絆の刻 6
夕食が始まるまでに着替えておこうと、しばらく振りの我が部屋へと戻った。花瓶に飾られている花が夏の元気な種類に変わっている以外は、どこにも変化がないように見える。
喜色満面に出迎えてくれたソフィアにただいまと告げながら、話しかけた。
「もしかして、ソフィアたちが掃除してくれてたの?」
「はい。お帰りをお待ち申し上げておりました。心なしか、この部屋も桜様を迎え入れられて喜んでいるように思われますわ」
ううう、そこまで言ってもらえるなんて、こっちこそ喜んじゃうよ。とりあえず、ソフィアと部屋に向かってありがとうとお礼を言っておく。
そうやってノスタルジックに部屋を見渡していると、ソフィアの一言で急速に現実へ引き戻された。
「それではお召し替えの前にまず、湯浴みをいたしましょうか」
「湯浴みって、当然……」
「私共がお手伝いさせていただきます」
一人で入るんだよねと言いかけた私の言葉を丸ごと飲み込むように、ニコニコ顔のソフィアがキッパリと宣告する。
そうだった……。ここのところ、全てを自分でしなければならないという大変な、でも気楽な生活に慣れきっていたから、この家でのルールを忘れていた。これだけは、五年間過ごしてきてもまだ馴染めない。
いや、でも私だって今は家を出ている身だし、もしかしたら分かってもらえるかもしれない。
一縷の望みをかけて!
「ソフィア、私やっぱり一人で――」
「お手伝いさせていただきます」
「……はい」
無理でした。
それからは広い広い浴室に引っ張っていかれ、何をいう間もなく服を脱げとせっつかれた後、なみなみとお湯を張ってある浴槽に放り込まれた。
私の肌の状態をじっくり観察したソフィアはとんでもなくショックを受けた様子。
「私共が大切にお育て申し上げたお嬢様の、象牙のようなお肌が!!」
象牙って、褒めてくれるにしても、それは行きすぎでしょう……。
仰々しく叫んだ後に隅々まで磨き上げられ、終わった後も丁寧に手入れを施された。どうやら日焼けでダメージを受けた肌が許せないらしく、スキンケアの大切さを蕩々と説かれてしまった。髪は常にカツラを被っていたおかげで紫外線から守られていたみたいで、まあよろしいでしょうと勘弁してもらえた。
こんな所でアフロの恩恵に預かるとは! 活動を休止していたアフロ推進委員会も、そろそろ再開を始めるべきなのかもしれない。
やっと部屋に戻ってこられて、ふへぇーとソファに倒れ込む。久し振りで、なんだか堪えてしまった。
「お疲れ様でございました。お飲み物を差し上げますから姿勢を正してくださいな」
エレーヌに早速居住まいの悪さを注意される。うぐぐ、郷に入りては郷に従えと言うけれど、この二ヶ月ですっかりだらしない姿勢が身についてしまった私としては、窮屈で仕方がない。やっぱり私には庶民生活が似合っている!
などと内心で嘆きを漏らしながらも、背筋を伸ばして座り直した。ソフィアが冷えたお茶を手渡してくれる。喉を通り抜ける冷たい甘さに一息吐き、思わず目を細めた。
そういえば……。
「エレーヌ、この服って新しくない?」
胸部分の布を摘んで引っ張りながら問いかける。深い緑色の布地は鮮やかで、仕立て上がったばかりですといわんばかりの、なんというか新しい手触りと匂いがした。ちなみに、何も言わなくてもローズランドの服を出してくれる点には感謝を捧げるよ!
