第七話 アレクシスの再来*
世界がピンク色の薔薇の花びらで埋まっていく。私の視界は景山澄恋に酔って、ぐるぐると回っていた。
「大丈夫? 香姫さん?」
「ふにゃ……」
澄恋の声はビブラートがかっている。甘い囁きで私は余計に力を無くした。もはや、まな板の鯉もいいところだ。
「大丈夫?」
「だいじょうぶれす……へへっ……」
「可視編成!」
「はっ……!」
「ローランド、大丈夫?」
可視編成の魔法のお蔭で、一瞬で可視酔いが醒めた。
どうにでもしてくれと思っていたが、そこに澄恋の姿はない。その代わりにクレア先生がいぶかしげな表情をして、倒れている私を見下ろしていた。
「澄恋君は!?」
「……澄恋君?」
「今までここで話していたんですけど」
「ははあ。初恋の人とやらね。でも、そんな人はいなかったわよ?」
「えっ!」
「ここにいたのは、可視酔いしたローランドだけ。どうやら、帰っちゃったみたいね」
「帰っ……ちゃった……?」
その事実が信じられなくて、廊下の先まで呆然と視線をさまよわせた。日本にいた頃の澄恋は、幽霊からいつも私を守ってくれた情が厚い男だった。昔を思い返せば思い返すほど、私を見捨てるような澄恋の行動が信じられない。やはり、彼は記憶喪失だから――。
「ローランド、がっかりしないで。きっと澄恋君は事情があったのよ」
「そ、そうですよね!」
「それより、こんな早朝からどうしたの? もしかして、話があるんじゃないの?」
「そうです! 相談したいことがあって!」
「まあ、こんなところで話すのもなんだから、中に入って?」
クレア先生は、医務室の中に私を通した。クレア先生がカーテンを開けて行くと、太陽の光で部屋の中が明るさで満たされた。そして、彼女が手慣れた手順で空調装置のスイッチを入れると、部屋の中が清められたようにひんやりとした送風が吹き抜けた。
「まあ、ソファに座って」
「はい」
ソファに座ると、クレア先生が冷たい果実のスムージーを出してくれた。
ストローから恐る恐る飲む。
甘くて少し酸っぱい味がして、薔薇のような良い香りがした。果実の種が噛むたびに口の中で炭酸のように弾ける。
「美味しい!」
「それは良かった」
クレア先生は笑顔になった。
「これ、なんていうくだものなんですか?」
「ブレッツっていう丸くて赤い果物よ」
「へぇ~!」
私は、夢中でそれを飲んだ。癖になるような味わいだった。
飲み終えて口元をぬぐうと、クレア先生が待ち構えていた。
「それで、話って?」
「私、シャード先生にリリーシャさんが亡くなった時の事をお聞きしたんです。シャード先生、リリーシャさんが亡くなる一か月前から彼女が可視使いになることをご存じだったそうで」
「知ってるわ。リリーシャを殺したのは魔導師アルテミスかもしれないって言ってたわ」
そして、乾いた笑みを浮かべた。
「ありえないのよ。彼が世間に姿を現すだなんて。教科書に載っている位よ? 有名すぎるもの! 軍警も冗談だと思って取り合ってくれなかったらしいからね」
「でも、ここからが本題なんですけど……!」
私は、リリーシャのペンダントを可視した時の事を詳しく話した。
「魔導師アルテミスだと思っていた彼を可視したら、全くの別人の顔になったんです!」
「な、何ですって!? ローランド! ここに似顔絵描いてみて!」
クレア先生はデータキューブを使えない私のためにノートとペンを差し出した。
「えっと……」
私は、ペンのキャップを外すと、ノートにイラストを描きはじめた。
「できましたっ!」
クレア先生に見せると、彼女の顔が引きつった。
「うん。ありがとう! これじゃよく分からないから助っ人を呼ぶわね」
「ううっ……」
下手なら、そう言ってくれればいいのに。恨めしそうにクレア先生を窺っていると、彼女はデータキューブを開いてどこかに連絡を取り始めた。
「ええ……そういうことですので、至急おいでくださるようにお伝え願います」
何事か喋った後、クレア先生はこちらを見てニヤッと笑った。
「おいでくださるそうよ」
「えっ?」
どなたが? そう考える間もなく、風が巻き起こった。台風の様な風は医務室の窓をすべて開けてしまった。カーテンがバタバタとはためく。
「さあ、ローランドも跪いて」
「は、はい」
クレアは下を向いてかしこまっている。私もそれに倣った。
カーテンがスローモーションのように風に膨れて舞う。
空気で膨れていた服がしぼみ、舞っていた彼のマントが下りた。
屈強な護衛人たちがその場に跪く。
艶やかな皮靴が私の目の前まで歩いて来た。
そして、彼が私の顔を覗き込んだ。
「ごきげんよう、香姫」
彼は、慈愛に満ちた優しい笑みを浮かべた。
私は、彼を見て瞠目する。
「あ……アレクシス様!?」
それは、ベルカ王国のアレクシス王子だったのだ。