第十五話 優しいのか意地悪なのか*
ジュリアスはドアを開けて、私を背負ったまま入室する。消毒液で清められたような医務室のにおいがした。
「クレア先生、少し診てくれませんか?」
「診るってローランドを?」
負ぶされた私の姿にただ事ではない様子を感じ取ったクレア先生は、顔色を変えてこちらにやってきた。
私は、ソファの上に降ろされた。
「よいしょ、と」
「ジュリアス君ありがとう」
治療とは、具体的に何をするのか。可視編成をかけるんじゃないとしたら、もしかすると包帯で巻くだけなのかもしれない。
ソファで座って伸ばしている私の足に、クレア先生の目が留まった。
「ちょっと、ローランド! その足どうしたの!?」
「魔法勝負で負けちゃったんです……」
私の足は赤く腫れあがっている。
クレア先生が私の足元をよく見える様にしゃがんだ。
「クレア先生、早くリリーシャに可視編成を」
「えっ!?」
驚いてジュリアスを振り返ると、彼は、ニヤッと笑った。
ジュリアスは、一体何を考えているんだ!? そんなことをしたら、私の足は……!
「分かったわ!」
まさか、クレア先生まで了解するとは思わなかった。私の全身からサアッと血の気が引いていく。
「嫌です! 可視編成は嫌ですっ!」
治るどころか酷くなるのだから、たまったものではない。
「何言ってるのよ!」
拒絶を繰り返す私に、クレア先生は怒鳴った。
「何が何でも嫌なんですっ!」
クレア先生が再び鬼のような形相になる。
「可視編成!」
クレア先生の呪文が、私を縄でぐるぐる巻きにする。それでも、私は尺取虫のように動いて抵抗しようとした。
「シェイファー、リリーシャを押えてて!」
「嫌だって言っているのに!」
私が、すがるようにジュリアスを振り返ると、彼は声を殺して笑っていた。
「はい。大人しくしような、リリーシャ」
彼は、完全に私のことを面白がっていた。この野郎……!
助けてくれた時は、良い人なのかもしれないと思ったが、思い違いだったのか。ジュリアスは、意地悪だ。今だって肩を震わせて、独りで笑いをこらえている。
その時、クレア先生が可視編成を唱えた。
「うわあああ! 放せええ!」
私は、大泣きしたが、もはや手遅れだったようだ。
「……終わったわよ」
クレア先生が疲れたような声で言った。
「不可視編成!」
彼女が呪文を唱えると、私を芋虫のように縛っていた縄もきれいさっぱりと消えた。私は泣きながら、自分の足をちらっと見た。
「足首腫れてない……?」
私はキョトンとなって、瞬きした。恐る恐る立ち上がって、飛び跳ねてみる。
全然痛くない……?
「えっ? あれっ? 治ってる?」
「シェイファー、ローランドに一体何を言ったの?」
「足首がもっと腫れあがるって……」
「私は治療が専門だから、安心してくれていいわよ」
「どういうことなの? ジュリアス君が嘘を言ったの?」
「嘘じゃないよ。未熟な僕たちが下手に治すといけないって言ったんだよ」
ジュリアスはにこにこしながらそうのたまった。
「そういうの、屁理屈って言うんじゃないのかな!」
「そんなつもりはなかったんだけど?」
そんなつもりがなかったら、早く教えてくれるはずだ。
私はジュリアスを涙目で睨んだ。
「……それより、ここは静かだね」
ジュリアスは私から視線と話をそらした。この話は終了と言わんばかりだ。
やっぱり、優しい人が好きだ。初恋の人のような、優しい人が。人を苛める奴は嫌いだ。私は心の中で強く首肯した。
ジュリアスは窓辺に立ち、カーテンを開けてそよ風を受けている。
生徒たちの楽しそうな声が時折、早足で駆け抜けていく。それも、ハーモニーが奏でているようで、遠巻きに聞こえるそれは子守唄のような。そのせいで、私の怒りも大分削がれてしまった。春の日差しのお蔭と、先ほど泣きわめいたせいで、ぼうっとしてしまう。
「もしかしたら、魔法学校の中で一番ここが静かかもしれないわね? 私が、病気の人以外追い出すから、怖がって滅多に生徒たちはこないし」
「クレア先生、僕はリリーシャに勉強を教えるようにシャード先生から言われているんですが。ここで教えても構いませんか?」
天国から地獄へ足を引っ張られたような気がした。うっとりとした眠気がすっかりと冷めてしまった。
私は驚いたまま瞬きを繰り返す。
「あら? そういうことなら構わないわよ」
「ありがとうございます」
そ、そんな!? ジュリアスに勉強を教えてもらうのは……!
私の困った表情もジュリアスにはどこ吹く風だ。
「そういうことなんで、よろしく」
ジュリアスは天使のような顔で微笑んだ。
それが悪魔の微笑にも見えて、私は心の内でうめいたのだった。




