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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
91/105

解放 1

 今朝、リディは出仕時間が早いらしく、私が朝ご飯を食べに降りた時は既にお屋敷を出ようとしていた。「今度こそちゃんと手紙を書きなさいね」と優しげな笑顔で凄まれ返事を強要された後、リディは王城に出向くべく去っていった。

 うん、もう書けると思うよ、リディ。

 というわけで今、食堂ではアステル、ヘンリー父さん、私の三人が優雅にテーブルを囲んでいる。

 その朝食の席で、パンを一口大にちぎりながらふと思い出した。スターは今日迎えにきてくれると約束してくれたけれど、何時頃とか具体的な時間は言っていなかったな。

 ちぎったパンにバターを塗って、口にポイと放り込む。うーむ。パンの香ばしさだとか、柔らかさだとかが旅の間で食べていたのと全然違う。値段が高いのは勿体なくて買えなかったもんなあ。バターもコクがあって風味豊かだ。やっぱり、価格と味というのは比例するものなのか。や、でも安くて美味しい食べ物だって一杯あるし……。

 とかつらつら考えたところで、思考がいつの間にか脱線していることに気がついた。

 あれ、そもそも何について考えていたんだっけ? あ、そうそう。お迎えの件だ。

 軌道修正したところで、テーブルを挟んだ斜め向かいへ座るヘンリー父さんに話しかけられた。


「桜はいつ頃発つんだい?」


 まるで心を読んでいたかのようにタイムリーな話題だ。


「迎えにきてくれるはずなんだけどね。いつ頃だとか訊いてなくって」


 私にも分からない、と首を傾げながら答える。一瞬だけ、もしかしたら迎えにきてもらえないかも……という可能性が頭をよぎった。でも次の瞬間気楽に考え直す。

 ちゃんと約束してくれたんだもの。そんなはずはないよね。それに、スターたちが住んでいる場所は分かっているんだから、いざとなったらこっちから乗り込むこともできるし。……なんで私、ストーカーみたいに是が非でも押しかけてやろうと心に決めてるんだろう? 意地になってないか?

 などとまたもや脱線気味に脳を回転させている私に、ヘンリー父さんがさっきの返事をする。


「そうか。ティア・サファイアが来てくださるのだったね。いつでもいいから、出発する時は顔を見せにおいで。黙って行かないようにね」


 はい分かりましたと返事をすると、隣に座っているアステルがヘンリー父さんに倣うように口を開いた。


「俺にも一言声をかけてくださいね」

「うん……」


 お皿の上で瑞々しく盛りつけられているサラダにさも取りかかっていますというフリをして、アステルの顔を見ないまま答えを返した。態度が悪いことは分かっているんだけれど、どうしてもアステルに話しかけられると頭がうまく働かなくなってしまう。というか、並んで座っているだけで緊張する。

 さっきから私がとりとめのない方向に思考を飛ばしているのもそのせいだ、と責任転嫁することにした。他の何かを考えていないと、すぐに夢の内容を振り返って、壁に激突したくなる思いにかられてしまうんだもの。

 ううう、かといって、ぎこちないままで――私だけなんだけれど――お別れなんてしたくない。アステルだってわけが分からないままよそよそしくされるなんて、気分悪いだろうし。……うん、所詮は夢だ夢。あれは睡眠中の脳による整理整頓術だ。

 なんとか頭から煩悩まみれの妄想を追い出し、胡散臭い笑顔に手伝ってもらいながらアステルに笑いかけておいた。



 朝食の後、一度部屋に戻って着替えをした。お屋敷で着ているような服のままでは悪目立ちしてしまう。家を出てからは、ソフィアの服を大いに活用させてもらってきたのだ。

 今回、ここへ戻るつもりはなかったから替えの服なんて持ってきてはいなかった。けれどこんな時のためにと、ソフィアとエレーヌが服のサイズを直して、改めて用意してくれていた。

