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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
97/105

解放 7

 アステルの手にある、洞窟内の強いとはいえない光を吸い込んで艶やかに光る紺色の鱗。


「やっぱ宝石みたいに綺麗だよね。でもこれって、嵌め込んで元の通りに使えるもんなのかな?」


 ちょっと貸してとアステルから鱗を受け取り、試しに鍔のくぼみへ宛てがってみる。大きさは同じみたいでピッタリはまり込んだ。


「これで使える?」


 私の問いを受けて「フリューゲル」とアステルが剣に呼びかけたものの、なんの反応も起きなかった。


「そりゃ無理だろう」


 私たちの応酬を見て、呆れた調子でピジョンが突っ込む。


「調整とか色々あるだろうからな。そんなもんで魔道具が作れるようなら苦労はねえよ」

「じゃあ、職人さんの所に持っていかなきゃならないってこと?」

「ま、そうなるだろうな」

「私共の仲間に、魔道具作りを趣味にしている者がおります。頼んでみましょう」

「あ、スター。お疲れ様」


 少し離れた場所で波真太比を見送っていたスターが近付いてきた。


「まだひと仕事残っておりますけれどね。桜こそ酷い目に遭わせて申し訳ありません。もう大丈夫ですか?」

「うん、すっかり平気。スターのせいじゃないから謝らないで」


 ひと仕事って言うのはおじいちゃんの身体についてかな、と片隅で考えつつ言い添えておいた。心配げに言われてしまったけれど、イヴのおかげでもう立ってもフラつかなくなったし体調は元通りになっている。気遣われる方が申し訳ないくらいだ。

 私の言葉に柔らかな表情で一つ頷いたスターは、次いでアステルに視線を移した。


「アステルバード殿もお見事でした。おかげ様で波真太比もようやく正気づくことができたようです」

「いえ……」


 チラリとアステルが私を見てからスターに目線を戻す。


「私の犯した落ち度から取り返しのつかない事態が起こってしまう一歩手前でした。己の力不足を恥じ入るばかりです」


 なんか、皆に私の状態を後ろめたく思われているみたいだ。私はアステルの腕をつんつん引っ張って注意を促した。


「アステルのせいでもないからね?」


 ついでに辺りをグルリと見回して断言する。


「ピジョンとおじいちゃんもね?」


 全くもう、我も我もと自分たちで責任を負おうとしないでほしい。多分、これはどうしようもないことだったのだから。それにどちらかというと、おじいちゃんの言う通りにしなかった私の自業自得でもあるんだろうし。

 ピジョンとおじいちゃんは視線を交わし合い、アステルには頭を撫でられてしまった。うむむ、よく分からない反応だけど、伝わったと思っておこう。


『しかし――』


 おじいちゃんが一つ息を吐き、気を取り直したように長い髭を弄りながら言う。


『あのアクアマリンがなんの見返りもなしに協力するかのう』

「大丈夫だろ。あいつは根っからの職人だ。……人格に問題はあるがな。波真太比の鱗を見たら、向こうの方からやらせてくれと頼んでくるはずだ」


 ピジョンが確信ありげにそう述べた時、私の脳裏にいきなり、金色の小箱と水色で三角形の宝石が割り込んできた。


「ティア・アクアマリン……」

「ん? どうかしたか?」


 アクアマリンという名を聞いて、どういうわけか災難を被ったかのような、いや~な思いが頭を駆け巡ったのだ。具体的にこういう仕打ちを受けたという例を挙げられるわけではなく、ともすれば会ったことも罪もない人に難癖をつけているともいえるんだけれど……。なんとなくティア・アクアマリンには関わりたくないという気がしてしまう。

 私はかぶりを振って今の考えを散らし、訊いてきたピジョンになんでもないと取り繕っておいた。


「私が行ってくる……」


 突然、ずっと私の背中から皆のやり取りを眺めていたイヴが、控え目に、でも断固とした調子で立候補した。振り向いて確認したイヴの目は、口調通りの決意を漲らせている。

 なんでそんなやる気になってるの?


