第十一話 恋のキューピッド・ガーサイド*
私は、独りで夕ご飯を食べた。大勢の談笑の聞こえる中で一人で食べるのは妙に寂しい。いつもなら、ジュリアスが一緒なのに。
この際、リリーシャでも良いから、一緒に食べたかった。けれども、クェンティンの言っていたデートの約束は本当だったらしい。今頃、リリーシャとクェンティンは仲良くやっているのだろう。
お腹が満たされた後、ジュリアスが医務室に立ち寄っていないか気になった。半日眠れば、風邪は良くなるはずだから、クレア先生に薬を貰いに来ていないかと考えたのだ。
ドアを開けると、先客のウィンザーが居て、クレア先生と喋っていた。
「失礼します」
「あら、鳥居! また来たのね?」
「はい、来ちゃいました」
あいにく、ベッドは空で生徒の姿もなく、ジュリアスも見当たらなかった。私が入室すると、ウィンザーの興味がクレア先生から私に移った。
「香姫様」
「ウィンザーさん、また何かあったんですか? その、アレクシス様に何か?」
私は周りに気を付けながら喋る。他に病人や怪我人は誰一人としていないようだが。
しかし、その心配を払拭するように、ウィンザーは明るい。
「いえ、今日は香姫様にお礼に参りました。窮地をお救いくださってありがとうございますと、アレクシス様が申すように仰いまして。改めましてありがとうございます」
クレア先生が、私とウィンザーの様子を観察している。何があったのかは、ウィンザーから詳しく聞いた後らしい。突っ込んで聞いてくることはなかった。
「そ、そんな……借金さえ帳消しにしてくだされば、私は構いませんけど」
言いながら、私は思い出していた。命をかけたのだから、借金が帳消しになってもおかしくない。
すると、ウィンザーの笑みが返ってきた。
「はい、今までの借金は帳消しになりました。けれども、利息がありまして、それが一兆ルビーあるそうです」
「えっ!? ちょっと、計算おかしくないですか!?」
借金が一兆ルビーなくなって、どうしてその利息が一兆ルビーなんだ! どう計算してもおかしい! そんな利息なんてありえない!
私が言い募る前に、ウィンザーが言った。
「それは『私がルールです』とのことです」
「えええーっ!? そんなの、一生かかっても借金が無くならないじゃない!」
アレクシス王子の愉快そうに笑う姿が目に浮かび、泣きたくなった。
クレア先生は他人事もいいところで、面白そうに笑っている。
「アレクシス様は、鳥居がお気に入りなのよ」
「違います! 絶対に良いようにこき使う気です! あああ!」
絶望のブラックホールに吸い込まれていると、ウィンザーが続けた。
「それで、只今、アトリー軍警特別第二官様が、黒幕の捜査に乗り出しているのですが……。香姫さんの周辺で変わったことはございませんでしたか?」
私は首を傾げて考えた。変わったことと言えば……?
「あっ! 私のクラスにジェイク・グレンという男子がいるんですけど、あの人がイミフなことを言ってて。彼は信用できるのかなぁ。なんだかアヤシイんですよね」
私が探偵のように、顎を触って歩きながら推理すると、ウィンザーは笑った。
「超名探偵香姫様でも外れることがあるんですね。実は、ジェイク・グレンはアレクシス様の息のかかった部下です。なので大丈夫ですよ」
「ええっ!? そうなんですか!? なら安心ですよね!」
私とウィンザーは微笑み合った。なんだ、取り越し苦労だったのか。グレンがジュリアスと怪しげに喋っていたのも、アレクシス王子に関連することだったのかもしれない。
「アレクシス様のご容体は良くなっておられますか?」
「ええ、もうすっかりお元気です」
ウィンザーの笑みは清々しそうだ。順調に良くなっていることも、彼の主を慕う微笑の中に如実に表されている。
私は安堵した。また、アレクシス王子の容体が悪くなって、私も一緒に棺桶に入るように言われたらどうしようと思ったのだ。絶対に絶対にお断りだが。
暫く、ウィンザーと談笑していると、医務室の中に駆け足が飛び込んできた。
「おお! 鳥居! ここにいたんだな!」
「ガーサイド君!」
ガーサイドは私を見つけて笑顔になった。しかし、ひどく汗をかいて息を切らしている。
疲れた有様でガーサイドが壁に手をついた。その手にはメモが握られてある。私が言伝を頼んだあのメモだ。
「あれ? そのメモ……」
渡せなかったんだろうか。
私は妙な安堵感を覚えていた。妙なことまであのガーサイドのハートマーク付きの声で喋られたらどうしようと思っていたのだ。
ガーサイドは、ゼーゼー息を吐きながら、手を振って否定した。
そして、唾液を呑みこんで息を整えた。
「いや、違うんだ。それがさぁ、シェイファーの部屋に行ったんだけどよ。何回戸を叩いても出てこなくて。ドアが開いているから、入ったんだけど、シェイファーどこにも居なくて。こりゃ、サボったなって分かったんだけど。食堂にもどこにもいないから、ここかなぁって思ったわけよ。でも、どうやらハズレだったらしいな」
「サボり……? ジュリアス君が……?」
私は妙な違和感を覚えた。ジュリアスは頭が良いので、少々サボったところで何の影響もないと思われるが。彼は、簡単に理由もなくサボるようなことをするだろうか。
私が無言で考えていると、ウィンザーが微笑んだ。
「誰しもサボりたくなることはあると思いますよ」
「ああ。そうだよ。このオッサンの言うとおり!」
「お、オッサン……!?」
ウィンザーはガーサイドにオッサン呼ばわりされて、殺気立っている。目元が影になって、血管が青筋立っている。終いには呼吸まで荒くなっている。私は大慌てになった。
「ウィンザーさんは、まだオニイサンでもいけると思います! それに、ウィンザーさんは優しくていい人だから、年とかカンケイないと思います!」
それは本当の事だ。ウィンザーはまだ若い。二十歳過ぎぐらいにしか見えないのに。
「香姫様、ありがとうございます……でも、この少年をシメなければ、気が……!」
ボキボキ腕を鳴らしていると、ガーサイドがビビったらしい。大慌てでもたれていた壁から上体を素早く離した。
「じゃあ、このメモは、明日以降俺がちゃんと渡しておくってことで!」
ガーサイドは私のメモをひらひら見せつけながら、ドアを開ける。
「も、もう良いから……! ジュリアス君の風邪も治ったと思うし!」
「そうはいかねぇ! こりゃ俺の使命だ! じゃあなっ!」
ガーサイドは、ムキムキのオニイサンのウィンザーから逃げるようにして、医務室から飛び出して行った。
後には、怒り心頭のウィンザーと、片手をドアの方に伸ばして泣きそうな私と。一部始終を眺めて、極めてご機嫌なクレア先生が残ったのだった。