 二人とも笑顔で私の用意を手伝ってくれる。でも着替えを渡してもらう時、私がエレーヌの持っている服を取ろうとすると、エレーヌは服を離さず、一瞬だけ引っ張るような形になってしまった。すぐにエレーヌは謝って手を離してくれたものの、不承不承という感は漂っている。やっぱり行かせたくないと思ってくれているんだろうな。

 それでもその気持ちを押し隠して送りだそうとしてくれているのだから、申し訳ないとは思いながらも、ありがたく気付かないふりをしておいた。



 出発まではなるべくヘンリー父さんの傍で過ごそう。ソフィアに所在を訊いて、執務室に向かった。本当は、アステルの所に行きたいんだけれど……。

 駄目だ。多分、緊張であたふたして怪しい人物と化してしまうだけだ。そう思って止めておくことにした。

 執務室の扉をノックする。「どうぞ」という返事を待って中に入った。そこで思わず足が止まってしまう。

 あれれ?


「ピ……じゃなくてルビー?」

「よ、桜」


 低い声が私を出迎える。扉の正面、ヘンリー父さんが座っている机の向かいには、気軽な調子で手を挙げるピジョンが立っていた。その隣にはアステルが佇んでいる。

 思いがけなかった。なんでスターじゃなくてピジョンなんだろう?


「ルビーが迎えにきてくれたの? ――サファイアは?」


 アステルは知っているけれど、ヘンリー父さんがスターの名前を教えてもらってないからなんだろう。スターと言いかけて、言葉が出てこなかった。


「ああ、それなんだが俺に行けって言われてな。まあ、ちょうど俺もお前がどんな場所で生活していたのか見たかったからな。お前の家族にも会ってみてえと思っていたし。今、二人にも挨拶したところだ。安心したぞ、可愛がられているみたいだな」


 そういえば、ピジョンは私が家で冷遇されているんじゃないかと訝しんでいた。誤解は解いたと思ったのに、半信半疑だったみたいだ。ま、納得してくれたんだったらそれでいいか。それにしてもピジョン、妹分にしてやると言っていたけれど、早速兄ちゃんみたいだな。

 三人でどんな話をしていたんだろう? なんというか、自分の知らない所で自分の話をされていたのだと思うと、妙に身の置き所がないという心地になってくる。ピジョンの反応からすると、別に悪い内容を言われていたわけではなさそうなんだけれど。

 まさか子供の頃の思い出したくないような、笑い話なんか持ち出されてないよね。若干の気がかりを感じつつ、それを押し隠すみたいにしてまあね、とはにかみながら答えておいた。

 ところで、ピジョンの姿をひと目見た時から疑問に思っていたことがあったのだ。


「ルビー、なんで元に戻ってるの?」


 元に戻っているとはつまり、ピジョンが今男性バージョンであるということだ。女性の時よりも高い身長は、今はアステルよりも僅かに低い程度だ。キリッとした表情が精悍に整った顔を引き締めている。

 私の質問に対してピジョンも、頬を掻きつつ答えた。


「さあな。サファイアの奴が、こっちの方が面白いからだとよ。俺に迎えにいけと言ったり、アイツ、一体何考えてんだろうな?」


 スターが? ふうん、なんでだろう?

 私もはてなと首を傾げていると、ピジョンの言葉に、何故かアステルがピクリと肩を揺らして反応した。目を閉じ眉間に皺を寄せて、頭痛を堪えるかのように額に手を当てている。


「アステル? 具合でも悪いの?」

「いえ……。なんでもありません。少し思うところがありまして」


 アステルは、額から手を離して誤魔化すみたいにニコリと微笑んだ。

 ? 大丈夫かな?

 何はともあれ、迎えがきたということは出発の時間だ。事前に言われていた通り、家を出る前にヘンリー父さんとアステルにも顔を見せられた。あんまりグズグズしていても、行くのが辛くなるだけだろうしね。


「じゃあルビー、そろそろ」

「ああ、行くか。こっち来いよ」


 うん? なんでピジョンまでスターみたいな真似を?

