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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
86/105

絆の刻 3

「アステルかな?」

「恐らくそうでしょう。お出迎え願えますか?」


 そ、そうだよね。やっぱ私が出ることになるんだよね。さっき顔を合わせたとはいえ、一度別れてまた改めてお目見えするというこの状況ってのは、どうにも胸が落ち着かない。再会時の緊張感が再び蘇ってくるとでもいおうか。

 それでも出ずに済むはずがないわけで。


「うん」


 スターに返事をして扉へタタタと駆け寄り、騒ぐ心を宥めながら、ノブに手をかけ押し開いた。予想通り、目の前にはアステルが立っている。

 さっきまではどんな顔をして応対しようか、なんて思っていたけれど、やっぱり私は感情が素直に面へ出るみたいだ。事情はどうあれ、単純に会えたことで馬鹿みたいに胸の奥が浮き立っている。それがそのまま表情に湧き出てきて、勝手に笑顔を形作ってしまった。しかも満面の。

 でも次の瞬間、ハッと気付く。

 ――いやいや、ちょっと待つのだ私。傍迷惑なタイミングで乗り込んだくせに、呑気に浮かれていていいのか? 今はそういう場合じゃないんだぞ?

 そうだった。私だけトンチンカンに喜んでいる場合じゃない。というわけで、性格が極控えめな私はやや表情を改め、気質通り遠慮がちに声をかけた。


「お帰り、アステル。突然押しかけちゃってごめんね」


 私の頭よりも、もっと高い位置にある顔を見上げる。


「桜の方こそお帰りなさい。そんなことで謝る必要はありませんよ、特に何かをしていたというわけでもありませんから」


 一瞬、表情の変化を不思議がるようにおや? といった反応を示した後、すぐに笑いかけてくれた。でもティナさんと二人でいた所を邪魔しちゃったのに。気を使ってくれたのかな?

 うむむ、ますます申し訳ないな。さっさと用事を済ませよう。


「あのね――」


 と言いかけたところで私は硬直してしまった。


「焼けましたね。それに少し痩せましたか? ちゃんと食べていますか?」


 いやね、そりゃ暑い地方で日中ほとんどの時間を外で過ごしていたんだから、いくら日除けに対策を施していたとしても、どうしたって日焼けはするって。でも痩せたと言われたのはちょっと嬉しい。ウォーキング効果で引き締まったのかな? 食べる量は変わってないんだけどね。むしろ運動量が増えた分、質より量で増加しているような気がしないでもないけれど、その辺は黙っておこう。

 そんなことよりもだ。

 手、手が頬にかかっているって。それに顔が近い! そんな心配げに、覗き込むみたいに顔を近付けなくても、視力はいいんだから充分わかるでしょうが。

 保護者然と人を甘やかそうとするところは前のまま変わっていない。その点を喜ぶべきか、久し振りのことで動転させられている自分を不毛だと悲しむべきか。

 間近に迫った破壊力満点の懐かしい顔に、どこへ視点を留めていいのか分からず、あわあわと目線をあちこちに彷徨わせるという不審者丸出しの態度を取ってしまった。


「お二人共、お話なら中でなさってはいかがですか?」


 天の声! スターの声で正気に返った私はバッと身体ごと顔を引き離すと、無理矢理笑顔を作ってその提案に乗ることにした。

 御無沙汰だった胡散臭い笑顔降臨!


「そ、そうだよねっ! こんな所で立ち話するのもなんだよね。さ、入って入って」


 部屋の主人に中へ入れと促すのもどうかとは思うけれど、そんな些細なことを気にしている場合ではない。私がスターの元へ走り寄ると、アステルも入室して扉を閉めた。

「お待たせして失礼いたしました。どうぞお掛けください。今飲み物を用意いたします」

 アステルがソツなく着座を勧めてくれる。お茶は私が淹れる――と動きかけたところで、スターが先に口を開いた。


「いいえ、どうぞお気遣いなさいませぬよう。用件が済み次第、すぐにお暇しますので」


 遠慮するスターの言葉を切っかけに、三人は座れそうな二人掛けのソファへ私とスターが並んで、シックな木製の丈低いテーブルを挟んだ対面にある、同じソファへアステルが腰掛けた。


「それではお伺いいたします。どういったご用向きで、ユヴェーレンである貴方が私の元へいらっしゃったのでしょうか?」

「それをお話する前にまずは改めて名乗らせてください。私はユヴェーレン九角の座、サファイア。私個人の名はスターと申します。以後お見知りおきいただけますよう、よろしくお願い申し上げます」


