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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
93/105

解放 3

 うわあ、とうとう出てきちゃったよ。

 空中を泳ぎながら現れた馬鹿デカイ姿を思わず優雅だと感じてしまったのは、尊くてレアな生き物だなんていう予備知識を得てしまったせいなのかもしれない。

 極彩色の大きな闇に対して、金色の髪を持つアステルの後ろ姿は余りにも小さく見えた。一度萎んだはずの不安がまたもや膨らみ始める。


「本当に大丈夫なのかな、おじいちゃん?」

『お前さんが信じてやらんでどうする。後は黙って見とるしかないじゃろう』


 うん、確かにおじいちゃんの言う通り。この場では見ているしかない私にできるのは、信じることだけだ。

 頑張れ、アステル!

 ペンダントが緑色の光を帯びる。周囲の石が一斉に浮き上がった。


×××


 周りの石に合わせ、一瞬身体が浮遊感を覚える。すぐさまフリューゲルに魔力を込めて加重を行い、体勢を整えた。と思う間に、今度は左右の方向へ身体が持っていかれそうになる。制御を行っていると、いつの間にか目前に礫の群れが差し迫っていた。反応する間もなく、それらが赤い炎を上げて溶けていく。余熱が肌を焼き、髪の焦げる匂いが鼻を突いた。

 石を溶かすほどの炎。それを恐らくは波真太比と、なるべくは自分を傷つけないために、目標物だけに狙いを絞って吹き上げさせている。凄い技術だ。殺意を露わに睨みつけてくる瑞獣に目線を固定させたまま、謝辞を述べた。


「助かりました。ありがとうございます」

「防護の膜を断ったのはお前だろうが。ぼさっとしてんなよ」

「心掛けます」


 なるほど、これは少々厄介だ。次々に強さの変わっていく重力に対応していく必要があった。攻撃時には、更にそれを念頭に置いた上での微細な制御が必要になるだろう。

 頭の中に嵐もかくやという勢いで、波真太比の強い想いが入ってくる。聖なる獣の情念としてはいささか殺伐としすぎていた。好き勝手に頭の中を巡り掻き乱そうとする渦が多少煩わしくあるものの、閉じている感情下で引き摺られることはない。

 このような相手とやり合うのは初めてだった。だが、補助にユヴェーレンがついている今、適わぬ相手でもないだろう。

 まずは小手調べから。身に掛かる重力を弱め、瑞獣の正面へ向けて一気に飛び上がる。跳躍するにしては短くない時間風を切った先の場所で、憎悪と悲哀に彩られた三の目に相対した。フリューゲルを見せつけるように掲げた刹那、その目から魔力が解き放たれるのを感じた。身体が重さを増し、そのまま地面に引きずり込まれるように落下していく。

 瞬時に重力制御を行い、身を軽くして着地した。


「いきなり正面から行くか、普通?」

「フリューゲルの鱗に何か反応を示さないかと試したんです。あわよくばそのまま、とも思いましたがやっぱり駄目でしたね」


 話をしている間にも礫が飛んでくる。いちいち火傷を負いたくはないので、至近に迫った物はフリューゲルで弾き、他はティア・ルビーに任せた。砂塵と煙と熱、それから波真太比自身の生臭い匂いが辺りに立ち籠める。

