二十枚目 「なぜか、エロという単語だけは飲み込みが早い」
あれから、俺は彼女達の誤解を解くために、必死で「嫁」について説明した。
「二次元の産物」
とか、
「萌え文化の象徴」
とか話したところで、彼女達にとって俺の言葉はちんぷんかんぷんだったのだ。
なおかつ、俺が「エロゲー」という単語まで出してしまったお陰で、
「『えろげー』とは、なんでしょう?」
と、クトゥリに突っ込まれるから大変だった。
なんせ「ゲーム」や「テレビ」をまずは説明しなければならないからだ。
だが、彼女達にはそれらが理解できず、俺がわかりやすく説明しているにも関わらず、首をかしげてしまう始末だった。
それなのに、「エロ」を説明すると、厄介なことにその単語はすんなりと理解してしまうのだ。
そのお陰で、
「キキキキドウ様の破廉恥ぃぃぃっ!」
と、ナティスにビンタを喰らうは、
「よし、ちょっと外でようか?」
と、マキラに胸ぐら掴まれるは、
「もう生きることをお止めになってはいかがでしょうか? いえ、いっそクトゥリが楽にして差し上げます」
と、クトゥリに吐き捨てるようにそう言われるは……。
あげく、オルフェリアに助けを求めても、
「そなたという人間は、なんという淫らなことを……!」
と、一緒になって言うばかり。
頭を悩ました俺は、
「この【シンヴォレオ】の神様のようなものだよ。会いたくても会えない、だからこそ、好きすぎて信仰してしまう。そして、妄想の中で自分の都合のいい存在へと変えてしまい、嫁になる。……それが俺の嫁達という存在なんだ!」
と、彼女達にもわかるような比喩を交えて説明したところ、ようやく理解してくれたのだ。
ああいうことを自分の口から言ってしまうと、自分自身がいかに寂しい存在なのか改めて思い知らされるので辛い。
だが、このまま元の世界に帰ってしまったとして、念願の異世界でハーレムを……いや、たった一人の愛おしい人とらぶいちゃ出来る一大チャンスを逃してしまう可能性もある。
俺はナティスが公務のために退席するまでの間、自分自身の誤解を解くために必死になって説明したのだ。
そうして、どうにか誤解を解いた俺はオルフェリアと共に城の中を歩いていた。
朝食も話も一段落したことだし、ナティスにも「城の中だけてはなく、街へと行ってみてはいかがですか?」と言われたので、早速街へ繰り出そうと出入り口に向かっているわけだ。
「……げっそり」
無駄に広い城の中をとぼとぼと歩きながら、俺はその言葉を何回も呟く。
「……げっそり、げっそり」
「キドウ。いい加減、機嫌を直すのじゃ」
「機嫌……ねぇ。機嫌どころか、朝から疲れちゃいましたよ」
オルフェリアが困っていることを知りながら、俺はさらに深い溜め息を吐き出した。
「じゃから、この【シンヴォレオ】の文明と、そなたの世界の文明が違いすぎるのじゃから、『にじげん』や『もえぶんか』じゃったか? ……それらの説明をされても、わらわ達には理解しかねるのじゃよ。…………じゃが、最後の説明は、わらわ達にもわかりやすくて、とてもよかったのじゃ!」
「ふぅん……」
「じゃからの、キドウ。機嫌を直してくれぬかのぅ……」
とぼとぼと歩く俺の顔を覗き込みながら、必死に謝ってくるオルフェリア。
そんなオルフェリアを無視しながら、俺は不機嫌そうにとぼとぼと歩いていた。
……そのうちの三分の一は、オルフェリアを苛めてるんだけどね。
散々俺に真実を黙っていた罰だ。
ツンツンキャラでいってやる!
「ゆ、許してあげないんだからね!」
「そ、そこを……なんとか! 今日、なんでも言うことを聞くっ! じゃから……の?」
藍色の瞳を潤ませながら俺にそう言うオルフェリア。
「なん……でも?」
「う、うむ」
その言葉に心が踊った。
――なんでも言うことを聞く。
つまり、「えっちしよう!」とか「えっちしよう!」とか、「えっちしよう!」と言えるということじゃないか!
