第四話 香姫とジュリアス
協力すると言った私にアレクシス王子は謝意を表するだけ表すると、憑き物が取れたような顔をして瞬間移動の魔法で帰って行った。重荷をすべて預けられた格好の私は、ため息を吐いてソファにもたれた。爽やかな朝のはずなのに、いきなりぐったりだ。
「鳥居、ブレッツのスムージーはどう?」
声がして顔を上げる。クレア先生が持参したらしい魔法ビンから特製のブレッツのスムージーをグラスに移していた。
「クレア先生ありがとうございます」
明るいクレア先生の笑みに癒される。
私はソファに座りなおして、グラスを受け取った。ストローに口を付けると、ブレッツの甘い桃のような果実の味と花のような香りが口の中に広がった。
いつもなら美味しいブレッツのスムージーなのに、今日はそれが半減していた。心配事があるせいかもしれない。
「バージル君、私一人で見つかるのかな……」
「今回は、アレクシス様もご協力してくださるんでしょう? 百人力じゃない」
「ははっ……」
空笑いして、スムージーを再びストローからすする。
アレクシス王子が持ち込んだ厄介ごとなのだから、丸投げして全然協力しないことはありえないはずだ。けれども、そのアレクシス王子の腹に一物あるような気がするから、彼が信用できない。結局のところ、私が信用できるのは景山澄恋ただ一人ということになる。
けれども、澄恋は元の身体に戻ってから、魔法研究所で働きだしてしまった。澄恋の言うことには、魔法学校の知識は宮殿にいるときに既に修めているので、わざわざここで習う必要はないそうだ。たまに魔法学校のマクファーソン先生に研究の事で会いに来るので、その時に私も澄恋と会っているというわけだ。
澄恋と会う機会が少なくなった私は、彼に相談することは躊躇われた。
「協力を頼むにしても、澄恋君は、研究で忙しそうだし……あ! クェンティン君は――ダメだ、リリーシャさんが……」
信用できる一人のクェンティン・ノースブルッグの顔が浮かんだが、隣にリリーシャ・ローランドの顔がくっついてきた。
「えっ? いつものようにノースブルッグに頼めばいいんじゃないの?」
「ダメなんです」
クェンティンは信用できるけれど、その彼女のリリーシャが厄介だった。
「どうして?」
「私が元の身体に戻った時に、リリーシャさんがしつこく勝負を挑んで来ようとしたんですよ」
魔法をあまり使えない私が、魔法学校の優等生のリリーシャに勝てるはずがないのだ。
「だから、私は可視使いの能力が無くなったって、嘘をつく羽目になって」
それで、事なきを得たというわけだ。
「私一人で何とかできるのかな……」
「そんなに深刻に考えないで。バージル少年を見つけて見張るだけなんだから、今回は妖魔と接触することもないでしょ」
「そ、そうですよね!」
どうやら、大げさに考えすぎていたようだ。今回は、慎重に行動すれば妖魔と接触することもないだろう。
元気を取り戻した私は、ブレッツのスムージーをごくごくと飲み干した。
「失礼します」
ドアが開く音と、テノールの声がして、私はグラスを持ったままドアの方を振り向いた。そこには、ジュリアス・シェイファーが突っ立っていた。
「あ!」
「あ……」
向こうも私に気づいたようだ。
私とジュリアスは目が合ったまま固まった。だが、すぐに、ジュリアスは微笑み直した。
「先客がいたんだね。じゃあね、香姫さん」
「ジュリアス君! そんなこと言わないで、ここでお話ししようよ!」
避ける様にして去ろうとするジュリアスに声をかけた。
おどけた笑顔が返ってくると思った。だが、その予想に反してジュリアスは迷惑そうな顔をしていた。
いつもの反応と違うことに戸惑っていると、ジュリアスが静かに嘆息した。
「香姫さん、何か勘違いしてない? 僕が香姫さんと話す理由なんて何もないでしょ?」
「あるよ! だって私たち友達じゃ――」
「もしかして、僕の事まだ景山君と間違えてるんじゃないかな?」
「うっ……」
反論できなかった。確かに、以前のジュリアスと中身が違うだけあって、反応も全然違う。
「そういうの迷惑なんだよね」
「ごめん……」
リリーシャの中身が私と入れ替わっていた事を思い出した。彼女の彼氏であるクェンティンの気持ちが、痛いほどに分かった瞬間だった。
ジュリアスは、愛想ばかりの笑みを浮かべた。
「じゃあね」
私は何も言えなかった。愛想だけの笑みには、冷めた視線も含まれているように思えた。私が、ジュリアスをオリジナルの『ジュリアス・シェイファー』として見ていなかったからかもしれない。己の人格を否定されて辛いことは、私が一番身に染みて分かっているはずなのに。私は、その事を深く反省した。
「そろそろ、食堂が開くころじゃない? 気分転換に食べてきたらどう?」
落ち込んでいることが分かったのだろう。クレア先生が私に提案してくれた。
時計を見ると、朝の六時を少し過ぎたところだった。早く起きたのと朝から可視したせいで、小腹がすいていた。
「そうですね、食べてきます」
私は、そのまま医務室を後にした。廊下を抜けて、外に出る。
心地の良いそよ風が吹き抜けたが、それがどこからもたらされたものなのか、すぐには分からなかった。頭上で笑う声が聞こえたような気がした。
「香姫、どうしたの? 浮かない顔をして」
私は吃驚して顔を上げた。私の背の三メートルぐらい上で、ほうきがぷかぷかと浮かんでいた。
「澄恋君!?」
「やあ、香姫、久しぶり!」
彼はほうきに乗ったまま、軽く片手を上げて挨拶した。
そのほうきを乗りこなしていたのは、他でもない景山澄恋だった。彼は、空中で方向転換すると地面に降り立った。
「香姫、会いたかったよ。元気してた?」
ほうきを片手に持った澄恋は、朗らかな笑みを浮かべていた。澄恋と会うのは一週間ぶりぐらいだ。
「うん! 今元気になったよ!」
私は澄恋との再会を喜んで彼に駆け寄るのだった。