五枚目 「不運と幸運の比率は、五分五分なはずだ」
暗黒の世界はチカチカと点滅する。
小さな光が輝く世界は、まるで星空のようにキラキラしていた。
メリーゴーランドのように、その世界はゆっくりと回る。
こんなにも心を奪われるのは、パンツ以来だ。
まるで、ここは死後の世界なのではないかと思えるほどに美しい。
――……ドウ……――
夢見心地だった。
エロいこととかパンツとか、俺の『はじめて』がどうと。もう、そんなことはどうだっていい。
このまま、この夢のような世界に浸っていたかった。
――……キ、ドウ……――
もう、現実の世界に未練なんて――。
「キドウ……っ」
ふわふわとした意識の中、その声は鼻をすすりながら俺の名前を呼ぶ。
「すまぬ。わらわのせいじゃ、わらわが復讐など考えなければ」
この声……どこかで聞き覚えのある声だ。喋り方はあの婆さんに似ているけど、声が若々しい。
そのどこかで聞き覚えのある声は、息を荒くして泣いているようだった。
「すまぬ、キドウ……。わらわが、わらわが全て悪いのじゃ。じゃから、じゃから」
俺は許しを請うように喋る声の主が気になった。
夢の中に居続けたいのは確かだが、熱くて重い瞼をゆっくりと開いてみた。
「どうか、目を覚ますのじゃ」
薄く開いた瞳に映ったのは、金色に輝く髪を靡かせて泣く、一人の女性だった。女性と言うよりも少し若い。多分、俺よりかは若いだろう。
彼女は俺の手を握り、瞳を閉じて泣いていた。
俺の目に映る彼女は、幻想的で、神秘的で、なによりも美しい。
暗闇に栄える、その黄金色の髪の毛。白い素肌。ピンク色に染まった頬。
俺の瞳に映る彼女は、言葉では表現できないほどに、美しい。
「許してくれ、キドウ」
俺は彼女を見つめていたかった。
夢よりも儚く、幻よりもきらびやかな彼女をずっと見ていたかった。
だけど、俺の意識とは裏腹に、熱くて重い瞼は自然と閉じてしまう。
そしてまた暗黒の世界は点滅し、世界はまたゆっくりと回りながらキラキラと輝きだす。
その時の俺には、それが夢なのか、または現実なのかという判別が難しかった。
思考がそこまで回らず、俺はふわふわと夢の中に囚われる。
そしてそのまま俺の意識は闇の奥深くに引きずり込まれ、再び起きる時にはその事が記憶に残っていることはなかった。
***
自然と瞼を開けると、そこは布団の中だった。
薄い生地の継ぎ接ぎな布地と、木箱の上に軽く敷かれた薄汚れた厚めの布地。
ほとんど板のような布団に寝ていたせいか、体の節々が痛む。
重たい上半身を起こし、俺は回りを覗った。
窓際には小さな花瓶に白い花が添えられおり、不思議な水晶が小さなテーブルの上に乗っている。壁には何に使うのかわからない大壷が並んでいた。
……間違いない。ここは婆さんの小屋だ。
だが、辺りを見回しても婆さんの姿はない。
俺はそうしてこんな状況になっているのか、記憶を辿ってみた。
確か……そうだ。温泉にエルフっ娘を拝みに行ったんだっけ。それで、居ない現実に失望して、温泉の中に沈んだんだ。
どうして沈んだかはよくわからない。正直の話をすればその辺りの記憶が曖昧になっていて、よく思い出せないのだ。でも、なんだか体が重くなったことだけは覚えている。
まあ、そんなことはどうでもいいか。
俺はすぐに考えることを放棄すると、ベッド――というよりも、木の箱を並べて作っただけの簡易ベッド――から降り、床に足を着ける。
今更気付いたのだが、確か全裸で倒れたはずなのに服を着ている。多分だが、婆さんが服を着せてくれたのだろう。よく見れば上着は裏表逆だし、ボタンはかけ違えているし……。
俺は間違えた箇所をすべて直すと、改めて真っ直ぐ立った。だが、真っ直ぐつことは出来るのだが、すぐにふらついてしまう。なぜかはわからないが、足の筋肉が少しばかり落ちたようで、立つだけでも息切れがする。
