三枚目 「ここまで上手くいかないと、現実逃避もしたくなる」
急に冷たい液体を顔面にぶっかけられるから、俺は奇声を上げながら跳ね起きた。
顔面にかけられた液体は無臭で無味。普通に飲んで美味しいと思える水の味だ。例えるとすれば、日本の名水百選に選ばれ、ミネラルを多く含んでますと言われそうな軟水の味だった。
周りをよく見れば、大きな木々が生い茂っている。そこから木漏れ日がほんのりとこぼれ落ち、地面のあちこちに大小様々な丸い光を照らしていた。
ナティスの部屋の香りと打って変わって、ふと鼻に入ってくる香りは優しく、田舎のばあちゃん家に来た時のようなマイナスイオンを感じる。
この匂いを嗅いだだけで、ここまで気持ちが落ち着くとは思っていなかった。
「少し寝ぼけてるかの?」
近くから聞き覚えのある婆さんの声が聞こえてくる。
その声がする方を向くと、そこには黒いローブを身にまとい、フードを深くかぶったしわくちゃの婆さんが居た。
「わらわの姿はちゃんと見えるかの?」
しわだらけの婆さんは、余計にしわを増やして優しく微笑む。俺はその婆さんに、田舎に居る婆ちゃんの面影をついつい重ねてしまう。
いや、というより、まて。この声どこかで聞いたことあるぞ?
「婆さん、俺達ってどこかで会ったことがないか?」
「…………。そなたは覚えていないかもしれぬが、召喚した時に会っておる。じゃがその時、そなたの視界はぼやけていて、何も見えなかったようじゃがの」
妙な間合いが気になったが、婆さんがそう言うと、俺はその声をどこで聞いたのか鮮明に思い出す。
この世界に召喚されてから、一番始めに目が覚めた時だ。
あのとき、婆さんとナティスの声が聞こえたのをよく覚えている。記憶が確かなら、ナティスは婆さんのことを〈忌まわしき魔女〉と呼んでいたんじゃないか?
「なあ、婆さん。もしかして婆さんって〈忌まわしき魔女〉って呼ばれてる?」
「そうじゃ。わらわは〈忌まわしき魔女〉と呼ばれておる」
〈忌まわしき魔女〉。その言葉を聞いた婆さんは痩せ細った目をさらに細めてから、嫌そうに喋る。
だがそれは一瞬で、すぐにくしゃくしゃに微笑むと、次に申し訳なさそうな表情をして見せた。
「こちらの都合に巻き込む形になってしもうて、そなたには悪いことをしたの。すぐに元の世界に還してやるから、安心するがよい」
……ん? あれ、聞き間違いだよな? 今、「すぐに元の世界に帰してやる」って言った?
「え? 俺、帰れる……の?」
「ああ、そうじゃ。じゃが、わらわの魔力が底をついてしまっているから、三日は待ってくれぬと困る。〈召喚術〉も〈送還術〉も相当魔力を消費するからの。ましてや人物を特定したり、場所を特定することは相当な魔力を消費するから、魔力に自信のあるわらわでも三日は必要じゃ」
ふむ、今の発言をおさらいしよう。
婆さん曰く、三日後には日本に帰れるらしい。
そして〈召喚術〉や〈送還術〉は、魔女の婆さんでさえも相当な魔力を使うみたいだ。
俺が一番気になったのは、「ましてや人物を特定したり、場所を特定することは相当な魔力を消費するから、魔力に自信のあるわらわでも三日は必要じゃ」と言っていた部分だ。
その話し方から察するに、俺は偶発的に召喚されたわけではないようだ。
それを確かめるため、俺は婆さんに再度質問する。
「その発言から察するに、俺は偶発的に召喚されたんじゃないってこと?」
「そうじゃ。そなたを意図的に選び、召喚したのじゃ。その証拠に、そなたの目の前にはアレが落ちていたであろう? 今回、アレを掴んだ対象を召喚した結果がそなたじゃ」
そう言われると、俺は色々ありすぎて忘れてしまっていたことの始まりを鮮明に思い出す。
パンツだ。確か、俺はパンツを手に取った瞬間、この異世界に召喚されたんだ。
婆さんが言いたいアレって、多分パンツのことだろう。
そう思い出した俺は、ズボンのポケットに無造作に入れておいたあのパンツを取り出す。……ていうかこのパンツ、落ちていたというより、落ちてきたが合ってるかもしれないけど。
「え。もしかして、これはこの世界のパンツなの?」
「……そうじゃの。もっと詳しく言うと、あのナティスという女帝のパンツじゃな」
婆さんがさらりと言った言葉に、俺は耳を疑う。
まて、まてッ! これが、これがナティスのおパンツだというのかッ!
あのナティスが穿くにしては小さ過ぎるんじゃないのか? なのに、このおパンティはナティスの物だと? どういうことだろうか。
てことはナティスの体型は、ぼん・ぼん・ぼんではなくて、ぼん・ぼん・きゅってことなのか? 見た目は鏡餅だったというのに?
