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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
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絆の刻 2

 突然、何かに気付いた様子のティナさんがアステルの腕を引いた。

 抑えた声で注意を促す。


「アステル、こちらのお方は……」


 その声に、アステルが私から視線をずらしてスターの顔を認める。一瞬ハッと目を瞠り、静かに滑るような動作で膝を折った。ティナさんも日傘を畳み、同じく流麗に跪く。

 いきなりなんなんだ?

 そう驚きながらももう一方で、イチイチ仕草がサマになるなこの二人、と感心してしまった。


「ああ、そのように畏まらないでください。私に礼を取る必要はありません。普通に接していただいて結構ですから」


 二人とも、スターがユヴェーレンだって分かっている?


「あれ、もしかして髪の色戻してる?」

「ええ。他に人もいないようでしたから解除しました」


 ふうん。まあ、最初からユヴェーレンだって分かっていた方が手っ取り早いか。

 スターの言葉を受けた後にまずアステルが立ち上がり、ティナさんの手を取って、身体を起こしやすいように支えてあげていた。

 こういう場合の礼儀に適った振る舞いではあるんだけれど……。手の差し伸べ方とか向ける表情とか、いかにもティナさんを気遣っているという様子がこれでもかと表れていて、こちらとしては見せつけないでよという気分になってくる。

 ええ、ええ、僻んでますよ。とりあえずはそっぽを向いてやり過ごすことにした。鳩尾の辺りがもやもやする。思わずお腹をさすっていると、スターがポンポンと背中をあやすように叩いてくれた。どうしてか、武士の情けという言葉を思い出してしまった。ここはおとなしく慰められておこう。

 そうそう、そういえば。思いついてスターの耳に口を寄せる。ヒソヒソ声で話しかけた。


「ねえ、私いつまで抱えられてればいいの? まだ確認って終わらないの?」


 以前もティナさんに会った時は、ベルナールさんに抱えられて偉そうに見下ろす形になっていた。アステルのことに関して複雑ではあるけれど、こんなに容姿端麗で家柄もいいのに全然驕慢なところもない、むしろ性格と育ちの良さが全身から滲み出ているティナさんに、私は嫌われたくない。しかもいずれ家族になるかもしれない人だ。心象はなるべくいい物にしておきたかった。こんな風に不躾な態度を取っている場合ではないのだ。

 一度私から耳を離したスターは目を合わせて笑いかけて見せ、今度は逆に私の耳元へ口を寄せた。男の人になったスターの声は、そんなに低いというわけでもない。でもやっぱり女の人の時とはどこか質が違っていて、その心地いい声音が私としてはお気に入りだったりする。

 そしてスターは、吐息を落とすように囁いた。


「後もう少しだけ我慢していただけますか?」


 耳をくすぐる響きに、ゾワゾワと背筋を撫で上げられるみたいな感触を覚えてしまい、とんでもなく動転してしまった。さっきアステルの声を聞いた時とはまた違う感覚。

 な、なんか今、やけに艶っぽい声じゃなかったか? いやいや、何考えてんだ私。スターは女の人だって!

 とはいえ狼狽えまいと必死な理性とは対照的に、やけに胸が波打つ。熱を持ってしまった耳に重ねた両手を当てて、恭順を示すべく、懸命にコクコクと頷き返した。スターはその様子を見て口元に笑みを刷いている。

 なんでこんな誘惑されているような雰囲気になっているんだろう? 混乱しつつもスターの意図を推し量っていると、アステルの声が聞こえてきたのでそちらを向いた。


「ティア・サファイアとお見受けいたします。私の名はアステルバード・ホリス・グレアム。彼女はクリスティーナ・ハーストンと申します」


 二人が優雅に一礼する。そして顔を上げたアステルの表情を見て、私はヒェっと固まってしまった。

 久し振りに見た、怖いニッコリ笑顔。スターの同じ笑顔も怖いけれど、やっぱり本家本元の方が迫力は上をいく。別に何をしたわけでなくとも、無条件で謝らなければならないという心境に追いやられてしまうのだ。