俺は立ち上がってからすぐ、背伸びをしたり、足を伸ばし始めた。
日本に居た時は羽毛布団で心地よく寝ていたのに、こんな貧相な布団に寝かされていたおかげで、体全身が痛いのだ。
そうして俺は、全身の筋肉をほぐしたところで、次に食べ物がないか辺りを覗った。
実は俺、この世界に来てからろくに食べ物を口にしていないのだ。
……違う意味で、オカズにしたことはあるけどさッ。
それはさておき、だ。
まずは壁際に怪しく並ぶ大壷の中を覗き込む。一つ目の壷に入っていたのはただの水であった。小指をその水に浸してから舐めていると、それはあの美味しい軟水の味だった。
その水を手ですくい、何杯か飲み干す。だが、それでは満足できなかった俺はそのまま顔を突っ込み、その水を浴びるように飲んだ。
「ぷはぁッ! うんめぇッ!!」
夏、暑い日に汗をかきまっくった後にビールを飲むと凄く美味いが、それと似た感じか、それ以上にその水が美味く感じる。
次に隣の大壷を見るが、これも水であった。
「食いもんねぇのかよッ! チェッ、しけてんなぁ」
俺は不機嫌そうに言葉を吐き捨てる。
多分、今の俺って端から見たら、ただの盗人にしか見えないだろうな。
そんなことを思いながら、辺りに食べれそうな物がないか物色する。
いくつかそれらしき物は発見するが、ひとつは七色に輝く林檎のようなもの。
そしてもうひとつは、赤いシャツに青いオーバーオールをその身に纏い、赤い帽子をかぶった配管工のおっさんが食べると大きくなれる、あれのような模様のキノコなど。
それらはどれも、食べれるかもわからない、怪しい色をした物ばかりである。
他に探しても、あとは萎びたような草や、茶色の粉末や、さらっとした白い粉などしか見つけることができなかった。
それらをどう食べていいのからかず、いや、むしろ本当に食べていいのかもわからず、俺はその場にへたりこむと途方に暮れた。
「……婆さんはどこへ行ったんだ、まったく」
そう言うと、腹の虫がくくくと鳴く。その音を聞いたら、余計に空腹が襲ってくる。
俺は腹をさすりながらも、めげずに食べれる物を物色していると、小さなタンスのような所にある引き出しに手をかけた。
俺はなにも躊躇うこともせずにそれを引き出す。すると、その中身を見て俺は言葉を失った。
その中身には、芳しいパンツ……いや、俺にとっての宝石が敷き詰められていたのだ。
「う、ヒョ!」
俺はそれを見た瞬間に空腹を忘れてしまうと、その見事なまでのおパンツ様達を眺めてはかぶってみる。
「婆さんに孫が居たのかよッ! ひょぉぉぉッ!」
感極まった俺は、パンツを掴んではくんかくんかした。女子特有の甘い香りが俺の股間を刺激する。すると、ものの一瞬でそこにピラミッドを建築させてしまう。なんて怖ろしい魔力を持っているんだ、このパンティ……! クフ王も俺のピラミッドを見たら、びっくりするだろうな。
俺は興奮しながらもそのパンツを漁っていると、そのタンスの奥で小さな小袋を発見した。
「麻袋ってやつか。もしかして、一粒で腹が膨れる豆が入ってるんじゃねぇか?」
俺は期待しながらその麻袋の中身を手のひらに出してみる。その小袋から出てきたのは、それは綺麗な蒼い玉であった。
「うおッ!」
その蒼い玉が手のひらに乗った瞬間に、まるで静電気が起こったかのようにバチッと音がなる。それにびっくりした俺は、その蒼い玉を放り投げてしまう。
投げた蒼い玉は、運良く引き出しの中から大量に出してしまったパンツの上に落ちた。
「なッ、なんだよ、これッ!」
痛みはないが、触れたところから電気が流れていくような痺れを感じる。その痺れは肘を伝い、肩、そして首を通り移動していく。まるで、神経を通り、電気信号を脳まで送っているかのように。
