第六話 クェンティンと香姫(かぐや)*
「それでは、授業を終わる」
チャイムが鳴ったので、シャード先生は授業を早々と切り上げた。皆は連れ立って魔法学の教室を出て行く。
私はただ気分が悪かった。どうやら、余計なことまで可視してしまったらしい。
「リリーシャ!」
聞き覚えのあるテノールの声がして、私は恐る恐る振り返る。それは、他の誰でもないクェンティン・ノースブルッグだった。
追い打ちをかけて気分が悪くなった。私は立ち上がりざまによろけて、ジュリアスに支えられた。
「大丈夫か?」
「うん、平気」
「ノースブルッグ、リリーシャは気分が悪いから」
「じゃあ、俺がリリーシャを医務室まで送る!」
「それは困るな」
「リリーシャに話があるんだ!」
ジュリアスが止めようとしても、クェンティンは引かない。決意を秘めた目で、私を見ている。
私は、今回はまずいなと思った。第六感がそう告げている。けれども、いつまでもジュリアスを盾にしてやり過ごすわけにはいかないようだ。
「話があるんだね。ジュリアス君は先に次の授業に行ってて?」
「……分かった」
ジュリアスは肩をすくめると、データキューブを持って先に魔法学の教室から出て行った。
「行こう、リリーシャ」
クェンティンは微笑んで私の手を取る。先ほどの悪い予感が嘘のように消えた。あれは、気のせいだったのだろうか。
「リリーシャ……『夕陽が見える高台』で俺たちは愛を誓ったよな『生涯、愛しぬく』って」
「ごめん、覚えてないの……」
そんな思い出を語られても、私は本物のリリーシャじゃないから分からない。クェンティンとリリーシャはどんな恋愛をしていたんだろう。
疑問を持ってクェンティンを見た途端、しなくていいのに彼の裸を可視してしまった。細身ながらも無駄のない筋肉がついた彼の身体を。
「うう……っ」
「リリーシャ、大丈夫?」
今日のクェンティンは、愛をささやくこともなく気遣わしげだ。
私は、可視しないように制御しなおした。
「うん、大丈夫だよ、クェンティン君」
「……うそだね」
「嘘じゃないよ。全然、大丈夫だよ」
私は、気を使わせないように、明るく振る舞った。
クェンティンがいつの間にか足を止めたので、私も足を止めて彼を振り返った。休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴ったので、人通りは全くなくなった。
クェンティンの顔には心配がありありと浮かんでいる。彼のリリーシャへの愛情には敬服させられてしまう。私は心配をかけないように、更に元気に振る舞おうとした。
「本当に、大丈夫だから!」
「……違う」
「えっ」
「こんな時だったら、リリーシャは『えっ、何が?』って言うんだ」
「えっ?」
「それに、俺の事を『クェンティン君』なんて、君付けしない」
クェンティンの目は、戸惑っていた。記憶喪失になったせいで完全に違う人格になってしまったと思っている。クェンティンは私の事を、リリーシャだと思い込んでいるのだ。私は、これ以上嘘を突き通すことに罪悪感を覚えた。
「ごめんなさい……! 私、リリーシャじゃないんだ。香姫って言うの」
これ以上、クェンティンを騙すことはできなかった。クェンティンは瞠目して私を見ている。
「何言ってるんだよ、君は記憶喪失で……」
「違うの、外見はリリーシャ・ローランドだけど、中身は鳥居香姫なの」
「……じゃあ、じゃあ、リリーシャは!? 俺のリリーシャはどこに行ったんだ!?」
クェンティンが手を掴んできたので、私は思い切り振り払った。
「怒鳴らないでよ! 私だって、こんな姿になって困ってるんだから!」
「……どういうことだ?」
「私は、こことは違う世界で殺されたの! 気が付いたら、この姿になっていたの! もとのリリーシャなんて、私は知らない! 元に戻れるならとっくに戻ってる!」
私は一気にまくし立てて、息を切らした。クェンティンの瞳が揺れる。
「じゃあ、本物のリリーシャは!?」
「……多分、私と同じように……何者かに殺されたのかな……」
「殺された……っ!?」
まるで魂が抜け出る様に、クェンティンは震えて、自分の口を震える手で押さえた。そして、涙が一筋零れ出た。
私はクェンティンの悲しむ姿に耐えられなくて、その場に土下座した。
「ごめんなさい! リリーシャさんじゃなくてごめんなさい! 貴方からリリーシャさんを奪ってごめんなさい!」
「……っ!? 君は悪くないんだろ! どうして謝るんだ!?」
「でも、ごめんなさい! クェンティン君に辛い思いをさせてごめんなさい! 私なんか、居なければ……! うあああああああ!」
私はついに、地にひれ伏して泣きわめいた。
「そんなこと言うな! 居なければいいなんてことは絶対にないんだから!」
クェンティンが私の手を引き起こす。慰める様に、クェンティンは私を抱きしめる。しばらくの間、私とクェンティンはリリーシャの死を悼んで泣いていた。
医務室についたころには、授業が半分ほど済んだ時刻になっていた。
私は、医務室の扉の前で振り返る。泣きはらした顔でどういう表情をしていいか分からない。
「クェンティン君、許してくれてありがとう」
「安心して、皆には言わないから」
「うん」
「ええと……まだ、気持ちの整理がつかないから、リリーシャって呼んでも良いか?」
「うん」
私は、申し訳ない気持ちで返事した。鳥居香姫になれないのは仕方がない。クェンティンはにっこりと笑った。
「じゃあな、リリーシャ」
その言葉は、本物のリリーシャに対しての別れの言葉だったのだろうか。それとも、私を慰めるための――。
そして、クェンティンは授業に戻って行った。
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クェンティンは、涙を零しながら歩いていた。
そんな、彼の前に不気味な影が現れた。
クェンティンに、何事か喋って、キーホルダーを渡していた。
「これは?」
リリーシャが持っているキーホルダーだ。けれども、クェンティンはリリーシャがこのキーホルダーを持っていたことを知らなかった。そして、黒尽くめはクェンティンにパスワードを決めるように言った。
「パスワード……?」
クェンティンは微笑んで、パスワードを口にした。
途端に、キーホルダーのデータキューブが開く。クェンティンの悲鳴が辺りに響き渡った。
窓の外のカラスが、一斉に空に羽ばたいた。