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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
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平定者と央輝星 5

「イヤ! ぜぇっったいに嫌!! 会いたくない!!」

「そこをなんとか!」

「別に私が行かなくったって、ピジョンたちが行けばいいじゃない! ユヴェーレンの頼みなんだからアステルだって断ったりしないよ!」

『しかしじゃな、やはり瑞獣に斬りかかるという暴挙は、件の祟りを別にしてもアージュアの人間にとっては畏れ多く、考えることすらおぞましい、侵してはならん領域じゃ。尊い獣として崇め奉られておる生き物じゃからな』

「例え私共ユヴェーレンの要請だとはいえ、アステルバード殿もおいそれと首を縦に振ろうとは思えないでしょう。身内である桜に口添えしていただけた方が承諾の言葉も得やすいかと……」

「それにだな、どうせ桜も一緒にあの洞窟へ行くことになるだろ? どのみちその時に顔を合わせることになるじゃねえか。だったら――」

「だったら私、全部終わってアステルが帰ってからあの洞窟へ行く! それなら会わなくて済むでしょ?」

「残念ながらそういうわけには参りません。臨機応変に、状況に合わせて対応する必要があります。桜には最初からいていただかなくてはなりません」

「なんと言われても嫌なものは嫌なの!」


 私はわざとへそを曲げた様子を作って、ぷいとそっぽを向いてやった。

 さっきから、私たちがどうして押し問答を繰り返しているのかというとだ――



「桜、お前フリューゲルを知っているのか!?」

「へ? う、うん。私がお世話になっていた家の人が持ってたから」


 身を乗り出さんばかりの勢いでピジョンに詰め寄られ、ちょっと引き気味になって答える。座っていながら後ろへ下がろうとしても、背もたれに阻まれてしまうのだ。


「その方というのは、アステルバード殿のことですか?」


 今度は落ち着いた口調ながらも、努めて平常通り振る舞おうと自制心を働かせている様子がありありと分かる、スターに訊かれてコクリと頷く。

 アステルの名前が出ても、それは誰だとピジョンは疑問に思っていないみたいだ。おじいちゃんが私の事情を知っているということは既に確認済みなんだけれど、どうやらスターもピジョンも知っていそう。……イヴしかいないよね。まあおじいちゃんに話しているんだったら、この二人に打ち明けていても不思議はないんだけれど。

 ……なんだかなあ。慎ましい淑女の晒したくない傷を、会う人毎に暴露されているようなこの状況には、打ち拉がれるべきか、恥ずかしがるべきか、それとも開き直るべきなのか。――まあいいか。知ったからといって、それについて何か揶揄するみたいなことを言ってくる人たちでもないし。

 これって、開き直ったことになるのかな?


「スター」

「ピジョン」


 二人が顔を向き合わせてお互いの名前を呼び合い、同時に深々と嘆息した。体中の酸素を丸ごと絞り出そうといわんばかりの深遠さだ。

 酸欠になるんじゃない? 何をそんなにがっかりしているんだろうと疑問に思っていると、それに気付いたスターが投げやりに口を開く。


「これが嘆かずにいられますか」


 今日出会ったばかりの人なんだけれど、スターが愚痴めいた呟きを漏らすなんてらしくない、というか。


「全くだ。ここまで血の巡りが悪いとは、自身に呆れが走る……」


 自分に自信のありそうなピジョンまで、背もたれに身体を投げ出して自嘲している。目を瞠る思いだぞ!

 おじいちゃんだけは堂々とした態度で言い放つ。


『儂が波真太比のことを知ったのはついさっきじゃ。フリューゲルに思い当たらんかったと言っても恥とは思わん。儂のことは除外しろ』

「テメエも気付かなかったから同罪だ! 同じ条件で桜はすぐに思いついただろうが!」


 また言い合いが始まると思ったら、意外なことにおじいちゃんは反論しなかった。痛い所を突かれたみたいにムッツリ押し黙ってしまった。

 それにしてもわけが分からん! なんで皆いきなり落ち込み出したんだろう?


