第六話 黒い笑みのジュリアス*
今日の授業ももう終わる。長い一日だった。事件も何もないので、私はリラックスした気持ちで、担任のシャード先生が喋るのを聴いていた。
「では、ショートホームルームを終わる」
「起立、礼」
丁度、チャイムも鳴り終わった。生徒たちは、談笑しながら帰って行く。私は、データキューブをポケットに仕舞って立ち上がった。
「じゃあ、ジュリアス君……」
私は医務室に行くけどどうする……?
そう訊こうと思って振り返ったとき、ジュリアスはイザベラと話していた。
ジュリアスは友達なので、行動を共にすることが多かった。だから、いつものように訊いてしまったのだが……。どうやら取り込み中だったらしい。
「ジュリアス様、一緒にマジックショップに行きません?」
「いや、遠慮しておくよ」
「じゃあ、ご飯を一緒に――」
「ごめんね」
うっわー。
ジュリアスは、イザベラから猛アタックを受けているが、人の好い笑顔で彼女のジャブをいなし続けている。す、すごい……。
一糸乱れぬ笑顔のスルーに、イザベラは息を切らして、私をにらんだ。
な、なんで、こっちに矛先が!?
「香姫さんといても魔法も使えないしつまらないことしか言いませんし、ジュリアス様のご負担が多いと思うのですわ。それよりは私といた方が――」
イザベラは胸の間を押えて、前のめりになった。
ジュリアスの眼がすうっと細くなった。
「僕が誰といようと僕の勝手だよね? 僕に近づかないでくれないかな?」
ジュリアスの言葉も辛辣だ。私は、ジュリアスが仲間には非常に優しいことを知っている。しかし、敵には滅多刺しに容赦しないことも知っている。
一言で言えば、ジュリアスは常に笑顔だが黒いのだ。私も、怒らせると怖いので、滅多なことは言わない。いや、ジュリアスは私には何故か非常に優しいので、逆らうような言葉を言ったことは記憶にはない。
「ねえ?」
「えっ?」
私の肩を人差し指で叩く人がいたので振り返った。それはグレンだった。
グレンは、アレクシス王子の部下の一人だ。妖魔の居場所を教える仕事のあっせんをしている。実態はあまり知らないが、同じ中学生とは思えないような存在だ。
「鳥居さん、シャード先生がお呼びだったよ」
「あ、グレン君。ありがとう」
「あとね――」
「な、何?」
また、アレクシス様がらみで何かあるのだろうか。私はごくりと喉を鳴らして、息をひそめる。
「君の気持ちは、ありがたく取っておくから」
はい……? はいぃいいい!?
まさか、まだアレを誤解していたのか!?
「いや、あれは、何かの間違いなの! ミジンもそう言う気持ちはないからね!」
「またまた~。じゃあね、鳥居さん!」
「って、聞いてないし!」
グレンはにこにこ顔で帰って行った。アレは、『鳥居さんには、そんな気持ちはないんだけど、モテてうれしかったなぁ!』という顔だった。でも、グレンにそんなつもりがないようで安心した。勘違いだが喜んでくれて良かったじゃないか。はは……。
教室には、まだ十人ぐらい残っている。
シャード先生は教卓でデータキューブを弄っている。
シャード先生が、私に何の用だろう……?
イザベラとジュリアスが舌戦しているので、私は気付かれないように横を通って、教卓の奥の黒板までやってきた。
「シャード先生、私に何のご用ですか?」
私はシャード先生の後姿に声をかけた。シャード先生は魔法黒板を消して帰り支度していた。ジェラルド・シャード先生は『ファルコン組』の担任の先生で、『魔法学』の担当教師でもある。
「ああ、景山澄恋が、『魔法研究所の用事で来るから、マクファーソン先生の『魔法演習』の『準備室』で居るから会おう』との伝言だ」
「えっ! 澄恋君が!? 教えてくださってありがとうございます!」
澄恋は、私の初恋の人だ。なんだかんだあって、私と澄恋はこの異世界に転生したのだ。澄恋は私の事を何とも思っていないようだが、私は五年計画で落とすと心に決めている!
現在、澄恋はわけあって魔法研究所で働いている。たまに、マクファーソン先生の所に魔法研究の事で訪れるのだ。
澄恋からのお誘いに、私はニヤニヤを押えきれない。
「最近は、何事もなくて安心したぞ」
シャード先生は、フッと口元を緩めた。
シャード先生は、私の『可視使い』の事を親身になってくれている、父親のような存在だ。
私が『可視使い』だということを知っている数少ない一人だ。私の正体を知っているのは、澄恋と、クレア先生、シャード先生、クエンティン、ジュリアス。それから、アレクシス王子とウィンザーぐらいなもんだ。
「でも、鳥居は危なっかしいから景山も大変だろうがな」
「えっ、そうかなぁ……リリーシャさんの方が危なっかしいような……」
シャード先生はグッとのどに詰まったような顔になった。
「それを言うと何も言えなくなる! あの問題児は予言者になるとかもう言っていないか? 私は心配で一回り痩せたんだ!」
実は、リリーシャの父親というのが、シャード先生なのである。やはり、危なっかしさで言えば、リリーシャの方がやはり何百倍も上のようだ。シャード先生の頬がこけているのは見間違いじゃなかったのか。
「だ、大丈夫です! シャード先生が心配されるようなことは何もないです!」
「そうか。安心した」
これ以上、シャード先生がやつれないように祈るのみだ。
「じゃあ、失礼します。さようなら!」
「ああ、また明日な」
私がいそいそと教室を出て行こうとすると、横から足早に誰かがやってきて、ドアノブをガッと先に握った。
私はギョッとして顔を上げた。
「どこに行くの? 香姫さん?」
「じゅ、ジュリアス君……!」
び、びっくりした……! 私の心臓は驚いたせいでバクバク鳴っている。
それに、なぜか、ジュリアスの笑みが黒い気がするけど、気のせいなのかなぁ……。
「あ、あれ? イザベラさんは?」
「ああ、イザベラさんは、とっくに根負けして帰って行ったよ」
ジュリアスはクスクスとほほ笑んでいる。
今日は、どうやらイザベラの負けだったようだ。
一途なのも大変なんだよなぁ。私も、澄恋が好きだからよく分かる。
「そ、そうなんだぁ……」
私は苦笑いするしか術がない。
しかし、ジュリアスの細めた目がすうっと開く。ギラリと光ったのは気のせいなのか。
「それで、どこに行くつもりなのかな?」
「い、いや、澄恋君が待っているって言うから……」
「知ってるよ。聴いていたからね?」
じゃあ、訊くな! とは言えず、何故か黒いジュリアスを見つめるしかできない。
ドアノブはジュリアスが握っているし。一進一退もできない。
「あ、あのぅ……」
早くドアを開けてほしいんですけど……。そう思った時、ジュリアスが言った。
「僕も一緒に行っても良いよね?」
『良いかな?』じゃなく『良いよね?』
どことなく、ジュリアスにしては強引だ。
「う、うん」
もちろん私は、拒否する理由もなかったのでうなずいた。
しかし、さっきからジュリアスの笑みが黒い……!
なんで黒いのか。その理由なんて私にはわかるはずもなかった。




