第十話 リリーシャのライバル
「えっと、あ……」
「アリヴィナ・ロイドだよ! 記憶喪失になったって本当なのか? アリヴィナって呼んでいたことも覚えていないのか……?」
「う、うん……」
喜びに満ちていた教室の空気は、お通夜のようになった。
「リリーシャ、嘘だろ? 優等生で、私と順位を争っていたアンタが、こんなにしおらしく……」
「そ、そうかな……?」
「そうだって! もっと、以前はカリスマ性があった! それに、凛としていたし、こんなに自信なさげでおどおどした感じじゃなかった!」
悪かったな! 私は、グッと言葉を呑みこんだ。
中身が劣っていると言われるのは心外だ。これでも、日本にいたときは評判が良かった。家族にも友達にも愛されていたし、初恋の人だって……。
リリーシャに戻せるなら戻してあげたいけど、それはできない相談だから仕方ない。
「えーっと……やっぱり、記憶喪失だから、自信がなくなったのかも……」
私は、なんとか言葉を絞り出した。
「なんてこと……」
アリヴィナは眩暈がしたように額を抑えると、この世の終わりのような声を出した。ライバルがこうなってしまったから、分からなくもないが。
「アリヴィナ・ロイド。席に付きなさい」
「シャード先生、すみません……」
アリヴィナは消沈して、自分の席に戻って行った。
「リリーシャ・ローランドの席は――」
シャード先生が周りを見渡す。その時、徐に手が上がった。ジュリアスだ。
「僕の隣にしてください」
「良いだろう。ローランド。ジュリアス・シェイファーの隣に座りなさい」
「えっ?」
理由も聞かないで、ジュリアスの希望通りにしてしまうのか? まるで、ジュリアスを特別扱いしているような……。
クラスの皆もそう思ったのだろう。動揺がクラスの中に広がっていく。指示を出されたが、私は躊躇してその場に留まった。
突如、椅子を勢いよく引いたような音がした。
「どうしてですか! リリーシャは俺の彼女です! いつも俺の隣でした! 今日だって!」
声に驚いて後ろを振り返ると、クェンティンが立ち上がっていた。
「クェンティン・ノースブルッグ、口答えは許さん! ローランド、早くシェイファーの横に座りなさい」
クェンティンは悔しそうに口を噤んで着席した。
私は戸惑いながら、ジュリアスの横の席に座る。どっちにしろ、嫌なのは変わらない。贔屓とも思われるシャード先生の指示だった。
「どうなってるんだ?」
教室の中では暫くの間、戸惑ったざわめきが消えなかった。
「今日は、ここで魔法学の授業を行う。いつも授業は教室を移動するが時間が押しているので仕方ないだろう。データキューブは持って来ているな?」
魔法学の授業が始まった。
魔法学の授業は、魔法の種類や原理を説明したものらしい。どうすれば、魔法が使えるかを事細かに説いているのだが、私にはさっぱりで眉間のしわが深くなっていくばかりだ。
最初は物珍しさから面白がって聞いていた私だったが、耳慣れない小難しさがお経に聞こえてキツくなってきた。大体、私はリリーシャと違って、日本にいた時も特別な優等生という存在でもなかったのだから。
シャード先生の視線が私を捕えた。
「リリーシャ・ローランド、次の問いを答えなさい」
慌てて視線を逸らしたが、当てられてしまった。考え事をしていて、シャード先生の方を見つめすぎていたようだ。他の生徒たちは当てられたくなくて視線をそらしているというのに。クラスメイトの視線が否応なしに私に集中する。
「マルです」
「マルバツ選択じゃないんだが」
「……分かりません」
素直に降参すると、またしても教室に動揺が走った。
「なんてこと……! 以前のリリーシャならこんな問題なんて楽勝なはずなのに……! ああ、なんてことなんだ!」
アリヴィナさんは露骨に嘆いている。
一応心配してくれてるんだろうけど……。その視線が、期待外れだと言わんばかりのため息交じりで……。私は、分からない授業と、刺さるような視線に早くも音を上げていた。
どうして、私はここにいるんだろう。どうして温かい日常を捨ててまで、リリーシャの代わりをしなくちゃならないんだろう。
やっぱり、リリーシャはリリーシャじゃないか。幾ら外見が同じでも、私に代わりが務まるはずがない。もともと無理があったのは分かっていたことなのに。
私がこうなる羽目になった元凶は、あの黒いもやだ。私は、絶対に許さない。あの黒いもやを捕まえて、私を元の生活に戻してもらう。元の日本に。私が当たり前のように暮らしていた日常に。
「はい」
復讐を誓っていると、後ろで手が上がったようだ。
私は、そろりと後ろを振り返る。三列後ろの席では、クェンティンが手を上げていた。
「では、クェンティン・ノースブルッグ、答えなさい」
「『可視使い』なら、どんな魔術でも残留思念を使えば、再現できます。例え、その場の空気でも」
可視使い!? そんな大切なことを教えてくれていたのに、考え事をしていた。残留思念というのは、その場に残っている記憶の事だ。私でも魔法が使えるのだろうか。失意が淡い期待に取って代わろうとしている。再び、私は授業に集中しようとした。
シャード先生が頷いて、続けようとしたその直後――。
「はい」
私は驚いた。ジュリアスが不敵な顔をして手を上げていた。
クェンティンの顔が険しくなる。二人の対決に、生徒たちは盛り上がり始めた。