 名前を教えちゃうんだ……。

 物凄く意外だった。おじいちゃんからも、ユヴェーレンの個人名を相手に知られることが、本人にとってどんなに重要かを聞かされていたからだ。

 思わずじっと見つめていると、その視線に気付いたのか、アステルの方を向いていたスターが私に顔を向ける。


「こちらはご助勢を請う立場です。名前を隠していては誠意が伝わらないでしょう?」


 私が何を訊きたいか分かっていたみたいで、スターは当然のことだとばかりに説明してくれた。

 その言葉に、それもそうかと納得する。


「魔術に殉じる方々の名前に対するご姿勢は、充分に存じ上げているつもりです。悪用しようなどと愚考はいたしません。諸刃の剣にもなり兼ねませんしね。それにしても私の人生に於いて、ユヴェーレンとお言葉を交わす機会が、さらには御名を頂戴する日が訪れようとは思いもよりませんでした。そこまで礼を尽くしていただけるとはそれ程に、仰せになるご依頼の件が一筋縄ではいかない――と判断するべきでしょうか?」


 苦笑しながらアステルが言った。

 本当は話すだけなら、もうずっと前にホープと済ましているんだけどね。覚えていないんだからそう思うのも無理はないか。


「ご明察の通り、少し手を焼く難事に突き当たっておりまして。是非ともフリューゲルの使い手であるアステルバード殿にご協力をお願いいたしたく、こうして参った次第です」

「フリューゲルの?」


 と疑問を露わにするアステルに向けて、おじいちゃんのこと、波真太比のこと、央輝星のこと、私に話してくれた一切合切を、スターは無駄なく的確な言葉で説明した。



「瑞獣に傷を負わせる――ですか。それは確かに難事ですね……」

「先程もご説明の中で申し上げたように、フリューゲルで攻撃する限り、あなたに祟りが降りかかることはありません。それはユヴェーレンの名に於いて保証いたします」

「いえ、そのお言葉を疑っているわけではありません。ただ、波真太比は身近にもよく奉じられていて親しみ深くもあります。その瑞獣に対して刃を突き立てるなど、人間が行って許される所行だとは思えず……」


 語尾を濁すと膝の上で指を組み、アステルは難しい顔をして考え込んでしまった。スターも特に返事を促すわけでもなく、後はアステルの判断に任せるとばかりに座っていた。

 おじいちゃんが言っていたことを思い出す。私にはピンと来ないけれど、アージュアの人間にとって瑞獣に斬りかかるという行為は、とても罪深い暴挙だという。現にアステルだって突然難題を突きつけられて困っている。

 でもユヴェーレンだってこの世界の人たちにとんでもなく敬われている対象だ。アステルだってスターに対する言葉遣いからしても、その例に漏れない。このままだったらもしかすると、自分で納得もしていないのに義務感だけで承諾してしまうかもしれない。

 そうなると、例え傷つけた波真太比がすぐに回復するとしても……。全部が終わった後、アステルは瑞獣に対して蛮行を働いたという慚愧の念に苛まれてしまうんじゃないんだろうか? それにあんなのを相手にして無事に済むという保証もない。


「――あのさ、アステル」


 私、やっぱり進歩のない大馬鹿だ。会いたいというだけで、軽々しく頼みに来てしまった。ちゃんとおじいちゃんだって必要な情報はくれていたのに、全然アステルのことなんて考えていなかった。

 そう思ったら、自然と言葉が口を突いて出てきた。

 アステルが黙って私の方を見る。


「狂った波真太比って私も見たんだけど、物凄く凶暴なの。感情は勝手に垂れ流してくるし、その辺に転がってる石なんかを手当たり次第に投げつけてくるし。でもそれでも瑞獣は瑞獣だって言うんだから、嫌になるよね」


 いやだから、言いたいのはそういうことじゃなくて。もっとちゃんと纏めてから発言しようよ、私。

 でもまあとにかくだ。


「スターの話を聞いてたらとんでもなく深刻そうに思えるだろうけど、まだ三百年も先のことなんだからね? その間に波真太比がどっかへ出ていっちゃうかもしれないし、他にいい方法が見つかるかもしれない。実際、ユヴェーレンの皆だってまだ焦ってないって言ってたし。だから嫌だと思ったらちゃんと断ってね? それでも全然ありなんだから」


 意外そうな表情のアステルに一度笑いかけて見せて――これは自分でも頑張った!――罵倒される覚悟でスターの方を向いた。

 それなのに。

 ううっ、相変わらず読めない。怒るでもなく、驚くでもない掴みにくい顔で迎えてくれる。


「ごめんね、スター。説得するために来たはずなのに全然逆のことを言ったりして。でも私――」


 アステルに傷付いてほしくない。

 最後の言葉を言おうとしたところで、突然スターに抱き込まれた。そのまま胸に顔を押しつけられ、労るみたいに頭を撫でられる。


「以前にも申しましたでしょう。謝る必要はありません。桜が言うように、時間はまだまだあるのですから」

「本当にごめんなさい。私、同じことばかり繰り返してる……」

「構わないと言ったはずですよ。それに――」


 うん? 最後の方はよく聞こえなかった。なんか、「ちゃんと効果はあった」とかなんとか呟いていたような気がしたけれど?

