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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
92/105

解放 2

 移動した先は、見覚えがある洞窟の中。波真太比が居座っている広場の手前だった。湿っぽい空気と寂しい薄暗さが、数日前を思い出させる。


「ここが件の洞窟ですか……」


 すぐ傍から聞こえる声へ抱えられた状態のまま顔を向けると、アステルは落ち着いた様子で辺りを見回していた。少し意外な反応だ。魔術で突然全く違う場所に移動してきたんだから、もっとビックリするかと思ったのに。


「アステル、魔術での移動は経験あるの?」

「ありますよ。ただし、城が抱える高位の魔術師でも事前の準備と複雑な詠唱が必要な術です。回数は少ないですね」


 スターたちは簡単にぱっぱと消えているように見えたけれど、そんなにややこしい術だったのか。ちょっぴり皆を見直したぞ。でも残念だ。てっきり魔術での移動が初めてだと思っていたから、アステルが驚いているところへ既にその感覚を経験している者として、得意気に先輩風を吹かせてあげようと思っていたのに。別に私が移動させたわけじゃないんだから、偉ぶる権利もないんだけどね。


『その御仁がアステル殿か』


 別の声が聞こえてきた――というよりは頭に響いてきたので、適当な方向へ見当をつけて首を巡らす。目を向けた先には、岩壁を背景におじいちゃんとスターが立っていた。

 スターはこの場を照らしてくれているらしい魔術の光球を手に、おじいちゃんは手を顎に当て、感心したみたいにしげしげとアステルを見つめている。

 鑑賞されている本人はあちこちへ飛ばしていた視線をおじいちゃんに定め、抱えていた私を降ろした後、地面に片膝を突いて頭を下げた。そこにピジョンが茶々を入れる。


「こんなスケベジジイに礼儀を向ける必要なんかねえって。立っとけ、立っとけ」

『なんじゃと? 儂のような恭しい存在に敬意を払わんで、誰を敬えと言うんじゃ!』

「厚かましいジジイだな。テメエに捧げるゴミ箱へ放り込むしか用途のない礼節があったら、そこらの獣にでもくれてやった方がよっぽど無駄遣いにならねえで済むってこった」

『ふん、礼儀を知らん若造に言われる筋合いはないわ。そういう台詞は年長者を立てる心遣いを思い出してから言え』

「俺の方が歳は上だっつってんだろうが!」


 などと、おじいちゃんとピジョンは会うなり早速喧嘩を始めてしまった。

 アステルは目の前で繰り広げられている低次元な言い争いに、どういう反応を返したものかと戸惑った様子で立ち上がる。もしかしたら、アステルの中にあるユヴェーレンへ向けられていた畏敬の念なんてものが、ちょっぴり揺らいでしまったかもしれない。

 そこへスターの呆れたような制止の声が静かに飛んだ。


「二人共、じゃれ合いは全てが終わってからにしてください」


 じゃれ合いと言われておじいちゃんとピジョンが同時に嫌そうな顔をする。それを尻目に、スターがアステルに対して実に魅力的な笑顔を向けた。やっぱり女性姿のスターって別嬪さんだ。顔の造作は変わらないんだから、男性バージョンも捨てがたくはあるんだけどね。


「アステルバード殿、昨日の今日であるにも関わらず、早くも承諾いただけたご様子、感謝の念に堪えません。思いがけずもありがたいことです。心よりお礼申し上げます」

「昨日とは趣の異なる麗しいお姿を拝見できて大変光栄に存じます。思いがけずとはご謙遜を。ティア・サファイアにおかれましては私の心の内など、透けた硝子のような物だったのでは?」

「それは買い被りというものです。至らない私に、他人の心のありようなど分かるはずがありません」


 な、なんなんだ、この丁寧な中にも全く別の意図を含んだような会話は?