「ど、ど、どぉなぁてんだぁよッ!」
あまりにもびっくりしてしまったので、俺は声が裏返ったまま叫んだ。それと同時に、股間にそびえ立っていたピラミッドはすぐに崩壊してしまった。
そして、その痺れが脳まで来たそのとき、俺の脳裏に見ず知らずの光景が浮かび上がってきたのだ。
――それは真っ白な建物の中だった。豪華な装飾品に囲まれて、優雅な暮らしをしていたのだろかと推察できるような、長い長い廊下だ。
そこから一転、その廊下は一瞬にして真っ赤な炎に包まれた。そして、近くには必死に「逃げて」と叫ぶ女の人の姿。その人は三つ目で、金髪だった。
どこかで似たような特徴の人物を見かけたな。と、俺はふと思い出す。
金髪で三つ目……そう、あの真っ白な世界で〈契約〉した人だ。名前は確か、オル……なんだっけか。
この脳裏に浮かぶ女性と、あのオルなんとかさんって人の特徴は似ていた。三つ目であることも、髪が黄金色に輝くほど美しい金髪なところも、表情も。でも、よく見れば所々違うので、これは別人だと認識できた。
――すると、脳裏に浮かんでいた「逃げて」と叫ぶ女性の首が飛ぶ。
すると、刹那的に彼女がひとつであった場所から、真っ赤な鮮血が飛び散るのだ。
宙を舞う女性の首。その三つの瞳には光が灯っていない。
とても生々しい光景だ。気持ち悪いと思えるほど鮮明で、鉄の臭い――それが血の臭だとすぐ気付いた――が立ち込めたかと思えば、同時になにかが焦げたような悪臭がしてくる。
それを見た俺の目が急に熱くなった。
確かに脳裏に浮かぶ映像は生々しい。気持ち悪くなったし、吐きそうにもなった。
でも、それだけで涙を流す理由がないんだ。
俺は涙が出ないほどドライな人間で、十人中十人泣いたと言われるアニメを見ても、泣いたことがない。
なのに、どうしてだろう。どうして、涙がこんなにも流れるのだろうか。
――そして、脳裏に見える光景が半回転し、どこかに逃げるように長い廊下を速く進む。
これを例えるなら、FPVのゲームをやっている感覚だろうか。
ゲーセンとかで一人、ゾンビを撃ちまくるガンシューティングをやりまくった時期があったなぁ。
俺の黒歴史だけど。
――すると、微かに吐息が聞こえる。
俺の脳裏に浮かぶ映像の抜けて揺れに合わせて、その息遣いは荒くなっていく。
「たすけて、だれか」
そして、幼い声がすぐそこから聞こえた。回りに人がいるわけではなさそうだ。
「しにたくないの、じゃっ。たすけて……だれか、だれかっ!」
すると、その光景はぷつりと暗くなってしまう。続きを観たくても、その映像は脳裏に流れる気配がない。
俺はなぜたろうと思ってから、パンツの上に堂々と乗っかる蒼い玉を見つめた。
よく見ると白がまだら模様に混ざっており、宝石ではないにしても、それは綺麗に模様を施されたガラス細工にも見える。
確か、これに触って、体内に電気みたいなのが走って……それで、この光景が脳裏に浮かんだのだ。
これは誰かの記憶、なのか? 泣いてしまったのはこれが誰かの記憶だからで、そのまま感情移入してしまったとでも言うのか?
俺はまた、その蒼い玉に触れようとした――その時だった。
「それに触るでない!」
この小屋にある唯一の扉が激しく開いたかと思えば、誰かが入ってきたのだ。その一際大きく、甲高い声を聞いた俺の体はビクンと跳ね上がる。
俺は慌てて立ち上がりその方向を見ると、そこに人影が見えた。ドアの向こうから日が差し込み、逆光でその人物が良く見えない。
「それって……」
俺は内心困惑する。
この若い声、婆さんの孫じゃね? パンツを漁り散らかしたところを。見られてしまった。と言うより、一枚かぶっちまってるッ! どーすんだよ、決定的瞬間じゃねぇかよッ!!
