桃太郎の桃
風がゆっくりと草原を吹き抜けていく。小さな雲がほっこりと広い空に浮いている。お日様が心地よくほどほどの光を投げかけている今日のような日は、洗濯をするのにちょうどいい。
おばあさんは衣類の山をたらいに入れて近所の川まで洗濯に出掛けました。家から少し離れた場所に流れるこの川はとてもきれいに澄み渡っていて、今日のような春の暖かい日には気持ちいい安らぎを来る人々に与えてくれます。
そんなわけでおばあさんが川で洗濯をしていると、川の上流の方から大きな桃がどんぶらこーどんぶらこーと流れてきました。
今まで見たこともないような大きな桃です。おばあさんはびっくりぎょうてんして目をぱちくりさせて引っくり返ってしまいました。
しかし、いつまでも呆然自失としているわけにもいきません。
我に返ったおばあさんは丁度都合よく足元に転がっていた手頃な木の枝でその桃をたぐりよせることにしました。
流れてきた物を拾うのはいじきたないことだとも思いましたが、なんといっても大きな桃です。おばあさんは興味しんしん。
木の枝を精一杯のばせばなんとか桃に届く微妙な距離を一回突つき、二回目で転がし、三回目でなんとか近くに漂ってきて、何回目かでやっと桃は川岸まで流れ着いてきました。
近くでまじまじと見つめるとなんとも大きい、それに何故か妙な気品のような物も感じさせる桃です。
「こりゃまあなんかすごいわ。早く持って帰って新鮮なうちにおじいさんといただくことにしよう」
桃はさすがに大きいだけあって重さもかなりの物がありました。
しかし、持てないほどの重さでもなかったので、おばあさんはとりあえず洗濯物は置いておくことにして、頑張ってその桃を持って帰ることにしました。
ひーふーひーふー、息をきらしながら歩いていきます。
「おばあさん、おばあさん。そんなにがんばって何を運んでいるの?」
帰り道の途中、両側を畑に囲まれた広い場所まで来たところでキジが声をかけてきました。おばあさんの家によく遊びにやってくる顔なじみのキジです。おばあさんはにっこりと微笑んで答えました。
「おや、キジさんかい。これは川で見つけた桃だよ。大きいだろう」
「うん、凄いねー。一口食べていい?」
キジはおばあさんのそばを飛びながら好奇心で目をきらきらさせています。おばあさんは幼い子供に言い聞かせるように落ち着いた声で答えました。
「歩き食いはお行儀が悪いからね。お家に持って帰ってみんなで食べよう」
「うん、じゃあそうするー」
キジは大きく飛び上がると、おばあさんの家へ向かって飛んでいきました。
あっという間に青空の点になって消えていったキジを思い、おばあさんは疲れたためいきを一つ吐きました。
「いいねえ、飛べる人は」
しかし、うらやましがっている場合でもへこたれている場合でもありません。おばあさんは気合を入れて覚悟を決め直すと、大きくて重たい桃の重圧を自らの気合で撥ね除けるように力強い前進を続けていきました。
「ワンワン!」
山の向こうで太陽が顔を沈ませはじめ、空が茜色に染まった頃、やっと家にたどりついたおばあさんをかわいらしい犬が出迎えてきました。おばあさんの家で飼っているポチです。
ポチはしっぽをふりふりとさせながら、つぶらな瞳でおばあさんの顔を見上げました。おばあさんはそんな忠実な犬の頭をなでてやりたいと思いましたが、あいにく大きな桃で手がふさがっていたので声をかけるだけにしました。
「ただいま、ポチ。おじいさんはもう帰っているのかい?」
「わん!」
ポチは元気一杯に答えます。どうやらおじいさんはまだ帰っていないようです。
「そうかい、じゃあ桃を切る用意をして待つことにするかね」
おばあさんはポチの横を抜けて家に入っていきました。ポチはしっぽを振りながらとことこと後をついてきます。
台所に入っていくとそこではキジが待っていました。しかし、様子が変です。キジは何故かロープでぐるぐる巻きに縛られていました。そして、そこにいたのはキジだけではありませんでした。
ロープの先を目でたどっていくと、
「よう、ばあさん。こいつの命がおしければおとなしくその桃をよこしな」
「おばあさん、助けてー!」
なんといかにも柄の悪そうな猿が、ロープを持ってキジをキジ質にとっているではありませんか。これではおばあさんはうかつには動けません。
「どうしてこの桃が欲しいんだい?」
おばあさんは突然の予期せぬ訪問者を前に、おっかなびっくりしながらも、なんとか相手を刺激しないように慎重に聞いてみました。猿の態度は横暴です。
「おれは珍しい物に目がないんだ。そんな大きな桃は見たことがない。さあ、よこすんだ」
「ううむ。もったいないが、しょうがないね」
おばあさんはしかたなく桃を猿に渡すことにしました。苦労して持ってかえったせっかくの桃を渡すことは嫌でしたが、キジの命には変えられません。
「へへ、分かればいいんだよ。……うおっ」
桃がおばあさんの手から猿の手に移ります。しかし、桃は相当の大きさとそれに見合った重さがあります。猿の小さな体では支え切れないほどに……
かわいそうに猿は下敷きになってつぶされてしまいました。
「うおお、助けてくれ……助け………………………」