うーん、よくわかんなくなってきたな。
俺の頭の中がナティスのパンツのことでこんがらかってきていたとき、婆さんは楽しそうに言葉を発してきた。
「そなたの世界には魚がいるかの?」
「いるけど……」
「ならば、そなたは魚と同じじゃ。そのパンツが『餌』でそなたは『魚』、そう言うことじゃ」
婆さんはそう言うと、また顔をくしゃくしゃにして楽しそうに笑いだす。だが、俺はその態度を見ると嫌な顔を思いだす。
俺のことを「童貞くん」と呼ぶやつらの顔だ。
その事を思いだしてしまうと、俺は嫌悪感をあらわにしてからぼそりと呟く。
「なんだよ、その言い方……」
「知っておるか? 新鮮な魚は生で食べれるのじゃ。活きがいいほど鮮度がいい。じゃから、そなたを選んだのじゃ。……まあ、性欲が強い方がいいと言ったのは、あの女帝の要望でもあるがの」
てゆうか先に心の中で突っ込んでおこう。
日本人ですから、オスシタベマース。日本人ですから、サシミタベマース。オイシーデース。日本デハ、サシミ一般的デース。ダカラ知ってマース。
……ごほん。
それはさておき、俺が嫌悪感あらわにしているのに、婆さんは楽しそうに話す。
まるで自身の知識を披露したかったと言わんばかりに。その面影は婆さんと言うより、少女と言った方があっていそうなぐらい、婆さんは無邪気に話してくる。
「まあ、確かに俺のムスコは活きはいいと思うけどさ」
童貞だし。と、心の中で呟いてから、瞳を輝かせる婆さんを見る。
「うむ、それは知っておる。召喚してから数分で……――だったからの」
婆さんのくせに、そこを恥じらって言うとか。なんか可愛らしいじゃないか。
だがッ、そんな婆さでは俺の息ムスコおっきっきするとでも思ったのかッ!
そんな恥じらい顔の婆さんを見ながら腰にてを当てると、婆さんは恥ずかしさを誤魔化すためか、咳払いをしてから気丈に振る舞う。
「じゃが、わらわはそなたに無理強いはせぬ。わらわ達は、そなたの意思を尊重せずにこちらの世界に召喚してしまったからの。じゃから、必ず三日後に還すと約束するのじゃ」
そう真面目に答えてくれる魔女の婆さん。
そりゃ、なにもわからないままこちらの世界に来たのは予想外だし、実際にトリップするなんて思ってもなかった。
それに、ナティスに俺の『初めて』を奪われるかと思った時、さすがの俺でもホームシックになったよ。帰りたいとも思った。
だけど、せっかくの『女』しか居ない世界を満喫しないでどうするんだ。……まだ鏡餅と怖いお姉さんと婆さんしか会ってないんだけどさ。
でも、まだ俺はあんなことやこんなことすらしてないのに、手土産もなしに帰れって言うのか?
そう思い、文句の一つでもこの婆さんにぶつけようとした。だけど、その前に婆さんが辛そうな表情で笑ってから呟く。
「それに、わらわはそなたを利用してしまったからの」
その言葉はふいに俺の耳に入る。
え、どういうこと?
「『利用した』って、なに?」
「……いや、何でもないのじゃ。気にするでない」
「でも、今そう呟いて……」
「気にするでないと言っているのが聞こえぬのか?」
質問しても、婆さんは何も教えてくれなかった。
どういうことなのだろうか。俺を「利用してしまった」という意味はなんなのだろうか。
俺は疑いの目を婆さんに向けていると、婆さんは話をはぐらかし始めた。
「まあ、何も無いところじゃが、ゆっくりしていくがよい。……因みに、あまり遠くへいかぬ方がよい。そなたもわらわも、あの〈ザンムグリフ帝国〉を敵に回したからの。わらわから離れれば、そなたはすぐに殺されるぞ?」
「……え、〈ザンムグリフ帝国〉を敵に回したって、どういうこと? 殺される? なんだよ、そんな物騒な話あるわけないじゃないか。そんな話で今の話をはぐらかそうったって――」
「はぐらかしてなどおらん。そなたがあの女帝に対して言い放った言葉、まさか忘れたとでも言うかの?」
婆さんの表情は強張ったままだ。
もしかしたらあの言葉をはぐらかして言っているのかもしれない。だけど、婆さんの最後の言葉にどきりと心臓が跳ねたようだった。
確かに、一国の女王様に暴言を吐きまくった。内心では今でもナティスのことを「鏡餅」などと罵倒している。
とても酷いことをしてしまったってことは、これでもわかっているつもりだ。
……でも、何故その事を知っているんだ? あそこに居たのは俺とナティスの二人だけ。あのマキラって人でさえ、明確なことは知らなかったっぽいのに、何故この婆さんは知っているんだ?
