第八話 景山澄恋(かげやますみれ)*
「フォーネは導きの女神。召喚すると、人の心を読み解くことが可能……と」
「でも、召喚するには、古代文字の長ったらしい呪文とクソムズカシイ発音を正確に詠唱しなきゃなんないんだろ?」
「俺たちじゃ無理だね!」
放課後、私は医務室で古代魔法学の問題集を解いていた。内容は古代文字の読み方や、伝説の神話に至る。
ジュリアスとクェンティンも問題集を解くのを手伝ってくれている。私の頭は使いすぎてオーバーヒート気味だ。
データキューブ内の古代文字を読みすぎて目がチカチカする。
「これで、十ページ終了だぁ……」
私はペンを置いてソファに凭れた。浜辺に打ち上げられた人形ようになっている。
「リリーシャ、お疲れ!」
ジュリアスがデータキューブを閉じてくれた。
クェンティンもノートをチェックしてくれている。
「うんうん、上出来だよ。ビートン先生も許してくださるんじゃないかな」
「ありがとう、クェンティン君」
「それにしても、これ、紙でできてるんだろ? すごいな」
「そうなの、良いでしょ?」
クェンティン君は珍しそうにノートをパラパラとめくっている。このノートは、クレア先生が私のために用意してくれた特注品なのだ。そして、筆記用具のペンも。私が魔術を使えなくて、データキューブに入力することもできないから、クレア先生が気を使って買ってくださったのだ。
突如、ゴロゴロと遠くで雷の音がしたので、私は驚いてソファから身を起こした。窓からは湿った土のにおいのする風が入ってきた。雨の気配だ。魔法灯の明かりがやけに眩く感じるのは、外が暗いからかもしれない。
ジュリアスが窓を閉めている。風と外の音が遮断されて静かになった。
私は席を立ち、窓際でカーテンを捲った。外は黒い雲が空を覆い始めていた。
「天気が悪くなってきたな」と、クェンティン。
「アリヴィナさんの決闘、どうなったかな……?」
一番気になるのは、アリヴィナとイザベラの魔法勝負だ。嫌な予感がするのだけど、気のせいだろうか。もしアリヴィナが負けたら、ファルコン組の平和はどうなってしまうんだろう。
雨が降ってきたと同時に、誰かが医務室に駆け込んできた。
「失礼しまーす! あれ? クレア先生はいないの?」
「アリヴィナさん!?」
私の心配を払拭するように、アリヴィナの調子は明るかった。しかし、アリヴィナの髪はボサボサで泥まみれ。そして傷だらけだった。
「ああ、こんなのかすり傷よ! それにしっかり勝ったし!」
アリヴィナは私に向かってVサインした。
「ほ、ホント?」
「うん。完全に私の勝ち!」
「良かったぁ」
私はほっと胸をなでおろした。
私の言動を目の当たりにして、アリヴィナは珍しい物を見た時のように笑った。
「何、アンタ応援してくれてたの?」
「うん、勿論だよ!」
アリヴィナは驚いているが、やがて嬉しそうに微笑んで「……ありがと!」と言った。アリヴィナの反応からすると、リリーシャの言葉とは考えられないことのようだ。相当、仲が悪かったらしい。ついには、アリヴィナの鼻歌まで飛び出した。よほど、私の応援が嬉しかったらしい。
「じゃあ、俺クレア先生探してくるよ」
「うん、ありがと! クェンティン、頼んだよ」
アリヴィナは一人、ソファに座って胡坐をかいている。
見ていられなくなったのか、クェンティンはクレア先生を探しに医務室を出て行った。
クェンティンの駆け足が遠のいて行った。
「リリーシャ、早く提出しないと、ビートン先生が帰ってしまうよ」
「あ! そうだった! じゃあ私は、問題集を提出しに行ってくる!」
私はノートを閉じて、大事に抱きしめた。すると、ジュリアスが私の傍まで歩いてきた。
「僕もついて行くよ。目を放すと君はすぐに問題を起こすからね」
「むっ!」
ジュリアスの言い方に私は腹を立てた。
これでも、私は、日本にいた時は地味だったけれど良い生徒だったのだ。先生からも気に入られていたというのに。
「その言い方だと、私は問題児みたいだよね」
怒ってジュリアスに告げると、ジュリアスとアリヴィナは私をジト目で見て失笑した。
「違うんだ~?」と、アリヴィナ。
「へぇ~?」
ジュリアスの言い方までもが、どこか含みがある。
