七枚目 「彼女の手料理は、酸っぱい臭いがする」
「これでよいぞ」
オルフェリアがそう言うと、俺にあんなにも近かった顔を遠ざけてしまう。
俺としたことが、手を出すことはおろか、目を合わせることもできなかった。
俺の中に潜む獣よ……スマン。
「……ありがとう」
俺は素直にそう言うと、オルフェリアは照れ臭そうにそっぽを向く。
「べ、別にわらわは、そなたの鼻の穴に綿を摘めただけじゃ」
「いや、それでもありがとう。あのままだったら、また気絶していたところだよ」
「そそ、そうかの? まあ、血を出したのであったら、血を補給しなきゃじゃろう。……わらわは、簡単にご飯を作ってくるのじゃ」
オルフェリアはそう言いながら少し嬉しそうな表を浮かべ、小さなドアを開けると外とへと出ていった。
オルフェリアが出ていくところを見送ってから、俺はふうと溜め息を吐き出すと、見慣れ始めたこの小屋を見回す。
婆さんが住んでいると思い込んでいたせいもあるが、俺よりも五つばかり年下であろう女の子が、こんな古臭い小屋に住んでいることが不思議だった。
それに、俺が触ったとたん、痺れるような感覚に襲われたあの玉……。オルフェリアあれのことを〈記憶玉〉と呼んでいた。
その名前から推察するに、やはりあれは誰かの記憶なのだ。
それも、婆さんの姿ではない、本来の姿であるオルフェリアの声を聞いて確信した。
あの脳裏に流れた映像で聞こえた声。声は幼く感じれたが、あの特徴のあるしゃべり方は、間違いなくオルフェリアの声なのだ。
では、あの首の飛んだ女性は、彼女の母親……? あの豪華な屋敷は、オルフェリアの家なのか?
じゃあ、あの映像はオルフェリアの……過去?
でも、今の彼女は〈忌まわしき魔女〉と呼ばれているんだよな。
なぜ老婆の姿で生活していたんだ?
疑問が疑問を呼ぶ。
オルフェリアって、いったい……――何者なんだ?
俺は珍しく真面目なことを考えてみていたが、また腹の虫がくくくと鳴った。
「くう、腹へった」
腹をさすりながら、固い布団の上に寝転がる。
今は物事を考えるより、何か胃に詰め込みたい。
俺の頭の中は、その事でいっぱいになりかけていた。
「待たせたの、キドウ」
俺の気持ちが伝わったのかはわからないが、満面の笑顔を作ったオルフェリアが小屋の扉を開けて入ってくる。
彼女の姿を見た瞬間、俺は「待ってましたッ!」と叫んでから今出せる力を振り絞って飛び起きた。
その彼女の手には、大きな葉っぱを丸めて焼いた、民俗料理のようなものを持ってくる。
厳重に葉っぱを巻いてあるのか、美味しそうな匂いもしてこない。
なんだろう? 大きなちまきみたいな感じなのかな?
そんなことを考えていると、俺の口元からだらしなく涎が垂れてくる。
エロいこと以外に妄想が膨らんだのは久しぶりだ。こんなにも腹が減っていたなんて、俺自身もびっくりする。
「異性に手料理を振る舞うのは、父上以来なのじゃ」
オルフェリアは顔をほんのり赤く染めて言う。
その言葉に、俺の心臓はまた高鳴ってしまった。
「お、お、お、俺のための、手料理……」
「そうじゃぞ? そなたのために作ったのじゃ。冷めないうちに食べるがよい」
ま、マジで? お、お、俺のための、俺だけのために作ってくれた、オルフェリアの手料理。
俺は、オルフェリアからすぐにそのちまきのような物を受け取ると、あわててその葉っぱを一枚ずつ剥がしていった。
多分、エロゲーのときに、相手の女の子のパンツを脱がす時ぐらい興奮している。
俺のための手料理。
その言葉を噛み締めながら、俺はその葉っぱを剥き続けた。
だが、俺の期待はそこまでであった。
食べれる部分が近付くにつれ、その料理から異臭がするのだ。
俺はたまらず顔をしかめるそうになる。
だが、オルフェリアの様子を伺うと、彼女は瞳をキラキラさせながら期待の眼で俺を見ていた。
「どうしたのじゃ?」
「え、あ、うん。いや……」
彼女のそんな純粋な瞳を見て、「オルフェリア、これ食べれるの?」とか聞けない。
いや、この酸っぱい臭い、なんだろう。
例えるなら、嘔吐した時の臭いに近いんですけど。
あれかな、くさやとか、ドリアンとか……その手の料理なのかな?
