第十話 香姫(かぐや)と軍警官
嗚呼、私はまた死んでしまったのだろうか。
真っ白な空間の中に私は居て、ふわふわと漂っている。浮遊感を味わっていると、背後から女の子が私の方に空中を走るようにやってきた。それは、私が腕輪を可視したときに見たキャロルだ。
彼女は鈴の音のように笑いながら私の手を取ってくるりと回った。そして、私の手を引いて軽やかに宙を駆けて行く。
空にぽっかりと、光るアーチ形の出口が姿を現した。私は彼女と一緒にその中に飛び込んだ――。
気が付くと見覚えのある白い天井がいつもの形を取っていた。再び私は医務室のベッドの上に横たわっていたのだ。
窓から入ってきた清涼感のある風が鼻先をくすぐって行く。次に、遠くから聞こえる生徒たちの声が私の耳にも届いた。
私の手は暖かで、安心感がその右手から生まれている。顔を傾けるまでは、心配したジュリアスが手を握ってくれているもの錯覚していた。
けれども、それが意外な人物であることに気づいて驚愕した。
シャード先生が私の右手を両手でしっかりと握ってくれていたのだ。
シャード先生は祈るように目を閉じていた。
「シャード先生……!」
シャード先生は私の声に気づいて目を開けた。
「気が付いたか」
シャード先生と私はこの部屋に二人きりだ。そのことに私は気まずさを覚えていた。治療してくれたはずのクレア先生は席を外している。ということは、何時間も私のことをこうして祈ってくれていたのだろうか。
「心配してくださってたんですか」
シャード先生は鳥居香姫を犠牲にしても、実子のリリーシャの事を助けたいと言っていた。それなのに、彼が一番私の事を心配してくれていたのだから。まるで、私の実の親のように。
だが、シャード先生は不機嫌だった。
「……変なものを可視するな。くれぐれもその体を大切にしろ」
「そっか、そうですね……娘さんの身体ですもんね」
「知ってたのか……」
シャードが心配していたのは、私ではなくリリーシャの身体なのだ。また、私は気落ちした。
私を心配してくれていたことに、うっかり喜んでしまった後だった。
「……鳥居のご両親は?」
何を思ったのか、シャード先生が初めてそんなことを聞いてきた。
「日本にいます」
一言だけ答えると、シャードは「そうか……」と、嘆息した。
「今日は授業を休みなさい」
シャード先生の口調が明らかに和らいだ。私は、初めてシャード先生から優しい言葉をかけられて戸惑った。
「えっ!? でも、もう元気です!」
「しばらく、医務室でゆっくりするといい。その代り、宿題はたっぷりと出しておいてやる」
「え゛? 宿題はたっぷり……?」
私が顔をしかめると、シャード先生は笑ってそのまま医務室から出て行った。どうして、シャード先生は私を心配してくれたのだろう。そのことが、私にはよく分からなかった。
入れ替わるように、ジュリアスが医務室に入ってきた。
「ジュリアス君」
もしかして、ジュリアスは医務室の外で私が気が付くのを待っていてくれたのだろうか。ジュリアスは私の方に駆けよってきた。
「大丈夫か?」
「うん、なんとか」
「ごめん……倒れたの僕のせいかもしれないね」
いつもと違うジュリアスに私は唖然とするばかりだ。ジュリアスのせいなんかじゃない。授業も聞かないで、腕輪を可視していた私が悪いのに。けれども、彼は自分を責めているようだった。
「凄惨な事件だったあの腕輪の残留思念は、あの人に清めてもらったはずなんだけど、まさかリリーシャが可視するとは思わなくて……」
「あの人? あの人って誰?」
私の質問に答えずに、ジュリアスが私に迫ってきた。
「やっぱり、腕輪は僕が持っていた方が……」
ジュリアスがキャロルの腕輪を取り上げようした。私は必死になってジュリアスから腕輪を奪還する。
気が付くと、私の方がジュリアスを下敷きにしていた。
彼は、吃驚していたが、ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべて私を見上げている。
