第一話 異世界転生
私は、深い意識の中をさまよっていた。
こんなに長く眠っていた事は、今までの人生の中で一度たりともない。
断片的な夢を見終えた私は、強い光の中に意識を滑り込ませた。
「ううっ……?」
まぶたを押し上げる。
焦点の合っていない影は、乱視のように複数に増えて、ぐるぐると回っている。まるで、これは、眩暈のようだ。
そのどれもが、私を心配そうに覗き込んでいる。
次第に、視界が回ることを止め、ぼやけた絵のピントが合う。
影は、人だった。高校生ぐらいの生徒と先生だ。
すると、彼らは最終的には四人になった。
私は目を瞬いた。
しかし、彼らの記憶は、私の脳裏の片隅にもない。
目に新しいこの人たちは一体誰なのだろう。
意識が戻ったとき、記憶のドアが微かに開いた。
思い出した拍子に、心臓がドクンと鳴る。
まぶしい長方形の板のような照明が、天井に並んで点いている。周りの白い天井のせいで際立っている。
消毒液のにおいがする。
体に触れるのは、柔らかな布団だ。私は、今、布団の中にいるのか。
ここは、どうやら、病室のベッドの中らしい。
私は、特に拘束されているということもなく、手足は自由だ。
けれども、私は……!
「リリーシャが気が付いたぞ! クェンティン良かったな!」
「ああ、そうだなアリヴィナ! 本当に良かった!」
私は敵味方か分からずに戦々恐々としていたのに、私の意識が戻ったことを大喜びしてくれた。
手を叩き合って喜んでいるのが、私の年齢より少し大人びた学生だ。
そして、私を見下ろして喜んでいるのは、大人の若い女と中年の男だ。
少年少女の方はローブのような学生服姿で、大人の方は裁判官のような黒い服を着込んでいた。
しかも、彼らが話している言葉は、私が普段使っている日本語ではなかった。
それなのに、私はこの言葉を日本語と同じように『理解できて』いる。
「シャード、良かったわね!」
「ああ、クレア」
しかし、彼らは全員、金髪碧眼だ。
日本人の付き合いしかなかった私にとっては、それも不自然だ。
何故、彼らは、初対面の私をこんなにも親しげに全快を祝ってくれているのか。
「今日はみんなでお祝いだぜ!」
「愛しい俺のリリーシャ、また来るから。早速、クラスメイトのみんなに知らせてこないとな!」
「待って、私も行く!」
アリヴィナという男勝りな少女と、クェンティンという私に熱視線を送ってきた少年は、弾む声で雑談しながら部屋から退室した。騒がしい足音が遠退いていく。
「……ここはどこですか?」
「カレイドヘキサ魔法学校の医務室よ」
「カレイドヘキサ魔法学校の医務室……ですか?」
確か、そんな感じの遊園地が日本にあった。けれども、ここが遊園地のアトラクションではないことはすぐに分かった。その遊園地で気を失ったわけではないことも。
「あの、リリーシャって? それって誰ですか? もしかして、私のこと……?」
自然に湧き出た私の問いも、また日本語ではなかった。習ったわけではないのに、母国語のように口をついてその外国語が出てきた。
シャードとクレアは顔を見合わせている。先ほどまで喜んでいた顔が、嘘のように強張っている。二人は長いため息を吐いて、肩を落とした。
「貴方の魂が、本物のリリーシャ・ローランドの魂でないことは、最初から分かっていたわ」
「えっ!? 本物のリリーシャ・ローランドの魂でないことは!?」
私は自分の名前を尋ねた時点で、クレアが「記憶喪失になったのか」と驚愕することを予想していた。
なのにクレアは、私の魂が何者なのか知っている……?
「香姫・鳥居。日本では、鳥居・香姫というのか」
シャードの低い声が、重苦しく辺りに響いた。素性を言い当てられたことに、私は動揺を隠せない。
「そうです! それが、私の本名です!」
まだ事態を把握できてなかったが、自分の事だけは理解できていた。
鳥居香姫は私で、他の何者でもない。以前の記憶もちゃんとある。
それなのに、彼らは私の事を『リリーシャ・ローランド』と呼ぶ。何故なんだろう?