「う゛」
確かに、私はこちらに来てから問題ばかり起こしているような……? その度に、ジュリアスたちに迷惑をかけていたような……? その事を、やっと思い出して自覚した。
ついに私は、ぐうの音も出なくなってしまったのだった。
・*:..。o○☆*゜¨゜゜・*:..。o○☆*゜¨゜゜・*:..。o○☆*゜¨゜
「失礼します」
その頃、シャード先生の魔法学の教室に一人の青年が訪ねていた。
シャードはその青年とは初対面だ。しかし、何がそんなに衝撃的だったのだろう。思わず椅子から立ち上がったほどに驚いていた。
「魔法研究所から参りましたが、今日はマクファーソンさんはいらっしゃらないみたいなんですが」
「あ、ああ。今日は出張で不在だ」
「そうですか。出直します……あの、私の顔に何かついていますか?」
青年は苦笑している。シャードは自分がその青年を物珍しさのあまり凝視していたことをやっと自覚した。
「いや、失礼。ベルカ王国では珍しい目と髪の色だと思ってな」
青年は黒髪と黒目を持っていたのだ。その上、優しそうな面持ちで柔和な印象を受ける。香姫より二歳ほど上ぐらいで、まだシャードより十ほど若い。癒し系というのは彼のためにある言葉かもしれなかった。
「珍しい? ああ、私はこの国の生まれではないですからね」
青年は納得して微笑んでいた。シャードも合点して頷いた。
シャードはデータキューブを開いて、ペンで画面を突っついた。
「名前を聞いておこうか」
「景山澄恋です。澄恋景山って言った方が良いのかな?」
「澄恋景山だな」
そして、シャードはマクファーソン先生に伝言するために、データキューブにメモを取るのだった。
・*:..。o○☆*゜¨゜゜・*:..。o○☆*゜¨゜゜・*:..。o○☆*゜¨゜
その頃、私はビートン先生の古代魔法学の教室から丁度出てきたところだった。
問題集の答えを提出する際に、ビートン先生のお小言を百ぐらい聞いた。かいつまんで説明すると、先生は自分が責任を取らなければならなくなるということが一番重要な問題らしかった。遠回しに言っているが、どうもそう聞こえて仕方がないのだ。
「お、終わった……」
教室から出てきた私は、イザベラと死闘を繰り広げたアリヴィナと同じぐらいの気分だった。ボロ雑巾のようになって、よろよろと廊下の壁に手を付いた。
「お疲れ。あんな危険な場所に連れて行くビートン先生も先生だと思うけどね」
廊下で待っていたジュリアスが、笑いながら声をかけてきた。
「聞いてたの?」
「廊下まで聞こえて来たよ。でも、リリーシャに何もなくてよかったよ。あの幽霊はハモンドの可視編成なのか、それとも――」
ジュリアスが喋っているところで、足音がしたので私は何気なく後ろを振り返る。
瞬間、私は後ろの人物に目がくぎ付けになった。
ローヒールの靴音がスローモーションのようにゆっくりと聞こえる。
黒髪が漆黒の瞳が、日本にいたころの記憶を呼び覚ます。短い黒髪は軽やかにふわふわと揺れている。睫は長く、雪のような肌で、中性的な顔。異世界の人と並んでも見劣りしない背の高さ。医者のような白衣を着て、颯爽と歩いている。
それが、目の前を横切った。
「うそ……!?」
まさかこんなところで彼と邂逅するとは思わなかった。衝動的に、廊下を走り抜けた。
「リリーシャ?」
ジュリアスが追いかけてきた。曲がり角に出るが、そこにはもう誰もいない。
私が、日本で一番恋焦がれていた人物。名前は、確か。
澄恋――景山澄恋。
・*:..。o○☆*゜¨゜゜・*:..。o○☆*゜¨゜゜・*:..。o○☆*゜¨゜
その頃、イザベラは雨の中、泥まみれになって地面に座り込んでいた。
アリヴィナには手も足も出なかったらしい。アリヴィナの攻撃魔法でイザベラはコテンパンにやられたのだ。
「負けた……うあああああ……!」
イザベラは悔しくて、雨の中号泣していた。そこに、傘が差しだされる。紺の傘だった。
「大丈夫?」
雨粒が傘を叩く音が、彼女の涙を静めた。
見知らぬ女が一人、イザベラに傘をさしかけていた。
「可視編成!」
「っ!?」
彼女は出し抜けにイザベラに呪文を唱えた。
そして、イザベラは力を失い倒れてしまったのだった。