第五話 香姫(かぐや)とリリーシャとシャード先生*
私の心配をあっさり裏切って、シャード先生はデータキューブのテキストの百ページ目を開いた。可視使いの事が事細かに書かれてある。どうやら、可視使いである私の力になると考えてくれたらしい。
悪意ではなく、私の為を想ってくれているのか。安堵して全身から力が抜けていく。
「レベルの高い可視使いは魔術の残留思念から同じ魔法を再現できる」
シャードの指導を受けて、急いでノートを取った。しかし、疑問が先立つ。
疑問を持ってシャード先生を見てしまった。当然のように私の目が、シャード先生を可視してしまう。見えなくていいのに、シャード先生の服の下が見えた。
無駄のない筋肉に程よい厚さの胸板。腕には血管が数本浮き出ている。
「ううっ……」
私は見ないようにノートで視界を覆った。
「どうした?」
「な、何でもありません!」
シャード先生の気遣わしげな声が降ってきた。事実を知ったらきっと蔑視されるに違いない。何事もなかったかのように目を制御しなおすと、やっとシャード先生の服が透けなくなった。ホッと胸をなでおろして続けた。
「でも、それができたところで、何の役に立つんですか?」
残留思念から魔法を再現するのと、普通に魔法を使うことは大差ないと思われる。
「最初から普通に魔法を使っていた方が早いんじゃ?」
わざわざ、その可視使いの力を使って真似するより、普通に可視編成を唱えて違う魔法を使った方が、敵を倒すのも効果的ではないのか。
「それが、そうでもない。残留思念から再現すれば、どんな高度な魔術でも使えるという。古代魔法でも、数人がかりの魔術でも」
「す、すごい!」
古代魔法や、数人がかりの魔術を使えたら、もはや無敵だ。私にそんな妙技ができるのだろうか。昨日、古代魔法を使った時のように。でも、あれはフォーネに魅入られてしまったからできたこと。そもそも、魔法が使えない私は――。
「……でも私は、魔術が全然使えなくて……残留思念から再現だってどうすればいいのか、よく分かりません……」
どうして、リリーシャは魔法を使いこなしていたというのに、私は全然使えないんだろう。私が使っているのはリリーシャの身体なのに。
「焦らなくていい。ゆっくりと、できるようにしていけばいい」
「は、はい」
落ち込んでいるのが伝わったのかもしれない。シャード先生の柔らかな言葉が、アレクシス王子の使う可視言霊のように、私の心を癒していった。
シャード先生は以前と比べると、目に見えて優しくなった。シャード先生は私の事が憎くなくなったのだろうか。先生の中でどんな心境の変化があったのか分からないけど――。今なら、疑問に思っていたことも訊ける。
「あの、シャード先生……辛いことを思い出させてしまうかもしれないんですけど……」
私は、思い切って話を切り出した。
「なんだ?」
シャードの機嫌が悪くなることはなかったので、私はホッと一息ついて続けた。
「どうして、リリーシャさんは魔物に襲われたんですか? ジュリアス君が教えてくれたんですが、シャード先生は、リリーシャさんが可視使いになることを魔物に襲われる一ヵ月間前から分かっていたんですよね? だから、ジュリアス君がリリーシャさんを訪ねて学園に来たんですよね?」
「ああ、それが?」
「どうしてシャード先生は、一ヵ月前にリリーシャさんが可視使いになることを分かっていたのですか?」
シャード先生の表情が少し陰る。先生は手を組み合わせて机の上に置いて、ため息を吐いた。
やはり、シャード先生には酷だったか。けれど、事件を解決させるためには避けて通れない道だ。
「もしかすると……リリーシャを襲ったのは魔物ではないかもしれない」
「やはり、蟻地獄のデュランですか?」
「分からない。でも、私は騙されたのかもしれないと疑っている」
「騙された?」
「ある人物が、リリーシャを可視使いにしてやると持ちかけてきたんだ」
「えっ!? 可視使いにしてやる……?」
そんな胡散臭い話に、このシャード先生が簡単に引っかかるとは思えないのだが。
「彼は世界的な魔術師だった。だから、私とリリーシャは信用してしまった。リリーシャも乗り気で、可視使いになることを夢見ていた。けれど、ふたを開ければ、リリーシャは何者かに襲われて、代わりに鳥居の魂が――。そして、その魔術師は音信不通になって、現在も連絡が取れてない。軍警にも相談したが、あの魔術師がお前の娘を相手にするはずがないと、取り合ってくれなかった」
「その世界的な魔術師というのは誰ですか?」
「『魔術師アルテミス』だ」
「魔術師……アルテミス……」
私は、新たな情報をノートに書き記して、頷いた。
「シャード先生、任せてください! 私は、必ずリリーシャさんを元に戻して見せます!」
シャード先生がハッとしたように震えた。
「おい! リリーシャが元に戻るということがどういうことなのか分かっているのか!? 鳥居は元の世界で死んだんだぞ! こっちに鳥居の身体はない!」
「……リリーシャさんが元に戻ると、私は死ぬということですか?」
「そうだ!」
「分かってます。そんなこと。でも、もしかしたら、私は日本に帰れるかもしれないじゃないですか」
微笑むと、シャード先生は自分の口元を手で押さえて、後悔を吐息に変えて吐き出した。
「私は、お前を犠牲にしてもリリーシャを助けたいと思っていたんだ……!」
シャードは涙を一筋零して、私の手を握りしめた。
「許してくれ! 鳥居、愚かな私を許してくれ!」
「シャード先生……シャード先生が悪いわけないじゃないですか」
そんなの、先生が悪いはずがない。
「私のお父さんだってシャード先生と同じことを言うと思います」
それが、親子だから。
「っ……鳥居!」
シャード先生は私の手を取って一緒に立ち上がると、無言で私を抱きしめた。シャード先生の悲しみがひしひしと伝わってくる。
「お前は、無茶をしなくていい! 私が復讐する! だから、お前は何もするな! 分かったな!」
「はい」
返事をしたが、その通りにする気はなかった。
シャード先生の為にも、そして私の為にも。必ず、魔導師アルテミスに報復しよう。
私は、固く心に誓った。