「ねえ、事情が飲み込めないんだけど、どうしちゃったの?」

「ああ、すみません。ご説明いたします」


 食卓に肘を突き、額に手をあてて沈んでいたスターが顔を上げる。私に説明してくれるために無理矢理立ち直ったみたいだ。


「桜の推察通り、フリューゲルには波真太比の鱗が施されてあります。その力を使って持ち主にかかる重力を操るという、特殊技能を発揮するのです」


 あ、やっぱそうなのか。予想が当たってちょっと得意だ。

 とと、それにしても。


「私が自分で口に出しといてこう言うのもどうかと思うんだけど、皆フリューゲルを知ってるんだね?」


 まさかここまで過剰反応を返されるとは思わなかった。


「ああ、宝剣の類だからな。実物は見たことなかったんだが……。アステルバードが持っている剣は実際に重力を操るんだろ?」

「うん。アステルが使ってるのを見たことあるよ」


 ピジョンも復活したんだな、と片隅で思いながら返答する。もう五年も前に一度見たきりなんだけれど。盗賊に襲われた時、アステルは通常の重力下ではありえない動きをしていた。


「じゃあ本物なんだろう。――誰がどういう理由で波真太比から鱗を授かったのかは知らねえが、今はそんなことどうでもいい。フリューゲルなら、祟りを受けずに波真太比の目を潰せるはずだ」

「なんでフリューゲルならいいの?」

「さっき、フリューゲルには波真太比の鱗がはめこまれていると言ったでしょう? つまりあの剣と波真太比は同じモノだということになるんです。同族同士で傷付け合ったとしても、祟るような真似はしないでしょう」

「本当のほんとに?」


 スターたちに向かってしつこく確認を取る。我ながら疑り深いとは思うけれど、アステルがゾンビになるなんて断固として許せない。何か確証が欲しかった。


「アージュアの平定者として、ユヴェーレンの名とその尊厳にかけて誓う。違えることあらば、我らが身も同じく永劫の罪科を請け負おう。――これで信用できるか?」


 拳で胸を突く音。燃え上がる双眼が私を貫く。

 いきなり言葉遣いを変えて、厳粛な表情で誓いの言葉を口にするピジョンに気圧されてしまった。もう浮上している反対側のおじいちゃんと、隣に座っているスターを窺うと、どちらも真顔で頷きを返してくる。

 もしアステルが祟りを受けるようなことがあれば、三人共同じ目に遭う覚悟があると言っているんだ。私だって真剣にアステルの身を案じているんだけれど、それよりももっと過圧に深い決意で『自分自身』を過酷な立場に追いやっている。それだけ重い誓約を交わしてくれたんだろう。

 まさか、ここまで鋭利な気概を向けられるとは思わなかった。逆に、甘く見ていた私の方がその容赦の無さに切り刻まれてしまいそうだ。

 やけに大きい音を立てて、ゴクリと喉が一つ鳴る。

 さすがに、ここで信じられないなんて誠意の感じられない戯言は言えない。言う気もない。……それにしてもピジョン、男らしいな。凄い美人なのに……いやいやいや。

 今はそんなこと関係ないって!


「分かった。疑ってごめんね。ところで、なんで波真太比の目を潰すの?」


 私が重圧感に貼りつけられた喉からなんとか声を押し出すと、切れ味鋭い真剣な空気が和らいだ。ホッと安堵して、素直に疑問を投げかける。


『潰すのは額にある三の目じゃ。魔力の源であるあそこさえ潰せば波真太比も大人しくなる』

「魔力の源って、そんな所を傷つけて波真太比は大丈夫なの?」


 いくらなんでも、命を奪ってしまうのはやり過ぎだと思うんだけれど。気持ち的にも後を引きそうだし。


「大丈夫です。すぐに私が治療します。恐らくは、それで三の目も正常な光を取り戻すでしょう」

「サファイアの座は癒しに特化しているからな。魔力の源にスターの力を直接注ぎ込んでやれば、波真太比も正気尽くだろ。だがまあそれにはまず、フリューゲルの使い手に協力してもらう必要がある。というわけで話を通してくれ、桜」

「は!?」


 スターたちの説明にふむふむと相づちを打っていた私は、ピジョンの言葉にピキリと固まってしまった。

 自分でもお馬鹿! と頭をペチペチ叩いてやりたくなるけれど迂闊なことに、アステルに波真太比をどうにかしてもらうことと、それがアステルに再会すると同意義だということが、今まで全然結びついていなかったりしたのだ。

 ほんとに、お馬鹿!

 そういう顛末を経て最初のやり取りに戻るわけで。



「まだ三百年は保つんでしょ? 次の機会を待とうよ。まだしばらくは幽霊ライフを楽しもう。ね、おじいちゃん!」


 うん、おじいちゃんはやっぱり身体の無い状態が一番自然だ。時間はまだまだあるんだから、無理に戻ろうとしなくてもいいじゃない。

 私はフヨフヨと近寄って顔を覗き込んできたおじいちゃんに、藁をも縋る気持ちで提案した。保身のために今までの流れをスッパリ断ち切ることにしたのだ。


『……自分の感情に囚われすぎた余り、見境がなくなっとるな?』


 冷静に分析しないでよ! その通りなんだけどさ。


「だって! だって……」


 九十年も身体に戻れず漂っていたおじいちゃんに、酷いことを言っているのは分かっている。やっと巡ってきた希望を打ち砕いているのは充分承知の上だ。

 でも私だって家を出てから、――それ以前に五年前この見知らぬ世界へ来てから、寂しくて不安でも頑張ってきたんだ。そりゃあ衣食住は過分といえるほどに保証されて、優しい人たちに見守られて過ごしてこられたんだから、自分がどんなに恵まれていたのかは分かっているけれど。見る人から見れば、こんなのが苦労の内に入ってたまるか、とひんしゅくを買ってしまうのかもしれないけれど。

