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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
81/105

平定者と央輝星 6

 落ち込んではいても、お腹はグルグルと凶暴な音を立てて満ち足りた状態を要求してくる。その主張は間近にいたスターにバッチリ届いていたみたいで、さり気なく「そろそろ夕食にしましょうか」などと言われてしまった。物憂い雰囲気台無し。

 や、その場の空気が百八十度転換したのは正直助かるんだけれど、引き替えに私の控え目なイメージを壊してしまうというのは、代償が大きすぎるんじゃないかと思う。生理現象が憎たらしい!

 とはいえ、窓の外はすっかり薄闇が支配している。様々なことがありすぎた今日はとても長い一日に感じられて、うるさい胃袋と私の欲求はピッタリ一致していた。晩ご飯と言ってくれたスターに内心で感謝のお辞儀に頭を垂れつつ、お手伝いもさせてもらった。

 料理はスターとピジョンどちらもこなせるみたいで、特に当番とかも決めていないらしく、その日の気分や手が空いている方が受け持つとのことだった。家の裏にもそこそこに広い庭があって、ここにも土の匂い漂う畑に野菜が植わってあったり、鶏が数匹うろつき回っている。

 これって当然、卵を取るためだけに飼われているわけじゃないよね……。タバサさんの所で経験した卒倒したくなる流血の記憶が蘇ってしまった。

 ちょっとビックリだったのが、二人共、髪の色を誤魔化す以外は日常生活に於いてほとんど魔術を使わないと言ったことだ。魔道具も置いていない。魔術師だという事実は隠しているのだから当たり前だと言うんだけれど、私だったらバンバン使っちゃうのにな、と二人の自制心に恐れ入ってしまった。

 そしていよいよ就寝時間。


「客間はあるのですが、今日はお迎えする用意が整っていません。窮屈で申し訳ないのですが、今夜は私と一緒に寝ていただけますか?」


 一日の疲れを癒す安らぎの時間を前に、とんでもない発言をかましてくれるスターの向かいで、私の時は一瞬止まってしまった。

 い、いくらスターが男の人だとは感じられないといっても、やっぱり身体は男の人なわけで。さすがにそれには頷けない。それでもスターがあんまりにも当たり前のように泰然と構えているので、おずおず怖々言ってみた。


「……普通、そういう場合ってピジョンと一緒に寝るもんじゃない?」


 仕草も性格も言葉遣いもとても女の人には見えないけれど、そっちの方がよっぽど自然だ。

 ところが。


「ああ? なんでそうなる?」


 私が提案した至極真っ当な言い分に返ってきた反応は、何を言っているんだこの常識知らずは、とでも言いたげなピジョンのしかめっ面だった。

 私、間違ってないよね? この上なくまともな意見だよね??


『お主ら、そのままでは桜の言うことも尤もじゃろう』


 その様子をフワフワ浮きながらあぐらを組んで見ていたおじいちゃんが、助け船を出してくれた。おじいちゃんの方がまともに見えるだなんて、今夜は槍の雨でも降るんじゃなかろうか?

 でも感謝だ!

 おじいちゃんの冷静な指摘を受けて顔を見合わせたスターとピジョンは、やっと思い当たったみたいで「ああ……」と頷き合っていた。

 っていうか、気付くのが遅いって。


「すみません、忘れていました」


 何を?


「うっかりしてたな」


 いくらなんでも粗忽過ぎるぞ! 心中で突っ込んでいたら、二人は着替えてくると言って出ていってしまった。私はそれをポカンと見送るだけだ。


「なんなのあれ、おじいちゃん?」

『まあそのうち分かる』


 うむむ?

 疑問符で一杯の頭を抱えていると、やがて二人が戻ってきた。

 二人は最初から男物のゆったりした夜着を身につけていたけれど、交換したみたいに何故かピジョンはダブダブの大きいサイズに、逆にスターはさっきよりも小さなサイズに着替えていた。

 なんでわざわざチグハグな物を着るの? とさらに増えた疑問符に頭を重たくしていると、そんな私を尻目に二人がお互いの手の平同士を合わせて目を瞑った。

 何をしているんだろう?

 思う間に、私は目前の光景に目を剥いてしまった。


「う……? !?」


 ス、スターが縮んだ! 逆にピジョンは背が高くなっている!

