十九枚目 「口は禍のもとだと、改めて思い知らされた」
オルフェリアの笑顔に惑わされてドギマギしていた俺は、その感情を悟られぬように手当たり次第に食べ物を口に放り込む。
近くにあったマキラのパンまで奪い取り、モシャモシャしているとすぐに鋭い視線を感じた。
「貴様! 私の、私の大好きなパンをよくも……!!」
「ぶおッ!」
マキラは俺の胸ぐらを掴み、ぶんぶんと揺さぶり始める。
「だ、だって、残ってたから、てっきり好きじゃないのかとッッ」
「私は……私はな、好きな食べ物は最後に食べる派なんだっ!」
顔を真っ赤にしながら必要以上に俺を揺さぶるマキラ。
――もう、やめてくれない、かな…………。
ぎもぢわるくな、ってきた……おっぷ。
「マキラ、おやめなさい! キドウ様の顔色が悪くなっているではありませんか!」
「マキラ様のお好きなパンでしたら、まだありますので落ち着いてくださいませ」
吐き気を催していることを察してくれたのか、ナティスとクトゥリがマキラを宥めてくれる。
あまり納得した顔をしていなかったが、マキラは俺から手を離すと、不機嫌そうに席に戻った。
た、助かったぜ。リバースしないで済んだ……。
危うく、この世界での黒歴史(下ネタ)がまた増えるところだったよ!
俺は呼吸を整えながら水を飲み干していると、ナティスと目が合ってしまう。
よく見たら、ナティスの目の前にある贅沢な朝食のほとんどが残っているのだ。
「ナティス、食べないのか?」
「あ、いえ……」
気まずそうにモジモジするナティス。
いったいどうしたと言うんだ。
俺達に用意された食事と違って、ナティスのは量が多く、種類も豊富であった。
なのに一口も口に運んでいないのか、すべての料理が綺麗な形を保ちながら残されていたのだ。
「食べなきゃ大きくなれないぞ、もぐもぐ」
俺は気にせずクトゥリから追加のパンを貰い、もぐもぐしながらそう言う。
すると、少しずつだがナティスの瞳が輝きだした。
「で、でも、キドウ様。食べても……いいんですか?」
「いいに決まってるだろ? 無理なダイエットは体に良くない思うんだ」
「――っっ! で、でででは、え遠慮ななくくく!!」
一人で頷きながらパンを頬張っていると、嬉しそうなナティスの声が聞こえてくる。
すると、お上品であったナティスはどこへいってしまったのでしょうか。
フォークを魚に突き刺すと、大きな口を開けてそのまま食べてしまった。
「はむっ!! んんっ、おいひぃですぅ~」
赤く染まったほっぺたを押さえながら、嬉しそうに食べるナティス。
口の回りに沢山の食べかすをくっつけていらっしゃるけど、それも愛嬌と言うべきなのだろう。
「クトゥリのりょうりは、はむっ! あむっ! ……おいひぃですぅ~」
見ているこっちが幸せになるくらい、美味しそうに料理を食べるナティス。
その姿を見ていた俺は、その姿に見とれるあまり、つい口に出して呟いてしまった。
「ふ……ふつくしい…………」
「…………だろう? ナティス様のお食事している姿が一番愛くるしく、可愛らしいのだ」
うっとりした表情でナティスを眺めているマキラ。
……あの鼻の伸ばしよう、俺がエロゲーをしているときの顔、そっくりじゃないか!
そんな下品な顔をしていることも気付いていないマキラは、そんな顔でも幸せそうなオーラに包まれているようだった。
……よかったね、マキラさん。
「んむっ……。クトゥリ、みなひゃまにしょくごのおちゃとおかひを」
「かしこまりました」
食べながらナティスはクトゥリに言う。
……良い子のみんなは、口の中に食べ物が無くなってから喋ろうねッ!
すると、クトゥリはまた魔法陣に手を突っ込み何かを取り出す。
そこから出てきたのは、生クリームのような白い物がたっぷりと乗った、ケーキのような物だった。
それを見た俺は、つい突っ込みをいれてしまう。
「そんなナマモノをそこに入れておいたのかよ!! 腐ったりでもしたらどうするんだよ!!」
「中に氷を入れておきましたので大丈夫です。これで数日間は持ちます。……クトゥリの魔法は便利ですので」
オルフェリアの目の前にそのお菓子を置き、ジト目をさらに細めてクトゥリは言う。
……冷蔵庫代わりにもなるって話ですね。
その暗器を入れておくための魔法を、どんな使い方してんのッ! マジでッ!!