「イヴ?」


 小声で呼んでみる。


「アクアマリンに頼み事があった……。これがあったら取引材料にちょうど……とにかく、行ってくる……」


 なんだろう? いかにも上手い具合にことが運びそうだという様子で、イヴの顔が嬉しそうに輝いている。でもその可愛らしい表情とは裏腹に、何かを企んでいそうで怪しいぞ、イヴ。


「ではよろしくお願いいたします、ティア・ペリドット」


 アステルから剣と鱗を手渡されると、イヴは「じゃあね……」と言い置いて消えてしまった。


「あいつ、絶対何か隠しているよな」

「そうですね。まあよいではありませんか」


 首を捻るピジョンに、スターがこともなげに言ってのけた。スターは細かい事情をあまり気にしない性格――というよりは、害がない限りは気付いていてもその人の好きにさせるんだろうな。アステルにもそんな所がある。懐が深いというべきか。いや、でもスターに害がなくても、他の人間にもないとは限らないんだよなあ。

 なんとなく嫌な予感がよぎってしまい、イヴを止めればよかったと少しだけ後悔してしまった。


『それでは波真太比の脅威も去ったことじゃし、いよいよ儂の番かの。スター、頼むぞ。真打ち登場じゃ』

「分かりました」


 注目ー! といった感じで音も出ないのにおじいちゃんが手を叩く。スターは微笑んで返事をしてから湖の方へと歩きだした。私たちもゾロゾロその後についていき、凍った湖の縁で足を止めたスターの、少し後ろで成り行きを見守ることにする。さすがにここまで近付くと、冷気がビシバシ伝わってくる。寒いな。


「もう少し後方へ下がっていてください。濡れてしまうかもしれません」


 スターの指示に従い後ずさりする。なんだか興奮してきてしまった。遂に、生身のおじいちゃんに会えるんだ。

 スターがカチンコチンに固まっている湖に向かって片手をかざした。見かけは変わらない。それなのに、ピキピキと、いかにもくっついている氷同士が離れようとしているみたいに透明な音が反響する。次第にメキメキと豪快になってきて、表面に深い亀裂が走りだした。

 やがて見る間に。本当に、突如とか唐突だとか、とにかくバシャンと大量の水が跳ねる音がしたかと思うと、上に乗って地団駄踏もうが暴れようがビクともしなさそうなほど堅牢だった凍れる湖が、瞬時にして個体から液体に。つまり、普通の澄んだ水を湛えた湖に変貌してしまったのだ。や、うねうねと荒れ狂ったこの状態は、普通どころか異変も極まれりではあるんだけれど。

 大きく立った波頭の影響で、飛沫がここまで届いてきた。スターの言う通りに下がっていてよかった。危うく服を着ている意味がなくなるところだった。間近に立っていたスターはもろに頭から被ってしまい、さぞかし濡れてしまったんだろうと思いきや、防護の膜を張っていたのか雫ひとつ滴っていなかった。


「ふわー。凄い……」


 思わず感嘆の声を漏らしてしまう。


『こんな程度で感心しておる場合ではないぞ。もうすぐ崇高な儂の身体が厳かに現れて、畏敬の念にひれ伏したくなってしまうのじゃからな』

「図々しいジジイだ……」


 脱力したように言うピジョンの意見に賛成だ。私はうっかりおじいちゃんの世迷い言に耳を貸してしまった自分を激しく反省しつつ、顔を湖の方向へ戻した。

 中央の水面が少しずつ盛り上がっていく。今から何かが出てきますよという期待感をたっぷり持たせて。それを裏切らず、膨らみ溢れ続ける水を派手な音と共に弾き割り、予想通りに中から人影が浮き上がってきた。

 まだ波の立っている湖の上空で横たわった姿勢のまま浮遊している人物と、隣に並んでいるおじいちゃんをつい見比べてしまう。


「――同じなんだね」

『本体は何割増しにも見えるじゃろう』


 半透明のおじいちゃんがニヤリと笑う。私はその言葉に的確で否定的な意見を返す余裕もなく、ツイと空中を滑って私たちの傍へ降りてくるおじいちゃんの身体を、食い入るように追っていた。


「透けてない……」


 当たり前といえば当たり前なんだけれど、地面に横になっているおじいちゃんを見た第一印象はそれだった。


『身体が透けていたら困るじゃろうが』


 何を分かりきったことを、と言わんばかりの言葉を頭に響かせるおじいちゃんに、顔を向けないままコクリと頷き返す。私はおじいちゃんの身体の脇にしゃがみ込んだ。

 服装も、顔も、長い髭も何もかもが見慣れたおじいちゃんと同じだ。でも、いつも親しみやすくて悪戯っぽく開かれている薄紫の目は固く閉ざされ、肌と唇は青白く、袖から覗く手を触ってみると氷のように冷たく固い。その手触りに驚いてしまい、弾かれたように手を離してしまった。膜に守られていたのかなんなのかは分からないけれど、水の中に潜っていたにしてはどこも濡れていない。

 そして片方の手には一本の杖が握られていた。おじいちゃんの胸辺りまでの長さで、濃い茶色の丈夫そうな木で出来ている。頭部分がぐるぐる渦を巻いていて、その真ん中に楕円形でおじいちゃんの目と髪と同じ色の石――多分アメジスト――が埋め込まれていた。