そんなことを脳裏に思い描いていると、俺のムスコが久しぶりのテント……いや、富士山……いやいや! エベレストのように聳え立った。
つい興奮してしまった俺は、オルフェリアの両肩掴み、彼女の背中を壁に押し付ける。
「キ、キドウ……」
「俺のことを苗字で呼ばないでくれ。俺はオルフェリアに『貞胤』って、名前で呼ばれたいんだ」
そう甘い声を出すと、オルフェリアの顔がみるみる赤くなる。
耳まで真っ赤になった彼女の表情は、俺の世界によくいる、恋する女子高生のようであった。
「サ、サダタネ……」
「オルフェリア、俺は――」
俺とオルフェリアの距離が、あと少しに近付いていたときだった。
「――キドウ様ぁっ! 〈忌まわしき魔女〉様ぁっ!」
「こらっ! モーリン! オルフェリア様って言ったでしょう!!」
どこからともなく、声が聞こえてくる。
我に返った俺は急に恥ずかしくなり、オルフェリアから離れて何事もなかったかのように振る舞う。
「キドウ様、オルフェリア様! ナティス様のご命令で街の案内を――。……って、どうしたのですか? お二りとも。顔が赤いのですが……」
そこに現れたのは、昨日城の前で会ったモーリンとティナであった。
ティナは俺達の様子がおかしいことに気付き、顔を覗き込みながら訊いてくる。
「あ、いやぁ~、なんでも……」
「なんなん、なな、なんでもないのじゃ! あは、あはははは」
ほぼ同時に俺とオルフェリアが言うと、モーリンが首をかしげた。
「なんだか、恋人同士みたいな雰囲気が漂っていますが……。まさか、そうなんですか? そうなんで――むぐ!」
「ちょっと! モーリン!! キドウ様はナティス様の婿様よ?! 失礼なこと言わないのっ! ……はは、スイマセン。うちのモーリンが…………」
楽しそうに瞳を輝かせて言うモーリンの口をティナが塞ぐ。そうしてから、ティナは薄ら笑いを浮かべて申し訳なさそうに言った。
「いや……大丈夫だ。そ、それで、なんだって? ナティスの命令で俺達を……なんとか言ってたと思うんだけど」
俺ははやくこの話題を終わらせようと、ティナが言っていた話題へと持っていこうとする。
「あ、はいっ! ナティス様に『キドウ様とオルフェリア様に街の案内を』という、直々のご命令を受けて馳せ参じた次第です」
ティナは背筋を伸ばしてから、右胸に拳を当ててそう言う。
なんだか軍隊みたいだな。
それより、……ティナのおっぱいに視線がいっちゃうんだけど。
あの鎧、ひっぺがしてみたい。
そんなことを思っていると、足の爪先に電撃が走った。
「いっでぇッ!」
咄嗟に足を上げると、そこにはオルフェリアの足があった。
察するに、俺の足を思いっきり踏んだってわけか。
こんちくしょう! 痛いじゃねぇか!
「……こほん。そうじゃのぅ。じゃが、わらわとサダタネ……いや、キドウだけで行けるから大丈夫なのじゃ」
「オルフェリア様、私達と一緒に行くことは、お二方を守ることにも繋がります。ですから、安心して街の中をご案内いたします!」
きっと、オルフェリアは遠回しに断りたかったのだろう。
だが、ティナは真っ直ぐな瞳を俺達に向けて話してくる。
そんな俺達の表情がバレバレだったのか、モーリンが俺とオルフェリアの顔をまじまじ見ながらティナに言う。
「ティナぁ、迷惑そうだよぉ?」
「そんなことないわ! だって、そうは言っても〈ザンムグリフ帝国〉には治安の悪い箇所が何ヵ所かあるんです! それに、お二方は目立ちます! 格好の的になるようなものですっ!!」
正義感溢れる眼差しは、俺とオルフェリアに突き刺さる。
確かに、俺達はこの国のことを詳しく知らない。
観光するにしたって、変な不良グループに絡まれたとしても、きっとオルフェリアが魔法で解決してくれるだろう。
だが、そこで魔法を使ってしまっては俺がまたもとの世界に帰るのが遅くなる。
すると、結局振り出しに戻ってしまうことになるのだ。
「……う、うむ。そうじゃな。そなたの意見は的を射ている。し、仕方がないのぅ。案内してもらうか……の」
「……そうだな。安全が第一だもんな。…………うん」
俺は渋々そう言う。
と、ムスコがそんな俺の気持ちを察してくれているのか、みるみる小さくなっていくのがわかった。
「邪魔者だと思うなぁ、私達……」
「さっ、行きましょう!」