 二人の間に火花が散っていないか? 見た目は和やかに笑い合っている風情なのに、おじいちゃんとピジョンが喧嘩している時のような、それよりもささくれたみたいな雰囲気が漂っている。


『そ、そう言えばまだ儂はアステル殿に名乗っておらんかったの!』

「おっ、そうだったな! 俺もまだだった!」


 針のむしろといった空気を拭い去るためか、わざとらしいほど明るい調子でいかにも今思い出したと言いたげに、身体の無いおじいちゃんがスカスカと手を叩く。ピジョンがそれに続いた。やっぱり息が合ってるな、この二人。


 そんなこんなで名乗り合いも済み、ようやく話は本題に移った。


「役割を決めましょう。私は洞窟内の崩落と湖の氷の破壊を防ぐため、維持に務めます。ピジョンはアステルバード殿の補助をお願いできますか?」

「分かった」

『それじゃ、儂は桜と一つになっておくことにするかの』

「何、その言い方!?」


 事実といえば事実なんだけれど、もうちょっと表現方法を選んでほしい。そんな私の抗議を物ともせず、おじいちゃんは笑いながら身体に入ってきた。

 そこでじっと見つめてくるアステルの視線に気付く。――何? と思う間に、アステルはスターに視線を移した。


「ティア・サファイア、桜はどうしても連れていかなければいけませんか? ティア・アメジストの身体を取り戻すまで、安全な場所にいてもらうというのは?」

「ご心配なさる気持ちは分かりますが、私共も瑞獣を相手取るのは初めてです。予測のつかない事態にジスタの身体を失ってしまうといった結果だけは避けたいのです。なるべくどういった局面にも手立てを講じられるよう臨みたいので、ご容赦願えませんか? 桜の身はこちらで必ず守りますので」

「……分かりました。よろしくお願いします」


 若干不満そうではあったものの、アステルはそれ以上言い募ろうとはしなかった。

 アステルの気持ちはありがたいけれど、私だって別の場所でヤキモキしながら待つよりは、皆の傍で成り行きを見ていた方が精神衛生上にも大変よろしい。私を心配してくれるように、戦闘には参加できなくたって私の方もアステルのことが心配なのだ。

 とはいえ、足を引っ張る真似だけはしたくない。


「大丈夫だよ。隅っこの方でじっとしてるからさ。それに、ちゃんとおじいちゃんが守ってくれるんだよね?」

『任せるんじゃ』


 姿は見えなくても、頭に直接響いてくる声。アステルにもちゃんと聞こえているのかなと思ったけれど、私を見てしっかりと頷いて見せたところからすると、伝わっているんだろう。


「決して前には出てこないように。無茶なことは考えずに留まっていてくださいね」


 そこまで念を押すのか! 今までの所行を思い出したらそれも仕方ないかもしれないとはいえ、記憶の無いアステルがそんな諸々を覚えているはずがないし。やっぱり納得いかない。

 理不尽な思いを抱えつつも、アステルの方こそ気をつけてね、と月並みな返答をしておく。

 ピジョンの「行くか」という全く気負が感じられない言葉を受けて、私たちは広場に入っていった。


×××


 広場に足を踏み入れた瞬間、今までとは全く異質の空間へと迷い込んだ気分になった。辺り中に大小の石が散らばっている。

 壁一面を光苔に覆われたこの場所は予想よりも遙かに広く、確かにここならば、偉容を誇る瑞獣も自由に動き回れるだろうと思われた。なだらかな傾斜が続くその先には、凍った湖が不透明な細波を立てて静止している。

 あの下にティア・アメジストの身体が眠っているのか。

 冷ややかな空気は固さを感じるほどの緊張感を孕み、静けさを強調させていた。全体的に荘厳、と形容できそうな佇まいではあるが、それにしては気分を乱れさせる異様を含んでいる。今までに幾度となく経験してきたうなじがざわつく感覚。剣を頼みに切り開かなければならない場所。

 見る間に広場全体を透明の膜が覆っていった。湖、地面、壁から天井に至るまで全てに這い渡る防護の膜は、ティア・サファイアが構築したものだろう。強度も申し分なさそうだ。これだけの規模と水準の魔術を平然と展開してみせるのは、やはり最高位の魔術師としての面目躍如といったところか。

 視界の端でその当人を捉えると、自身をも膜の覆いで包んでいるようだった。

 少し気になり後ろを振り返ると、湖から一番遠い壁際に桜が身を寄せている。緊張した面持ちの桜も膜で守られていた。それを見て心持ち安堵する。目が合ったので緊張を解させるために笑いかけると、桜はぎこちないながらも笑みを返した。

