第二話 鳥居香姫の事情3*
二学期の初秋の頃。それも、日が暮れてくると、涼しくなってくる。そんな、いつもの魔法学校の放課後の事――。
私、鳥居香姫は、カレイドヘキサ魔法学校に通う高等部一年生の女子だ。
今日は、放課後の医務室でウィンザーとソファに座って話していた。ウィンザーというのはアレクシス王子の護衛人の一人だ。二十歳ぐらいの男性である。今日もアレクシスのお使いで、医務室に来たらしい。しかも、私に用があるらしい。しかし、私はその要件にひどく落胆していた。
「これ……」
私は、手渡された五百ルビーのお札を広げて、ため息を吐いた。そのお札をひっくり返してみたり裏返しにしてみたが、手品のように増えたりはしなかった。
どうして、五百ルビーなんだろう?
私はうっかり疑問を持ってウィンザーを見てしまった。すると、ウィンザーの服の下の黒光りするムキムキマッチョな裸体を『可視』してしまい、私は慌てて目を制御しなおした。
先ほどから、一体何の罰ゲームなのだろう? なんで、朝からウィンザーの裸体を見なければならないのだろう?
私は疑問を持って『人物』を観察すると、服の下のハダカを見てしまう。しかし、疑問を持って『物』を見ると、その『残留思念』を映像のように見ることができる。
つまり、透視できる特殊体質、『可視使い』なわけだ。それも、現在可視使いは私一人しかいないらしい。
『可視使い』が肉眼では見えないものを見ることを『可視』するという。物を可視すると、誰が何をやっていたか、弱点は何なのか、秘密は何なのかまで、見てしまえるという便利な特殊能力だ。
しかし、秘密を知りすぎることは命も危うくなる。なので、私が可視使いであることは絶対に秘密にしなければならないことなのである。だから、私の秘密は少数の人しか知らない。だから、可視使いであることをバレないように目立たなく行動しなくてはならないのだ。
それはともかく――。
私は、手渡された紙幣をウィンザーに提示する。
「これって、五百ルビーですよね?」
「はい、五百ルビーです」
ウィンザーに確認してみたが、これはどう転んでも五百ルビーだった。五百ルビーでは、食堂のご飯を、それもランクがかなり下の物を、一食しか買えない。それでも、魔法学校の学費や食費もろもろは、アレクシス王子が出してくれているらしいので、食べることなどに困ることはないが――。
「なんで!?」
思わず声を荒げると、ウィンザーが「う゛!」と、ひるんだ。
「そんな責めるような目で私を見ないでください! 何でアレクシス様は都合の悪いことを全部私に……」
アレクシス王子の護衛人で強いウィンザーだけど、私が責めるとへなへなになっている。ウィンザーの泣きそうな目を見ても、私の心は揺るがない。それどころか、怒りが増すばかりだ。
「だって!」
私はソファから立ち上がった。
「私、五億ルビーの賞金首を倒して、賞金が入る日を心待ちにしていたのに! なんで五百ルビーしかもらえないんですか!?」
それも命がけだったのに! アレクシス王子のせいで生きた心地がしなかったのに!
ウィンザーもソファから立ち上がる。
「アレクシス様の伝言によると――」
どんな素晴らしい言い訳をするのか聴いてやろう。私はうなずいた。
「伝言によると?」
「『子供がそんなにお金を持ったらいけません』とのことです」
「どこの保護者だ! そんな大義名分、嘘だよね!? 全部アレクシス様のポケットマネーになっちゃうんだよね!?」
「『香姫さんの賞金は、国民の為に大切に使わせていただきますね』とのことです」
国民の為と言われて、私は何も言えなくなってしまった。
「ううっ……アレクシス様のけちんぼ……」
落胆のあまり、涙を抑えることができない。悄々と涙を流す私を見た、ウィンザーは大慌てになった。
「も、もうひとつ伝言があるんですよ!」
「何ですか……?」
「『それでは、香姫さんがあまりに可哀想だから、今日はウィンザーに最高級のお菓子を持たせますね』とのことです」
「えっ!? ホント!?」
最高級のお菓子と聞いて、私の涙が涙腺の奥に引っ込んだ。
ウィンザーは魔法の呪文の『可視編成』を唱えて、ワンホールのケーキをテーブルの上に並べた。お皿もティーセットも整然と用意される。
「今日はカッツエ・グランをお持ちしました。どうぞ」
私は、ケーキに視線を合わせたままソファにストンと座る。顔をケーキに近づけると甘くて香酒の良い匂いがした。
小麦色のふんわりとした生地に、ムースのようなクリームがふんだんに入っている。黄桃のような果実がごろごろとムースの中に入っているのが断面から見えた。
ウィンザーはいつもアレクシス王子にそうやって仕えているのだろう。綺麗な所作でケーキを小皿に切り分けて行く。
「これ、カッツエ・グランっていうの?」
ウィンザーが、ケーキの乗ったお皿を私の目の前に置いた。ついで、紫のお茶もティーカップに注がれ、隣に並べられる。
「はい、百年に一度しかならないカッツエの果実を挟み、最高級の木の蜜を使い、生地を一年熟成発酵させ、十年にビン一本しか作れないという香酒で風味を付けた。アレクシス様もめったに食べれない、本当の最高級のケーキです。一億ルビーは下らないらしいですよ」
一億ルビーのお菓子なんて見たことがない! 私の前に切り分けられたケーキがキラキラと光っているように見えた。
「わああ! 食べても良いんですか!?」
「ええ、もちろんです!」
丁度その時、ジュリアスが医務室のドアを開けて入ってきた。
「香姫さん、やっぱりここだったんだね? なんだか、甘くて美味しそうな香りがするけど?」
私が事の成り行きを説明すると、ジュリアスも事情を知った。
「ジュリアス君も一緒に食べようよ!」
「いいの? じゃあ、お言葉に甘えようかな?」
ジュリアスは、笑顔でソファに座る。
「ウィンザーさんも一緒に食べよう?」
だが、ウィンザーはとんでもないとばかりに手を振った。
「いえ! 私はそう言うわけには! アレクシス様に叱られてしまいます!」
「私がウィンザーさんを叱らないでって言ってたってアレクシス様に言って! だから大丈夫だよ!」
ジュリアスも微笑む。
「そうですよ。アレクシス様もそんな非情な方ではないはずです。第一に、アレクシス様はウィンザーさんに全部説明責任を押し付けているんですから」
「そうそう! だから、ウィンザーさんはケーキを食べても良いの!」
私はジュリアスとウィンザーのケーキを小皿に取り、お茶をティーカップに注いだ。
ジュリアスがウィンザーをソファーに座るように促している。
「香姫様、ジュリアス様、ありがとうございます」
ウィンザーはやっと笑顔になった。
そして、ウィンザーとジュリアスと楽しいひとときを過ごしたのだった。
ワンホールのケーキが無くなった後、私たちはおしゃべりを楽しんでいた。
「なんだか、アレクシス様って思ったより良い人なのかなぁ」
「もしかしたら、そうかもしれないね?」
「そうなんです! アレクシス様は誤解されやすいのですけど、本当に良い方なのですよ!」
ウィンザーの力説を聞いて、私はジュリアスと暢気に笑い合っていた。お腹が満たされて、アレクシス王子の株が一気に急上昇になったのだった。