俺達の気持ちを汲み取ってくれているモーリンとは対照的に、ティナは張り切って先導しだす。
俺とオルフェリアは顔を見合わせ、苦笑してからそのあとに続くのかだった。
太陽が沈み辺りが暗くなるまでティナの案内が続く。
彼女は辺りが暗くなってもなお、案内を続けようとしていたので、オルフェリアと俺はどうにかティナの説得に試みた。
だが、「俺、明日帰らなきゃなんだけど」と話しても聞き入れてもらえる気配すらない。
オルフェリアも「明日は朝早くから〈送還術〉で貞胤を送らねばならんから」と話してくれたのにも関わらず、ティナは「だったらなおさら!」とか言い出して聞き入れてもらえる気配すらなかった。
俺は、仕方がなく奥の手を使うことにする。
そう、仮病だ。
俺は腹を押さえて悶えていると、見事にティナとモーリンを騙すことに成功した。
……だが、オルフェリアも一緒に騙されてしまったのが誤算だったが。
オルフェリアには「嘘だ」と伝えたかったのだが、俺の部屋までティナとモーリンも付いてきていたので、そんなこと言えないと思った。
そして、今現在、こうして椅子に腰かけて窓の外を眺めているわけなんだが。
やはり、今日のことは心残りで仕方がない。
なんせ、俺はオルフェリアになにかをお願いするという機会を逃してしまったからだ。
えっちしよう、なんて言いたかったわけじゃない。
本当は少しでも彼女を知れたら、と思っていたのだが。
また、話すことができなかった。
月明かりがほんのり点る窓辺を見ながら、俺は椅子に座ったまま眠りの中へと落ちていった。
***
「今日……か」
こんな日に限って、朝日が上るとともに目が覚めてしまったのだ。
それから不思議と眠気に襲われることもなく、窓辺からの景色を眺めていた。
そこから見える景色は小さく見える家ばかりであったが、計算された配置なのか、綺麗に家が建ち並んでいる。
「別に帰ってくるのにな。なんか、名残惜しいっていうか……」
俺は寂しい気持ちでいっぱいになった。
だって、結局は流されるままここまで来たのだ。
確かに帰ることは俺が決めた。
だけど、俺はこの世界のことをすべて把握したわけじゃないんだ。
持ってきた荷物もそこまでないから、もう支度は出来ている。
あとは、クトゥリが迎えに来るのみだった。
――すると、扉からノックする音が二回聞こえる。
「キドウ様、支度は整いましたでしょうか?」
間違いない。この声はクトゥリだ。
「ああ、支度は出来ているよ」
「キドウ様、朝食を召し上がられるならば、すぐにでも用意いたしますが」
「いや……いいよ。その代わり、帰ってきたときにはとびっきりのご馳走を用意しておいてくれないか?」
「…………、はい。仰せのままに」
クトゥリの声色が、少しだけ寂しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。
一週間だけと言ったはずなのに、なんだか永遠の別れのようなこの雰囲気……やめてほしいな。
俺はすぐに椅子から立ち上がると、机の上に置いておいたスマートフォンの画面を見た。
「……時間軸がずれてなければ、日本は午前六時頃なんだな」
辛うじてバッテリー残量が残っているのを確かめると、ホーム画面を押してからそっとポケットにしまう。
そして、ゆっくり扉まで歩いてから、ドアノブに手をかけてゆっくりと押し開けた。
「ささッ! 行こうかッ!」
俺は寂しい気持ちを悟られぬよう、いつもの調子で言う。
「……はい、かしこまりました」
だけど、そこに居たのはらしくない顔で俺を見つめるクトゥリだった。
……調子狂うなぁ。
「では、着いてきてください」
「お、おうッ」
緊張した足取りで、クトゥリの背中を追う。
クトゥリの背中って、こんなに小さかったんだな。
華奢でちっぱいなのに、大きなマキラの一撃を受け止めるんだぜ?
この世界は、本当に奥が深いな。
なんて、そんなことを考えていると、急にクトゥリの足が止まる。
「……今、心の中で『ちっぱい』とか言いましたか?」
地獄の番人のような形相で俺を睨み付けてくるクトゥリ。
「いやいや! そぉんなことないですって」
「そうですか。ならいいのですが」
俺は冷や汗を流しながら誤魔化した。
……こいつ、俺の心が読めるのかよッ!
心の中でそう呟いてから、俺はクトゥリからはぐれぬように付いていった。