ヤバイ、修羅場確定じゃんッ! さようなら、普通の日常。こんにちは、変態としての日常。
ずかずかと俺に迫ってくる人物に恐怖した俺は、何が起こってもいいように目を閉じた。
「…………大丈夫そうじゃの」
しばらくして、ホッとする溜め息が俺の耳の近くで聞こえてくる。
俺は恐る恐る右目だけ開けてみる。だが、その人物の姿を見た瞬間にもう片方の目も見開いてしまっていたのだ。
金髪のウェーブがかったロングヘアーで、藍色の瞳。額には一文字の亀裂がある、目鼻立ちの整った女性であった。
もっとよく彼女を観察すると、その髪の毛は水分を含んでおり、木造の小屋の床をみるみる濡らしている。彼女はあそこの温泉に浸かっていたのか、辺りにはほんのりと硫黄の香りが漂っていた。
それよりも、下……体の方はというとだ。それはそれはいい感じのボディラインで黒いローブの中から覗いていて……。
って、うぇ、あぇ? ちょ、お、へッ……!
「どうしたのじゃ、キドウ?」
俺はそれを見てしまった。ローブの中は白い肌しか見えない。と言うよりも、胸元も露で大事な部分がギリギリ隠れていますって感じだ。
そのまま視線を下に動かすと、下は淡いピンク色のパンツを穿いている。この感じからすると、ローブの下はほぼ裸だと言うことだ。
童貞の俺にそれを見せつけるということは、抱いてほしいとしか思えない。俺だって、男なんだぜ?
「キ、キドウ……?」
彼女の挑発的な格好は、俺のムスコを元気にさせる。元気すぎて、今にもズボンから「こんにちは」しちゃいそうだ。
俺は男という本能を我慢することができず、彼女の肩をがっしりと掴む。そして、鼻息を荒立てながら彼女に詰め寄った。
「俺はあなたと合体したいッ!! さあ、さあッ! 気持ちいいことをしようッ!」
「なっ、ななななななはなななななな、なんじゃ、どどどどど、ど、どうしたのじゃっ! ちち、近寄るでない、離すのじゃっ!」
「俺はあなたと合体するために異世界……いや、この世界に来たんだ。さあ、さあッ!」
「やめ……やめるのじゃっ! キドウっ……!」
俺は興奮したまま金髪の痴女を押し倒そうとする。
だが、痴女はその格好とは裏腹に抵抗してくるのだ。
「こんな年寄りと〈契り〉を交わしても、後悔するだけじゃっ! そなたはそのままそなたの世界に帰った方が――」
「どこが年寄りだというのだッ! その潤んだ藍色の瞳も、濡れた金色の髪も、俺は好きだッ!」
「なっ…………!!」
俺がそう言ったとたんに、彼女はしまったと言わんばかりの顔をする。
「それに、その格好を見ればあなたの気持ちがわかる。だから、今ここでひとつになろう、なってしまおう!」
「ななななななっ!!」
さらに俺がそう続けると、彼女は自分の格好をまじまじと見てから、顔を真っ赤にした。そして、はだけていた体をその黒いローブをがっちり掴んで今更ながらも隠す。
「わ、わらわはフードをかぶり忘れた上に、こんな破廉恥な格好で……っ! わらわは、わらわは……!!」
「俺たちにはもう、布切れなんて必要じゃないよ。さあ、その黒い布を脱いで……」
俺は狼狽する彼女に気付いてはいたがあえて無視し、彼女の肩から両手を離すと上の服から脱ぎ始める。
俺の筋肉もない上半身がさらけ出されてすぐ、ズボンのベルトに手をかけた瞬間だった。
また例の如く、金髪の痴女の真下が光だす。
そして、次の瞬間、彼女の整った顔をまじまじと見る。すると、一文字に入っていた亀裂がくぱぁと開くと、そこに藍色の瞳が現れた。
ん? まて、この人どこかで見たことがあるぞ。
そう考えながらも脱いでいると、さらに彼女の辺りに光が集まっていく。
…………って、ああッ!! 思い出したぞッ。あの時、真っ白な世界で契約を交わした彼女じゃないのか?
「君って、もしかして――」
そう俺は言葉を発するが、顔を真っ赤にしたままの彼女に俺の声が届いていなかった。
そして、集約された光が徐々に青く変わると彼女の手元にその光が集まる。そして、彼女は半泣きの状態で叫ぶと、その光を俺に向けて放ってきた。
「脱ぐでないわぁぁあぁっ!」
その光は真っ先に俺の全身にまとわり付き、暖まっていた体を一気に冷やしていく。
ちょ、もしかして、また凍り付けってことかよッ?!
そして次の瞬間、俺の体が全て凍り、ムスコも随分と小さくなってしまったのは言うまでもない。