「押し倒してどうする気?」
「ば、馬鹿じゃないの!?」
私の頬がカッと熱を帯びた。私は、慌ててジュリアスから離れた。
「と、とにかく、腕輪は私のお守りだから!」
「分かった。でも、あんまりしつこくその腕輪を可視するのは止めてくれないかな?」
「う、うん、もうしないから安心して……」
ジュリアスは、安堵したように微笑んだ。私は、どぎまぎしていた。妙に早い鼓動を打つ心臓のわけも知らずに。
気を取り直して、腕輪を右腕に付ける。安堵するとすると同時に、先ほど可視したキャロルの事が思い起こされた。魔法弾を浴びてキャロルは絶命したのではないか。私が殺された時の苦痛と似通っていたので恐らくそうだ。
「……キャロルは殺されたんだね」
「ああ……守りきれなかったんだ……」
私に釣られるようにジュリアスまでしんみりしてしまった。
「好きな人が亡くなったのって私と同じだね」
「えっ?」
ジュリアスは驚いている。
好きな人を失ったジュリアスに、私は親近感を覚えていた。
「私の初恋の人も、事故で亡くなったんだ。だからね、もしかしたらこっちで転生しているかもしれないって思ったの」
あちらの世界で亡くなった景山澄恋が、こちらの世界で私と同じように転生していても、全然おかしくない。一週間前に見かけたのも、偶然じゃないとしたら。私と澄恋は運命の赤い糸で結ばれているのかもしれない。
「……ふーん」
他愛もないことを考えて浮かれていたが、ジュリアスは小難しい顔で相槌を打っている。ようやく、私はジュリアスが機嫌が悪くなっていることに気づいた。顔をしかめて空を睨んでいる。何か考えている様に。
私は、機嫌を損ねることでも言ってしまったのだろうか。
「ジュリアス君、どうしたの?」
「いや? じゃあ、僕は授業を受けてくるよ」
「うん……」
ドアの方にジュリアスは歩いて行く。彼はニヤッと笑って振り返った。
「お詫びに後で、僕が手取り足取り勉強を教えてあげるからね」
「え゛?」
ジュリアスの機嫌を気にしている私だったが、どうやら考えすぎだったようだ。彼は、意地悪な色を浮かべ、私の反応を見て悦に入っている。
「またね、リリーシャ」
気が済んだのか、彼は医務室から退室した。そして、ジュリアスの足音が遠のいて行った。
しかしまた、足音が近づいてきてドアが開く。
ジュリアスが戻って来たのかと振り向いたが、複数のきびきびとした足取りは明らかに違う。それは、軍警官だった。瞠目しているうちに彼らは私に近づいてきた。
そして、私の前で軍隊のように敬礼したではないか。
「貴方が、リリーシャ・ローランド様ですね?」
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その頃、イザベラはアリヴィナを呼び出していた。
アリヴィナは面倒臭そうに、あくびした。イザベラは、アリヴィナをじっと睨んでいる。
「何? こんなとこに呼び出して?」
「私、ロイドさんに謝りたくて……」
「えっ、良いよ、そんなの」
落ち込んでいるイザベラをどうやってなだめようかと、アリヴィナは悩んでいる。
だが、次の瞬間、イザベラがニヤリと笑って叫んだ。
「可視編成!」
「なっ!?」
アリヴィナはその場に崩れ落ちて、眠り始めた。
イザベラは倒れたアリヴィナの前にしゃがみ込む。それは、イザベラというよりも、男らしい所作だった。
それは、彼女らしからぬあくどい表情をして舌なめずりをした。
「一丁あがりですね。後は――」
それは、小さなデータキューブのキーホルダーをちゃらりと指にぶら下げる。
それが、何事か呟くと、アリヴィナの魂がキーホルダーの中に吸い込まれて行く。
アリヴィナの声なき悲鳴が、辺りを不気味な陰影に落とした。
「後は、私の可愛い香姫の魂を待つだけですね!」
哄笑が辺りに響き渡る。これが、新たな事件の幕開けだった。