突き落とされた魔法使い
出発の時間はとうに過ぎていた。ウルリヒ側の近衛隊はハヴェルン一行になかなか動きがない事を不審に思い始めている。イニャス第三王子が貴賓室へ使いをやるが今暫くと同じ返事が返るばかりで遂に王子自らが訪れる事になった。
扉の前にはハヴェルン王国近衛隊が護衛をしている。扉の向こうからは何処か重たい空気が詰まっている雰囲気があった。
「イニャス第三王子だ。予定をとうに過ぎた、使いの者も3回お呼びたてに来たと思うが何事かあったのか?何度来ても「今暫く」ばかりではこちらも不審に思うが、やはり私でも中には通してもらえぬのかな。」
護衛が顔を見合わせ、周りに控えている一人に貴賓室の隣にある部屋へ伺いを立てる様言い付ける。
「なんだ、貴賓室はここだろう?なぜ隣室に行かせる。」
「恐れながらイニャス殿下に申し上げます。もし、殿下自らがこちらに様子を尋ねにおいでになられた時には先ずは隣室へと伺いを立てる様に言付かっております。殿下をお待たせする事、私共も大変心苦しいのですが・・・何分、私共も詳しい事は聞かされておりません。先程の者が戻るまで今暫しお待ち下さいませ。」
「いや・・・他の者はともかく、私はそちらの王太子殿が体調にご無理をして来られているのではないかと心配しているのだ。長患いをされていたと聞いておるからな。」
その表情は確かに偽りなく心配している顔だ。母親や兄が病弱であったので他人事ではないのだろう。貴賓室周辺を護衛しているハヴェルンの近衛隊はイニャス第三王子に少なからず好感を抱いた。その時、先程の近衛がアナスタシア公爵令嬢を伴って戻ってきた。アナスタシアはイニャス第三王子に礼を取ると予定を過ぎている事をまず詫びた。
「殿下、申し訳ございませんが只今こちらの貴賓室にはどなたも入る事が出来ません。隣の控えの間で詳しく状況をご説明致しますのでご一緒にお越しいただけますか?」
「わかった。とにかく何事が起きているのか心配だ、早速行こう。」
アナスタシアを追い越して控えの間の扉を護衛に開けさせる。二人が部屋へと消えたのを確認し、廊下で警備をしている近衛達はそれぞれ難しい顔をしてただ主からの命を待つしかなかった。控えの間には貴賓室に居るはずのヴィルへルミナとその兄が深刻な顔をして座っていた。イニャスが入ってくると二人とも立ち上がり一瞬顔を見合わせたが王太子から詫びの言葉が先ずは出た。
「どうして・・・私はてっきりアルベリヒ様が体調を崩されたかと。」
「すまぬ、私はこの通り元気だ。ヴィルへルミナも変わりない、休息を取ったお陰で身体の疲れは取れたのだが・・・」
「そもそも、なぜ王族のあなた方がこちらの控えの間などに居られるのですか⁈貴賓室には何があるのです。」
「アナスタシア、これよりイニャスに説明をする。ヴィルへルミナは安全の為更に幾つか隔てた部屋へと頼む。」
「兄上、私もこの場に、」
「ならぬ‼其方は大事な身の上だ。アレには何が仕掛けてあるかわからぬ。・・・頼む、これ以上危険に晒したくないのだ。」
そう言われては従うしかなかった。
「オブリー。そちらから例のモノを持って来てくれるか。」
貴賓室に繋がる扉に声を掛ける。少しの間の後、イニャスもよく知る魔法武官でもあるオブリーが小さな小瓶を王太子の元へ持って来たがそれを手渡すのを躊躇しているようであった。
「私は大丈夫だ。構わんから渡してくれ。」
オブリーは仕方なくと言った風情で手渡すとお気を付け下さいませといい、王太子の後ろに控えた。
「ふん、全く不気味な代物だ。イニャス、これが何で何処から来たかわかるか?」
透明の掌に収まるほどの小瓶の中にはドロドロとした半透明のモノが蠢いていた。
「いえ、何ですかソレは。見た事もありませんが、動いているという事は生き物?一体何処から・・・‼」
疑問を口にした後先程の兄妹のやり取りが浮かぶ。
「危険・・・まさか、まさかこのウルリヒ王国領内で禁忌の魔術がハヴェルン王家に対して行われたと仰るのですかっ‼」
愛国心に溢れ自国の民を信頼し切っているのだろう、ウルリヒ王国に対しハヴェルン王女を狙った魔術が行われた疑いをかけられ思わず怒気を含んだ声が出た。
「ハヴェルン王家・・・に、対してなのかはよくわからん。まぁ落ち着け、その様子では我が妹をよく思わぬ貴族らが多数いることを知らぬのか?」
アルベリヒは少し呆れたように言い放った。知らぬ訳はない、片は付いたと思い込んでいるだけだろうと。
「恐れながら、イニャス殿下。私も全ての高等魔法魔術技師達にお会いしておりますが、このように強い魔術を使われるような邪気を持たれた方はおられませんでした。そこでお聞きしたいのですがブロワト男爵家はどの様なお家柄ですか?」
「ブロワト⁉ただの男爵にすぎぬ。」
オブリーの問いかけに答える第三王子を冷ややかな瞳で見つめていたアルベリヒは深く息をつき瞳を閉じると語り出した。