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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
98/105

解放 8

「おじいちゃん?」


 恐る恐る、探るような声が出てしまった。幽霊姿だった時はあんまり意識しなかったけれど、目の前にいるおじいちゃんは背が高くて体格もいい。肉体を持ち、八つに分かれていた魂が一つになった他は何も変わらないはずなのに、結構それだけで今までと違うというか、所謂気後れを感じてしまうのだ。


「この姿では初めましてと言うべきかのう。なんなら溢れる感動を表すために抱きついてみるか?」


 うん、これは間違いなくおじいちゃんだ。両手を広げ、すっかりお馴染みの人を食ったみたいな表情でそうのたまう。私の複雑な感慨など木っ端に吹き飛ばされてしまった。自然と笑い出したくなってくる。

 すると行動を阻止するかのように、背後からアステルの腕がお腹に巻きついてきた。もしかして、私が喜んでおじいちゃんの胸に飛び込むだとか、そんな危険なことをするとでも思われているんだろうか? 心外な。


「おじいちゃんって、意外といい声してるんだね」


 そうなのだ。初めて聴いたおじいちゃんの声は、低音で深みがあって、老人とは思えないほど艶っぽい。耳元で囁かれたりなんかしちゃったら腰砕けになってしまうんじゃないか、と不埒な想像までしてしまった。


「惚れたか?」

「惚れないって……」


 身体に戻ってもこんなかけ合いになってしまうのか。やっぱりおじいちゃんはおじいちゃんでしかないな、と明後日の方向を向きたくなってしまった。私が気抜けしていると、「ならばこれで如何かな?」と聞こえてきておじいちゃんに目を戻す。

 そこで私は凍りついてしまった。


「ええっ!? ぇぇええええっ!!」


 驚愕。衝撃。目の玉飛び出る。ついでに張り上げると表現するのが相応しい大きな声も出た。そのせいで、後ろにいるアステルが私から腕を放し、耳を塞ぐ気配が伝わってくる。

 いや、でもでも。自分でも無理ないと思う。だっておじいちゃんが。おじいちゃんが――


「おじいちゃんが、若返った……!」


 目の前にいるのは本当におじいちゃんなのかと信じられず、呆気に取られながらもおっかなびっくり言葉に出して確かめる。

 私の反応にいたく満足した様子のおじいちゃんが、再び迎え入れるように両手を広げた。


「これなら惚れるだろう?」

「いや、惚れないけどさ」


 ここだけは冷静な声が出た。おじいちゃんが軽く舌打ちする。こらこら、若返って仕草が粗暴になっているぞ。

 ――だってねえ、中身がもう解っているんだもんなあ。

 まあそれはともかくだ。これなら常日頃からの自信過剰な態度にも納得がいく。口元を覆っていたひげは綺麗さっぱり無くなり、年齢はピジョンたちと同じくらいか。老人姿の時も顔かたちは整っていたから昔は格好よかったんだろうなとは思っていたけれど、これは想像以上だ。醸し出す雰囲気がとてつもなく色っぽいのだ。あの声と合わせたら、女の人は大抵があっという間にしなだれかかってくるんじゃないか?


「おじいちゃん、いつも今の姿で過ごしてた方がよっぽど女の人に好かれると思うんだけど……。どうしてわざわざ年寄り姿で過ごしてるの?」


 女好きと公言して憚らない割に、謎だ。私の尤もな問いには、傍らでずっと私たちのやり取りを落ち着き払って眺めていたピジョンが、腕を組み呆れを交えた声で答えてくれた。


「このジジイはバカなんだ。最高位の魔術師はそれ相応の印象を与えねばならん、などとほざいてわざわざ年寄りの姿になっちまった。更には住む所もそれなりでないと、とか言い出して岩屋なんぞで生活している。女好きのくせにわざわざ女が寄りつきそうにない場所に住んで、自分の首を締めているんだ」

「ふん、お前に私の高遠な考えは分かるまい」


 口調まで変わっている、とちょっと感心した。


「アホなだけだろうが!」


 とはいえ。見かけの年齢は変わっても、やっぱりピジョンとの関係は変わらないらしい。またもやギャアギャア喧嘩し始めてしまった。おじいちゃんには悪いんだけれど、私もピジョンの意見に激しく同意したい。ちょっと理由がくだらな過ぎるぞ。

