第三話 既視感と呪われた少年*
吹き荒れる緑色の風が止んだ。清められた清潔な空気を感じて、私は固く瞑っていた目をそろりと開けた。
室内は魔法灯が点いていて明るい。
窓は、閉め切られていて、まだ遮光カーテンが閉まっている。
白い天井に、教室よりわずかに大きい室内が広がっている。
鉄製の薬棚に、養護教諭が作業するデスク。そして、黒い皮のソファと木のテーブルが隅に設置されてある。
そして奥の並べられた病室のようなベッドには、間仕切りのカーテンが開けられて、空であることを示していた。
並んだベッドは一様に畳まれたタオルケットの上に枕が整然と鎮座してある。
たった一つのベッドを除いては――。
「なんだ……医務室か……」
瞬間移動させられて、魔界でも連れて行かれるのかと戦々恐々していた私は、胸をなでおろした。
そこは、異世界に来てからよくお世話になっている場所だ。魔法学校の医務室。そこは、私が一番安らげる場所でもある。
「鳥居、よく来てくれたわね!」
「クレア先生、おはようございます」
声に振り返るとミディアムヘアで金髪碧眼の女性が居た。裁判官のような黒い服をひらめかせて駆け寄ってきた。これがこの魔法学校の教師の制服なのだ。
プリミア・クレアという、若い二十歳ほどの医務室の養護教諭だ。
昔はローランドと呼んでいたクレア先生は、今では私の本名で呼んでくれている。
以前の状態が尋常ではなかったため、ひとに本名で呼ばれるたびに私の人格を認められたような心地よさを感じている。
クレア先生の他に、アレクシス王子の護衛人たちもいた。ウィンザーをはじめとする護衛人たちは、スーツの上からでも筋肉隆々なのがうかがえる。
「おはようございます、ウィンザーさん」
「おはようございます、香姫様」
近くにいたウィンザーは私に愛想良く微笑んでくれた。護衛人のウィンザーたちは二十歳ぐらいの年齢だろう。アレクシス王子は十五ほどの年齢だ。大人のウィンザーたちが少年のアレクシスに仕える姿は、やはり彼が王子なのだと認識させられる。
皆は、私に好意的な微笑みをくれた。しかし、私の登場を大歓迎している姿が引っかかる。
「……私はどうしてここに呼ばれたのですか?」
「ああ、鳥居! 私も呼ばれたばかりで分からないのだけど、アレクシス様が連れてきた少年がいなくなったらしいの!」
「いなくなった? どういうことですか?」
「このベッドに横たわらせたんですけどね……」
私はベッドの方を振り返った。
確かに手前のベッドだけ、たった今までそこで眠っていたようにタオルケットと枕が、乱れた有様で置かれてあった。
私の目は、その場に残った『残留思念』を、まるで録画をしていた映像を再生するように見ることができる。
だが、時間が経った『残留思念』を見ることは、体力をひどく消耗するのであまり酷使したことがない。それに、私の目は良く見えすぎるので、ひとの苦しみをまざまざと感じてしまう。死に直結する『残留思念』を見ると、気絶してしまうのだ。『可視使い』という千里眼使いでも万能ではないのである。
けれど、アレクシス王子の『可視言霊』や一般人が使う『可視編成』では、できない事なので、彼は私を呼び出したというわけだろう。
私は『可視使い』なので、疑問を持つと自然に『可視』してしまう性質だ。
そして、私はいなくなった保護した少年を疑問に感じたので、例によって可視してしまった。
つい先ほどのベッドの上で苦しんでいる少年の姿と、それを取り巻いているアレクシス王子や護衛人の姿が、半透明のホログラムのように見える。
「本当にあのベッドに居たみたいですね」
「ええ、そうらしいのだけど……」
事態は、クレア先生の理解の範疇を超えているようだった。クレア先生の困ったような目がアレクシス王子を捕えた。アレクシス王子はそれに気づいて答える。
「私は、呪いがかかったバージルを連れてきたのです。ですが、ここに運んだ途端、苦しみもがいて『消えてしまった』のです」
「消えたんですか……?」
アレクシス王子は「ええ」と、頷いた。
私は再び抜け殻になっているベッドを可視した。
少年が古代文字のスペルに呑みこまれる姿が見えて、私は恐怖で青くなった。しかし――。
「あれっ?」
「香姫さん、どうしました? 何か分かったことがあれば教えてくれませんか?」
私は目を瞬いて、アレクシス王子を見上げたが、慌てて目をそらした。
「どうしました?」
「ううっ……」
可視したままアレクシス王子を見たものだから、アレクシス王子の裸が見えてしまったのだ。新しい身体になっても私のその癖は抜けないらしい。
その様子に、ただ事ではないと勘違いしたアレクシス王子が私に迫ってきた。
うわあああ!
私は心の中で絶叫して、大慌てでアレクシスから逃げようとした。けれど、彼に両肩を捕まえられてしまった。
「……バージルはどこに消えたのか、分かりますか?」
私は、アレクシス王子の裸体を見ないように目を閉じた。
「バージル君は、消えていません。苦しみから解放されたようにベッドの上で考え込んでいます」
「えっ!? じゃあ、この部屋の中にいるの?」と、クレア先生。
「いえ……立ち上がって、可視編成を唱えて、瞬間移動をしたように消えてしまいました」
「何ですって!?」
可視した通りを伝えると、やっとアレクシス王子が私から離れて行った。
私はやっと目を開いた。
目は通常の状態に戻っていたので、ホッと息を吐く。
アレクシス王子はベッドの方を見たまま、呆然としている。
「アレクシス様……?」
「バージル……。一体貴方は、何を考えているのですか……そんな呪われた身体で……」
アレクシス王子は独り言ちて、呆然としている。
呪いか。以前の私もそんな状態だった。とても他人事には感じられない。
「あの、アレクシス様、私でできることがあったら……」
放っておけなくて、私はアレクシス王子の背を見上げて声をかけた。しかし、私はいくら可視使いだからと言っても、瞬間移動した先までは見ることができない。アレクシス王子の役に立てるのだろうか。
「えっと、その……」
自信がなくなって、語尾が続かなくなった。アレクシス王子が期待を込めた目で私を振り返る。
「香姫さん……協力してくださるのですか?」
「うっ」
アレクシス王子の瞳が期待でキラキラと光っている。明らかに、私が何とかしてくれると思っている。私は、そんな猫型ロボットではないのだけど。
「でも、お役にたてないかもしれないけど……」
「ありがとう! バージルを見つけたら見張っててくれさえすればいいですから!」
アレクシス王子が私の手を握って、満面の笑みを見せた。
私は複雑な気分で笑う。妙な既視感を感じた。これは、以前彼の願いをかなえた時と似通っている。アレクシス王子は、私がそう言うのを待っていたかのようだった。
早まったかもしれない……。
私は、アレクシス王子の策にまんまと引っかかり、彼の願い事をかなえる羽目になったのである。気づいたときには、後の祭りだったのだ。




