第十話 デメトリア・ファウラー*
翌朝のショートホームルームでは、一つの変化が訪れた。
いつものように、担任のシャード先生の話が始まるのかと思ったが、少し内容が違っていた。
「今日は転校生を紹介する。入ってきなさい」
ドアが開いて教室の中に靴音が響き渡った。
私はドアの方を振り返って驚愕した。一番会いたくない女子が目の前にいた。彼女は、澄恋に頭をなでてもらっていたあの女子に他ならない。
肩までのウェーブヘアに、気の強そうな表情。口の端が微かに上がっているのは癖なのか。それとも彼女の性格がそこに現れているからなのか。
偏見の目で見てしまうのは、私が彼女を快く思っていないからかもしれない。普段なら見かけで判断なんてしないのに――。
顔をしかめてみていると、彼女と目が合った。微笑みかけられて、私はぎこちない笑みを浮かべた。
「デメトリア・ファウラーです。よろしくお願いします」
彼女は愛想良くみんなに微笑みかけた。クラスメイト達――特に男子は色めき立っている。
「席は、イザベラ・ハモンドの隣が開いているのでそこに座りなさい」
「はい」
デメトリア・ファウラーはシャード先生の指示に素直に従い、イザベラの横に座っていた。振り返って確認すると、私の席よりも遥か後ろの席のようだった。
私が転入してすぐに席替えがあったのだ。
私はジュリアスの隣になり、リリーシャはクェンティンの隣になった。
授業中でもイチャついているリリーシャとクェンティンを、シャード先生が哀愁漂う父親の目で見ていたのはここだけの話だ。
そして、休み時間になった。
ファウラーは早速隣の席のイザベラと仲良くなっていた。ファウラーとイザベラの組み合わせにそこはかとない嫌な予感がする。
ファウラーは、集まったクラスメイトに質問攻めにされていた。ファウラーはそれに愛想よく答えている。
私はそれをジュリアスと一緒に後ろを向いて聞いていた。
何気ない質問が交わされる中、イザベラがファウラーに私が一番気になっていることを訊いた。
「デメトリアさんは、お付き合いなさっている方っていらっしゃるの?」
「いるわ」
ファウラーのお喋りに私の神経が全て集中した。
「へぇ、どんな人なの?」
「異国の方よ。恋敵もね」
「えっ? 恋敵も異国の方ですの?」
「そうよ」
後ろを向いて聞いていた私と、ファウラーたちの視線がかち合った。彼女たちが知っている限り、異国人は私以外にいないからだろう。彼女たちの視線が私に集まるのも仕方がない。
私は慌てて、前を向く。
名指しされたことと失恋の痛みで、心臓が張り裂けそうに鳴っていた。
澄恋は本当にファウラーと付き合っているのだろうか。そんなこと私に一言も言わなかったのに。
そして、異国人の恋敵とは十中八九私の事だ。私はファウラーから敵視されているのだろうか。
日本にいた時に幽霊が見えるということで、苛められていたことを思い出して嫌な気分になった。
「ねぇ」
いつの間にかファウラーは私の席の隣に立っていた。私はギョッとして目を瞬いた。
「ねえ、貴方が香姫さんなんでしょ? お話は澄恋様から伺っているわ」
「ち、違います!」
思わず違うと言ってしまった。
「ねえ、この方が香姫さんよね?」
ファウラーは懲りずに私の隣の席に座っているジュリアスに尋ねていた。
「そう、香姫鳥居さんですよ」
私が止める前にジュリアスは易々と教えてしまった。私は慌てて人差し指を口の前に立てた。
「ジュリアス君! しーっ!」
「ジュリアス君? もしかして、香姫さんの彼氏?」
「違う! ジュリアス君は友達なの! 私の好きな人は澄恋君!」
ファウラーが、澄恋に間違ったことを吹き込んではことだと思い、私はとっさに言い返していた。
ファウラーの眉がピクリと動いた。
「あら? おかしいわね。澄恋様は私の事が好きだって仰っていたわよ?」
「えっ!?」
澄恋が好きなのはやはりファウラーなのか。ファウラーに崖の上から突き落とされた。私は絶望して二の句が継げなくなっていた。
「残念だったわね」
気が付くと私は泣いていた。教室の中が水を打ったように静まり返った。
疲れたようなため息が聞こえた。
「アホらし……」
「っ!?」
「な、何ですって?」
ファウラーは第三者の妨げに狼狽している。
アリヴィナの声が聞こえてきて、私は涙をぬぐっていた。
ファウラーは、アリヴィナの方を向いて睨んでいる。
アリヴィナは、開いたデータキューブを見て読書をしていたらしいが、『不可視編成』と言って、それを冷蔵庫の氷ほどの立方体に戻した。
机の上にそれを転がして、アリヴィナは椅子から立ち上がった。
「その話は少しおかしいよ」
「アリヴィナさん……」
まさか、アリヴィナがかばってくれるとは思いもよらない。あれほどまでに異国人は嫌いだと言っていたのに。
「デメトリア・ファウラー。あんた、恋敵が香姫だって言っていたよね」
「……ええ、言ったわ」
「澄恋の好きな人がデメトリアなら、どうして香姫が恋敵になるんだよ」
アリヴィナの反対側でも立ち上がる音が聞こえて、私は振り向いた。
「私もそのことを指摘しようと思ってたのよ!」
「リリーシャさん」
「相思相愛なら、香姫が恋敵だなんて言わないはずよ! それはつまり、貴方の方が澄恋に片思いだからよ!」
その指摘は目から鱗だった。ファウラーが嘘をついていたのか。
良かった……。
澄恋君は、ファウラーと付き合っていなかったんだ。
私の顔に笑みが戻ったと同時に、ファウラーの顔が険しくなった。
「アリヴィナ、リリーシャ、覚えてなさい……!」
ファウラーは席に戻って行った。
イザベラと何事か喋りながらこちらを睨んでいる。
「アリヴィナさん、リリーシャさん、ありがとう!」
「思わず助けちゃったけど、勘違いしないで。ここで泣かれるのが嫌なだけだから」
「うん!」
アリヴィナはむすっとしたまま、自分の席に戻って行った。
リリーシャはそんなアリヴィナを追いかけて、ケンカをふっかけている。また、教室が賑やかになりそうだ。
そして、後ろでは、何かを企んでいるらしいイザベラとファウラーが不気味だった。
「よかったね、香姫」
「ありがとう、クェンティン君!」
クェンティンに声をかけられて、私は失恋していない自分を喜んだ。
「じゃあね!」
クェンティンは、私にウインクするとリリーシャの方へ戻って行った。
隣で、ジュリアスが気怠そうなため息を吐いている。
「なーんだ。景山君にフラれたらよかったのに……」
私は半眼で隣のジュリアスを睨んだ。
「ジュリアス君って意地悪だよね……」
「そうかな? 僕の気持ちを考えると当然の事だと思うけど?」
「ジュリアス君の気持ち?」
「アレを食べても分からなかったの? 鈍いんだね?」
アレとは、破裂した飴の事だろうか。
分かるわけない。分かるはずがない。
「うーん、破裂? あ、もしかして、ビッグバン? 新世界創造?」
私が呟いた言葉が面白かったのだろう。ジュリアスは吹き出して笑い始めた。
ムカつくことこの上ない。
「あんなの分かるわけないよ! ジュリアス君が悪いんだからね!」
「ゴメンゴメン、でも僕は諦めないからね?」
ジュリアスに意味深な微笑みを返されて、私は引きつった。
馬鹿にされるから問い返さないが、勿論私は、何を諦めないのかもサッパリ分からないのだった。