「だが、ここは、『ベルカ王国』。そして、鳥居。お前が日本に戻れないことはもう分かっているな?」
「ウソだよね? 確かに、私の名前は月に帰ってしまいそうな名前だけど……!」
そして、ついに勘付いた私は、シャードとクレアを真剣な目で見つめた。
「もしかして、ここは月なんですか!?」
「さっきからベルカ王国だと言っているんだが! 頼むから落ち着いてくれ!」
シャードから鋭いツッコミが返ってきた。
混乱していたが、私はクレアに促されて深呼吸を繰り返した。
「お前は、『リリーシャ・ローランド』だ。十六歳で、カレイドヘキサ魔法学校の優等生だ」
私は、困惑しながらシャードを見つめ返した。
「……違います。私は『鳥居香姫』十六歳です。純粋な日本人ですし、霊感は強かったけど、普通の一般市民でした。それに、自分の事は貴方より私のほうが良く知ってますよ?」
「……」
「何も間違ってないと思うんですが?」
シャードは青筋を立てていたが、鏡を手渡してきた。
「鏡をよ~く見ろ!」
「……?」
私は、仕方なく手鏡を覗く。
そこにはいつもの黒髪黒目の私の姿が映るのだと思っていた。だが、とんでもない姿を目の当たりにして息を呑んだ。
鏡には『金髪碧眼』の少女が映っていたのだ。
鏡に映った少女の髪の毛は、ロングでストレートの金髪だ。
どう見ても、先ほど病室にいた学生と同じくらいの年齢だ。
先ほど、シャードがリリーシャは十六歳だと断言した。
私と同い年だ。彼女が少し大人びて見えるのは、西洋人の容姿だからに違いない。
その鏡に映ったリリーシャは、私の行動通りに動いた。まるで私が、リリーシャの着ぐるみを着て動いているような感覚だ。以前の『鳥居香姫』ではないことは一目瞭然だ。
手鏡を持つ手が、恐怖で微かに震える。
それを見守っているシャードが解説する。
「よく聴け! お前は、全てを見通す特別な存在『可視使い』として、生きて行かなければならない。『可視使い』とは千里眼を使う者の事だ」
「ウソ……? 私は……私は、元に戻れないんですか?」
「ああ、私たちが使う『魔法』でも、元には戻せない。現在、可視使いはお前ただ一人だけだ。だから、残念ながら私たちが使う魔法では犯人も特定できないし調べられない」
「そんな……っ!」
「可視使いになったことは黙っていろ。繰り返すが、現在、可視使いはお前一人だけだ。だから、用心した方が良い。可視使いになったことは、珍しい財宝を隠し持っていることと同じぐらい危険なのだからな」
私は、食い入るように手鏡を覗き込んだ。
角度を変えてみても、リリーシャの――いや私の、金髪碧眼は本物で、鏡が細工されてあるということもなさそうだ。
よく見れば、私の手も薄いピンク色をしている。以前は薄い黄色の肌だったのに。
「安心して、私たちの味方でいれば悪いようにはしないわ。日本ではなかった『魔法』も学べるのよ。素敵でしょ?」
私が、無言でしつこく鏡を覗き込んでいるので、二人は同情したように顔を見合わせた。
「カレイドへキサ魔法学校の生徒たちは、みんなこのことを知らないから、貴方は記憶喪失ということにしておいてね。今日はこの医務室に泊まるといいわ」
「俺は、シャードだ」
「私は、クレア。よろしくね」
黙り込んでいると、二人はそのまま部屋を出て行った。
「リリーシャ・ローランド……」
私は名前をポツリとつぶやいた。医務室にはもはや誰の気配もない。
病室のように並んだベッドは、私以外は使用していないようで、白い間仕切りのカーテンが開けられていた。
私は恐る恐る、周りを見渡す。
デスクが一つとテーブルとソファ、そして、無機質な薬棚と、着替えを入れるかご。そのどれもが、窓から差し込む夕日の赤い光で染まっていて恐ろしかった。
まるで、どこからか誰かが出てきそうな気がして。
私はその不気味な静けさに怯えながら、布団を頭からかぶった。
『再び殺されるのか』という心配が薄れたのは、翌日の明け方の頃だった。