俺はその事を問おうと、質問する。
「何で婆さんがそれを知っているんだよ? 覗き見でもしてたのかよ」
「わらわはこれでも魔女であり、そなたを召喚した主人でもあるぞ? そなたの行動はこの『魔法道具』、魔鏡で見ていたのじゃ」
すると、婆さんはその魔鏡とやらを見せてくれる。
それはただの手鏡と言っていいほどの大きさで、その鏡の中には俺達が真上から映し出されていた。
まるで、バラエティ番組でよく見るような、隠しカメラに映し出されている映像を見ているようだ。
俺はそれを見て納得する。
なるほど、俺は婆さんに監視されてたということか。
……って。
「俺のことずっと覗き見していたってことじゃねぇかぁッ! もしもあのまま俺が犯されていたら、高みの見物だったってことかよぉッ!」
「ふむ、それも良いかもしれんの」
「な、な、ななッ……!」
またこのババァは笑いながら……! 俺をからかっているのか? 「そなたの意思を尊重せずに――」とか抜かしていたくせに、プライベートには関与ってことかよッ! ……まあ、別にナティスとしたいなんて一ミリも思ってなかったけどさ。
「じゃが、そうなってはわらわが困るのじゃ」
「なッ、自分勝手なことばかり…………ッ!」
俺はカッとなり、頭に血が上る。
俺は誰かを殴ったことはない。だけど、そう思うほどこの身勝手なババァに心底腹が立った。
「まぁ、それは良い。それより、そなたはただでさえ女帝に暴言を吐いたと言うのに、あの近衛騎士であるマキラ・ゾマは黙っているはずがないからの」
そこで『マキラ』という言葉を聞いた瞬間、急に背筋が寒くなる。
この婆さんに対する怒りより、あのときの恐怖が増したのだ。
「彼女は噂では残忍で非道だと聞く。マキラの剣の錆になった者が、どれ程居たかわからぬ。じゃが、それがあの女帝・ナティスのこととなると余計に、だと聞いたぞ。マキラの耳にあの暴言が入っていたとしたら、そなたは確実に殺されるじゃろうな」
そう聞くと、俺の体は身震いを起こす。「剣の錆になった」なんて台詞、時代劇とかでしか聞いたことがない。
それに「剣の錆になった」っていうことは、マキラの剣には沢山の血が染み付いている、と言うことだろう。あのときにふいに漂った臭いは、血の臭いということだったのだろう。
血には鉄分が含まれていると聞く。だから、『小銭のような臭い』がしたのは当然なんだろう。
「わらわが魔力を使えばそなたを助けることが可能じゃ。じゃが、使ってしまっては三日後に還せると言う保証ができぬ。じゃから――」
あれ、何でだろう。
なんで、こうなったんだろう。
俺は異世界にトリップ、または転生してチーレム生活を堪能するはずだったのに。
「――なるべくわらわの側に居て欲しいのじゃ。……聞いておるか、キドウよ」
確かに、世の中こう上手くいかないのはわかっていた。
なのに、なんで。
「……キドウよ?」
あ、ヤバイ。目から汗が……出てきちまった。
せっかくトリップしたのに。『女』しかいない世界でウッハウッハしてさ、女遊びしながらの旨いもん食ってさ、それで。
「おーい、キドウや。聞いておるかの?」
子沢山で、妻達は俺にぞっこんで。そんでもってさ、死ぬときは皆が嘆き悲しんでくれて……幸せに死のうと。
「……おーい」
それよりもさ、彼女作って愛し合って、子供は二人ぐらいかな。
八十まで幸せに暮らして、生涯を共にして。
……それが俺の理想だった。なのに。
現実とはここまで違うものかと、俺の運命を呪うよ。
「聞いてないのう……」
なんで俺が命を狙われないといけないんだ?
俺は巻き込まれただけだろう?
なのに、どうして…………。
今すぐ帰りたい。あの幸せな二次元エロゲー生活に戻りたい。
童貞でもいい。俺は一人で妄想の世界に入り込んで、二次元美少女や熟女、あるいは幼女に至るまで営みを行うほうが、よっぽど幸せだ。
それに、『むちきゅん☆魔法少女』をプレイしたい。
新たなる嫁と、色んなプレイをしたい。
――でも、でも。
「大丈夫かの?」
しわくちゃに枯れた婆さんが、俺の顔を覗き込んでくる。
今の俺の現実はこれなんだ。
きっとこの世界では、不細工、デブ、ババァ、ヤバイお姉さんとしかハーレムが出来ないんだ。
もう嫌だ。
…………もう、嫌だッ!!
「うあ、うあぁああぁああぁぁぁああああぁああぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁあぁああああぁあぁぁあぁああぁああぁぁああッ!!」
俺は発狂しながら、この森の中をあてもなく走り出す。
もうどうなってもいい。
死ぬんなら、せめて……いや、あともう一回だけでいい。
妄想の中で、俺の嫁達とエッチしたい。
全速力で俺は適当に走り、適当なところで真っ裸になると、俺はその場で全ての想いを吐き出したのだった。