「お口に合うかわかりませんが、どうぞお召し上がりください」
クトゥリはオルフェリアにそう言うと、次は俺のところにきてそのお菓子を置こうとした。
「いえ、本当に無理しなくていいんですよ。キドウ様、要らないなら要らないでいいんですよ?」
「……あの、クトゥリさん。俺をいじめて楽しんでません?」
「そんなことはありません。クトゥリはキドウ様の身を案じているだけです」
ジト目を必死に輝かせて言うクトゥリの表情は、いかにもうさんくさい。
クトゥリは、俺を弄るのが好きなのかな……。
「こら、クトゥリ! キドウ様が困ってます! 意地悪するのはやめてください……はむ」
「申し訳ございません、ナティス様。……キドウ様も申し訳ありませんでした。こちらをどうぞ」
ナティスの一言だけで、クトゥリはすんなり俺にお菓子を渡してくれる。
その時の表情は普通で、どうしてナティスにここまで忠実なのかと不思議にも思った。
「さて、キドウ。一旦帰る、という話じゃが」
俺がクトゥリのことで気を取られていると、前にいるオルフェリアに声を掛けられる。
あまり意識もしていなかったので、びくん、と飛び跳ねてオルフェリアの方を見た。
「なななな、なんだ?」
「じゃから、『そなたが一旦帰る』という話じゃ」
「うおおう……おうッ」
オルフェリアの顔を直視すると、すっごい耳が熱くなるんですけど! どうしてでしょうか!!
「二日三日前から『明日には』とか言っているような気がするのじゃが、わらわの魔力が明日になれば回復するのじゃ。じゃから、明日にでも還そうと思うのじゃがどうであろう?」
「明日、か。俺は身一つ用意すればいいから大丈夫だけど、急な話だな」
「すぐにとは言わぬ。今日中に考えておいてくれればよい」
そう言われると、だらだら居続けそうだな。とか思ったり。
……でも、明日でちょうど一週間。
時間の流れが一緒だったとしたら、事を大きなものにしないために、帰れるときに帰った方がいいとも思うんだ。
案外心配性の母ちゃんのことだから、大事になっていると考えておいても不思議ではない。
…………、大事になっていなかったら、ちょっと悲しいかもだけど。
そう思うと、余計に早く帰った方がいいんじゃないか? とも思えてきたのだ。
「……いや、きっと俺が居なくなって、あっちの世界で大騒ぎになってると思うんだ。だから、帰れるときに帰ろうと思うんだ」
「そうか、わかったのじゃ。では、明日〈送還術〉でそなたを元の世界に還そう」
オルフェリアはそう言うと、クトゥリの作ったお菓子を口に運び、味わいながら食べていた。
そんな彼女の鼻の頭に、あの生クリームのような白い物体が乗っているんだが……。
……ちょっとエロい想像をしてしまったのは、秘密にしておこう。
すると、急にからん、となにかを落とす者が居た。
「あ、ああ、明日……ですかかか」
それは、フォークを落とし、あからさまに動揺しているナティスである。
「すすす、すぐにかかかかかか、帰ってきき、きますよ……ね?」
今にも泣いてしまいそうな表情で、ナティスは俺にそう聞いてきた。
……口の回りに食べかすがいっぱいくっつけているから、少し笑ってしまいそうになったけど。
それはそっと心の奥にしまいこみ、うーんと考える。
「できたら一週間ほしいかな……」
「一週間……じゃな。わかったのじゃ。して、一週間経てばいつでも召喚して良いかの?」
「いや、できたら事前にわかるようにしてほしい」
そう言うと、オルフェリアは「ふむぅ」と声を出す。
「事前にわかるように……かの?」
「ああ。いつか言ってただろ? 『パンツを餌にしてそなたを召喚した』……とかなんとか。だったら、あのときと同じようにパンツを餌にして、俺がパンツを掴んだ瞬間、召喚出来るんじゃないのか?」
そう言うと、オルフェリアの顔がみるみる赤くなっていく。
「で、出来なくはないのじゃが……、なぜパンツなのじゃ?」