 二人のかしましい争いを横目に通りすぎながら、スターが傍にやってきた。私たちの前まで辿り着くと、優美な仕草で腰を折る。


「桜、アステルバード殿、この度はご尽力いただき、言葉では言い表せないほど感謝しております。央輝星も正常の光を取り戻しました。アージュアの落下も食い止められたことでしょう。ユヴェーレンを代表してお礼申し上げます」


 かなり手厚い仕草で謝辞を述べられてしまった。元々丁寧な人ではあるんだけどね。


「や、やだなスター」


 私もなんとなく居住まいを正しながら、慌てて言葉を返す。


「アステルはともかく、私はおじいちゃんに触っただけなんだからさ」


 そんな風に言われると、逆に恐縮してしまうじゃないか。


「遠慮する必要はありませんよ。桜はよく頑張ってくださいましたから」

「そうだぞ、こうやってジジイも身体に戻れたんだからな」

「うむ、感謝しておるぞ」


 喧嘩を止めた二人までが口添えしてくる。いつの間にかおじいちゃんは老人姿に戻ったみたいだった。やっぱりこっちの方がおじいちゃんらしい。

 それにしても、うむぅ、照れてしまう。なんだかくすぐったくなって背中のアステルを振り仰ぐと、優しい表情で頷いてくれた。それに私も笑って頷き返す。

 ――ああ、これで終わったんだ。


「それじゃ、帰るか」

「うん!」



 それから私たちはピジョンの言葉をきっかけに、ひとまずはスターたちの家に戻った。洞窟内に籠もっていたから全然分からなかったけれど、既に日は落ちかけており、夕闇の中、何はともあれまずはお湯を使わせてもらった。血だらけで気持ち悪かったのだ。

 そしてその晩はさすがに全員疲れが酷く、夕飯もそこそこに部屋へ引き上げていった。ちなみに私はスターと一緒に、アステルは客室で。おじいちゃんはピジョンの部屋で寝ることに決まり、お互いがしつこくぶつくさ言っていた。もしかしたら、寝る間際までうるさく舌戦を繰り広げていたのかもしれない。タフだな。

 次の日私はアステルに、一緒に屋敷に帰りたいと申し出た。多分大丈夫だろうとは思いつつも、帰ってこなくていいと言われたらどうしようかと内心で怖じ気づきながら。まあ予想通りの色よい返事をもらえて安心した。

 ついでにせっかくだからと、身体を休めるためにもう一日だけこの家で過ごすことになった。鶏たちに餌をやったり、掃除をしたりと平常通りに費やす時間。これでお別れかと思うと、さんざん突っついてくれた憎たらしい鶏たちも、なんだか可愛く見えたりした。錯覚かもしれないんだけどさ。

 その日の晩、まだ疲れが残って早く寝てしまった私が夜にぽっかり起きると、他の皆は酒宴の真っ最中だった。もちろん、ずるいずるいと無理矢理押し入り参加した。でも何故か途中から記憶がなくなり、気がついたら朝になっていた。


 眩しすぎる午前の日射しと脳天を突き刺す小鳥の鳴き声。取り巻く世界は泥色で、何故だか蛇みたいにグルグルとぐろを巻いている。

 …………これが二日酔いというやつか。全く嬉しくない初めての体験。目覚めは最悪だった。


「お早う……」


 あぐぐ、自分の声も響く。私がガンガンする頭を抱えてよろめきながら下へ降りていくと、全員既に起きていた。口々に挨拶が返ってくる。銘々が食卓に着いたり用事をこなしたりしていた。


「朝食はどうします?」

「ごめん、いらない……」


 椅子を引いて座りながら答える。


「お水ちょうだい」


 正直、食べ物の匂いだけで吐きそうだ。水を持ってきてくれた男性姿のスターにお礼を言い、一息に飲み干す。少しだけ気分がよくなった。


「若い娘の姿ではないのう」


 ううう。向かいに座ってお食事中のおじいちゃんの、呟く一言が耳に痛い。


「お前飲みすぎには気をつけろ」


 傍に寄ってきたピジョンが屈んで耳打ちしてきた。


「私、全然覚えてないんだけど、何かしちゃった?」

「まあ……な……」


 どういうわけか顔を引きつらせ、斜め向こうへ座って品よくお茶を飲んでいるアステルの様子を気にしている。私もピジョンに倣って視線を移すと、アステルには「何か?」と笑顔で問いかけられた。とても不穏な空気を伴ったその表情を見て、私はどうやら不味いことをやらかしてしまったらしいと確信する。

