズール様って本当に……本当にお優しい方ですね。