「はい。ちょうど、桜様が出ていかれる前に誂えたお召し物です。着ていただくことができてよろしゅうございました」
どうりで見覚えがないはずだ。でも、今までの服だってまだ充分着られると思うんだけど、勿体なくない? まあ、公爵家の人間がいつも同じ服を着てるってわけにはいかないんだろうけれど。……すっかり節約生活が身についているな、私。
「着なくなった服って捨ててるの?」
「まあ、とんでもない事でございますわ。特に思い出深いお品は保管しておりますし、その他は糸を解いて布地や飾りを別の用途で使っております」
ふーむ、ちゃんとリサイクルされているんだな。
「桜様が初めてこのお屋敷へいらっしゃいました折りに身につけられたお召し物も、幼い頃にリデル様が着ておいでになった物でございますよ」
「あ、あれってリディのだったんだ」
そりゃそうか。突然降って湧いたように現れた子供の服なんて、はいそうですかといきなり作れるわけがないもんね。
「すっかり忘れてたけど……。私がここへ来たばかりの時に着ていた服も取ってくれてるの?」
今まで全然思い出しもしなかった。卒業式に着た中学校の制服。紺色のブレザーに赤いチェックのスカート。タイはサラリーマンの人が締めるようなネクタイで、女子は赤色。実はあれが格好よくて好きだった。
そんなことを思い出しながら尋ねると、途端にエレーヌの表情が曇った。
「それが……、申し訳ございません。確かに洗濯や糊掛け等の処置をした後に仕舞っておいたはずでございましたが、いつの間にか見当たらなくなっておりまして……。桜様の大切なお召し物でありますのに、私共の不手際で本当に申し訳ございません!」
「いっ、いいから頭上げてよ。どのみちもう着られないんだし、無くなっちゃったんなら仕方ないからさ」
いきなり深々と頭をさげられて、必死でもういいから謝らないでと言い募った。やっと頭を上げてくれたエレーヌは、それでも罪悪感を貼りつけた顔のままだ。
「本当にもういいから。お腹空いちゃったしさ、早く食堂行こうよ」
促すと、やっと落ち着いて「では参りましょうか」と言ってくれた。
――仕舞っておいたはずの制服がどうして消えちゃったんだろう?
昔、私はこのお屋敷へ着いた翌日にローズランドへ出発した。それにエレーヌとソフィアもついてきてくれた。ということは、王都へ戻ってくるまでの五年の間に、誰かに間違って捨てられちゃったのかもしれない。
エレーヌやソフィアには秘密だけれど、サイズが合わないとはいえ、もう見られないんだと知るとちょっと残念にも思う。……ううん、無い方がいいよね。あれを目にしちゃったら多分、おじさんたちを思い出して辛くなるだろうし。私はこの世界で生きるって決めたんだから。
そんな考えを吹っ切るために、もしかして制服集めが趣味の人でもいて、コッソリ持っていかれたのか? とかお馬鹿なことを考えかけて、そんなわけあるか! と自分自身にツッコんでおいた。
疎遠だった芸術品とも呼べる贅沢な夕食は、大衆食に慣れ親しんでいた舌と目と胃袋のレベルを一気に引き戻してくれた。それでも旅の中やスターたちの家で食べてきたご飯だって充分に美味しく感じられていたのだから、頭の中でこれはこれ、とちゃんと区別ができていたのかもしれない。
などと勝手な分析をして、無意識の選別をこなしている味覚に感心したりしていた。
そして最後のデザートは私のことを考えてくれたのか、ムース、アイス、ケーキ、焼き物等複数種類のお菓子を選べる趣向になっていて、遠慮なく全ての味を堪能させてもらった。誤解されないように言っておくけれど、全部丸ごと食べられたわけじゃない。基本、私は小食の部類に入るはずだ。ちょっとずつ切り分けていただいたのだ!
その後、皆で居間に腰を落ち着けて、旅で遭遇した出来事を掻い摘んで話したり、私がいなかった間の様子を訊いたりして過ごした。
家の中に入るまではよそよそしいような不安を感じていたけれど、そんな心配は全くの杞憂だった。離れていた時間なんてまるでなくて、収まるべき所へ収まったみたいに過ごせる。やっぱりここは私の家で、家族としていられる場所だと思っていていいんだよね。
そう実感すると、胸の奥からじんわり嬉しさが込み上げてきた。
でも……と、頼りない灯りが点いているだけの薄暗い寝室で、大きくて造りのいいベッドと繊細な肌触りのフカフカした布団にくるまれて考える。 人間、苦労には中々慣れないけれど、贅沢にはすぐさま順応してしまう。
ゴロリと横向けになる。
この生活は一時だけのことだ。ちゃんと気を引き締めて、割り切っておかなきゃね。
再び仰向けになり、目を瞑った。
――私は、寝心地抜群の寝床で微睡みの底をたゆたっていた。その幸せな眠りの中、意識が頬に柔らかく触れる指先を感じ取り、ぼんやりと浮上していく。
まだ半分寝惚けている頭で薄くまぶたを開くと、真っ先に金色の輝きが目に入った。次に、普段よりも色を濃くした双眸とかち合う。
「――アステル……?」
全然重くないから分からなかったんだ。
目の前、というより私の上には、体重をかけないように覆い被さっているアステルがいた。