 ピジョンに目を戻して、今度からは絶対気をつけるという意味を深く持たせ、首を一つ縦に振っておいた。



 そんなこんなで私の回復を待ってもらって、とうとう帰還の時間になってしまった。ちなみにお昼ご飯はしっかり食べられた。美味しかった。

 帰るといっても、魔術で瞬きする間にお屋敷へ着いてしまうのだから、変な感じではあるんだけれど。私は今までお世話になった部屋をぐるりと見回した。四人掛けの食卓になんとなく手を置いてみる。


「桜、お別れする前にこれを受け取ってください」


 そう言って差し出したスターの手には小さな透明の石があった。


「俺からはこれ」

「儂のはこれじゃ」


 おじいちゃんとピジョン、二人の手にも小さな宝石が乗せられていた。それぞれの髪と目と同色の。


「私共の座を象徴する石です。ホープの守りが壊れ、魔力に対する抵抗力が皆無になってしまったようですから。今後はこの三石が、悪意ある魔力からあなたを守ります。ペンダントを貸していただけますか?」


 初めは五つの花びらだったペンダント。ホープへの連絡手段が消え、抗魔力の石は弾け飛んでしまった。私はペンダントを首から外し、スターに預けた。

 スター、ピジョン、おじいちゃんと手に渡る度に、お守りは花びらの枚数を増やしていく。

 魔術による、不思議な光景。


「ほら、これで完成じゃ」


 おじいちゃんが私にペンダントを差し出した。花を形作る六つの石がキラキラ輝いている。これをホープに貰った時、私はこのお守り無しでは意思の疎通もままならなかった。大陸共通語を覚えた今は、翻訳機能がなくてもほぼ不自由はしない。ホープは私がこんな風になるなんて予想していたんだろうか?

 今の私は、少しは成長したとホープに見直してもらえるのかな?


「桜?」


 おじいちゃんの言葉にハッとする。ペンダントを見つめたまま惚けてしまっていた。なんだか最近、物思いに浸ることが多くなっている。感受性が高過ぎるのも問題だよなあと一人頷くと、「また何か考えているな?」とおじいちゃんに読まれてしまった。


「ありがとう、凄く嬉しい。大切にするからね」


 おじいちゃんからペンダントを両手で受け取り、一度ギュッと握り締めた後に定位置の首へ戻した。皆の優しさが沢山詰まっているお守り。もうこれが掛かっていないと何か落ち着かない。


「じゃあな、桜。困ったことがあれば呼べよ。いつでも駆けつけてやるからな」

「うん、よろしくね。皆も元気で」


 さあ行こうとアステルに顔を向けた時だった。


「少し待ってください」


 アステルの声が飛ぶ。


「どうかしたの?」


 問いかけながらも、アステルも皆と別れを惜しみたいのかな、とか推測していた。私の前に立っていたおじいちゃんと入れ替わるようにして、食卓を落ち着いた足取りで回り込んできたアステルが、目前に姿勢良く佇む。


「今日がなんの日か覚えていますか?」


 訊かれて、はてと悩んでしまった。額に手を当ててうーむと考え込んでみるものの、見当もつかない。さしあたっては当てずっぽうで答えてみる。


「何かの記念日とか?」

「そうと言えなくもないですね」

「家の夕食が特別料理な日だとか?」

「もしかしたらそうかもしれません」


 何、その答え方。しかも否定されないし。余計に分かりづらいじゃないか。

 えーい、どうせ頭を絞っても出てこない。降参だ。


「本当に分からないんですか?」


 お手上げポーズを見せると、呆れ気味に言われてしまった。

 そこまで言われるほど知っていて当然の日だったのか?


「貴女の誕生日でしょう」

「あっ!」


 そうだった。すっかり忘却の彼方だった。でもここ最近はせわしなくてそれどころじゃなかったんだもの、無理ないよね。私も今日から十八歳かあ。アージュアでの成人年齢。遂に大人の仲間入りだ! 「あれで十八なのか?」といういかにももっと下かと思っていた的な、困惑の念を宿したピジョンの無礼千万な独り言はしっかり記憶に留めておく。

 あれ? でも。


「よく知ってたね、私の誕生日。誰かから訊いたの?」


 お父様とかエレーヌたちからとかかな。もしかしたらリディかも。


「いいえ、毎年必ずその日に間に合うよう、ローズランドに帰ってお祝いしていたでしょう?」


 かぶりを振ると、アステルは私の手を片方取った。私はその言葉を頭の中で反芻する。

 確かにお祝いしてくれていたけれど、アステルはそんなこと覚えていないはずなわけで。――あれ?