 それにしても、触った感じから言わせてもらうと。


「ねえ、とても生きている風には見えないんだけど、大丈夫なの?」


 さっき倒れていたアステルよりもずっと冷たいのだ。ちょっと心配になってしまう。


「大丈夫ですよ。そこにいるジスタが身体に戻れば肉体も目覚めます」


 ふわふわと透けているおじいちゃんを示し、説明してくれるスターの言葉に安堵した。


『では桜、入るぞ』

「うん」


 おじいちゃんが私の身体に入ってくる。初めて出会った時はこの状態になることをとんでもないと思っていた。いつの間に慣れてしまったんだろう。全く違和感のない、でも確かに普通とは違うこの感覚に。

 おじいちゃんが戻ってしまえば、もう二度とこんな経験はできないんだろう。そう考えると、別に好んでおじいちゃんに入ってもらっていたわけでないとはいえ、なんとなく寂しいような勿体ないような気持ちになってしまった。うんうん、敏感な心を持つ私らしい感傷だ。


『ほれ、遠慮せんでぶちゅっといけ、ぶちゅっと!』


 人がせっかく胸に溢れる物思いに浸っていたというのに、その気持ちが微塵も残らないほど台無しにするような台詞を吐く。


「往生際の悪いジジイだな、まだ諦めてなかったのかよ。テメエ、フリューゲルが帰ってきた後でアステルバードに斬られるぞ」

「なんの話です?」


 うんざりしたように突っ込むピジョンに、状況が飲み込めない様子でアステルが周囲を窺う。スターは抑えきれないといった感じで、小さく声を出して笑っていた。


『ほれ、早くせんか』


 頭に響く声。辿ってみれば、ホープが私をこの世界に留めたもう一つの理由でもあったのだ。

 肉体という檻を持たず、逆に囲われてしまったおじいちゃん。

 私は両手を地面に突き、身を屈めた。結局、魔道具を使う機会はやってこなかったな。それだけは心残りかも。


「さすがに唇ってのは無理だけどね」

「おっ」


 ピジョンの軽く驚いたような声と、身じろぎした誰かがじゃりっと土を踏みしめる音がする。そんな音を聞きながら、おじいちゃんの青ざめた唇、すぐ横のフサフサしたひげに口づけた。

 ――おじいちゃん、あなたに解放を。

 ひげも冷たくなっているんだなと思って身を起こす。すると、脇の下から身体へグルッと腕を回され、同時に後ろへグイと引っ張られた。勢いよく首と後頭部に当たった堅い感触に、あいたた、と顎を反らせて仰ぎ見ると。

 うえっ。無条件で謝りたくなる全く和めない笑顔と、それを物語る威圧感を持った氷結の眼差しに行き当たった。私はうっかり目を合わせてしまった自分を迂闊過ぎると呪った。なんか、えらく憤慨しているみたいだ。


「ア、アステル?」


 後ろ向きでアステルに寄りかかった不自由な体勢のまま、愛想笑いを浮かべて機嫌を取ろうと試みる。


「……」


 その無言がおっかない!


「ええと、そのう……」


 しどろもどろでなんとか取り繕おうと言葉を押し出す。すると、やっとアステルが口を開いた。

「――ティア・アメジストには色々とお世話になったようですから今回だけは大目に見ましょう。しかし、次はありません。分かりましたね?」


 なんについて寛大に処置されて、次回は一体どうなるのかと分からないことだらけではあったけれど、ここぞとばかりにぶんぶん頷いておいた。そうすると、ずっと顔つきの変わらなかったアステルはとりあえず表情を緩めてくれた。バランスの悪かった姿勢も整えてもらい、自分の足で身体を支えられるようになる。


「どうやら、俺の場合はティア・アメジストの目覚めが条件だったようですね……」


 己自身にその考えを噛み締めさせるような調子でアステルが呟いた。


「え、なんのこと?」

「俺もようやく解放されたようだという話です」


 なんのこっちゃ?

 どういう意味かと尋ねる私の頭をポンポンと叩きながら、アステルは「なんでもありません」と返答する。怪訝に思うものの、勘弁してもらえたんだからまあいいかとホッと落ち着いたところで、ハタと思い出した。

 そうだ。おじいちゃんは!?

 急いでおじいちゃんの身体に顔を向ける。

 私たちがゴタゴタと騒いでいた間に目を覚ましていたんだろう。実体を持ったおじいちゃんは既に立ち上がって杖を持ち、こちらを見ていた。


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