「いい気味よ。これでもくらえ!」
桃の下敷きになって苦しむ猿に、キジがここぞとばかりに桃の上に飛び乗ってさらに足を踏みならしたりして猿の体にかかる重さを加えます。
「おれが悪かった。もう悪さはしないから助けてく…………るぇ……がふっ」
猿は涙ながらに訴えます。さすがにかわいそうになってきて、おばあさんは猿を助けてあげることにしました。
桃を持ち上げてどかせてあげます。猿はせきこみながらもなんとか起き上がりました。
「げほげほ、ありがとうよ。おれはただ珍しい桃が食べたかっただけなんだけどな……」
「それならみんなで食べよう。大きい桃だからみんなの分はあるよ」
「そうか……すまないな」
みんなで和やかに話がまとまったところで玄関から物音がしました。
「ただいま。おや、大きな桃だな。それにお客さんも。今日は何かのパーティなのか?」
部屋に入ってきたおじいさんは目を丸くして驚いたようにみんなを見渡しました。
みんなはただにっこりと笑っておじいさんにおかえりを言いました。
いろいろあった出来事をおじいさんに話し、食事の用意も整って、いよいよ桃を切る時がやってきました。
みんなが見守る中で包丁を手に持って桃の前に立つのはおばあさんです。
緊張の空気が張り詰める中、おばあさんは注意深く桃に包丁を当てて切っていきます。
頂点から垂直に降ろすようにゆっくりゆっくりと……そしてちょうど二つに割れようとした時のことでした。
突然桃からまばゆく熱い光が飛び出したのです。その光は家の中を縦横無尽に荒れ狂い、やがて収まったころ、ぼろぼろに焦げた桃の中から一人の男の子が立ち上がりました。
身なりの立派なきちんとしたような男の子です。
「やあ、僕は桃から生まれた桃太郎。これからみんなで鬼が島へ行こう」
「なにが鬼が島だ! ふざけやがって!」
「わたしの桃を返してよ!」
「わんわん!」
楽しみにしていた桃をだいなしにされた恨みに猿とキジと犬は怒り心頭です。いっせいに桃太郎に飛び掛かっていきました。
「この桃太郎に逆らおうというのか。無礼者め」
桃太郎は静かに手を振り上げると、猿を殴り飛ばして、キジをはたきおとして、犬をふんづけましたが、三匹も負けてはいません。
再び桃太郎に飛び掛かっていくと、事態は泥沼の混戦状態となっていきました。
おじいさんとおばあさんはしばらく呆然としていましたが、ふと我に返りなんとかみんなのケンカを止めようとしました。
そして、日は静かに暮れていったのです。
…………
………
……
夜。煙の立ちのぼる囲炉裏をみんなで囲んでいます。おばあさんはみんなにご飯をよそってあげながら桃太郎の話を聞いていました。
今夜は大きな桃を食べるつもりだったのに、結局今日の夜食はいつもと同じ質素な食事です。
「岡山? そこにこんな桃があるのかい?」
桃太郎の話におばあさんは驚いたような声をあげます。
「はい、岡山は桃の産地なんです。どんな桃でも望み通りですよ」
桃太郎はぼろぼろに痛む傷をさすり、おばあさんから受け取ったばかりのみそ汁をすすりながら落ち着いた声で答えます。部屋の隅にはぼろぼろに朽ちた桃が転がっています。
「へえー、そりゃ凄い」
猿も驚いた声をあげます。キジがその横から身を乗り出して提案しました。
「じゃあ、さっそく明日そこへ行こうよ」
「で、その岡山というのはどこにあるんだ」
物知らずなみんなに桃太郎はしたり顔で説明します。
「日本の西の方ですよ。ここからだと結構遠いですね。とてもそんな暇はないですね」
「俺なら暇だから全然大丈夫だぞ。あの桃が手に入るならどこへだって行くぞ」
「わんわん!」
「ケーン!」
乗り気になっている猿と犬とキジに、桃太郎はしぶるような視線を向けます。さっきのケンカで受けた傷の痛みを思い出してもいるのでしょう。不満たらたら答えます。
「だから、僕たちは鬼が島へ行かないといけないんだってば」
「その鬼が島というのはどこにあるんだい?」
聞いたのはおじいさんです。桃太郎は今度は静かに首を横に振りました。
「分かりません」
「じゃあ、岡山行き決定ー」
「決定-」
「わん!」
「なんでー」
その後も話し合いはいろいろ続いていきましたが、結局満場一致で最後まで押し切られる形で桃太郎は岡山行きを呑むことになるのでした。
次の日、桃太郎は猿とキジと犬を連れて岡山へと出掛けていきました。おじいさんとおばあさんはもう年なので留守番をすることにしました。
「頑張ってな」
「体には気を付けるんだよ」
「はい、必ずや使命を果たして帰ってまいります」
おじいさんとおばあさんに見送られ、桃太郎達は岡山への道を目指していきます。
旅立ちには打ってつけの天気の良い日。陽気に歌でも歌いたくなるような心地の良い日です。
「ぼ~くは日本一の桃太郎~♪」
「誰が日本一だよ!」
「調子に乗るなー!」
「わんわん!」
「痛い痛い! ほら、きびだんごあげるから落ち着いてよ!」
桃太郎が歌を歌い出すとすかさず突っ込みを入れてくるのは猿とキジと犬。桃太郎はおばあさんから渡されたきびだんごをみんなに分けてあげました。
前途はいろいろありそうです。
日は高く昇り、道を明るく照らしだしています。