 まるで二人がお互いの身長を入れ替えたみたいだった。そしてこちらの方を向く。


「へ……?」


 それに私はまたもや唖然だ。

 ピジョンはもう、どこからどう見ても女の人には見えない。顔の形や表情は同じなのに、顎の線の太さとか、何よりも体格が男の人の物だった。

 対照的にスターはといえば、もうなんというか正反対。優しげな表情はそのままに、一回り小さくなった身体とか、真っ平らだった胸の部分に立派な膨らみが! ちなみに私より断然大きい。なんか凄いショックだ!

 じゃなくて!


「何、これ……」


 不作法にも、思わず二人を代わる代わる指で差してしまった。


『言ったじゃろうが、性別を交換しておると』


 確かに言っていたけれど。

 けれど――

 そういう意味だったのか!

 心が性別に相反していたんじゃなくて、身体の方が変わっていたんだ。合点がいくと、私はおじいちゃんを腹立ち紛れにキッと睨んでやった。


「もっとちゃんと教えてよ! 分かるわけないじゃない!」

『そういえば、お前さんは何か勘違いしとったのう』


 ひゃひゃひゃとか言って愉快そうに笑われてしまった。く、悔しい! ハンカチを噛み締めてキーッと引き裂きたくなる気分!

 でもこれで納得がいった。こっちの方が凄く自然だ。ピジョンのいつも引き締まっている表情だとか雰囲気、スターのしっとりした佇まい。どこか違和感があったけれど、今は二人共しっくりくる。

 驚きの変貌を遂げた当人たちを食い入るように見詰めていると、スターがニコリと麗しく微笑んだ。うわぁ、美人だなあ……。


「これで納得していただけましたか?」


 高くはない、でも明らかに男の人ではありえない声。

 したよ。しましたよ。それにしてもややこしい。


「なんでわざわざこんなことしてんの?」


 我ながら当然の疑問だ。


「一応の理由もあるにはありますが、敢えて言うなら癖――でしょうか」

「物心つく前から当然のようにできていたからな。それでも常時入れ替わり出したのは、このスケベジジイと知り合ってからだ」

「おじいちゃんと?」


 あ、なんか分かったような気がする。


『人のせいにせんといてくれ』

「ふざけんなよジスタ! テメエがしつこくスターに言い寄るからだろうが!」


 ……やっぱりか。


『当たり前じゃろうが! こんないい女が目の前にいるのに口説かんでどうする!』

「何が人のせいにするなだ! 反省しろ!」


 ああ、また始まった。でもやっぱり女の人だった時よりも、ますます怒鳴り声に迫力が増しているな、ピジョン。


「しばらく続きそうですから先に休みましょうか」


 その提案に一も二もなく頷いた私は、おとなしくスターの後についていった。

 それにしても勿体ない。さっきまでも見目はよかったけれど、今の方が断然ピジョンは格好いいし、スターは綺麗なのに。でもまあ確かに、しつこくおじいちゃんに言い寄られる図というのはちょっと鬱陶しそうだ。

 二人共、ほどほどにね。喧しく罵り合っているおじいちゃんとピジョンにエールを送りつつ、私たちは床に就いたのだった。



 その日から、私はスターたちのお言葉に甘えて居候の身となった。

 もちろんただ飯喰らいというのも身の置き所がないので、畑の世話、掃除、洗濯、料理等、私にもできる範囲の協力はさせてもらっている。

 そうやって、バタバタと跳ね回っている鶏たちにイテテと突っつかれながら餌をあげていると、庭の一角に柵で囲まれた花壇が目に入った。数種類の葉っぱが顔を覗かせている。柵はこのかしましい鶏たちの侵入を許すまじとしているのか、大分高さがある。


「ピジョン、あの花壇、何植えてるの?」

「ああ、あれは毒草だ。近付くなよ」


 毒草!? なんでそんなものを? 誰かの暗殺でも企てているのか? いや、でもピジョンたちだったら魔術で簡単に実行しそうだし。

 黒い疑問も露わに睨めつけていると、その視線が痛かったのか、「また何を考えてやがる」と嫌そうな顔をしながら説明してくれた。


「あれは薬を作るのに使うんだ」


 薬って、やっぱり暗殺用の……。


「だから違うっての! 俺たちは頼まれたら薬を売っているんだ。毒草も調合次第では立派な医療薬になるからな」

「薬屋さんなの?」

「看板も出してないし、そんな大層なもんでもねえけどな。まあ暮らしていけるだけの収入はある」


 凄いな。てっきり、自給自足の生活を営んでいるのかと思っていた。

 どうやらピジョンとスターの薬屋さんは口コミで繁盛しているらしく、日に十数人がごめんくださいと訪れる。

 それにしても、やってくるのは明らかに女の人が多い。どうやらスターから滲み出る、安心できる雰囲気と柔らかな口調と物腰、トドメに端正な面から繰り出されるいい笑顔にガッシリ心臓を鷲掴みにされるらしかった。スターってお医者さんに向いているのかも。