 あらかた防いでしまうと、広場の平衡を保っているティア・サファイアの、涼しげだが柔らかみのない指摘が耳を打った。


「二人共、何を遊んでいるのです? 早く済ませてください」

「俺のせいじゃねえだろ。アステルバードに言え」

「遊んでいるつもりはないんですが……」

「そのままの調子ではいつまで経っても終わらないでしょう。ピジョン?」

「クソッ、やっぱり俺のせいかよ。へいへい。じゃあ行ってこい、アステルバード」


 二人が言わんとしている意味を汲み取り、一つ頷いた。確かにそれなら手早く済むだろう。


「はい、お願いします」


×××


 始めの方は、浮きかけたり礫に対処できなかったりとぎこちなかったアステルも、段々自在に動き回れるようになってきたみたいだった。


『さすがに手慣れておるのう。コツを掴むのが早い。普通なら変化していく重力に合わせて行動するなど至難の技じゃ。もう少し時間がかかってしかるべきじゃろう』


 ふーんと感心していると、ピジョンがアステルに向けて手をかざした。何をしているんだろう? そう思った途端、アステルの姿が消えてしまった。


「えっ!? どこ行ったの」

『あそこじゃ、あそこ。波真太比の上じゃよ』


 おじいちゃんの言葉に視線を上へ持っていくと、言う通り、アステルはいつの間にか波真太比の背中の上に立っていた。見ている内にも四つん這いになり、器用にバランスを取りながら、順調に頭の方へ移動している。


「何あれ? なんかズルくない?」


 思わずそんな世迷い言とも取れる本音が口から飛び出てしまった。いやだって、普通こういう場合は。

 例えばだ。

 ピジョンがどうにか波真太比の気を引きつけておいて、その間にアステルが後ろへ回り込んで背中を取る。そして囮役を買って出ているピジョンは、セオリー通り大怪我をしてしまう。そこで身を案じるアステルに、「俺のことは気にせず行ってくれ!」とかなんとか傷の痛みを我慢して、笑いかけながら叫ぶわけだよ。その気高い自己犠牲の気持ちを感じ取ったアステルが見事に役目を果たした後、二人には熱い友情が芽生える――と。

 あ、もちろんピジョンの傷は後でスターが治すんだよ? まあ一例として、こんな具合なら納得もいく。

 などと、子供の頃に蒼兄ちゃんから借りて読んだ少年漫画的な妄想を頭に描いていると、呆れたみたいなおじいちゃんの声が響いてきた。


『何がズルいと? 大方、また何かの物思いに耽っておるんじゃろう。今度は何を考えておるんじゃ?』


 すっかり私の思考回路を把握されている。おじいちゃんの的確な追及に、世の中のお約束に満ちた答えを返すべく意見を口にした。


「だってさ、敵の背中ってのはもっと困難を乗り越えて到達する場所なんじゃないの? あんな簡単に、魔術でパパッと辿り着いちゃっていいの?」

『良いも悪いもないじゃろう。肩慣らしが済んだら、後は効率よく終わらせるだけじゃろうが』


 効率……ですか。でもまあ実際はそういうものなのかもしれない。私としては、これは反則技でしょうという感が否めないんだけれど、波真太比を傷つけてはならないという以外に術を使う制限があるわけでもなく。手早く済ませられるならそれに越したことはないんだろう。

 私が一人で得心していると、アステルはもう既に波真太比の頭まで行き着いていた。


×××


 折角ならばそのまま頭の上に現れることができればよかったが、常に動いている生き物の背中に移動させられるだけでも驚異ではある。

 人間が乗れるほど巨大な生物の上部。磨かれた宝石のように、角度によって艶やかな光を返す鱗。

 自分の存在は、身体の上を這う不快な虫のようなものだろう。波真太比が激しく頭や胸びれを振り、全身をくねらせる。湖の上を泳ぎ回りながら、鬱陶しい邪魔者を落としてしまおうと躍起になっていた。

 フリューゲルを持ったまま、振り落とされぬよう身を低くして頭を目指す。四肢を滑らせる、体躯を包むヌメリに気を配らなければならなかった。

 時折上下左右への重力操作を感じるが、フリューゲルで無効化する。自らを傷つけることを厭うたのか、礫による攻撃はやってこなかった。少し手間取ったものの、大過なく目的地の頭部に達する。

