第十二話 マクファーソン先生とガーサイド
クェンティンが温かな手を差し伸べてきたが、この愛情は私に向けられているわけじゃない。そんなことは分かっているのに、家族や友達の優しさに飢えていたので、思わずこの手を掴みそうになる。
だが、湧き上がってくる切ない感情は、第三者のものに近い。懐古的でどこか他者に感じるのだ。これは、間違いなくリリーシャの身体に残っている感情だろう。
鳥居香姫、しっかりしろ。気持ちを強く持つと、その感情は打ち消された。私には好きな人が日本に居るし、クェンティンの事はやっぱりそんなふうに思えない。例え、リリーシャとクェンティンが別れる羽目になっても。私の身体じゃなくても、私はリリーシャの代わりなんかじゃない。他の何者でもない鳥居香姫なんだから。
「私は、元のリリーシャのように振る舞えないの! クェンティン君と付き合う気にもなれない!」
「なんでだよ!?」
私は、リリーシャの中身ではないから!
思わず、ありのままを伝えてしまいそうになって、慌てて口を噤んだ。クレア先生にもシャード先生にもそれは禁句だからと口止めされていた。
「ごめん! 私は私であって、私でないから! ごめん!」
「リリーシャ!」
私は荷物を抱えると、クェンティンを振り切って、魔法学の教室を飛び出した。もうすぐ授業が始まるせいかひと気がない廊下を、私はやみくもに疾走していく。走ることで、リリーシャの何もかもを振り切ってしまえたらいいと、空しい思いを抱いていた。
運動会のリレーでもこんなに速く走った記憶がない。失速せずに曲がり角を曲がると、誰かがいた。
「廊下を走るな!」
「……すみません」
私はその声に驚いて足を止めた。
怒鳴ったのは、四十代後半くらいの男だ。シャード先生に負けず劣らず背が高い。どちらも金髪碧眼だ。それは、この国民の特徴かもしれなかった。
その男は、炎の揺らめきのような癖のある髪の毛を持っている。魔法学校の教師と同じで、裁判官のような漆黒の服を着ていた。その服装は彼の厳格そうな顔つきによく似合っている。彼も教師なのだろうか。
そしてその脇に、ジュリアスと同い年ぐらいの生徒がいた。この少年は、ツーブロックの髪型で眉毛が太い。クラスの中でいえば、リーダー格のような意志の強い顔つきをしている。
そのまま通り過ぎようと思ったが、その教師らしき男が道を塞いだ。
「リリーシャ・ローランド。貴様、優等生らしいが、あちらこちらで問題を起こしているらしいな?」
どうやら、生前のリリーシャは、この教師に目を付けられていたらしい。問題児だったのだろうか。それとも……。
「マクファーソン先生」
この教師の脇にいた男子が、彼を見上げて名を呼んだ。マクファーソン先生というのか。彼は、シャード先生よりも怖そうだ。
「アミアン・ガーサイド。どうした?」
「この間も、この女と対決して引き分けでした」
対決!? リリーシャはこのガーサイドとケンカしたの!?
崩れ落ちる様にリリーシャのイメージが変わっていく。優等生で、喧嘩っ早くて、物凄く強い。もしかすると、生前のリリーシャはそんな人なのかもしれない。ますます、私がリリーシャを演じることが困難になってきた。
「マクファーソン先生、今から魔法対決の審判をしていただけませんか?」
私は驚いて、ガーザイドを見つめた。
ガーサイドは闘志を燃やして、私を睨んでいる。
「こないだの決着を付けたいんです」
「えっ!? ちょっと待って!? 決着って私と!?」
「お前しかいない。今日こそは、お前を地に伏せてやる!」
私は眩暈を覚えた。
どうして、負けると思っている試合を、自ら引き受けなければならないのか。
「良いだろう審判をしてやろう。外に出なさい」
「でも、私は! 記憶――」
「リリーシャ。マクファーソン先生に逆らうのか?」
「可視編成!」
有無を言わせず、私はマクファーソン先生の魔法で、無理やり外に連れ出された。外気は私の気持ちに反して、春の平和そうな温もりを湛えていた。
グラウンドでは他のクラスの生徒たちがこちらを興味深そうに通り過ぎていく。休み時間の終わるチャイムと共に、その生徒たちは走って行ってしまった。
グラウンドの砂を風が砂ぼこりに変えていく。西部劇のような張りつめた空気が辺りを支配する。
「ではこれより、アミアン・ガーサイドとリリーシャ・ローランドの魔法勝負を行う!」
私は早くも音をあげていた。
こんな勝負、負けると分かっている! 私は、魔法も使えないし、運動音痴だし。それに……!
「始め!」
マクファーソン先生の手が上がった。
ガーサイドが手のひらをこちらにかざす。
「可視編成!」
「っ!?」
ガーサイドの、高音と低音の呪文が一斉に奏でた。