 そんな様子を見ながら、おじいちゃんが『おなごに囲まれていいのう……』なんて羨ましそうに呟いていた。

 傍におじいちゃんがいない時は、時々イヴもやってくる。薬になる植物を提供しているみたいで、スターとピジョンとは交流があるみたいだ。でもピジョンはちょっと苦手だとこっそり呟いていた。確かに、普通に話しているだけでイヴが気圧されている様子がありありと目に浮かぶ。それでもおじいちゃんに対するほどじゃないらしいんだけれど。

 ――あれから誰も、何も言ってこない。私もそんな皆に甘えて、それでも胸の奥に無視しようとしても見過ごせない、重い物を抱えたまま日々は穏やかに過ぎていき、気がつけば十日余りが経っていた。



 喉、乾いたな。

 夜、私は目を覚ました。客間を用意してくれると言われたけれど、結局はあのままスターの部屋で泊まらせてもらっていた。今まで独りでいた反動が出たのか、一度誰かと一緒に寝てしまうとそれが癖になってしまったみたい。

 申し訳ないなと思いつつも、このままこの部屋にいちゃ駄目? とお願いすると、快く承諾してくれたスターにぶら下がっている状態だ。布団を持ち込んで居座ってしまっている。

 耳を澄ますと、規則正しい寝息が聞こえてくる。それになんとなく安心感を覚えながら、スターを起こしてしまわないようになるべくそっと布団を抜け出して、部屋を出た。

 窓から射し込む外の薄明かりを頼りに、手探りで階段を下りる。食卓の置いてある部屋を通り、台所へ向かう。ひしゃくで水を汲んでコップに注ぎ、一気に飲んだ。この家では、飲み水なんかはあらかじめ大きな甕に溜めてある。台所では井戸から直接水を引けるようになっているものの、手こぎのポンプ式なのだ。少量の水のためにいちいちキコキコ労働するのはちょっと面倒だからという、生活の知恵だ。

 ぷはーっ。この一杯のために生きている! ってなわけでもないけれど、美味しかった。


「なんだ桜、起きてたのか?」


 いきなり男の人の声が聞こえてビクリと肩が上がってしまった。振り向くと、部屋の入口にピジョンが立っている。


「ピジョン? ああ、ビックリした。喉が渇いちゃって。ピジョンも飲む?」


 私が水を入れたコップを差し出すと、「ああ」と短く答えたピジョンが近寄ってきた。手渡すと、一口飲んだピジョンにジッと見詰められてしまった。

 な、なんなのかな?


「お前、公爵家で暮らしてたんだよな?」

「そうだけど……。突然何?」


 少し離れた食卓に歩いていき、椅子を引いて座ったピジョンに促されて、私も斜め向かいの席につく。

 ピジョンは卓上にあるランプに火を点けた。それを中心に周囲がほの明るくなり、影が浮かび上がる。それからピジョンはまた一口水を飲んで、言葉を継いだ。


「その割には料理から何から色々できるよな。まあ仕草はちゃんと教育を受けてきたっぽいが」

「ああ、そんなこと。一年くらい食堂で働いてたからね。そこで色々教えてもらったんだよ」


 本当に、お世話になったよね。『道の始まり亭』のことをしみじみ思い出しながら言うと、ピジョンには不憫そうというか、哀れむような顔つきをされてしまった。


「おまえ、まさか冷遇されてたのか?」


 なんだそりゃ。ピジョンの中では、ご飯も碌に食べさせてもらえない私が仕方なく出稼ぎに従事していたという、哀切極まりないストーリーでも展開されているんだろうか?

