第九話 ジュリアスの初恋
それから、一週間が経過した。教室はいつも通りアリヴィナが仕切っていて、以前の平和を取り戻している。教室の隅でイザベラは大人しくしているし、これで何も起こる気配はないと思っていた。
その頃の私は、また初恋の人に再会することを想像して浮かれていたのだ。
平和な日常の中で、恋の花が咲いた。私は毎日窓の外を眺めては澄恋を探している。彼に再会したのは『約一年ぶり』だ。はかなく散った恋心が、こんな所で返り咲くとは。澄恋には二度と会えないものと諦めていたのに。
澄恋がこの異世界にいることは確信に近い。昨日見かけた彼は、人違いではないと考えているのだ。私がこちらに転生したのだから、澄恋もこちらに居ても変じゃないというのが私の考えだ。そう考えるのは、澄恋が――。
魔法学の教室の中から澄恋を探している最中に、一人の軍警官が目に留まった。今日は、軍警官を校舎の中でも見かけた。一人二人なら警備なのだろう。けれども、学校内に溶け込むがごとく、ごく自然に多数の軍警官がうろついていた。
一体、魔法学校に何の用だろう? 何かあったんだろうか?
「……シャ……リリーシャ!」
「えっ? な、何?」
私は振り返って、目をぱちくりした。
ジュリアスは半眼をこちらに向けて呆れ返っているし、クェンティンも苦笑している。
「さっきから呼んでるんだけど……」
「最近変だよな、どうしたんだ?」
嬉しさで自然と笑みが浮かぶ。
「実は、昔好きだった人に会ったんだ~」
自分の長い金髪を弄りながら告白すると、二人はキョトンとなった。
そして、クェンティンの表情は次第に微苦笑に変化した。
「それはそれは……」
クェンティンは複雑そうな笑み浮かべている。
ジュリアスは、半眼のまま鼻でフンと笑い捨てた。
「それで、こないだから変なわけだ。でも、『昔』でしょ? 昔、好きだった人がどうしてこの世界にいるわけ?」
「さあ、でも私もいるし!」
私は周りに分からないようにぼかして言った。いつの間にか、ジュリアスは私の事情を把握しているようだった。ジュリアスが言った昔とは、前世であり日本にいたことを示している。彼に知られたけれど、このことはもはや重要な問題ではないのだ。ジュリアスには何度も窮地を救ってもらったからだ。すでに私の信用を勝ち得ていることは言うまでもないだろう。
「へぇ?」
「ふーん?」
クェンティンとジュリアスは面白くなさそうに相槌を打った。
「ジュリアス君やクェンティン君は初恋の人っていなかったの?」
クェンティンが私を見て、寂しそうに笑った。
「俺は、リリーシャが初恋なんだけどな」
「ご、ごめん!」
「もういいって」
また私はクェンティンの古傷をえぐってしまったようだ。なんて、私はバカなんだ。クェンティンはあんなにリリーシャの事を想っていたのに。そんなことを聞くのは今更なのに。
「ジュリアス君は?」
「……僕も昔いたよ?」
ジュリアスは、私に対抗するかのように言った。彼は目を細めて私の反応を見ている。
聞いて良いのだろうか。また、ジュリアスのペースに陥りそうな嫌な予感が。
なかなか訊かない私に、ジュリアスがニヤッと笑った。
「聴きたい?」
自分で話を振っておきながら、今更聞きたくないとは言えない。
「へ、へー。どんな子?」
「えーと、どんくさくて、バカで、泣き虫で……」
それを聞いて私たちは笑い出した。
「シェイファーの好みって変わってるよな」
「うん」
もしかすると、自分が頭が良くて運動神経が良いから、自分に無い物を求めるのかもしれない。それから、ジュリアスは私をじっと見つめた。
「それから、いつも幽霊に怯えていた子……かな」
「えっ!?」
驚愕して私の心臓が高鳴った。
どんくさくて、バカでというのは、聞き捨てならないが。いつも幽霊に怯えていた。それは、前世の私のことじゃないのか。
でも、ジュリアスはその事を知らないはずだ。だとすると――。
「その子の名前って……!?」
私は思わず身を乗り出した。
ジュリアスは私から目線を外して、私の右手に付けている腕輪を指差した。
「その腕輪の持ち主だよ。昔のね。キャロルって言うんだ」
「きゃ……ろる……」
肩透かしを食らった格好で、私は彼女の名前を呆然と呟いた。
ジュリアスは、意地悪く微笑んでいる。
「どうしたの? もしかして、キャロルに嫉妬した?」
「違うよ! 私はただ」
話の途中で、チャイムが鳴ってしまった。魔法学の教室にシャード先生が入ってきたので中断するしかない。
「席に付きなさい。授業を始める」
シャード先生の厳格な声を受けて、生徒たちはすぐに着席した。いつも通り、私はジュリアスの横に座る。
普段通りの魔法学の授業が始まった。けれども、ジュリアスからそんな話を聞いた私が、授業に集中できるはずがない。ジュリアスはもしかして、私と同じように日本から転生したのではないか。キャロルという名前がもし嘘なら、『いつも幽霊に怯えていた子』は誰なのか。
私の頭はぐるぐると同じことばかりを考えていた。そして、私は授業そっちのけで腕輪を可視していたのだ。けれど、腕輪の残留思念はキャロルの事ばかりでなかなかジュリアスが出てこない。私は腕輪の残留思念の細かいところまで可視した。しつこく、執拗に。
すると、やっとジュリアスとキャロルの残留思念を突き止めた。二人が仲睦まじく笑っている姿が見えた。
『キャロル、いつまでも一緒にいような』
『うん!』
『僕がずっと君を守るから』
二人とも恋焦がれているような視線を絡ませていた。ジュリアスの言っていることは本当だったのだ。私の胸に小さな亀裂が入った。
しかし、残留思念の細部まで見た私は、次の切り替えができなかった。止めておけばいいのにそのまま、残留思念を見続けてしまったのだ。
次の場面になった時、キャロルは黒尽くめの連中に囲まれていた。
『何なの、貴方たち! 私をどうするつもりなの!?』
逃げようとしたキャロルは、黒尽くめの一人に後ろから魔法弾を浴びせられた。
『きゃああああああ!』
私は、キャロルが絶命する激痛と衝撃までもを感じ取ってしまったのだ。
「……ッ!」
その痛みに耐えきれず、私は机に突っ伏した。筆記用具が机から転がり落ちて高い音を立てる。
その音で周りがようやく私の異変に気づいたようだ。
「リリーシャ!?」
その時の私は、目を回して倒れていたらしい。
遠退く意識の中で、ジュリアスの動転した声が聞こえていた。