 思わず、ごめんなさいと口の中でモゴモゴと呟く。それを聞き咎めたスターに、「何を謝っているのですか?」と突っ込まれた。

 確かに、久し振りの再会を果たして胸が一杯だったはずなのに、どうして私はおののいているんだろう? 何かが間違っている。自分でも首を傾げたくなる思いだ。


「お目にかかれて大変光栄に存じますが、ユヴェーレンであられる貴方がどうして桜と共にいらっしゃるのか。その理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 見た目と口調は穏やかなのに、いやにアステルが放つ言葉の端々から棘を感じる。ティナさんも微笑を湛えてはいるけれど、スターが気を悪くしていないかと、反応を気にしているみたいだった。これは、ピジョンだったらすぐに噛みつきそうだな。やっぱりスターでよかった。

 それにしても他人に、しかも初対面の相手に対してこういう慇懃無礼な態度をぶつけるアステルは珍しい。何かに怒っている?

 あ、もしかして!

 ハタと思い当たった。ティナさんと二人でいる所を邪魔したからなんじゃなかろうか? 

 うわあ、そりゃそうだよね、と私は得心した。アステルだって忙しいんだろうし、貴重な休憩時間をやり繰りして会っていたのかもしれない。そうなると、完璧に私たちはお邪魔虫だ。これは早いところ用事を済ませないと。

 ――グルグル。

 二人のことを考える度に、不透明な濁りが渦を巻く。好き勝手に鳩尾を翻弄する感覚は、努めて気にしないことにした。会えて嬉しかったんだから、それでいいじゃない。

 でもなんにしても、ティナさんの前で事情を打ち明けるわけにもいかない。気が咎めはするけれど、ティナさんには席を外しておいてもらう必要がある。

 そこでスターに、場所を変えて説明した方がいいんじゃないかなと耳打ちした。スターは頷いた後、アステルたちに伝える。


「申し訳ありません。詳しい事情はアステルバード殿にしかお話できないのです。大変恐縮ではあるのですが、そちらのご令嬢にはご遠慮いただきたいのですが」

「かしこまりました。私は席を外しております」


 ティナさんが一礼して、察しよくこの場を去ろうとする。私は慌てて呼び止めた。


「あ、そうじゃなくて。待ってください、ティナさん」


 ティナさんが不思議そうに振り向く。そこで肝心なことを思い出した。まだちゃんと挨拶をしていない。


「ええと……、お久し振りです。またこんな格好ですみません」


 頭だけペコリと下げておいた。ほんと礼儀がなってなくてごめんなさい。いつも高い所からごめんなさい。心中で謝り倒しておく。

 もしかしたらもう婚約しているのかもしれない。けれど喉元まで出かけた祝福の言葉を引っ込めて、私は再会の挨拶をするだけに留めておいた。お祝いを述べようとも思ったけれど、まだちゃんと知らされているわけでもないし――と自分に弁明をしたのだ。そして言わずに済んだことに、どこか安堵を覚えていた。


「まあ。私の方こそご無沙汰しております。またお会いできてとても嬉しゅうございます」


 ティナさんは私の無礼さなんか全然気にしていない様子で、その言葉通り嬉しそうに、光り輝く笑顔を放ちながら応じてくれる。

 ど、どうしよう。思わずフラフラと近寄って抱きつきたくなってしまった。そのまま惚けていると、「しっかりしなさい」とスターに揺さぶられて我に返った。

 うひぃ、そうだった。危うく悩殺されてしまうところだ。急いでアステルに顔を向ける。


「アステル、ちょっと込み入った事情があるからここじゃなくて、城内にあるアステルの部屋を借りちゃ駄目かな?」

「かまいませんよ」


 あれ? と思った。目が合った途端、さっきまでの怖い笑顔から優しい微笑に変わっている。なんで機嫌が直ったんだろう? 疑問ではあったけれど、とりあえずはホッとした。


「じゃあ、私が場所を知ってるから先に行ってるよ。アステルはティナさんを送ってから来て」

「途中まで一緒に行かないんですか?」


 その脳天気な提案には唸り声で対応してやるぞ。冗談じゃない、これ以上二人でいる所に割り込んで、気の利かない奴めと反感を買いたくはない。それに鳩尾へかかる負担を今よりも更に増やしてしまうと、病気になってしまいそうだ。