 私は慌てて顔の前で手を振って否定した。


「違う違う! とっても大事に育ててくれてたよ。働いてたのだって、どっちかというと反対されてたし」

「そうか? それならいいんだが」


 私の勢いに、ピジョンは首を傾げながらも一応は納得してくれたようだった。

 それから暫しの沈黙。

 ピジョンは何か考え込んでいる風に半分水の残っているコップを見つめていた。無言の空気に何か話さねばと気持ちが追い立てられるものの、こんな時に限って話題は出てこない。諦めて、そろそろ寝るねと告げようとした時、ピジョンが躊躇いつつもやっと口を開いた。


「あー、あのな? こんなことを訊いていいか分からないんだが……。答えたくなかったら別に言わなくてもいいんだけどな?」

「何?」


 珍しい、こんなに歯切れの悪いピジョンは。


「お前にとって、アステルバードはどういう存在だった?」


 私の様子を窺うように、言い出しにくそうに訊いてきたピジョンを、思わず目を瞠って見つめてしまった。

 そうか、アステルの話題だったから言い澱んでいたんだ。禁句みたいな雰囲気を作っちゃったもんね。それでもハッキリしないことはそのままにしておけないところが、ピジョンらしいといおうか、なんといおうか。

「いや、言いたくなかったら別にだな」と咄嗟にまたもや言い添えるピジョンを見て、少し可笑しくなってしまった。もしかしたら、私は誰かに尋ねて欲しかったのかもしれない。私の、様々な事情を。

 なんだか、胸に巣くう重さがほんの僅か軽くなった感じがする。


「いいよ」


 と返事をして暫し考え込んだ。――色々、ある。


「アステルはね、説教臭くて口うるさくて、過保護なぐらい心配性な保護者だった。私が十二歳の時からいつも守ってくれた人で――」


 一度言葉を切る。

 それから、それから。


「――私がこの世界へ留まろうと思った一番の理由……」


 決定的だったのはアステルの傍にいたかったからだけれど、それだけってわけでもない。ヘンリー父さんも、リディも、エレーヌやソフィアとだって別れるのは辛いと思った。皆大好きだった。

 でも、その中でもアステルは特別で。

 いつも気にかけてくれた。心配してくれた。頭を撫でてくれた。抱き締めてくれた。優しい目を向けてくれた。

 ああやっぱり駄目だ。今なら平気だと思ったんだけどな。今まで考えないようにしてきたことを、色々思い出してしまう。もう私の手からは零れ落ちたものなのに。ほんの少しずつでも気持ちに折り合いをつけられていると思ったのに。どうしても私の心はあの頃を振り返ってしまうんだ。これじゃあ、お屋敷を出た時と全然変わってないじゃない。少しも乗り越えられていない。自分の不甲斐なさが嫌になる。

 身体の深い所へギュウギュウに押しつけていた感情が、我慢できないとばかりに盛り上がってきた。目の奥と、喉の奥が引き絞られたみたいになる。これって泣く前兆だ。どうせなら思いっきり泣いてやる。思い出させた者の務めとしてピジョンに慰めてもらおう!

 涙と鼻水に備えるべく、私は隣に座っているピジョンの服の端を掴んだ。不服そうな「おいっ!」という声は無視だ。思春期の涙は成長の糧なんだぞ。

 そう思って息を深く吸い込んだものの、私の目は乾いたままだった。迎え入れる準備は心構えからしてバッチリなのに、肝心の主役が出てこない。そういえば、前に泣いたのはいつだったっけ? 結構泣きたがりの私が、月単位で泣いていないような気がする。

 ショックだ。泣くこともできないのか……。

 思い通りになってくれない涙腺に、私はちょっと黄昏れてしまった。前にタマネギを切っていた時はちゃんと涙も出ていたのに。

 とりあえずは気分を落ち着かせるために、深呼吸を繰り返す。最初は吸う度に震えていた息も、段々落ち着いてきた。

 気が静まったと判断したのか、慰め方が分からないと若干うろたえた様子で私を見ていたピジョンが、また話しかけてきた。


「あー、えーと、そのな、どうかとも思うんだが、話を続けてもいいか?」

「うん、いいよ」


 どうせ泣けないんだ。ピジョンと話していた方が気も紛れるし、気持ちの整理をつけるいい機会になるのかもしれない。余計に抉られる可能性もあるけれど……。

 私、ちょっと自棄になっているみたいだ。


「お前が今の状態になったのはホープが原因だろ? その割には、ホープや同じユヴェーレンである俺たちを恨むようなことは言わないんだな?」

「今の状態ってアステルが私を忘れちゃったってこと? それとも私がお屋敷を出たこと?」

「まあその両方だな」


 おじいちゃんやスターだったら尋ねてきそうにない内容だよなあ。こういうところ、ピジョンって正直だよね。


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