 部屋に入ったっきり扉の前で突っ立っていた私は、どうした理由か迎え入れるみたいに両手を広げたピジョンを、不思議に思いながらも近付いた。

 ピジョンの所まで十歩あるかないかの距離。もう少しで手が届くという場所に差しかかったところで、突然身体がフワリと持ち上がった。そしてしっかりと抱え上げられる。

 あれれ?

 いつの間にか、私は茫然とアステルの腕の中にいた。

 なんで? なんで?? なんで???

 隣からは、ピジョンの「なるほど、そういうわけかよ」とかいう呆れたみたいに呑気な声が聞こえてくる。何がそういうわけなんだ? 一人で納得していないで、私にも教えてほしい!

 頭の中をグルグル回っている「なんで?」という言葉を、良過ぎるであろう血色と共に顔面に貼りつけ、急いでアステルを見た。

 その時浮かべたアステルの表情に、既視感を覚える。花開くような。夢で見た……?


「アステル、何か思い出したの?」

「いいえ、全く」


 恐る恐る訊く私に、そのままの表情でアステルはにべもなく答える。思い出したんじゃなかったらなんなんだ、この状況は? 実はあれは夢じゃなかったとか? そんな考えが瞬時に頭を掠める。――いやいやいや、あれが夢じゃなかったら私は土中に埋まっていなきゃならない。恥ずかしすぎる。

 ああああもう! 一体なんなんだ!!

 と胸中で癇癪を起こしたところで、私の頭は限界値を超えてしまった。朝から忙しなく考え続けていたせいでオーバーヒートを起こしてしまったらしい。思考停止状態。考えるのは止めた。放棄する。

 ある意味、今は昔に戻った状態だ。もう、それならそれでいいや。そう思ってヘンリー父さんを見ると、少しだけ瞠目した後に、嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 うん、これって嬉しいことなんだよね、ヘンリー父さん。

 アステルがピジョンの方を向く。


「ティア・ルビー、私も同行させていただけますか? 我が身の力が必要と言われるのであれば、フリューゲルの継承者として微力ながらご協力させていただきます」


 当然、といった風なその発言にぎょっとしてしまった。身を捻って下を見ると、アステルは腰の右側へ剣を佩いていた。両利きのアステルは、主に左手で剣を扱う。


「いいの、アステル?」

「はい。もう決めました」

「でも、王太子殿下に許可をもらわなきゃって……」


 昨日、スターが頼んでいる時に確かそう言っていた。


「許可は昨日、既に頂いています。問題ありませんよ」


 昨日? そんなに早く? そういえば、王太子に挨拶すると言って出ていったアステルは、やけに帰ってくるまで時間がかかっていた。あの時に話し合いをしていたんだ。


「よく許してもらえたね?」


 いくらユヴェーレン絡みだとはいえあの王太子が、瑞獣に不敬を働くかのごとき不確かな状況へとアステルを送り出すとは思えないんだけれど……。


「快諾していただきましたよ」


 なんとも怪しさ満載の、悠然とした態度で言われてしまった。


「協力に心から感謝する。好都合だ。サファイアとジジイは様子を見ると言って洞窟に行っているんだ。こうなるって分かってたのかもな。俺たちもそのまま向かうか」


 ピジョンの言葉に、アステルが諦めたような長々とした溜息を吐いた。また額に手を当てている。本当に具合は大丈夫なのかな?


「ティア・ルビー、息子と娘をよろしくお願い申し上げます」


 ヘンリー父さんが机を回り込んでピジョンの前に立ち、頭を下げた。それにピジョンは照れたようにガシガシ頭を掻いている。


「なんか調子狂うな。頭を上げてくれ。こっちは協力してもらう身だ。ありがたく預からせてもらうぞ」

「それじゃあお父様、行ってくるね」


 少し尻込みしたけれど、ええいとばかりに勇気を出して、アステルの首に手を回す。アステルの、私を抱える手に力が入ったような気がした。

 私たちの姿を見てヘンリー父さんが目を細める。


「ああ、気をつけて行っておいで。アステルもしっかりな」


 アステルが返事をした後、「じゃ、行くぞ」とピジョンが言ったと思ったら、視界がブレた。


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