でも、それにしても臭い。臭すぎまふ。
その臭いに我慢できなくなった俺は、鼻から息を吸うことを止め、オルフェリアにバレないように口から空気を吸った。
「どうしたのじゃ、手が止まっておるではないか。早くしなければ、冷めてしまうのじゃ」
オルフェリアは、頬を膨らませながらそう言う。だが、俺の手は動こうとしない。
多分、俺の本能が「これはヤバイぞ。食べない方がいい」という知らせなのだろう。
「いや、そのな、オルフェリア……」
「ふむ、体調が優れないから食べさせてほしいのじゃなっ? なんじゃ、そうならそうと……」
「いやいや、オルフェリアさんッ?! 人の話を――って、おふッ!」
俺はオルフェリアを止めようと食い下がるが、オルフェリアは自分の世界に入り込んでいるのか人の話を聞いてくれない。
それどころか、その料理の臭いをかろうじて封印していた葉っぱを一気に剥いてしまうと、そこからすさまじい異臭が漂う。
俺はその異臭のもとを一目みようと、勇気を振り絞って覗いてみた。すると、葉っぱの中から顔を覗かせていたのは、真っ黒な塊であった。炭でも練り込んであるかのように、見事なまでに黒光りしているのだ。
俺はその見た目と、その臭いに耐えかねて嗚咽する。
「ほれ、キドウ。仕方がないから、わらわが食べさせてやるのじゃ」
オルフェリアは俺の表情も確認しないまま、その真っ黒な塊を躊躇することもなく素手で掴む。
ちょっと、待ってよ! そんな大きいの……口に入らないッ!
「ちょ、それは、勘弁してくれッ!!」
「なにが勘弁してなのじゃ? ほれ、遠慮することはないのじゃぞ?」
「え、えええん、遠慮じゃなぁああぁあ――んむぐッ?!」
叫ぶために開けていた俺の大きな口に、オルフェリアは笑顔のまま、容赦なくその真っ黒な塊を詰め込んできた。その笑顔、決して悪気があるわけでもなさそうだ。
その真っ黒な塊を詰め込まれて、俺は口から酸素を吸い込むことが不可能になった。
さすがに苦しくなってしまった俺は、口から呼吸をすることを諦め、鼻に切り替える。すると、あの酸っぱい臭いがダイレクトに口から鼻へと通っていく。
「んッ……!! ん……んんんんんんんんッ! (ちょッ……!! や……やめてぇぇぇぇぇッ!)」
「どうじゃ、わらわの手料理は。父上は『刺激的な味だな』じゃと言ってくれたのう」
ダメだ、この臭い。殺人的臭いだよッ……!!
俺が涙目になりながらも、必死にオルフェリアに訴えた。だが、彼女は気付いていないのか、または嫌がらせなのか、楽しそうに俺に話しかけてくるのだ。
「んんッ……んんッ!! (うぇッ……ムリッ!!)」
その真っ黒な塊が俺の舌に触れた瞬間、味よりも先にビリビリと痺れだす。それはまるで、舌に麻酔薬でも打たれたかのように触覚を奪う。
次に、やっとその塊の味がする。その味は、臭いの通り酸っぱい味だった。
「……ンッ、んんッ、んん――ンッ! (……ンッ、いやッ、らめ――ンッ!)」
この台詞、女の子ならエロいのかも知れないけど、残念ながら俺の声なんだよね……。
って、そんなことを考えている場合じゃないッ!
生命の危機を感じるよ! 俺、このままじゃ死んじゃうよッ!!
もうオルフェリアの目を気にせず、その真っ黒な塊を吐き出そうとする。
だが、次の瞬間だった。俺は彼女のその姿を見て、思考を止めてしまった。
「父上は優しかったのじゃ。わらわだけではない。母上にも、民衆にも優しくて、寛大であった……」
オルフェリアは、静かに泣いていた。
彼女の目から零れた涙は頬を伝い、顎辺りで雫となって落ちていく。
「んんッ…… (おいッ……)」
「――ふぇっ、あ……わ、わらわは…………」
俺が心配そうに彼女を見つめていると、オルフェリアは自分が泣いていることに気付いたのか、俺の顔を見てから必死になって涙を拭う。
「わらわは、自分の〈記憶玉〉に触れてしまったから、もう見ぬと誓った過去を見てしまったのじゃ。じゃから、父上や母上との記憶が――」
そこまで言うと、オルフェリアは止めどなく溢れ出る涙を手で振り払いながら、俺に向かってぎこちなく笑う。
「すまぬな、キドウ。変なところを見せてしまったの」
彼女の強がりのような笑顔は、俺の心をぎゅっと締め付ける。
俺はなにも考えることもなく、口にあった塊を飲み込むと、オルフェリアを抱き締めていた。
「キっ……キドウ……っ?!」
「何があったか知らないけどな、俺が幸せにしてやるッ!」
「な、ななな、なに、を……」
オルフェリアは動揺しているのか、俺から逃げようとじたばたする。だが、俺は彼女を逃がすまいと両腕でしっかりホールドした。