「だって、ほら。他の物だったら、誰かが掴んじゃうかもしれないじゃないか。だけどパンツだったら、誰よりも早く掴める自信あるし。それに、不自然にパンツが落ちてきたのならば、喚ばれるってわかるから、準備もしやすいだろ?」
「わわ、わかったのじゃが……、そなたはなにかこちらの世界に持ってくるつもりかの?」
オルフェリアにそう聞かれると、俺は回答に困ってしまう。
……だって、エロゲーや薄い本、フィギュアなどをこっちに持ち込もうと思っているのだけど、なんだかそれをさらっと言う勇気もない。
「お、俺にとっての必需品を持ってきたいだけだよ。ほら、着替えとかさ……。ほら、俺様こだわりのボクサーブリーフだって、こっちの世界に無いだろう? だから、いきなり召喚されると困るんだよな」
とにかく誤魔化すようにあれやこれやと言葉を並べる。
きっと目が泳いでいるだろうが、とにかくこの場を乗り越えようと必死て喋った。
「……まあいいのじゃが、あまり大荷物にするでないぞ? わらわがそなた召喚するときに、そなたに危険が伴うからの」
オルフェリアの最後の言葉を聞いた俺は、ごくり、と唾を飲んだ。
「え? き、危険って……」
「大きさにも比例して魔力は消耗する。そなたがたくさんの物を身につければつけるほど魔力は消耗するのじゃ。じゃが、そなたと〈契約〉することによって魔力の消耗を少しだけ緩和したのじゃが、やはり特殊な召喚をせざる終えない。それを考えると、そなたが多く荷物を持つことによって、わらわの魔力が尽きてしまう可能性も否めないという訳じゃよ」
「え? じゃあ、仮に〈召喚術〉を使っている最中に魔力が尽きたら、どうなるって言うんだ?」
「そうじゃのぅ……。そうなれば、キドウとわらわが初めて出会ったあの真っ白な空間……〈世界の狭間〉をさ迷うことになるかの」
それを聞いたとたん、俺の背筋にぞわっと寒気が走った。
あの真っ白な世界は〈世界の狭間〉と言うのか。
もし、俺の部屋にある全てのエロゲーや薄い本、その他もろもろを持っていくと、もしかしたら真っ白な世界でさ迷うことになってしまうらしい。
俺の嫁達を異世界に連れてくることが不可能かもしれないという事実に、放心状態の俺を見るに耐えたのか、オルフェリアは補足をするように俺に言った。
「じゃが、まあ両手に収まる程度なら良いと思うぞ?」
それを聞いて嬉しくなったが、両手に収まるなんて少ないじゃないか! と思うと、肩を落として溜め息を吐く。
「仕方がない。俺の嫁達とは当分のお別れだな……」
そう呟いてからまた溜め息を吐くと、またからん、となにかを落とす者が居た。
「およおよ……よよよ、嫁達…………でででですかか! オオオオオルフェリアさんっ! キキキキドウ様は〈契り〉をむむむす結んでいないいはずででですよよねねねねっっ!!」
次はナイフを落とし、口の回りに白いクリームのようなものをくっつけながらも、ナティスは目に涙を浮かべながらそう言う。
「キキキキドウ様ぁぁぁ……、はなはなはな話がちちがががいますよおおお」
「いや、嫁っていうのはだな……二次元のものであってだな……そのだな……」
何気なく呟いた俺の一言で、事が大きくなってしまっているようだ。
マキラとクトゥリも俺のことを冷ややかな目で見てくるじゃないか。
「キドウ……貴様……っ!」
「キドウ様……、そこまで堕ちたお人だと思いませんでした」
「勘違いだよっ! 嫁っていうのは空想上の人物なの! 現実にはいない存在なんだよ! 誤解だってッ!!」
俺は必死に誤解だと言うが、彼女らは取り合ってくれない。
困り果てた俺は、日本のことを話したオルフェリアならわかってくれるかと思い、彼女に助けを求めた。
「オルフェリアッ! 俺の世界ってそう言うもんだよな?!」
「…………キドウの世界は淫奔じゃからの」
俺はオルフェリアの言葉を聞いて、自らの行動を酷く後悔する。
――そして、彼女達の誤解を解くのに時間がかかったのは言うまでもない。