 それともこれは社交辞令の一環か? ぶぶ漬けでもどない? ってのと同じなのか?


「うん。直接部屋に行ってる」


 様々に去来するぼやきを常識ある大人らしく心中に留め、お誘いを辞退しておく。スターに顔を向けて大丈夫だよね、と目線で問いかけると、黙って頷いてくれた。

 脳裏に、アステルの部屋を思い浮かべる。準備はいいよ、スター。


「それじゃあ後でね」


 手を振りながらそう言った後、視界がブレた。



「ひとまずはお疲れ様でした」


 アステルの部屋に着くと、ようやっとでスターが床に降ろしてくれた。やれやれだ。

 靴越しに絨毯が敷かれてある床の感触を確かめながら、ウーンと身体を伸ばす。変に緊張して固くなっていたみたいで、動かす度に手足が解れていくのが分かった。


「もう確認は終わったの?」


 ストレッチみたいに腰を曲げながらスターに話しかける。立ったまま、「さすがは王城。結構なお部屋ですね」と室内を見回していたスターはこちらを向いた。


「はい。十二分によく解りました」

「何が分かったの?」


 スターはこの質問に意味ありげな笑みを浮かべ、全然別の答えを返してきた。


「アステルバード殿は気を悪くしていらっしゃるようでしたね」

「はぐらかすつもり?」


 口を尖らせて抗議してやった。正直に吐くように。いい加減、ちゃんと教えてもらいたい。

 断固追求の手を休めるつもりはないぞ! と私はそのまま視線を送り続けた。


「誤魔化さずにお話ししているつもりですよ」


 とてもそうは思えないんだけれど……。それとも深読みしなさいってこと?

 なんとか読み取ってやろうと、落ち着き払っているスターをじーっと見詰める。けれど、その表情からは言葉以上の意味を読み取ることはできなかった。

 うむぅ。ピジョンは分かりやすかったのに……。スターってば掴みにくい。

 駄目だ、白旗。降参。私は諦めてそのまま会話に応じた。


「アステルが怒ってたのってやっぱり、私たちが邪魔しちゃったからだよね。早く終わらせてあげないといけないよね」

「なんとまあ、そう取りますか」


 スターは声だけはわざとらしく驚いた風を装ってそんなことを言う。


「他に何かある?」

「いえいえ。もしや、今までもずっとその調子でしたか?」

「その調子って?」


 ちょっと苛々してきた。眉間に皺が寄ってしまう。さっきからわけの分からないことばかり言っちゃって!


「アステルバード殿のご苦労が偲ばれますね」


 なんなんだ、その憐憫の情を催すといった顔つきは。


「なんか今、私思いっきり貶められてない?」

「気のせいですよ。これからも思うまま、存分に振り回しておあげなさい」

「誰のこと言ってるの??」


 いくら私が望まずしても、将来男の人を手玉に取る可能性大の、魔性の女予備軍だといっても、今はまだせいぜいが小悪魔風といったところでしかない。うん。冷静な自己判断って大切だよね。私は自分のことがよく分かっている。

 いやまあそれはともかく。

 その私が人を振り回すだなんて、そんな難しい高等技術を披露した覚えはないと思うんだけれど。

 何かの間違いじゃないの? とスターに向かって盛大に顔をしかめて見せたところで、扉をノックする音が聞こえた。


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