こうやって彼女を抱き締めてみると、案外ふっくらとした胸で、腰回りも普通よりかは痩せていて。そして、悔しいことに俺よりも身長が高いのだなと痛感した。
「むぎゅぅふっ」
オルフェリアから変な声が漏れたが、俺は気にせず言葉を発する。
「俺と結婚しよう!」
俺は抱き締めたまま、大声で告白した。
もうこの気持ちを押さえることなんてしない。彼女を幸せにしてやりたい。
……ついでに、彼女で童貞を卒業したい。
俺の告白を聞いたオルフェリアは、「あっ……ふぁっ……」などと小さく声を漏らしながら、困惑しているようだった。
「君は俺の第一の妻になるんだよ。それでこの世界を救ってあげれる。あとは第二、第三の妻をめとって、子供を沢山作ろうじゃないか! ああ、なんて卑しいハーレムなんだッ!」
俺は期待を胸にそう話すと、オルフェリアはまた俺の腕の中で暴れ始める。
「待つのじゃ、キドウっ! この世界の〈理〉をわかっておらぬ! そなたの言う『はーれむ』とは、複数の異性と〈契り〉を交わすと言うことかの?」
「ハーレムとは……一人の男に、複数の妻がいることをハーレムという! 現代では女の子に囲まれていて、ちやほやされているとハーレムって言うけど」
「では、その『はーれむ』とやらはやめておいた方がいいと思うのじゃ! その行為は、この世界……【シンヴォレオ】の〈理〉に反することなのじゃよ!!」
オルフェリアは精一杯の声を出してそう言った。
この世界……【シンヴォレオ】の〈理〉? ハーレムをやめておいた方がいいって、どういうことだ?……?
「どういうことだ? ハーレムしなきゃ、子供が増えないだろ? そうしなきゃこの世界は滅んでしまうんじゃないのか?」
その言葉の意味がわからなかった俺は、オルフェリアの肩を掴むと、彼女の顔を見ながら問う。
すると、彼女も真剣な眼差しで俺の問いに答えてくれた。
「この世界の〈理〉は、この世界の神、ミトラス様がお決めになったことじゃ。ミトラス様は〈契約〉と〈法〉を司る神。じゃから、この世界の〈理〉は〈契約〉や〈法〉を必ず守らなければならない。それが、【シンヴォレオ】という世界なのじゃ」
だが、その言葉を聞いても理解できなかった俺は、首を傾げてからさらに問う。
「その〈理〉ってのと、ハーレムがやめておいた方がいいと言うのと、どう関連があるんだよッ」
「大有りじゃ。そなたの世界では、『はーれむ』などという淫奔が許されたのかもしれぬ。じゃが、【シンヴォレオ】は〈契り〉を交わせるのはたった一人とたけなのじゃ」
「た、たった一人……?」
「そうじゃ。この世界はたった一人の男と女が〈契り〉を交わす。そうして〈契り〉を交わした二人は、何があっても一生涯夫婦でなければならないのじゃよ」
それを聞いたとたん、俺の全身の毛が逆立つのがわかった。それからすぐに毛の逆立ちは収まったが、次は全身の毛穴が開くとそこからねっとりとした汗がにじみ出てくる。
無理もない。この世界の〈理〉と言うのは、俺のハーレム生活を脅かす可能性が大きいのだから。
「離婚や愛人なんてのは許されないってこと? えっと、じゃあ体だけの関係ってのは大丈夫なのか?」
「否。【シンヴォレオ】において、男女の行為を〈契り〉と見なすのじゃ。じゃから、体の関係を築き上げてしまった時点で、この世界の〈禁忌〉を犯したことになるかの」
「えっ……マジで? 本当? 嘘って言って?」
「嘘と言ったところで、そなたのためにはならんじゃろう? それに〈禁忌〉を犯した者は魔へと堕ち、二度と人にはなれぬと言うし、早めに教えておいた方がそなたのためになるじゃろう」
それを聞いたとたん、ねっとりとしていた俺の汁から異臭がし始める。
無理もない。だって、改めて期待していたハーレム生活が叶わないという現実を突き付けられているのだから。
「……む、顔色が悪いがどうかしたのか、キドウ?」
「ひ、ひや、ひ、ひ」
そして、腹も痛くなってくる。
ん、なんだ? いや、この冷や汗……その話を聞いたから出てきてる訳じゃないな。
俺はぎゅると鳴る腹を擦りながら、どうしてこうなったのか頭の中を整理する。
――あ、そうだ、思い出した。俺、あの真っ黒な塊を飲み込んじゃってるじゃん。
それを思い出したとたんに、腹の痛さが最高潮に達する。
「オオオオオオオオオルフェリアアアアア! トトトイイレレレレレ!!」
「どど、どうしたのじゃ? キドウ?!」
「モレちゃモレちゃう、モレちゃうーッ!」
「も、もれちゃうとは、何が――」
「いい、ひ、あッ…………ンひぃ…………」
情けない声を漏らした瞬間、俺がどうなったかは想像にお任せするよ…………。