 頭の方は言葉に含まれる真意をよく理解できていないのに、胸は何をどう察知したのかやけに騒々しくざわめいていた。鼓動が踊り狂い、期待と不安が入り交じる。


「えと……」


 どんな語彙を使って確かめたらいいのか分からず、もどかしい思いで吐き出し辛い息に声を乗せた。アステルは一度優しく微笑んだ後、私の手を持ったままふんわりと片膝を突いて跪く。こういうシーンって映画なんかでよく見たことがあった。意外な行動に驚きながらもそんな風に考えた。

 次いで、手の甲に痺れるような熱さが落ちる。「ほほう、やるのう」と口笛を吹くおじいちゃんと「黙って見てろ」と窘めるピジョンの声を頭の隅で聞いていた。

 キスとハグの文化。親しい者や家族同士では額や頬へのキスは珍しくない。それでも手の甲に施すキスは滅多やたらと経験できるものじゃなくて。

 目を移すと、私を見上げるアステルの強い意志が宿った眼差しとぶつかる。

 特別な、その意味は――


「藤枝桜。私に、貴女の生涯を負う権利を下さい。いつも共に在れるよう」


 その、意味は。


「――いつから?」


 唇が、喉が、全身が、わななく。


「いつから、記憶が戻ってたの? 私の名前……」


 この世界ではもう名乗ることもない大切な姓名。震える手を強く握り込まれる感触がした。


「ティア・アメジストがお目覚めになった時に、俺の記憶も解除されたようです」


 あ、あの時。アステルが言っていた条件って。

 目を瞠る思いで理解を胸に刻んでいると、アステルが何故か苦笑する。


「まあ、名前については酔った貴女が大声で叫んでいましたけどね。ここにいる全員が知っていますよ」


 う、全く身に覚えがない。スターの忍び笑いが聞こえてくる。カーッと頬に熱が集まった。「もう少し考えて飲んで下さい」と、アステルにはこんな時にまで説教されてしまう。――ま、学びます。飲み方をちゃんと。

 お酒って恐い、と私は倒れてしまいたくなった。

 私の手を握ったままアステルが立ち上がる。


「辛い想いをさせてすみませんでした。しかし恐らく、あのまま思い出さなくても結果は変わらなかったと思いますよ」

「そうなの?」

「ずっと俺の傍にいてくれると約束したでしょう?」


 アステルの言葉に、目を見開いた。確かそれは、夢の中で――

 あの時取った自分の言動を振り返るにつけ、きっとこれから先、居ても立ってもいられなくてジタバタさせられる。鼻の奥がツンとする。目が熱くなって前が滲んでよく見えない。視界をハッキリさせるためにバシバシ瞬きしていると、後ろ頭と片方の腕をくるむ体温を感じた。覗き込むアステルの顔が近づいて、唇がまぶたに触れる。

 反対側の目からは雫になってポロポロ落ちてきた。頬を滑った筋はひんやり冷えていって……

 こんなにも、勝手に溢れてくるものだったんだ。嗚咽は自然に込み上げてくるし、鼻水だって出てこようとするからひっきりなしに啜らなきゃいけない。とても懐かしいこの感じ。

 あの日、壊れてしまわないように被せていた覆いが、役目を失って溶け出していく。切り裂かれ、損なわれた部分を埋めるように染み込みながら。誰もが、他の誰かによって解き放たれる。私に必要だったのはアステルの言葉だったのか。

 返事を促され、詰まって意味を成さない声の代わりに首が何度も肯定した。そうすると、嗅ぎ慣れた香りと温かな安堵感が身体全部を包み込む。それに私も力一杯しがみついた。

 これからも、いつも傍らにこの温もりを確かめられるのなら、移りゆく季節も、何かに思いを巡らせる瞬間も、より一層の深さを携えて感じ取ることができる。時折立ち止まっては大きく軌跡を描き、強く心に刻みつけながら。


「そろそろ続きは帰ってからにしたらどうだ?」

「ああピジョン、なんということを。折角いい所でしたのに……。二人共、お気になさらず」

「全く、未熟な若造じゃのう」

「お前らなあ……」


 うげ……、周りのことを置き去りにしていた。回した手はそのままに、そっとアステルと顔を見合わせた。深くて青い目が、柔らかく細まる。


「お父様やリディになんて言おうか?」


 同じ思い出を語り合う時、その時間をこの笑顔が彩るのなら。


「――ありのままを」


 それは、私がこの世界で果たした一番重要な役割といえるんじゃないだろうか。


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