 でもでも、五年かかってやっとここで落ち着こうと思えた場所を、自分で決めたからとはいえ出なきゃならなくなって、それでもなんとか他を探そうと奮闘しているところなのに。

 ――まだアステルに会えるほど、私は平気になれてないよ? 

 それなのに、またあの苦しい時間へ引き戻されなきゃいけないの? それとも、この程度で辛いなんて生ぬるいことを言ってないで、もっと立ち向かいなさいってことなの?

 …………私、何考えているんだろう? おじいちゃんたちが私を傷つけたくてアステルと引き合わせようとしているわけじゃないことくらい、ちゃんと分かっているはずなのに。皆に対する自分本位なだけの苛立ちを抑えきれない。

 嫌だな。私、今、自己憐憫にどっぷり浸かっている。

 私よりもずっと長い時間おじいちゃんの方が苦境を耐え忍んできた。それなのに何度も助けてくれた。そのおじいちゃんを思いやることもできないなんて、私はなんて冷たい人間なんだろう?

 そう思ってはいるんだけれど、私に任せて! なんてことは言えなかった。


「約束したのに守れなくてごめんなさい。私には、できない……」


 本当に自分の喉から発声されたのかと思うくらい、低くて小さな呻きが漏れた。ちゃんと聞き取ってもらえたか不安になるほど。

 声にも内容にもうんざりされていると思う。その表情を見るのが怖くて、誰の顔も見られなかった。

 必然的に、頭が下がる。


『――分かった。お前さんの気持ちも考えんと、勝手な意見ばかり押しつけようとしてすまんかった。もう言わんから顔を上げてくれんか?』


 なんで?


「そうだよな。元々はこっちで解決しなきゃなんねえ面倒事を、無理強いしているのは俺たちの方だ。責任感じる必要ねえぞ、桜。このジジイのせいなんだからな」


 なんでそんなことが言えちゃうの? 皆はアージュア全体のことを考えなきゃいけないんでしょ? 私一人の自分勝手で台無しになっているんだよ? 許していいの?

 こういうのってずるいよ。文句を言ってくれた方が、こっちだって罪悪感を覚えずに済んで、拒否するのが当たり前だって態度でいられるのに。

 両肩にふんわりとした重みを感じた。肩を丸ごと包み込む、男の人の大きい手。柔らかいけれど無視できない衝撃に、ピクリと身体が跳ね上がる。

 恐る恐る顔を上げると、目の前にはスターの顔があった。凄く優しい表情をしている。私に対する不満感やもどかしさなんかは微塵も読み取れない。


「本当に、私共が至らないせいで、悲しい言葉を言わせてしまって申し訳ありません。口に出すだけでも辛かったでしょう。もう桜を追い詰めてしまうような妄言は慎みますから、安心してください」

「でも……」


 いいの? それで本当に?


「いいのですよ。まだまだ時間はあるのですから。この話はもうお終いにしましょう。そんなことより、折角お知り合いになれたのです。しばらく逗留していってください。どうせなら私たちと一緒にずっと住んでくださいませんか? 賑やかになります」

『儂も厄介になろうかの』

「テメエは出ていけ」

「二人共、また喧嘩を始める気ですか?」


 すっかり元の調子に戻った皆のやり取りに、機械的に口の端が持ち上がった。でも騒がしいその声が、やけに遠く感じられる。

 もういいって言ってくれたんだから、気にする必要はないはずだ。なのに、大きなおもりを飲み込んだみたいに喉がつかえ、お腹の辺りが重い。

 スターの言葉に安堵を覚えて――私はそれでいいの?

 ここまで聞いて、できることがある癖に全てを丸投げにして?

 与えられる物は享受して、その実自分では何もしようとはしない?

 とても親切な言葉をかけてもらった。降り積もる真綿のように温かく包み込む。萎縮して、小さく閉じこもった意識を溶かしてくれる気配り。

 それとも、降ってきたのは柔らかく冷たい粉雪だったんだろうか?

 何故か、心が冷えていった。


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