第九話 クェンティンの居場所
「クェンティン君!」
屋上のドアはまるで私を招き入れるように開いていた。私は夢中でその中に駆け込んだ。
手のひらに入れていたせっかくのお菓子は、気が付くと半分に減っていた。途中で大半を落としてしまったのかもしれない。構わずに、私はクェンティンの姿を求めて屋上を歩き回った。
空には晴れ間が広がっている。いつも通りの平和な空が。しかも、屋上は私の背の高さの半分くらいの柵があるだけだった。飛び越えることも簡単にできてしまうようなこの高さに、私は恐怖した。
まさか、もうクェンティンは――。悪い予感が胸中で蟠る。すると、閑散とした屋上に彼の後ろ姿があった。彼の短い金髪が風に吹かれてはためいている。
「クェンティン君……」
私は、安堵した。息を切らしながら、彼に近づいて行く。
「どうしたの、リリーシャ」
クェンティンは振り返って、微笑んだ。いつも通りの彼らしい。
「この場所に俺がいるってどうしてわかったんだ?」
「アリヴィナさんに聞いて……クェンティン君が早まるかもしれないっていうから、びっくりしちゃって!」
「俺がそんなことすると思った?」
クェンティンはくすりと笑った。
「屋上では、空を飛ぶ訓練をするから、柵が低いんだよ」
「そ、そうなんだ」
けれども、魔法を使えない私としては、空を飛ぶなんて発想は湧いてこない。あんなことを言われたら大慌てするのが普通じゃないか。もしかすると、ガーサイドもブレイクも、私とクェンティンによりを戻してほしかったのかもしれない。だから、あんな脅しのようなことを言ったのだ。
クェンティンは空を見上げた。
「この場所、リリーシャとよく来たなぁ……それで、リリーシャと結婚式ごっこしたっけ」
「……ごめんなさい」
私は泣きそうになりながら、頭を下げた。クェンティンにはその気はなくても、私は責められている気分になる。
クェンティンは空から、私に視線を戻した。
「謝るなら、これを可視してよ」
クェンティンは、小瓶を私に手渡した。ビー玉が一つだけ入りそうな小さな小瓶だ。それには、ふたが閉められてあり、中身が出ないようになっている。小瓶の中にはオレンジ色の土が入っていた。
「何、これ……」
私は、お菓子を胸ポケットに無造作に入れた。手に付いたお菓子を払う。疑問に思いながら、それを受け取った。
あれ……? ちょっと待ってほしい。どうして、クェンティンは、私が『可視できることを』知っているのだろう? 私が、可視使いになったことは教えていないはずだ。そう思ったが、この小瓶に入っている土の正体が気になった。そして、知らず知らずのうちに可視していた。
それは、あの森の中で可視してしまった、煉瓦と同等のものだった。気付いたときにはもう遅い。胸の中が負の感情で占められる。人々が拷問されて、惨く惨殺されていく。その姿が鮮明に私に迫る。
「ッ……!」
気が付いたときには、私は倒れていた。
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その頃、アウルベアの入った檻は、魔法でぷかぷかと浮かんで運ばれていた。
マクファーソン先生が鍵を開けると、シャッターが開く。そこは体育館の半分ほどある魔法学校の大きな倉庫だった。
ガシャン、と檻が降ろされた。檻の中のアウルベアは眠ったままで、目覚めない。
「マクファーソン先生、手伝ってくれてありがとね」
「明日、森に逃がしに行くのかね?」
「そうね、今日はもう遅いから……これからじゃ手伝ってくれる軍警にも悪いし」
ボール先生はアウルベアの毛並みを撫でながら呟いた。
「じゃあ、シャッター閉めるわよ?」
「はいはい、お疲れ様だな」
シャッターに鍵が閉められる。
けれどもそのシャッターに、無造作に転がったスナック菓子が挟まって潰れた事を、誰も疑問に思わなかったのだろうか。
マクファーソン先生も、ボール先生も、和気藹々としゃべりながら校舎の方に戻っていく。
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私は、シャッターが閉まる音で、意識を取り戻した。
それを見計らったように、倉庫の照明が点いた。
目を開けると、アリヴィナから貰ったお菓子が床に散らばっているのが見えた。ざらりとした冷たいコンクリートの床が頬に当たっている。
私の低い視界に、誰かが歩いて来て私の目の前で立ち止まった。
「……っ!」
尋常ではない状況に、私は慌てて上体を起こす。特に、縄で拘束されているということもない。
「……起きましたか?」
「クェンティン君!?」
目の前に現れたクェンティンに瞠目した。
彼は上体を起こした私に合わせる様にその場にしゃがんだ。落ち着かせるように、彼は長く息を吐く。
「やはり、この煉瓦の粉末は可視使いにとっては酷なようですね……」
「それって、一体何なの?」
クェンティンが更に私にその小瓶を見せつけようとしたので、私は視線をそらした。見てしまえば、また先ほどの二の舞だ。
それに、クェンティンのこの言葉の端々の違和感と態度は、気のせいじゃない。もし、私のような転生のような目に、クェンティンが遭っていたとしたら。
「それに、貴方、クェンティン君じゃないよね? 一体誰なの?」
明らかに、彼は別人だ。クェンティンはどこに行ってしまったのだろう。
彼が小瓶をポケットに仕舞ったのを見計らって顔を上げた。そして、クェンティンの姿をしたそれを見つめた。
突然、倉庫のシャッターを叩く音がして、クェンティンと私は反射的にシャッターの方を振り向いた。
「リリーシャ! 居るんだろ!」
それは、他の誰でもないジュリアス・シェイファーだった。