 その様子を確認して再び湖の方へ目を向ける。少々気がかりではあるが、桜の身はティア・アメジストに任せるしかない。こちらにできるのは、少しでも早く役目を果たして危険に遭う可能性を潰してしまうことだけだ。


×××


 アステルが元の方を向いてしまうと、途端に不安が増してきた。


「ねえ、おじいちゃん? アステル、大丈夫かな?」

『心配いらんじゃろう。場慣れしておるようじゃしかなり落ち着いておる。しかしあの御仁はかなり魔力が強いな。家系……かの? まあそうでもないとフリューゲルを操るなどできんじゃろうがな』

「そうなの?」

『ああ。なろうと思えば魔術師にもなれるじゃろう。あれほどの魔力の持ち主なら、波真太比の重力制御にも負けんよ。儂には到底及ばんがの』

「そっか」


 最後の余計な一言はスルーしておいたけれど、おじいちゃんの言葉にちょっと安心した。


『それにしても桜、お前さん面喰いか?』

「違う! それ、スターにも言われたよ……」

『人間は顔ではないぞ。尤も、儂も若い頃はこの顔で苦労したもんじゃ。あれを見たらお前さんも儂にコロッと転がるかもしれんのう。安心して惚れるといい』

「だから別に面喰いじゃないって!」


 おじいちゃんに転がされてたまるか! 全く、スターといい、おじいちゃんといい失敬な。

 緊張感がすっかり失せてしまった私たちの会話を余所に、アステルとピジョンは真面目に段取りを確認しているようだった。


×××


 後方を振り返った後、隣に立つティア・ルビーが口を開いた。


「あいつら何やってんだ? ――まあいい。それじゃ、お前にも膜を張るぞ」

「いえ、感覚が鈍ってしまいます。俺には必要ありません」

「しかし、波真太比の感情が雪崩れ込んでくるぞ?」

「感情を閉じておきます。そういう相手とも対峙したことはありますので」

「お前……、もしかして礫を全部俺に丸投げする気かよ」

「捌ける分は自分で防ぎます。申し訳ないですがお願いできますか?」

「全っ然申し訳ないって感じじゃねえな……。かーー、面倒臭えな。分かったよ。少々の火傷は覚悟しろよ」

「ありがとうございます」


 膜で守られていると確かに安全に動けるが、危機感が薄らぐ分反応が遅くなってしまう。それならば少々の傷を負う方がましだった。

 ちょうど打ち合わせが終わったところで、空気中の異様感がどんどん厚みを増していくような気がした。

 ――来る。左手でフリューゲルを鞘から抜く。聞き慣れた、鞘走りの軽やかな音が響いた。


「お願いします」


 静かに囁きかけると、刀身が鍔の鱗と同じ紺に染まっていく。もう何度となく己の身を救ってくれた剣。これを継承した時には、未来に於いてその能力の源である瑞獣と相見えるなどとは思いもよらなかった。いや、この鍔にはまっている石が瑞獣の鱗だという事実さえ知らなかったのだ。

 桜と関わらなければ、恐らく今こうして自分がここに立つことはなかっただろうと思うと、人の縁とは計り知れないものだと感慨が湧いてくる。

 波真太比。伝説と、人の口の端でしか存在を読み取れない聖なる獣。しかし、そうであっても縁起物の象徴とされるほどに人々から親しまれている、崇高で希有な生き物。

 最初に話を持ちかけられた時は、祟りを別にしても尊い瑞獣に剣を向けることに対する嫌悪感を抑えきれなかった。だが、こうしてこの場に立っていると――

 身を焼くほどの威圧感。肌を刺す緊迫に満ちた空気。自分が特別に好戦的な性格だとは思わない。それでも剣を奉じる者として、未知のモノと手合わせする昏い喜びを確かに感じていた。その忌まわしい感情の支配下に置かれる場所が、己の一部として確かに存在していることを否定できない。興奮に打ち震える心。まるで初めて実戦を迎える瞬間のようではないか。

 そこまでを考えて、感情を閉ざした。余計な物思いに囚われると足をすくわれるだけだ。湖の方へ向けてフリューゲルを構える。

 巨大な影が岩壁の向こうより姿を現した。


 ※役立たずの主人公視点だけでは様子がよく分からないため、何話か視点移動が続きます。

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