第十七話 カーティス・セシル*
ぐったりしながら、医務室の前の廊下を歩いている。賢者の腕輪のせいで、精も根も尽き果てていた。私は医務室のドアをノックした。
「失礼します……」
部屋の中は、がらんとしていた。デスクの椅子に座っている白衣が目に留まり、クレア先生だと一瞬錯覚した。
「やあ、鳥居さん」
私は声をかけられて、ギョッとした。白衣を着ていたのは、上級生だった。
「せ、セシル先輩!?」
「僕の名前を知ってるのかい?」
私は三度うなずいた。知っているも何も、リリーシャを魔法会にしつこく勧誘して、なぜか私の名前を知っているという、不可解なひとだ。今日は、同業者のディーナ・アロースミス先輩はいないようだ。
カーティス・セシルは、天然パーマが緩くかかっている金髪に、青い目で二重の優しそうな先輩だ。背の高さは十五歳の澄恋より頭一つ分くらい高い。
でも、なんで、セシル先輩は私の事を知っているんだろう?
私はうっかり疑問を持ってしまった。そして、見なくていいのにセシル先輩の上半身の裸体を見てしまった。痩せマッチョの綺麗な小麦色の肌をしている。
「ううっ……」
私は慌てて、目を制御しなおした。素知らぬ顔をして続ける。
「セシル先輩は有名人ですから良く知ってます。セシル先輩はここで何をなさってるんですか……?」
「ああ、魔法会の活動の一環でね。クレア先生の代わりを何時間か頼まれているんだ」
「ふ、ふーん……そうなんですか……魔法会の活動の一環で……?」
「そうだよ」
魔法会って、よく分からない活動をしているんだなぁ。クレア先生の代わりをするなら、授業はどうするんだろう。
疑問を言葉に変えようと思った時、騒がしげな声と足音が近づいてきた。
「誰かくる! クラスの人が私の様子を見に来たのかも! ど、どうしよう!」
右往左往していると、セシル先輩が椅子から立ち上がった。
「いいかい? 君はベッドの方でカーテンを引いて隠れてて! 僕が何とかしよう!」
「は、はい!」
私は急いでベッドに飛び乗って、カーテンを閉めた。ベッドの中で息をひそめる。
「失礼します!」
「失礼します!」
医務室のドアが開いて、誰かが入ってきた。
「香姫さん来てますか! 私たち、香姫さんのクラスメイトでお見舞いに来たんですの!」
「香姫に勝負を挑みに来たのよ!」
「あの子、本当は強いのかもしれないからね!」
イザベラとアリヴィナとリリーシャ!?
私の態度が変だったから、様子を見に来たんだ!
「鳥居香姫さんね……」
セシル先輩の疲れたような声が聞こえてきた。
「あのベッドですか!」
「お見舞いしていいですわよね!」
彼女たちはこちらに突進してきそうな勢いだ。セシル先輩の防御壁など簡単に打ち崩されてしまいそうだ。
「っ!」
慌てて布団の中に滑り込もうとしたとき、セシル先輩の声が聞こえてきた。
「ダメだね! 彼女魔力を使い果たしてしまったようだから、今日は絶対安静なんだ。魔力が一滴も残ってない。相当無理したらしいけど、彼女、一体何をしたの?」
セシル先輩はリリーシャたちの会話から、私の事情を推測したらしい。適当に病状を取り繕ってくれた。一瞬、医務室が静まり返った。
「そ、そうですの! 香姫さんは、桜の木を満開にしたから驚いてしまったんですけど」
「あの満開の桜の木って彼女がしたの? すごいね!」
セシル先輩の笑いをこらえるような声が聞こえてきた。
ううっ、セシル先輩って、その実は楽しんでるような……?
「でも、魔法が使えない鳥居さんですし、寝込んでいるみたいですし。どうやら、まぐれかもしれませんわね!」
「かもね! 可視編成が使えないのにムリしたんだわ!」
私はベッドの上で崩れ落ちるように安堵の息を吐いた。どうやら、まぐれと思ってくれたようだ。これで、明日から普通にファルコン組に登校できる。
「そんなに、桜を満開にしたかったのかな?」
今度は、アリヴィナたちの楽しんでいるような声が聞こえてきた。
「ウケますわ。メリルと一緒にお花見でもしようかしら」
「私もクェンティンと一緒に桜の木の下でデートするわ! 香姫に感謝しないといけないわね!」
「あれ? アミアンどこ行った?」
「アリヴィナもアミアンとデートなの!」
「ちげーよ! リリーシャを倒す特訓するんだよ!」
私のことなど二の次になっていることが面白い。私はベッドの中でこっそり笑った。
「はいはい、もう帰ってね」
「はぁい!」
彼女たちの足音が遠ざかる。
「もう帰ったみたいだよ」
「ありがとうございます!」
私はベッドのカーテンを引いて、お礼を言った。
「じゃあ、僕は少し席を立つから、医務室でゆっくりして行ってね!」
セシル先輩はにっこり笑って、医務室から出て行った。
私はカーテンを引いて、横になった。古代魔法を使ったせいか、ひどく眠たかった。気が付いたときには眠りの中に引きずり込まれていた。
何時間眠っただろうか。誰かに見られているような気がして、私は眠りから目覚めた。
「う~ん……う~ん……」
酷く寝苦しい。誰だろう? この絡みつくような視線――。
「香姫さん」
「ぎゃあああああああああああ!」
目を開けると、アレクシス王子がベッドの脇から見ていたので驚いた。
「な、何やってるの!?」
私は身の危険を感じて、体を起こした。
「何って、香姫さんの寝相の観察です」
「えー……?」
アレクシス王子はにっこりと笑った。全然悪びれてないし、堂々としている。
呆れ返った私はアレクシス王子を半眼で見つめるのだった。