 安定しない足場の上で慎重に身を起こしてから膝を突いた状態になり、足部分に掛かる重力を強くした。これで少々揺さぶられても落とされる心配はない。

 ――これで、終わりだ。

 間を置かずにフリューゲルを両手で構え、赤黒い血の色をした魔力の源に、その切っ先を真っ直ぐ振り落とした。


「……!?」


 剣先が確かに標的に触れるのを感じ、貫いたと思った。しかしその瞬間、身体が前のめりに傾いていくのが分かった。続いて波真太比の頭から滑るように落ちていく。突然頭上に射す影を感じ、見上げると同時にフリューゲルを持ったまま頭を庇うべく、素早く腕を交差させた。そこに弾かれた鞭の勢いで、しなる巨大な尾が上から叩き付けられる。咄嗟にフリューゲルの力で身体を軽く保ったものの、激しい一撃によって落下速度は勢いを増している。着地の衝撃を流しきることはできなかった。


「ぐっ……!」


 痛みに顔が歪んだ。足を襲う痺れに膝を突いて耐える。ティア・ルビーが慌てた様子で近付いてきた。


「無事か?」

「――はい、なんとか」


 落ち着いた足を確認しながら立ち上がる。フリューゲルの切っ先を見ると赤い血が付いていた。瑞獣の血も赤いのか、と埒のないことを考える。


「貫いたと思ったんですが、浅かったようです」

「ああ。上手くいったと思ったんだがな。剣先が食い込む瞬間、あの野郎身体を前向きに回転させて避けやがった。お前は回ってきた尾にやられたんだ」

「そういうことでしたか。しかし……」

「ああ、やりにくくなっちまったな」


 どちらかというと剣先が掠めず、無傷のままでいてくれた方がまだよかった。

 手負いの獣は凶暴さをより増す。波真太比もその例に漏れず、壁に激突するのも構わず身を捩らせ暴れ回りながら辺りを飛び回っていた。所々の鱗がめくり上がり、鮮血が吹き出している。

 パラパラと上から砂が降ってきた。ティア・サファイアの膜が無ければ洞窟内は崩壊が始まっていたかもしれない。そのティア・サファイアが口を開く。


「それでも、これでは波真太比が気の毒です。早く楽にしてあげないと」

「ああ、分かっている。なんとか近付かないとな」


 しかし荒れ狂う相手にどうやって接近するか……。このような事態を避けるため、またやはり瑞獣に負わせる傷を最低限に抑えたいがために無駄な攻撃を手控えていたが、中々思う通りにはいかないようだ。

 思案していると、なんの前触れもなく波真太比が動きを止めた。浮遊したままこちらに正面を向けている。橙色の双眸からは感情が消え失せ、血が滲む三の目は不気味に沈黙していた。


「どうしたんだ、いきなり?」

「何れにせよ今を逃す手はありません。ティア・ルビー、お願いします」

「分かった」


 もう一度頭の上に移動するため、ティア・ルビーに頼んだ瞬間だった。鮮やかとも形容できる変化で、二つの目は爛々と光る憎悪の色を取り戻し、滴る血で濁りをより濃くした三の目に凝る魔力が、見る間に純度を上げていく。


「――なんだこれはっ!!」


 声を張り上げるティア・ルビーと同じ心境だった。閉じた感情越しにも無視できない、凄まじい想念が頭を蹂躙する。先程まで流れ込んでいたものなどとは比較にならなかった。

 同時に、身に降りかかってくる重力が急速に増大していく。今まで以上にフリューゲルに魔力を込め、気を抜けば負けて潰れそうになる身体を押し止めた。

 激しい頭痛に苛まれ、沈みそうになる重い身体を保持しながら横を見ると、ティア・ルビーとティア・サファイアも苦しそうに顔を歪めている。膜を通してもなお流れ込んでくる感情に耐えているのだろう。左右の手は逆だが、片手で頭を覆う仕草と表情が酷似している。さすがは双子だなどと、こんな場合だというのに全く関係のないことを考えてから、今更ながらに突然気付いた。

 桜は!?

 それと同時に、ティア・アメジストの叫び声が聞こえる。


『――桜!!』


 急いで振り向くと、桜の中に入っているはずのティア・アメジストは、半透明の身体を地面に向けて誰かに呼びかけていた。

 愕然とする。

 その視線の先には、苛烈な重力によって地に押しつけられ、倒れ伏している小柄な娘の姿があった。


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