 確かめるべく顔を上げて表情を窺うと、安心させるような笑顔を返されてしまった。

 やっぱり聞き間違いだったのかな? そう考えていると、軽い咳払いが聞こえてきたのでアステルを見た。


「――お考えはよく分かりました。即答の難しい問題ではありますし、私は王太子殿下にお仕えする身でもあります。ご協力を申し出るにせよ、お断りするにせよ、私個人で決めていい案件ではなく、また主に隠し立てできる事柄ではありません。殿下と相談の上、後日ご返答させていただくという形でもよろしいですか?」


 アステルの真摯な態度と台詞に、スターも納得したようだった。礼儀正しく頭を下げている。


「誠実なご対応に感謝いたします。私に異存はございません」

「個人の名をお預かりした上に、平定者であるお方に頭まで下げていただいておいて、確約できず心苦しい限りです」

「いいえ、お気になさらないでください。こちらこそ不躾で失礼いたしました。改めて出直して参ります」


 なんだか取引先と営業みたいな会話になってきたなと思っていたら、アステルの視線がいきなり私の方へ移ってきた。唐突な事態になんの心構えもしていなかった私は内心で慌てふためく。それでも外から見た限りでは、ちょっとだけ身を引いたくらいで済んでいたと思うよ。

 ちなみにアステルは――うええ、また威圧感ビシバシの怖い笑顔になっちゃってるよ……。


「それで、話は変わりますが、桜はいつまでティア・サファイアのお宅へご厄介になるつもりなんですか?」

「えっ? いつまでって言われても……」


 いつまでなんだろう? つい怖々と言葉を連ねるものの、そこから先が出てこない。成り行きで居着いちゃったからなあ。自分でも特に決めてなかったな。


「私共は、このままずっと居ていただきたいと思っておりますよ。それでは長々とお邪魔するのも申し訳ないですし、そろそろ帰りましょうか、桜」

「あ、うん、そうだね」


 ソファを立とうとした際、スターにまたもや抱え上げられた。あれ? 確認って終わったんじゃなかったの?


「スター?」

「――桜」


 問いかけようとする私の声に、スターへ倣うようにして立ち上がったアステルの声が被さった。


「今夜だけでも屋敷へ帰ってきませんか? 父もまだ王都に残っていますし、リディも侍女たちも貴女の顔を見たがっています」


 躊躇いがちに繰り出される言葉に、私は迷ってしまった。アステルに会いたいとは思っていたけれど、そこまで長い時間ここに留まるつもりはなかったのだ。いればいるほど辛くなるだけだろうし。でも確かにヘンリー父さんたちにも会いたい。

 どうしようか、と思わずスターの顔を見る。


「せっかくなのですから、そうなさってはいかがですか?」

「でも……」


 なんか情けないな、家へ帰るのがこんなに不安だなんて。別に黙って家出したわけでもあるまいし……。これはあれだな、一切連絡を入れなかったことが後ろめたいってのもあるんだろうな。うわあ、不義理が報うなあ。


「ちゃんと明日お迎えにきますから大丈夫ですよ」

「本当だからね? 絶対に来てね?」

「はい、お約束します。目印をつけておきますから」


 そう言ったスターに右頬へキスされた後、床へ降ろされた。この目印ってイヴにもされた覚えがある。なんでキスなんだろう?


「それではまた明日。――それからアステルバード殿?」


 私にお別れを告げた後そのまま帰るかと思ったスターは、もはや不機嫌さを隠そうともしない、表情を絶対零度に冷たくしたアステルに呼びかけた。

 どうでもいいけれど、アステルがこんな表情をすると非の打ち所がないほど顔の造作が整っている分、無機質な作り物めいて見える。私の戦慄を呼び覚ますには充分過ぎるくらいだ。というか、どうしてここまで恐ろしい顔をしているのか理由が分からない。

 アステルが感情まで凍らせたような声音で答える。


「なんでしょうか?」

「今はこのような姿をしておりますが、私の本来あるべき性別は女です」


 スターは悪戯っぽくアステルに微笑みかけると、今度は本当に消えてしまった。


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